集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

思考盗聴は犯罪ではないのか

集団ストーカー被害者ならほとんど誰でも思考盗聴されてると感じるだろうが私も例外なくである。何がムカつくって何か考え事をする度に耳に電磁波が走るのである。これが最強レベルでムカつくのである。以前にも書いたが集団ストーカーは疚しいことをしてる為に自尊心が低下して被害者を相対的にとぼさなければ自我の安定が崩れるのではないか?人間は誰でも自己正当化をしないと生きていけないものである。例外はない。私もである。聖人は宗教幻想である。従って集団ストーカーは被害者の人生を潰してるのだから、その負い目、罪悪感に耐えきれず、自分達の側に正義があると考えなければ精神が崩壊するのではないか。悪いことをして罪悪感を感じない人間はいない。従ってそういう人間は必ず自己正当化をして生きるものである。集団ストーカーに非があったとしたら、集団ストーカーは人の人生を潰したただの罪人と言うことで許されない連中と言うことになる。そうだったとしたら、罪悪感で一杯になり耐えれないだろう。それで自己正当化をして私のことを裁きたい衝動に駆られるのではないか。例えばアメリカが戦争をするのはビジネスであり、ユダヤやイルミナリティの陰謀と考えられてるがこれは大衆を惑わす嘘である。陰謀論は全て真実を覆い隠す為にあるのである。実相はインディアンを大量虐殺した負い目、罪悪感があり、インディアンを大量虐殺して国を作ったのは神の国を作る為の崇高なる使命によって行われた行いであり、正義だとする考えが根底にあるのだが、実際は正義でも何でもなく悪逆非道な行いであり、嘘の正義で練り固められたインチキ神話であり、そのことを知ってる為にアメリカは自分達が間違いではなかった、正しかったのだ、アメリカの正義は間違いではなかったのだと証明したい衝動に駆られて戦争をして勝ち、負けた国にアメリカの民主主義を押し付けたい衝動に駆られるのである。アメリカはアイデンティティー的に不確定で不安定で、本当の意味で自分達に自信が持てない。これはアメリカの立場に立てば分かるだろう。自分達の祖先が人殺しの糞祖先だとしたら、その負い目、罪悪感に耐える人間はいないだろう。本当の意味で自信も持てずアイデンティティー的に自我の確立なんて不可能だろう。集団ストーカーも同じく疚しいことをしてる(脳を読んでるのですよ)と知っててその罪悪感に耐えきれず自分達のしてることは間違ってない。人の役に立つことなのだと、自分達の行いを正当化して生きてるのではないのか?違うか?

集団ストーカーは私が何か間違ったことを考えると私を電磁波攻撃してくるのである。頭の中を読まれてるだけでもムカつくのに私の間違いを電磁波で攻撃してくるのである。これが死ぬほどムカつくのである。何でこんなことが許されているんだ?プライバシーの侵害ではないのか。常識で考えて許されないことである。しかし、どうも集団ストーカーは被害者が死なない程度なら何をしても許されるらしいのである。集団ストーカーから「悪いことがまかり通る」と仄めかしがあった。集団ストーカーが何をしても許されるその理由が分からない。我々は毎日被害にあい貴重な時間を犠牲にしているのである。集団ストーカーは時間泥棒である。何でこんなことが許されているのか。一体誰が何の目的で思い付きやがった。絶対に許せない。集団ストーカーを殺したい。集団ストーカーは私のことが嫌いらしいが、だったら遠隔から攻撃してないで私の元に直接来て文句を言えやwこのへたれがw1人で来てみろや。来れんのか?来いよ。私は逃げも隠れもせずここにいる。来てみろよw

集団ストーカーへ。俺の脳の中を覗いて俺を更正させてくれて本当に有り難う。

集団ストーカーは私を変えたいようである。私の頭の中を覗いて私の精神の歪みに対して電磁波でいちいち攻撃してくるのである。私は自分でも性格が歪んでいると思っているが、集団ストーカーはあろうことか私の頭の中を覗いて私を更正させてくれるのだ。なんて有難いことだろうか。ここまでして更正させてくれるとか実に有難い。てめえらも同じ目にあってみればいいよwwいかに有り難く屈辱的かわかるからww
本当に有り難うww
感謝するよww
偉いね君達ww
私を変える為にわざわざ脳の中を読んで私を更正させてくれてんだね。
本当に有り難う。
感謝感激雨あられwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

馬鹿な与党。馬鹿な野党。馬鹿な右翼。馬鹿な左翼。アメリカとの相克の中で。

一体誰がこんな国にした。日本は一億総中流社会だったがそれが音を立てて崩れてしまい、今では貧困層が産まれ階級化してしまった。小泉と竹中が自由な市場、小さな政府を標榜し社会補償費削減、競争社会を作り、貧富の差が開いてしまった。こいつらはアメリカの意向を受けて日本に新自由主義を取り入れた魂をアメリカに売り渡した売国奴であり、全く評価出来ない。特に竹中は酷い。こいつは完全に精神がイカれており、自由な競争社会こそ人間を幸福にするという理念の元に新自由主義社会を取り入れた。そして貧富の差を拡げておりながら、自分はパソナグループの会長に就任して富豪の富を得て上から目線で社会の敗者を見下し、優越感に浸ってるのだ。こいつは典型的にストックホルム症候群に罹った患者である。ストックホルム症候群とは本来ならば敵視する相手に対して媚びて言いなりになってしまう症状のことである。日本はいつもアメリカの言いなりで反抗出来ず、その実屈辱を感じてるがアメリカが怖いから反論出来ず、憎しみを抑圧する。竹中は完全にストックホルム症候群に罹ってると言って良いだろう。小泉も同じだ。こいつらは実際の所は屈辱を感じてるはずだ。そう考えないと説明出来ない。そして安倍政権となった。安倍は明確に憲法改正を訴えており、ストックホルム症候群には罹ってるとは言えないが、他の総理と同じくアメリカには反発出来ず、言いなりだった。アベノミクスは失敗したのにも関わらず安倍政権は長期政権となり消費税を2回も上げた。デフレ下で消費税を上げたら更に金が回らなくなり消費は冷え込むだろう。実際にそうなったのにも関わらず安倍は支持率が高かった。国民が馬鹿だとしか思えずマゾだとも言えるが、政治家とは国民を写す鏡だとはまさにこのことである。

橋本内閣時代に日本は没落した。橋本は日本を貧しくた張本人である。失われた20年を作ったのは橋本である。日本はバブル崩壊してから、徐徐に立ち上がり、景気が上向きに差し掛かった頃に橋本が総理になり、橋本は14兆円もの巨大緊縮財政を施行し、内容は消費増税5兆円、特別減税廃止3兆円、社会保障負担増2兆円、公共事業削減4兆円というメガトン級の国民シバキ政策を施行した。せっかく立ち直った日本経済は大ダメージを受け、深刻な景気後退に陥いった。挙句の果てには、バブルの負の遺産である不良債権問題に着火し、未曽有の金融恐慌に発展して、戦後最悪の不況に突入し、自殺者が1年で1万近く増える大惨事になった。経済はデフレに転落し、失われた20年の原因となってしまった。勉強不足だから私は詳しいことは知らないが、小泉と竹中が日本を貧困に追いやったように思えるが最初に原因を作ったのは橋本である。しかし、もっと遡れば池田勇人に原因があるであろう。石橋湛山と言うジャーナリストから総理になった人間がいるが、石橋は在米駐軍費削減を訴え、GHQに公職を追放されたが、追放処分が解けて鳩山一郎とともに政界に復帰し総理になる。その時の大蔵大臣に安倍の祖父岸信介がいたが、天皇は岸は東郷よりも罪が重いと思うと言っており、後に岸が総理になり日米安保条約を結んだが、気骨ある人間、石橋湛山が総理を続けてれば未来は変わったと言われている。日本とアメリカの関係も違ったものになってたかも知れない。湛山は鳩山内閣の頃にGHQの意向を無視しましょうと言っており、国民からの人気も高かった。病気の為に総理在職期間は僅か66日であったが、人気が高かく湛山は日本人の反米感情を汲み取ってたのだろう。つまり、日本人はやはり、基本的には反米であろう。あれだけのことをされたから当然であろう。大量に虐殺され、人類史上最大の戦争被害を被り東京裁判で悪の国家として裁かれたのだ!これだけのことをされたら誰でも反米になるだろう。ならないのは、一部のストックホルム症候群に罹った患者だけである。しかし、ストックホルム症候群とは本来なら敵意を抱く相手に媚びを売る症状だから、こいつらも、本音を抑圧してるだけで基本的には反米であろう。押しに押され破れたのである。従って日本人の殆どは反米であろう。私はアメリカは嫌いだが別に反米ではない。アンチ的姿勢を取るのが嫌なのである。これは一種の思考停止を招くだろうし、何かに依拠することでもあるからである。日米軍事同盟は果たして正しい選択だったのだろうか。疑問に思う。次に総理になった池田勇人国民所得倍増計画を打ち出し、国民総生産(GNP)を10年以内に26兆円(1958年度価格)に倍増させて、国民の生活水準を西欧先進国並みに到達させるという経済成長目標を設定し、内政と外交を結びつけることで、完全雇用の達成と福祉国家の実現、国民各層間の所得格差の是正をはかることを目指した。これは引用文だが、日本は確かに奇跡の復活を遂げてみるみると経済大国になったが、果たしてこれは正しかったのか。今の日本人を見てると幸福そうに見えない。日本の経済発展は戦争の続きだと言う説があり、当たってると思うが、確かに豊かになり経済進出を図り、アメリカの企業を買収したりして日本人は戦争で負けた屈辱を経済的に晴らすことが出来て喜んだのであった。しかし、バブル期真っ只中から自殺者数は多かったし、経済的に豊かな社会が本当に幸福な社会かは甚だ疑問である。池田勇人は確かに日本を豊かにすることに成功したが、自民党一党独裁体制を築き上げた張本人であり、55年体制を築き上げた罪があるであろう。

しかし、問題は与党だけでなく野党にもあるだろう。本来なら左翼は人権、自由、平等を標榜し、革新的、進歩的であるにも関わらず(そんな左翼が良いとは思わないが)、民主党が与党になると韓国に媚を売り日本の罪を謝罪したのであった。国民は小泉、竹中時代に日本が格差社会になり、与党に期待出来なくなり、民主党は302議席を獲得して政権与党の座に居座ることになったが、マニフェストは虚しく実現出来ず、有名な「最低でも県外」案も実現せず沖縄の人達のみならず、日本国民を失望させた。鳩山は脱官僚、政府主導、国民の政治を標榜していたが、全て実現出来ず、政治運営能力のなさを露呈した。鳩山は日本と韓国と中国の3国の共同体を作りあげ、アメリカ追従から脱しようとし、国民を期待させたが、そもそも韓国と中国の反日感情を緩和化すること自体が容易ではなく、これも失敗に終わり結果的にアメリカとの間に亀裂が走るだけであった。民主党は母の国韓国と言っており、鳩山は日本人が朝鮮人に行った蛮行(?)を深く謝罪したのだ。日本が朝鮮を豊かにし、学校を5000校以上作り植林をし、奇妙な風習(うんこを舐めて誰のうんこか当てるゲーム等)を廃止して、人口を増やして平均寿命を伸ばしたのだ。そういった歴史的事実があるにも関わらず、悪い面だけを見て謝罪をしてるのだから、究極のアホ左翼大江健三郎と変わりないだろう。GDP民主党時代の方が高かったから自民党よりはましだったが、鳩山の次に総理の座についた菅が原発事故における、被災地支援の遅さ、杜撰な指示を出し無駄に現場を混乱させる等して被災者を失望させた。かつては菅は確かに政治家として期待を抱かせる人間であったが、いざ総理の座についてみると、現総理の菅と同じく総理の器ではなく支持率が急落した。次に野田豚が総理になり、どじょう総理等と呼ばれて菅と同様発足当初は支持率は高かったが、3党合意における増税を施行して支持率が落ちた。民主党自民党と違って内部分裂を起こしており、政策を決定する段になると自民党は結束するが、民主党はてんでバラバラで与党としては何とも頼りないのであった。結局三年に及ぶ与党時代にたいしてマニフェストを実現出来ず、国民を失望させて、自民党1強体制を強化する流れとなってしまった。国民は野党に期待出来ないものだから、自民党に投票せざるを得ず、安倍が政治を私物化し、森友問題、桜問題等問題を起こしても罪悪感ゼロで問題を追及されても平然とはぐらかし、平気で嘘をつき責任逃れをして最悪な総理であり、そんな安倍を支えたのはだらしない野党である。かつて民主党は志しが高く確かに期待を抱かせたが、実際に政治をやらせてみたら、余りの体たらくぶりに国民はがっかりした。今ではただ単に自民党を非難するだけの批判政党であり、間ともなマニフェストもなく、全く期待出来ず、結局自分たちの保身のことしか考えておらず、国民目線の政治の出来ない自民党と大して違いがなく、最悪だった。

日本には反日左翼、売国右翼がいるが、愛国左翼がいないことが悲劇であった。本来ならば左翼は愛国的になるはずだが、日本の左翼は大江健三郎のように東京裁判史観に立っており日本は軍国主義に突っ走り近隣諸国に迷惑をかけたのだから、謝罪と賠償をすべき悪しき国家であり、日本は悪の側であり連合国側が正義であるという考えに立っているのである。先に小泉と竹中がストックホルム症候群に罹ってると書いたがこいつらもストックホルム症候群に罹ってると言えるだろう。一方右翼は大日本帝国は正義を遂行する天皇を頂点に置いた国家であり、自我の拡張政策、植民地主義を貫きアジア、アフリカ各国に迷惑をかける白人ヨーロッパ勢力を駆逐するために崇高な理念の元に八紘一宇を提唱し、大東亜共栄圏を築き世界に平和をもたらし、亜細亜の名主として鬼畜白人国家と戦う崇高なる国家であった。読んでみて直ぐに分かると思うが左翼も右翼も同じく馬鹿である。左翼は言うまでもなく馬鹿だが、右翼も馬鹿である。何故馬鹿かと言うと、この右翼と左翼は根本は同じところから出てきた派生物であり、構造的本質として全く同じでコインの両面であるからである。従って左翼が馬鹿なら右翼も馬鹿にならざるを得ないのである。大体が日本が亜細亜の名主を標榜しているのが実にはた迷惑である。八紘一宇の理念は日本人には気持ち良いのかも知れないが他国の人間にとっては実にはた迷惑と言う他になく、他国の人間が天皇を崇拝する理由はない。これは日本人は主観的には他国の為を思う一種の思いやりとも取れるが、客観的には自分達の都合のことしか考えてない実に馬鹿な発想なのである。大東亜共栄圏も同じ理由から説明できるだろう。日本が亜細亜の名主になることに一体誰が共感するであろうか。日本人の独りよがりである。同化政策も主観的には相手の立場を思った思いやりであり、世界に名だたる崇高なる天皇を中心に置いた偉大な国家である、日本人になることは名誉なことだとされてるが、これは、日本人には気分が良いのだろうが、客観的には相手の立場を考えるどころか相手の立場を完全に無視した傲慢不埒な政策である。ヨーロッパ人は異教徒をキリスト教徒にしたがったが、ちょっと似てはいるが、本質的には異なるのであってヨーロッパ人は異教徒をキリスト教徒にしたのではあるが民族のアイデンティティには無関心であったのに対して日本人は民族の根幹に関わるアイデンティティを根こそぎにしたのである。ブラジルのカラテカフランシスコ・フィリオの師匠の日本人カラテカがフィリオに日本人になりなさいと言っていたが、日本人にとってはこれが、カルトでも何でもなく善意なのである。フィリオは、「私はブラジル人です。日本人にはなれません」と言っていたが、これは当然のことだろう。ここが日本人の恐ろしい所である。日本には自前の宗教がなく、文化の中心に何もないから、危機になると他民族を日本人にしたがるのである。仮に自前の宗教があったら、同化政策はせずに自前の宗教を押し付けただろう。同化政策は自前の宗教を持たない民族の病的症状である。私のブログで私は鶴崎と言う奴に洗脳されて人格を破壊されたと何度か書いたが、鶴崎も自分と同じ自分を作ろうとしていた。私の好きなものを徹底的に否定して自分の好きなものを押し付けてきた。私には至極迷惑であったが、鶴崎にとっては確実に善意なのである。私は葛藤に捕らわれて苦しんだ。好きなことが何も出来ずに鶴崎が認めたものだけが、価値のあるものであり、私が好きになるものは鶴崎が認めたものだけであった。今にして思うと殺意を抱き鶴崎を八つ裂きにしてやりたいが、ある時私が鶴崎の芸風を真似したら(鶴崎は芸人志望であった。自分で松本人志に似てると言っていた)、鶴崎はうっとりするように私を眺めて実に嬉しそうにしていた。従って鶴崎が自分と同じ人間を意図的に作ろうとしてたのは確実である。日本人はアイデンティティ的危機に陥ると同化政策を取るようである。実際に鶴崎は追い詰められていた。可愛そうな事情もあるから、同情の余地はあるが、やはり、ムカつく。笑えるのが私はセックス・ピストルズの大ファンであったが、鶴崎セックス・ピストルズが好きになれず、私のことを否定したかったのだが、鶴崎は私にブルーハーツを押し付けてきたのだが、そのブルーハーツのメンバーがセックス・ピストルズに多大な影響を受けてたので否定しようにも否定出来ずに困っていた。ざまあみろである。で、話を戻すと、確かに日本は植民地にした国を必ずと言って良いほど豊かにしたからその点は高く評価出来るし、何れ植民地支配はほっといても終わっただろうが、日本の引き起こした戦争が植民地支配の終演を早めた面もあるからこの点も評価出来るが、八紘一宇大東亜共栄圏は全く評価出来ない稚拙で幼稚な理念と言わねばなるまい。低学歴で馬鹿な私から見ても実に幼稚で馬鹿な理念に見えるのだから相当馬鹿な理念であろう。実際にあの宮沢賢治日蓮宗の田中智学が提唱した八紘一宇の理念に共鳴しており、あれだけ生命愛に溢れた宮沢賢治が共鳴したのは不思議だが、人間には二面性があり、ある特定の部分では偉大な才能があるが、別の部分では死ぬほど馬鹿な人間とはいるものである。日蓮宗仏陀の真意から外れており、仏陀日蓮宗の教えを知ったらこれは私の教えではないと言うだろう(日本の全ての宗派に言えることだろうが)が、しかし、先に説明した通り別の部分では死ぬほど馬鹿な人間はいるものである。コンピューターの原理を発明した人間も優性思想の持ち主であった。右翼にカルト日本会議がいるが、こいつらも根本は左翼と同じ所から出てきた組織である。日本会議大日本帝国時代の日本を取り戻そうとしており、自民党とパイプがあり、閣僚の8割が日本会議のメンバーであることは注意が必要であろう。日本会議のメンバーは第二次世界大戦の敗戦を認めておらず、かつての日本を取り戻したいらしいのであるが、日本のことを思うのであれば、さらに真の愛国者であるのであれば、(私は愛国心に懐疑的だが)敗戦の原因を突き止めて反省し2度と同じ過ちを犯さず、日本がアメリカの属国であることを素直に認めて、どうやったらアメリカの属国から脱却出来るか考えるべきであろう。しかし、日本会議は違うのだ。敗戦を認めてないのである。日本人は敗戦を終戦と言い換えて基本的に敗戦の屈辱を認めてないが、これが良くない。アメリカは卑怯だったし民間人を112万人も殺した罪を犯した癖に東京裁判で日本を裁くと言う信じられない愚行を行い、アメリカがそんなことをして、日本人のプライドを傷つけるから、カルト日本会議が出てくるのである。非常に難しい問題である。日本は欧米と違って良いこともしており、植民地化した国を必ず豊かにしている。そういう面があるから、日本人は連合国側に反発を覚えるのであろう。最初は欧米が世界中を植民地化したのであって、これが原因であり、欧米に罪があり、日本は東條が言うように戦争に巻き込まれた面もあるのだから、被害者意識が強くなるだろう。仮に第二次世界大戦は全ての国が基本的に悪であり、日本だけでなく、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、フランスにも罪があると認め、日本には確かに正義があり、それは正当性があり、日本が植民地化した国は豊かになったことが高く評価されれば右翼は満足し(日本人のことだからかなり満足すると思う)左翼は日本を非難出来なくなり滅ぶだろう。しかし、この問題は難しい。国際的にヒロヒトは戦犯で通っておりヒトラーと同一視されており、連合国側が正義で悪しき大日本帝国ナチスドイツを退治したのだ。従って奴等が罪を認めるのはかなり難しい。大航海時代が劣等感、屈辱、嫉妬心克服の為にあり、奴等は被害者意識の塊だったのは、例えば日本の捕虜にされたイギリス兵が戦争が終わると日本を訴えてることでも明らかである。自分達が散々悪逆非道な行いをしてたくせに、捕虜になると訴えることが出来るのは被害者意識が強い者だけである。従ってこれはプライドの問題であって日本も欧米も被害者意識が強いことでは同じであり、お互いに正義を正当化しており、自分達の罪を認めるのは難しい。ローマ法王がこれまでキリスト教徒が行った蛮行を謝罪したが、今でも国際的に日本、ナチスドイツ、ファシズムイタリアが悪であり、アメリカを初めとした連合国側が正義だとする歴史観が一般的であり、こいつらが自分達の罪を認めるのは極めて絶望的である。従って日本は右翼も左翼も消滅せず、日本の未来は極めて絶望的である。日本会議教育勅語を復活するのだろうか。安倍は森友学園の子供達に教育勅語を教えていた。うんざりしてくるが、また、同じ過ちを犯すのだろうか。日本会議は、

・すべての宗教は天皇より発するなり。大日如来も、イエスキリストも天皇より発する也
・先天的に日本国が世界の首脳国であり、日本人が世界の支配者として神から選ばれた選民である
大日本帝国は神国なり、大日本天皇絶対神にまします。大日本民族はその赤子なり

と言っており、これは日本会議の標榜する理念であり、読んでみて直ぐに分かるとおり、実に1神教的である。かつて、心理学者の岸田秀大日本帝国は1神教の模倣であると看破してたが、間違いなく1神教に対抗する為に出来た理念であろう。明らかに1神教の反動形成として出てきたとしか思えない。1神教自体が実に幼稚で可愛らしい(化け物でもあるが)ものであり、一種の特にキリスト教がギャグみたいなものであるが、そのお笑いの要素を日本会議も含んでしまってると言えるだろう。1神教の模倣なのだからそうなるのは必然的帰結であろう。お笑いナチズム、お笑いキリスト教、お笑い大日本帝国であろう。私にはギャグにしか見えないが、しかし、キリスト教徒とナチスは人を殺しまくったから笑ってはいけない面もあるだろう。同じくお笑い大日本帝国と言ってもギャグにしたり馬鹿にしたところで問題は何も解決しないだろう。奴等はマジだからである。一体どうすべきか。問題は日本が右翼と左翼に分裂をしていることである。日本を分裂状態に追いこんだのはアメリカである。従ってアメリカに対する憎悪、恨みを持ってることでは右翼も左翼も同じである。何で左翼がアメリカに憎悪と恨みを持ってるかは既に説明した。問題はアメリカ恐怖である。右翼は日本人にはヤマト魂が宿り、誰にも負けない強い精神を持っていると言うがこういう、ありもしない幻想を持ってくること自体がアメリカに恐怖を抱いてることを証明するのである。問題は日本とアメリカの2つである。日本の問題は文化の中心に何もないことに起因する。文化の中心に何もないから分裂をするのである。岸田秀は日本は右翼と左翼を統合する必要があると言うがこれは無理な話である。元々文化の中心に何もないから、衝撃を受けると分裂をする素地があるのであって、右翼と左翼を統合すると言う考えは日本は元々アイデンティティ的に自我を確率してたという前提に立っている。日本人は歴史上一度も確固としたアイデンティティを築いたことはない。右翼は大日本帝国時代の日本を真の日本と錯覚してるが、当然のように大日本帝国は本当の日本ではない。ではどうするかと言ったら、まず、日本の中心には何もないと自覚することだ。そうすることによって客観的になれて、何故日本が分裂をしたのかが分かるだろう。話を最初に戻すと政治的無知、或いは売国も根本は同じところから出てきた問題であると分かるだろう。先人は言っている。知らないを知らないとせよ。これすなわち知るなり。或いは汝自身を知れと。自分を知らずして日本の改革もない。日本人は自分達を知ることによって政治的無知から脱却し、右翼と左翼の問題も解決出来るだろう。

私はいつも不思議に思うのだが日本の右翼は大日本帝国を復活したがってるが、そうすると必然的に反米になるはずである。しかし、右翼は親米右翼である。何故であろうか。明治になり、中国と朝鮮は頼りないと言うことで脱亜入欧を掲げ和魂洋才になったが、右翼は和魂米才と言った感じである。日本会議はこの和魂洋才の問題をどう処理するのだろうか?天皇を絶対化し昔の日本を取り戻したいようだが、今の日本は多分に欧米文明に影響を受けており、PCやスマホがあり、着るものも洋服である。洋食も大人気であるし、アメリカやヨーロッパの音楽も日本でも大人気だが、かつてはそれらのものは敵対音楽と言われたが、同じ事を繰り返すのだろうか。右翼なら必然的に反米右翼になるはずだが、そうならない。何故ならないのだろうか。この矛盾をどう説明するのだろうか。私にはよく分からない。誰か教えて、賢い人。

今の日本は格差社会だが自民党の馬鹿と野党の馬鹿は大して打開策を出さない。今の日本の政治家で本当に日本の事を思う政治家はほとんどいないだろう。小泉、竹中時代に格差社会になり、国民の不満がたまり、民主党が国民の期待のもとに与党になったが、マニフェストは空回りで全く役ただずだった。格差が広がればそれだけ、経済的理由から恋愛も結婚も諦めざるを得ない人間が出てくるわけで、そうすると結果的に少子化になり、そこから付随する様々な問題が出てくる。自民党少子化対策として移民を1000万人入れるようだが、移民が増えると、犯罪の増加や職を奪われる人間が出てくるし、ヨーロッパでは移民を入れた弊害が問題になってる。そういうサンプルがあるのだから、自民党はそれを参考にすべきで私は移民を入れることには反対である。今の日本では両親共働きじゃなきゃ生活を出来ず、ろくに子供の面倒も見れない家庭も多いだろう。だから、最低賃金を上げて、非正規社員をなくして、パートの給料も上げて、しっかりと子育てを出来る環境を作り、格差を是正すべきだろう。そうすることによって経済的に豊かになれば、恋愛も結婚も出来て共働き家庭も減って子供の面倒も見れるようになり、それだけ日本は幸福になるだろう。しかし、自民党はそれをするきがない。野党もない。格差社会は子供の教育問題にも深刻なダメージを与えるので、小泉と竹中の罪は重たいだろう。両親共働きで子供を構ってやれない家庭で育った子供が将来大人になった時にどういう大人になるか。問題があると言える。しかも、貧困は連鎖するので貧困家庭は貧困から絶対に抜け出せない。今の日本は問題だらけである。先にも書いたが、自民党日本会議のメンバーが多い右翼のくせに常にアメリカの言いなりである。何故右翼なのにアメリカ追従であろうか。謎だが、私が思うに単純にアメリカが怖いのだろう。反抗出来ないのである。まさにストックホルム症候群に罹ってる言え、その為に屈辱が溜まるから、より、右系化すると言える。大日本帝国に夢を馳せて、屈辱を克服しようとしてるが、アメリカが怖いから屈辱を晴らせず、その屈辱をアメリカの社会的弱者を攻撃することによって晴らしたりしてるが、全く無意味である。自民党は国民皆が幸福になることが許せないのではないか。不幸な層を増やすことによってアメリカの属国である屈辱を晴らしているのだろう。自民党は100%アメリカの属国であることに屈辱を感じてることは日本会議のメンバーが多いことからも明らかである。従って劣等感補償をするとしたら、かつてのように朝鮮を脅して植民地にするわけにはいかないから、内に目が向かったのだろう。自分達と同じく裕福で豊かに暮らせる人間を生み出す政策を実行し社会を格差化して優越感に浸る以外に劣等感を補償出来ないのである。実に哀れである。日本会議が日本を良い方向に変えることも100%ない。これは断言出来る。日本会議の理念も虚しい空論で終わるだろう。大体が、神国日本を仮に取り戻した所でアメリカの属国から脱却するなんて無理に決まってるではないか。そんなことは過去の歴史を調べれば明らかである。アメリカがそんなこと許すはずがない。それが、見えないのは信仰だからである。信仰で有るがゆえに盲目になり、所謂、日本に課せられた現実が見えなくなるのである。実際に大日本帝国は現実が全く見えてなかったのが敗戦の最大の要因であった。物量の差もあったが、それだけではなく、杜撰な作戦が日本の敗因の最大の要因であった。その負の側面を見ずに反省もせず、日本会議は神国日本を取り戻そうとしてるのだから、終わってると言える。石橋湛山が言うように大日本よりも小日本でいい。その方が日本にはあってるし、平和になるだろう。我が身を知れである。だから日本会議はあまりにも馬鹿すぎるだろう。しかし、先にも言った通り馬鹿にしても、笑いに変えても無駄であろう。冗談が全く通じない頭の硬い奴等でそういうところが実に1神教そっくりだが、実際に先に説明した通り日本会議は疑似1神教的理念を持ってると言え、怪物退治をするものが怪物になると言うニーチェの命題の通り日本も怪物になるのである。この問題をどうすべきか。問題はアメリカにあるのは明らかである。しかし、前にこの稚拙ブログで書いたが日本人は臆病であり、それが原因で様々な問題が発生すると論じたが、かつて日本軍は余りにも兵隊に無理強いをして日本の兵隊はまさに死ぬもの狂いで戦ったわけであるが、繰り返すが日本兵にはヤマト魂が宿りどこの軍隊よりも勇猛果敢で勇気があると言う幻想をわざわざ作ったのもその逆こそが真であることを示している。実際に大戦中アメリカ軍を一網打尽に出来るチャンスがあったのにも関わらず南雲中将は敵前逃亡をしている。アメリカの復讐が怖かったのだろう。これは謎の反転と呼ばれたが、誰もが真意は知ってて語らないのである。プライドが傷つくからである。捕虜の辱しめは受けずとか言って捕虜になることを禁止したのも、日本人には忠誠心がないことの表れであろう。忠誠心がなく直ぐに捕虜になるとことが分かってるから捕虜の辱しめを受けずになるのである。捕虜の問題は各国が頭を抱える問題であったのに、日本軍は万歳突撃をしてアメリカ軍に蜂の巣にされて、日本自ら捕虜の問題を解決してくれるのであった。実に馬鹿な作戦である。実際に中世の時代に日本を訪れたヨーロッパ人が日本人を観察して、日本人には忠誠心がない。直ぐに裏切る奴ばかりだと言っているのであって対戦中も捕虜になった日本兵が頼まれてもいないのに米軍の戦闘機に乗り込み日本軍の基地がどこにあるのか教えている。それでアメリカ兵にあきられていたのだ。こういう民族だから、日本会議の理念はまさに空念仏みたいなものであり、全く日本人を変えるのには役に立たない。ヤマト魂とか大日本帝国とか実体と考えてはならない。本当の日本を取り戻せば日本は復活をすると考えてるかもしれないが、もちろん全ての日本人がそうだとは言わないが、日本人には忠誠心がなく、すぐに裏切る奴等がいる、そういう側面もあることは無視出来ないだろう。そういう負の側面を見て、しっかりと反省し、現実を認めて初めて立派な国になれる。日本を良い方向に変えることにおいては日本会議の思想は全く役に立たないであろう。

日本人は団結力がなく国民の側から社会を変えたことがないと言われているが、それも文化の中心に何もないからである。団結力があるということはナチズム、マルクシズムの病的なまでもの団結力、その迷惑さを考えると手放しで誉められないが、団結力は中心に立脚点を持って初めて生まれる。従って立脚点を持たない日本はなかなか団結して社会を変えることが出来ない。日本人は団結する為には何か中心に理念を置かないと団結できないのである。ここが怖いところである。八紘一宇大東亜共栄圏の理念、そして、日本会議の理念等は中心軸に理念を置いてそこを拠り所にして団結力を持とうとしたのだろう。これがいかにはた迷惑かは歴史が示すところである。日本人は民族として団結出来ないのである。だから団結する為に中心軸に理念を持ってくるのだが、仮に民族として団結出来るのであれば日本は必然的に、反米になり、属国脱却を目指すであろう。しかし、日本人は中心に何もないが故に長いものには巻かれろ、寄らば大樹の影になるのであってこんな民族に団結力を持つことは期待できない。団結する為には自分達を知る以外にない。つまり、日本の文化の中心には何も無く、日本の宗教は無宗教の宗教であり、日本の思想は無思想の思想であり、日本の哲学は無哲学の哲学だと知る必要がある。そのことを知って自覚して初めて団結出来、アメリカからの属国脱却の夢も見えてくる。日本人が忠誠心がなく直ぐに裏切るのも文化の中心に何もないからである。こんな民族だからこそ、同一民族に対して愛着を持たないのである。日本人が日本人であることに誇りを持ち日本人であることに愛着を感じる為には自分達を知る以外にない。理念に頼ってるようでは駄目であろう。理念とは大概ろくでもないものである。

与党も野党も、右翼も左翼もアホばかりで一体どうしたら日本をよく出来るかは私も明確な答えがあるわけではないが、結局は最終的に全ての問題は人間に還元されるわけで、人間における普遍的要素について理解する以外にないのかも知れない。人間における普遍的法則が分かれば人間の営むこの社会を幸福にするにはどうしたらいいかその解答も見えてくるだろう。左翼も日本会議も問題外である。これは日本人だけの問題ではなく全人類的課題であろう。文化の中心に何もない日本人は何もないからこそ可能性があると言える。そこから、カルト右翼、カルト左翼が出て来て政治的にも馬鹿だから欠点もあると言えるが、欠点を是正すれば可能性は拡がる。何もないと言うことは何者にもなれると言うことであるし、何でも産み出せるし、状況に応じて臨機応変になれる。文化の中心に何もないと言うことは日本の宗教は無宗教の宗教と言うことであると書いたが、無宗教の宗教と言えば仏教である。一切皆空を説く仏教はまさに無宗教の宗教と言う他にない。全宗教の中でも原子仏教はまともな宗教と言えるだろう。そんな宗教が世界三大宗教の1つになったのは1神教徒がこれだけ蔓延る世界では奇跡的かも知れないが、仏教と日本の宗教、無宗教の宗教は可能性がある。無宗教の宗教とは0のことである。0は何も無いことを意味し、同時に数字の1つであることを意味する。従って文化の中心に何もない日本の宗教は無宗教の宗教と言う他にない。0は可能性は無限大である。だから、日本人は自分達の可能性に自覚的になる必要があるだろう。無宗教だとポル・ポトスターリンになるから、ブレーキをかける為に無宗教の宗教と自覚する必要があるだろう。不変(普遍)幻想を持つ1神教に対抗出来るのは無宗教の宗教だけだろう。だから、日本と仏教に課せられた使命は大きく日本人と仏教徒は世界的使命を持ってると言えるだろう。

集団ストーカーは本質的に悪でありカルトである

私は集団ストーカーはカルト犯罪ではないと訴えてきたが前言撤回することにする。こいつらは本質的に悪でありカルトである。無断で人の頭の中を読み嫌がらせをしてくる。明らかに悪であろう。集団ストーカーはどうも自分達が被害者を攻めるのは良いが自分達が攻(責)められるのは我慢出来ないらしい。 分かりきった当然のことだがまず、人のプライバシーを覗くのが悪であるし、あろうことかこちらの許諾なしに脳の中を読んでいるのである。そしてこちらが良からぬことを考えると電磁波攻撃をしてくるのである。私はキレて頭の中で集団ストーカー死ねとやり返すと嫌がらせが激化するのである。しかし、勝手に頭と頭が繋がった状態にされてるんだから、思考盗聴自体が悪で、集団ストーカーは自分達が攻(責)められる覚悟をもってやるべきであろう。これは分かりきったことである。しかし、集団ストーカーは自分達が攻(責)められるのは許せないらしいのだ。こいつらただの駄々っ子であり甘ったれた糞野郎だろう。私は何度もキレてそんなに俺のことが嫌いなら直接俺の所に一人できて文句を言えよと言うのだが集団ストーカーの馬鹿は遠隔から攻撃をしてくるだけである。実に終わってる奴等だと言えるだろう。今の日本人はゴミが多く他人の不幸を笑い者にする奴等ばかりだ。集団ストーカーを楽しんでるとしか思えない。相手の立場に立って考えることの出来ない糞野郎ではない。誰よりも相手の立場に立って考えることが出来るから被害者の苦しみがわかり、嘲笑っているのである。人の気持ちが分からない奴が苦しみを受けている人間を笑い者にするわけはない。加藤が秋葉原で大量殺戮をした時に加藤に刺されて苦しんでる人間を笑顔で撮影していたゴミがいて駆け付けた救急隊員を怒らせてたが、今の日本人はこういう奴等ばかりだろう。人の苦しみが楽しいのである。実に終わってると言えるが、しかし、自分が被害者だったらと考えることの出来ない低能であるのは確実であろう。そういった意味で言うとかなりの馬鹿である。つくづく日本は終わってると思う。5ちゃんねるの各板にこんな糞みたいな国滅べ、というスレッドがたくさん建つわけである。私も実際に投げやりになって「もうどうでもいいや」、と思い、いっそのこと滅べと思う。自民党が与党で有る限りにおいて日本は破滅へと向かっているが日本の政治状況は変わりそうにないし、もうどうにでもなりやがれと言う気持ちである。

それで我々被害者は時間を無駄にしてるわけであるが、何でこんなことが許されているのか分からない。時間は有限で2度と取り戻せないのだから時間を奪うのは罪だろう。私は何か良からぬことを考えると集団ストーカーに電磁波攻撃を受けると書いたが、集団ストーカーにとって私を裁くことは正義なのである。思考盗聴は本質的に悪なのだから、本来ならば許されないはずだが、集団ストーカーの低能の糞は私を裁いて私を変えようとしてるのである。これはカルトの洗脳と同じであろう。人間を人為的に変えてはいけない。それは人格破壊である。ナチュラルに無理のない仕方で変えなければならない。私はこのブログで鶴崎と言う奴に人格を破壊されて人生が終わったと何度も書いてきたが鶴崎は私を自分の都合の良い人間に作り変えようとしていた。鶴崎にとってそれは善意であり、正義だったのである。主観的には。しかし、客観的には間違いなく悪である。善悪は相対的なものであるが、しかし、人格破壊は後の人生に膨大な被害をもたらし、長いこと苦しみ続けなければならないのだから、罰せられるべき悪と言ってもいいだろう。怖いのは鶴崎はその悪の行為が主観的には善意なのである。私は何度か鶴崎を否定したが、そうすると鶴崎は「俺は正しいよ」と言っていた。「俺は正しいと」考えること自体が間違いである。或いは鶴崎は「俺は仏陀の境地を超えてやる」と言っていた。こういうことを言うこと自体が仏陀の真意を理解してるとは言えず、鶴崎は仏教が一番嫌う執着の塊だと言えるだろう。ただのアホである。私を支配下に置くために有能な人間を演じていたのだろう。ある時鶴崎は私に「お前は何も考えないもんな」と言ってきた。私は殺意を抱いた。こっちが鶴崎のせいで葛藤に捕らわれ、葛藤から解放される為にどれだけ考えていたことか。鶴崎にはその事が見えなかったのである。鶴崎は私の前で有能な人間を演じるのに疲れたのだろう。本当の自分を晒して生きたかったのだろう。それが、叶わず、鶴崎の真意を理解しない、私に腹を立てて私に「お前は何も考えないもんな」と言ってきたのだろう。しかし、他人の目にはそいつの無意識的動機は映るものである。私は鶴崎が何を考えているか分かっていたが関わりたくなかったので無視した。(馬鹿がw)鶴崎は自分の思い通りにことが運ばなくなり、私を変えることを諦めたようである。私の趣味や好きなものを散々否定してきたが、10代後半からそういうことがなくなった。それで、ハッピーになったかと言うと全くそんなことはなく私は長いことトラウマに捕らわれ人生を無駄にしたのだ。人生は一回きりだと言うのに鶴崎の糞のおかげでたった一度きりの青春を無駄にしたのである。もう、悔やんでも悔やみきれない。泣けてくる。私は友達と遊んだり、女遊びをしたかった。しかし、それが叶わなかった。私は一生後悔して生きなければならない。鶴崎にもいつか同じで苦しみが降り罹ると信じるしかない。鶴崎にいつか天罰が下ると信じるしかない。集団ストーカーも同じであろう。思考盗聴をして私を裁き私を変えようとするのも主観的には正義なのである。自分達のしてることが悪で正義ではなく被害者の人生を潰すだけだったとしたら、その負い目、罪悪感に耐えれず、自己正当化をしなければ自我が崩壊するのである。だから、正義は自分達の側にあり、私が悪であり私を裁き、私を変えようとするのは正しい行いであり、私の為になってると思わなければ、自分達のしてることを正当化出来ないのである。考えてみたまえ。集団ストーカーは被害者の脳の中を読んでいるのである。被害者はなんて悲惨であろうか。それだけならいざ知らず、集団ストーカーは被害者を毎日苛めているのである。なんて残酷で冷酷な連中であろうか。被害期間は長期に渡り被害者は人生を犠牲にする。これだけのことをして、負い目や罪悪感を感じないとかあり得ない。従って自己正当化するのは必然的帰結である。基本的に集団ストーカーは悪なのである。どんな人間も二面性や多面性があるものである。色々な人格があり、その色々な人格をその都度使い分けて人間付き合いをするのである。そして、その色々ある人格は自我を支える為に必要悪的要素があるのである。欠点は長所と繋がっておりそこで微妙なバランスをとり自我を成立させているのである。従って欠点を欠くと自我が破綻とはいかないまでもバランスを崩すのである。対人関係において問題を起こしてしまう自我を築いているのなら自我改革が必要になるが、無理に自我のあらゆる側面を変えるのは良くない。ここまでくれば集団ストーカーがいかに悪か分かるだろう。こいつら低能はあろうことか断りもなしに頭の中を読んで人格攻撃をし私を変えようとしてるのである。これが悪でカルトでなくて何であろうか。しかも、こいつらのせいで人生の貴重な時間を無駄にするのである。間違いなく集団ストーカーは悪である。私は集団ストーカーは悪の振りをしてると考えていたがこいつらは本質的に悪であった。

集団ストーカーは悪人やカルトを演じている

集団ストーカーは悪人やカルトが行っていると考えている被害者が多いようだが、実際に私の知ってるメール仲間?も集団ストーカーは反道徳的犯罪でカルトが行っていると考えていた。地元で街頭演説をした時も演説に来た、ブログ、立ち上がれ日本の押越さんもカルト創価の犯罪だと糾弾していた。その街頭演説に参加した被害者もカルト創価公明党の仕業だと考えていた。懇親会に参加した被害者の話しによると公明党に被害を訴えに行ったら電磁波攻撃が激化したとのことである。私はこれは集団ストーカーに騙されていると思う。集団ストーカーは悪人やカルトの振りをしてると思う。前々回に集団ストーカーの思考盗聴における犯罪的行為は実験であり、人間理解を深める為の学習だと分析したが、そうだとしたら、何故集団ストーカーは被害者を絶望のドン底まで追い詰めるのかが謎である。しかし、集団ストーカーが実験であり、学習なら、対象を様々な心理状態に置き、自分達が悪人、カルトと思わせることで、被害者を不安にさせ、恐怖心を抱かせ、ストレスを与えること等のことが期待でき、様々な心理状態に置いて実験してると考えることが出来る。しかも、被害期間は長期に渡るので未来に絶望し何の展望も持てなくなる。そんな人間の心理状態を知りたいのではないだろうか。以前ある加害者がネットに「ストレスを与えたい」と書いていたが、集団ストーカー被害者は藁を掴む思いであり、ギリギリの所で生きてるわけであるが、そこまで追い詰めなければ分からないことがあるのではなかろうか。私は以前、あるブログを読んでたのだが、そのブログの管理人が私に「分かんない?簡単だけどな」と言ってきた。私は「分かるかよ」と思ったが、今にして思うと「簡単な」理由とのことだから、人間理解を深める為の実験以外に思い付かないし、考えられない。私は集団ストーカーはやはり、人間理解を深める為の実験と思うがどうだろうか。

tekuさんへ
被害者の会には参加してますよ。集団ストーカー犯罪が公になればいいですね、と言いますが、私は何度も語った通り集団ストーカーは普通の人々も知ってると考えています。集団ストーカーは人間理解を深める実験であり勉強だと考えてますが、その事をブログに書いたので読んでみて下さい。

負い目の問題。日本を変えたい。

今の日本は格差社会だが日本が階級化して貧乏人がそこから這い出せなくなったきっかけを作ったのは小泉、竹中だが、長期政権となった安倍政権時代になっても対して変わりなく格差は縮まらなかった。多少豊かになり職につける人間も増えたようだが、安倍は自分の総理任期が最長になり、直ぐに辞めてしまった。自分のエゴを満たす為に安倍はコロナ渦においてアベノマスク配布等の愚行を行い大してコロナ問題において打開策を提示せずに任期最長になってから辞めたのだ。任期が最長になり、コロナ対策が面倒くさくなったので辞めたのだろう。アベノミクスは失敗であり、富裕層はますます豊かになり貧困層はますます貧しくなった。安倍は2回も消費税を増税し富裕層を優遇する政策を取った。従って日本は階級化し、それが固定化されてしまった。貧困層はなかなかそこから抜け出せずに、貧しさに喘ぐ日本が現出してしまった。貯蓄ゼロ家庭も多い。経済的問題から恋愛、結婚を諦める男性も増えている。従って日本はますます少子化が進み社会補償費も上がり対外的競争力も落ちるだろう。こんなアホな総理を日本人の約半分も支持してたのだから、日本はアホばかりかと思うが中にはまともな人間もいて、自分達が豊かに生きることが出来て一部の貧困層が貧しく苦しい生活を送ってることに関して負い目を感じてるのではなかろうか。日本人は全ては他人事と考える民族だが、負い目を感じやすい民族であって、例えば戦争から生きて帰れた兵隊が、口を揃えて自分だけ生き残り、死んでしまった兵隊に対してもうしわけないと言っていた。しかし、今は自己責任論が蔓延る時代で他人のことなんか知ったこっちゃないと考える人間が多いようだ。だから、負い目を持たないように見える。貧困も自己責任で片付けられてるが、この自己責任論事態が自分達だけが豊かに生きれてることに対して負い目を感じてることの証左である。可哀想だとは思うが優越感にも浸りく裕福なのが満更でもないから自己責任論を支持してるのだ。他人の不幸を見たくないのは余計な重荷を持ちたくないからだが、だからこそ負い目を感じるのである。優越感に浸ってると言ったが優越感に浸りたがるのは劣等感が強い者だけだが、その劣等感の根拠は日本がアメリカの属国であることに由来する。その屈辱を見たくないから、金持ちは優越感に浸り劣等感補償をしてるのである。ただの負け犬であろう。悔しいならアメリカからの属国を脱却する為にはどうするか真剣に考えるべきであろう。

日本は未だに一億総中流時代の日本を体現してるかのように見えるが、例えばテレビでは糞のセレブが持て囃されたりして、馬鹿もここに極まれりと言った感じだが、昔は羨ましいの一言で終わったが今では気分の良くない人間が多いだろう。底辺層の人間の屈辱を訴えてた宅間がネットでは神として崇められていたが、私も宅間には共感してしまう。こういう世間に恨みを抱いて大量虐殺する人間が日本から沢山出て来て今では日本は有事と言った感じだが、日本は明らかに狂ってるのに多くの日本人がその日本の負の側面を見ないようにしてるように見える。しかし、臭いものに蓋をして建前上は間ともで豊かな日本を演じてみても、実際に宅間や加藤や青葉のような人間は出てくるのであって、今の日本には宅間、加藤、青葉予備軍が沢山いるだろう。皆日本は狂ってることは気付いているのにその闇の部分には絶対に目を向けない。外面を良くするのは日本人の特徴だが、私は日本人のこういう側面が大嫌いだ。日本人は自分達の力で世界を変えたことはない。フランスやイギリスでは世の中に不満を抱える人々が立ち上がったし、フランスでは革命が起きて(フランス革命は誉められたものではないだろうが)、台湾でも大衆が立ち上がり民主化を成し遂げた。日本にはこういう自分達で世界を変えた歴史がない。国民の方から世界を変えることはない。何故そうなるのか。それは日本の文化の中心には何もないからである。立脚点となるものがないから、独自の、思想、哲学が生まれることがないのである。だから世界を変えることが出来ないのである。世界を変えるのは思想体系を変えることである。それなら、何か立脚点を持てという話になるが、持つ必要はない。中心に何もないことにはメリットが一杯ある。日本人が器用で順応性があるのも立脚点がないからであろう。世界が有事ならば矢継ぎ早に日本を変えることが出来る。それが明治維新で見事に近代化を成し遂げ欧米に対抗出来るようになった。これが利点である。中華思想を持つ中国は欧米人を見下し、近代化に遅れた。欠点は押しに弱いこと、外交下手なこと、流されやすいこと、そして国民の側から世界を変えたことがないことである。私は立脚点を持たない利点生かして日本人が芯の強い民族になることは出来ないか考えているのである。中心に何か持つことはその中心にある思想が絶対化されると1神教やナチズムになるだろう。これがいかにはた迷惑かは歴史が証明している。従って中心に何も持つ必要はない。

人間はその構造的本質として必ず、思想、哲学を必要とするのである。従って日本人も思想、哲学を持つのである。文化の中心に何もないのに一体何の思想、哲学を持っているのか。何もないじゃないかと言われそうだが、日本の思想、哲学は無思想の思想であり、無哲学の哲学である。神道があるが、あれは教義が何もない。無思想だから行儀が何もないのだろう。同じく日本の宗教は無宗教の宗教であろう。日本人が無思想の思想の利点を生かしつつ芯が強くなり自分の足で立って生きて自分の頭で考えることが出来るようになる為には日本の思想、哲学、宗教は無思想の思想であり、無哲学の哲学であり、無宗教の宗教であると自覚すること必要があるだろう。無宗教の宗教と言えば仏教であるが、無宗教から始まってそれを言語化したのが仏教であろう。そんな宗教が世界三大宗教の1つになった。だから、日本人も独自の思想を持つべきであろう。有思想では駄目である。これは欠点があるすぎる。それは歴史が証明している。無思想の思想を言語化するのである。それ以外にないのではないだろうか。日本を変えるのは思想的な問題であろう。

思考盗聴は人間理解を深める為の勉強か

集団ストーカー被害者なら多くの人間が思考盗聴されていると感じるだろうが、私も例に漏れず確実に思考盗聴されていると考えている。ネットで思考盗聴器の存在を知ったのは13年前だが、最初はにわかに信じ難かったが頭の中で考えたことをネット掲示板で何度も仄めかされたし、何か考え事をするたびに電磁波刺激が走るので思考盗聴器の存在を確信した。いやはや凄い時代になったものである。遂に人類は最大のプライベート流域である脳の中を知ることが出来るようになったのだ。私は兼ねてから集団ストーカーは普通の人々も知っており、普通の人々も思考盗聴してると訴えてきたが、今まで何も知らされてなかった我々被害者にとっては思考盗聴器は未来の兵器である。普通の人々は思考盗聴器の存在をいつ知ったのかは知らないが、初めて思考盗聴器の存在を知り被害者の頭の中を見た時はどう思ったのだろうか。初めてカメラが発明された時は展示会に人だかりが出来たと言うが、当時の人々がカメラに衝撃を受けた以上の衝撃があったであろうか。ラジオやテレビが発明されると当時の識者達がラジオやテレビの弊害について議論してたが、今の人達はそんなこと知るまい。次から次へと情報が入れ替わり立ち替わり流れ込んでくると人々は受動的になり、精神の統一を欠くようになると議論されてたのだ。今ではラジオもテレビも電話もスマホ1台で利用出来るようになり、それが当たり前だと思ってる人間が殆どだろう。当たり前ではない。確かにラジオやテレビの弊害はあるのである。その事を忘れるべきではないだろう。私は芸能界に憧れがあるが、テレビの弊害は忘れるべきではないと思う。

20世紀はまさに電子の時代だった。遂に人類は思考盗聴器を発明したのだ。初めて映像技術が発明されてから100年も経ってないのである。これは驚くべきことである。人類が初めて飛行機を発明してから役半世紀後に宇宙に飛び立ったことを考えると科学の進歩は凄まじい。これは果たして良点と見るべきか。考え込んでしまうが、少なくともスマホの存在は昔の人がラジオやテレビの弊害について指摘した問題点を抱えてると言えるだろう。つくづく常識は疑うべきものだと思う。

何故集団ストーカー被害者は思考盗聴をされるのだろうか。単純に集団ストーカーを遂行する為に対象の頭の中を読み次に何の行動をするか確認して嫌がらせをしてるとも考えられるし、私みたいに頭の中を読まれて良からぬことを考えたら電磁波攻撃を受ける、つまり、対象を裁く為に思考盗聴をしてるとも考えられるが、以前に集団ストーカーからダイナマイトの仄めかしがあった。ダイナマイトを発明したのはノーベルだが、ノーベル賞は何か人類の進歩、発展の為に貢献した人間を称える賞だが、これはノーベルがダイナマイトを人類の進歩の為に使って欲しいという意向をくんで出来た賞である。集団ストーカーからそのダイナマイトの仄めかしがあったから、思考盗聴器を発明した人間も、思考盗聴器を人間の謎を解明する為に、そして人類の進歩の為に利用してほしいという意向があったのではないか。実際思考盗聴器は実に興味深い。人間の完全なるプライベート領域である脳の中を知ることが出来、人間の謎、神秘的な部分を知ることが出来るのではないだろうか。動物にも思考盗聴をしてるようだし、ブレインジャックして動物を思い通りに行動させることが出来るようである。以前集団ストーカーから空を飛んでる映像が送信されてきたが、これは鳥をブレインジャックして、その鳥の目に映る映像を送信してきたのかもしれない。実際動物をブレインジャックするのはかなり興味深い。動物が何を考えてるのか分かるのだ。これは動物の生態の謎を知ることが出来る可能性があり、一種の勉強として思考盗聴器を利用してるのではなかろうか。思考盗聴器を利用して生物の神秘性を普通の人々にも分かってもらいたいのではなかろうか。人間理解を深める為に思考盗聴はもってこいなのではなかろうか。人間の最大の謎と言えば死であるが、思考盗聴器を使えば死も知ることが出来る。死ぬ直前に今までの自分の人生の歴史が走馬灯のように甦ると言うし、三途の川を見たと言う人間もいる。或いは魂が自分の身体から離れて自分がベッドに寝てるところを俯瞰的に眺めてたという話しもある。これらの現象は脳内現象だが、思考盗聴器を使えばこれら脳内現象を知ることが出来るのだ。人の頭の中を覗くとか気持ち悪くて仕方がないが、しかし、人間理解を深める為には役に経つだろう。今まさに死の床へとつこうとしてる人間を思考盗聴すれば死の瞬間が分かるのだ。今まで最大の謎だった死が分かるのだ。これは実に興味深い。だから、思考盗聴器を発明した人間は思考盗聴器を人間理解を深める為に使って欲しかったのではなかろうか。実際に私が何故集団ストーカー被害者はここまで、酷い目に遭わなきゃならないんだよ!と言ったら、ダウンタウン松本人志から「誰かの犠牲が必要なこともあるんや」と仄めかしがあった。従って集団ストーカーとは人間理解を深める為の人体実験であると私は考える。しかし、そうすると2つ疑問が残る。思考盗聴の対象に選ばれた人間は何故陰惨な苛めにあうのかと言うことと、何故ここまで長期に渡って集団ストーカーされるのかと言う謎が。集団ストーカー被害者はそのほとんどが人生に絶望して死にたくなるが、何故そこまで追い詰めるのだろうか。人間を絶望まで追い詰めないと分からないことがあるのであろうか。被害にあって1年も経てば大概の人間は死にたくなるが、何故そこまでして追い詰めるのだろうか。全くわからない。思考盗聴器を使えば例えば目の見えない人に映像を送信して下界の情報を見せることが出来るし、耳の聞こえない人に音声送信兵器を使えばこちらの伝えたいことを直に伝えることが出来る。なので、医療にも役立つだろうが、何で対象を苛めるのだろうか。何度考えても分からない。しかも、私は被害期間が28年であり、何故ここまで長期に渡って集団ストーカーの被害にあわなきゃならないのだろうか。私の知ってる50代の被害者は40年前から音声送信を受けてきたと言ってたが、なぜこんなに長期間に渡って集団ストーカーをするのだろうか。中には50を過ぎてから集団ストーカーの被害者に選ばれて被害期間がまだ2年の人間がいるが、前に被害者を集めて懇親会をした時にそういう人間がいることを知った。被害期間に何故ここまで違いがあるのか。私みたいに子供の頃から始まる人間もいれば、ずいぶん歳を取ってから始まる人間がいるのは何故なのか。被害期間が長い人間は子供の頃から思考盗聴をされ、その成長過程を見られてるのだろうか。子供から、思春期になり、大人になっていくその過程における心の変容を脳の中を覗き知ることは実に興味深い人体実験であろうか。50歳になってから始まった人間もいるが、年齢に応じた人間の謎があり、それを知るために歳をかなり取ってから始まる人間もいるのだろうか。よく分からない。しかし、少なくとも思考盗聴をすればかなり人間の謎は分かるだろう。従って集団ストーカーは人間理解を深める実験という側面があるだろう。

何度も語るが以前内田樹が苛め供儀説を提唱していて、私はこれは私に向けられたメッセージであると了解し、内田樹は苛めとは集団ストーカーのことを言っているのではないかと私は思い、集団ストーカー供儀説を提唱した。そしたら、内田樹から「もう1つの真実がない」と仄かしがあった。「もう1つ」と言ってたから集団ストーカー供儀説は当たっていたのだろうか。集団ストーカー側が集団ストーカーには供儀的要素があると認めたのだろうか。集団ストーカーが供儀ならば何か精神浄化作用を必要としてる民族がいるはずである。その民族とは何者か。白人以外に考えられない。白人ほど悲惨な人生を歩んできた民族はいない。何度も同じ事を語って申し訳ないが、白人はかつてアフリカの大地で差別されてたと言う説がある。日本の心理学者、岸田秀の説である。白人が何故資源が豊富なアフリカの大地をわざわざ飛び出して、寒冷地であるヨーロッパ大陸に移住したのかを考えると白人は黒人に差別され、アフリカの大地を追い出されたと言うのだ。白人の祖先は黒人から生まれた白子、アルビノで気味悪がられて差別されてたと言うのである。アルビノは劣性遺伝だから、黒人と交配すると黒人の血が勝ってしまうから、白人種が成立する為にはアルビノどうしで相当交配を重ねばならない。アルビノは気味悪がられて黒人との交配は許されず、アルビノは隔離されてたと言うのだ。その時の恨み辛みがあり、それが白人種の強烈な差別精神に繋がっている可能性はあるだろう。しかも、ヨーロッパ白人は自前の神、神話を持つ民族だったが、ローマ帝国キリスト教を押し付けられた不幸な民族であった。ヨーロッパ白人は不幸に不幸が重なった悲惨な民族である。しかし、ヨーロッパ人は何故キリスト教を信じたのだろうか。押し付けられたら抵抗を感じるはずである。岸田秀キリスト教を生み出すことになったユダヤ教が典型的な白人の宗教だからだと言う。岸田秀の説によれば、かつてアフリカの大地で奴隷として働かされてたセム族は太古の昔にアフリカの大地で差別されてたアルビノが祖先で奴隷として連れてこられたか、故郷に想いを馳せて、またアフリカの大地にやってきた連中で、彼等が例のユダヤ教を生み出したモーセと共にエジプトの地を脱出し、エジプト軍から逃げる過程の中でユダヤ教が誕生したと言うのだ。従ってユダヤ白人には恨み辛みがあり、つまり、ルサンチマンがあり、そこから人類初の1神教であるユダヤ教が生まれ、そこからの派生物としてキリスト教が生まれ、キリスト教ユダヤ教に内在化されてる、ルサンチマンを受け継いでいると言うのだ。恨み辛みが根底にあり、そこから宗教が誕生したのは実に異質だと言う。従ってヨーロッパ白人にも同じくルサンチマンがあるから、キリスト教と馬があったと言うのだ。しかし、キリスト教はあくまでも押し付けられたものであり、どうしても抵抗があるから、それが、キリスト教を追い払いたい衝動を醸成して、後に大航海時代に繋がったと言う。実際にヨーロッパ白人は異教徒にキリスト教を押し付けるのであった。今ではヨーロッパ人は誰も教会に行かなくなったと喜々と語るが、やはりキリスト教は重苦しかったのだろう。

それで、集団ストーカーである。集団ストーカーを発明したのは白人で間違いないが、白人は集団ストーカーをすることによって、自分達の不幸史を被害者に追体験させ、ある種のカタルシスを得ているのではなかろうか。例えば集団ストーカー被害者は何度も引っ越しをさせられ、移住地が何度も変わるがこれはかつて、アフリカの大地を追い払われた屈辱を晴らしているのではないか。頭の中を読まれて有らぬことを考えると電磁波拷問を受けるが、これもかつて神が超自我として内在化され辛酸を舐めた屈辱を晴らしているのではないか。実際にキリスト教では頭の中で姦淫するのは罪悪らしいがこれは神の視点を超自我として内在化させたかったのだろう。つまり精神的支配下に置きたかったのだろう。それは重苦しいことである。例えば私は集団ストーカーに頭の中を読まれしょっちゅう裁かれてるが、これも、ヨーロッパが罪の文化になり罪悪を抱くようになり、罪の意識を持つのは苦しく、その時の恨みを集団ストーカーをすることによって晴らしてるのではないか。実際に魔女狩りがあり何の罪もない人間が殺された。ヨーロッパほど混乱してた文化もない。集団ストーカー被害者はその被害にあうと何とも気持ちの悪い奇妙キテレツな世界に放り込まれたような感慨を抱くがこれもキリスト教を押し付けられてキリスト教的世界で生きなければならなくなり、奇妙キテレツな世界で生きることになった屈辱を晴らしているのではないか。時間は無駄にするし、恋愛も出来ず結婚も絶望的になるが、キリスト教の牧師だか神父になると恋愛も出来ず結婚も許されなかったようだが、実際は恋愛も結婚もしたくて、仕方がなく、それが出来なかった屈辱を晴らしているのではないか。キリスト教は性に厳格でヨーロッパ人は好きにセックスを出来なかったようだが、集団ストーカー被害者も恋愛が出来ず、当然セックスが出来ないから、これもその屈辱を晴らしているのではないか。更に集団ストーカー被害者は集団ストーカーに屈服させられ反抗的態度は許さないがこれもキリスト教に屈服させられ反抗的態度が許されなかった屈辱を晴らしているのではないか。要するに集団ストーカーとキリスト教は切っても切れない関係にあるのである。これは1つの仮説であるが、集団ストーカーには「もう1つの真実」があるらしい。これはやはり、人間理解を深める為の実験だと私は思ってるのだがどうだろうか。実際の所はまだ分からないがこれから「もう1つの真実」について考えていこうかと思っている。