集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

哀れで悲しき集団ストーカーの日常

集団ストーカーを生業にして生活してる奴等はまことにもって哀れである。思考盗聴して対象がある特定のことを考えたら電磁波で攻撃する。こんなことを一日中繰り返してるのだ。被害者は24時間監視されてるから一人の人間が被害者を24時間監視することは不可能だから、交代制で集団ストーカーをしてるのだろうが、一人の人間が何時間監視してるのかは知らんが思考盗聴器を使って対象の頭の中を覗き、嫌がらせをしたり、時には普通の人々に指示を出して嫌がらせに参加させる。こんな糞みたいな仕事誰もしたくないだろう。私は前に集団ストーカーが終わったら今度は加害者の側に回るのかなと、考えたら「他を当たれ」と思考送信があった。人の頭の中を覗くとか、こんな気色悪く罪深い糞みたいな仕事なんかこっちから願い下げだが、集団ストーカーが厄介なのは基本的にしてる仕事が疚しい為に罪悪感とは無縁でいられず、自分はこんなことをしてて良いのかと考え、普通の人々と自分達を比較して劣等感に苛まされてる可能性は高いだろう。何て哀れな連中であろうか。仮に家族がいたとしたら、集団ストーカーをして稼いだ金で家族を養っているのだ。子供はどう思うだろうか。私は以前集団ストーカーをして罪悪感や負い目に耐えれる人間はいないだろうと、掲示板に書き込んだが、対象のたった一度しかない人生を潰し、時には自殺に追い込むのだからまず間違いなく罪悪感と負い目とは無縁でいられないだろう。しかも、集団ストーカーが厄介なのは何の罪もない普通の人々に集団ストーカーに参加させることである。一部のキチガイ、ゴミを除いて誰だって他人の人生を潰す仕事の手伝いなんかしたくないだろう。しかし、集団ストーカーは一般人参加型の犯罪で、恐らく音声送信兵器を使って指示を出して集団ストーカーに参加させてると思われるが、指示を出されて犯行する側もたまらないだろう。何で何の罪もない普通の人々が罪を犯して他人の人生を潰す手伝いをしなければならないのだろうか。仮に自分が嫌がらせをした人間が自殺でもしたら、その罪に耐えられなく一生残るだろう。(中には満更でもないゴミもいるだろうが)こんな糞みたいな完全犯罪を一体誰が思い付いたのかは知らないが糞みたいなことを思い付くことに関しては全く天才的な才能があると言わざるを得ない。集団ストーカーには有名人も含めて相当数の人間が参加するから、集団ストーカーの被害者に選ばれて地獄のような人生を生きる人間を寄ってたかって苛めるので、何の罪もない普通の人々は集団ストーカーに参加して罪悪感に苛まされ、苦しむだろう。こんな罪深い犯罪もない。犯罪者は一般的に犯罪を犯したら法的に裁かれ罪を償わなくてはならないが、集団ストーカーは殺人すらも許される犯罪であり、普通の人々も参加してくる異常な犯罪である。世の中は昔とは比べ物にならないくらい豊になり、平和になったように見えるが理想的社会が実現したとは思えない。この人類とかいうアホな生き物は必ず悲惨を創出してきた。かつて悲惨のなかった時代は存在しない。中国、朝鮮、ヨーロッパがそうだったが、人間は幸福を創出するよりも悲惨を創出する方が好きらしい。しかも、その悲惨はどうにも救いようもない悲惨で克服しようもないものである。我々集団ストーカー被害者は永遠の不幸が決定づけられた哀れな人間である。もはや、生きることに何の意味も価値も見出だせない。こんな人生を生きるくらいなら死んだ方がましであろう。少なくとも私はもう生きたくない。一思いに殺せよと思う。しかし、集団ストーカーは殺さない。自殺に追い込む為に毎日チマチマと嫌がらせをしてくるだけである。集団ストーカー的手法でもって嫌がらせをしてくるだけだ。一思いに殺した方がまだ良心的である。ナチスの方がまだマシだと思える。こいつらは人の苦悩が大好きなSではないのか。集団ストーカーを生業として生活しているこいつらは人間的に完全に終わってしまってる哀れな連中と言えるだろう。

集団ストーカーの低能はどうも私のことが大嫌いらしく嫌がらせを止めることは決してないが、だったら家の中に綴じ込もって遠隔からチマチマ攻撃してねえで直接私の元に来て直接私に文句を言ってみろよと言いたくなる。毎日家の中にいたら気分も塞ぎがちになるだろう。こんな糞ニートのアホでヘタレのカスが私の元に来れるとは思わない。来たら殺してやるが、私のことが嫌いなら直接私に文句を言ってみろよと思う。まあ、糞ニートには無理だろうけどね。こいつらがかなり笑えるのは文句を言う場合も仄めかしで文句を言ってくるのである。あくまでも集団ストーカー的手法にのっとって文句を言ってくるのである。実に笑える。直接文句を言えないのである。せめて音声送信兵器を使って私の頭の中に語りかけてくるならまだ分かるが、やるのは仄めかしである。実に哀れな連中である。お前らみたいな哀れなヘタレは生きる価値はないのだからさっさと死になさい。こんなことばかり言ってるから集団ストーカーが終わらないのだろうな。みんなは俺みたいに口汚く罵ったり悪口言うなよ。地獄を見るから。私は全ての被害者の集団ストーカーが終焉することを願ってる。

【人間以外】何を訴えても無駄

集団ストーカーは人間以外だと思われる。人間とは違う別の生命体である。思考盗聴器は宇宙人が発明したとする説があるがこれは誇大妄想的仮説であって思考盗聴器を発明したのは人間であろう。そんな思考盗聴器が悪用されてるわけであるが、一体誰が何の目的で思い付いたのかは不明だが、集団ストーカーの嫌がらせは実に嫌らしく、卑怯で、悪質であり、被害者は精神的に、または経済的に追い込まれる。中には自殺まで追い込まれた被害者もいるが、大概の被害者は1年も被害にあえば死にたくなるのであって集団ストーカーは実に悪質で耐え難い。苦悩は終わることはなく我々被害者は永遠の不幸が約束されている。何故なら集団ストーカー被害者は30年も40年も被害にあい時間を奪われるのだから、終わったとしても後悔することは避けがたく、苦悩は一生続くだろう。仮に慰謝料を何十億貰ったとしても(5ちゃんねるに人生を40年も失ったから慰謝料を14兆請求すると書いてた被害者がいた)時間だけはどうにもこうにも取り戻せず、理不尽にも集団ストーカーの被害者に選ばれた人間が悔恨の念を抱くのは避けがたい。従って死ぬまで苦悩を抱き続けて生きることになるのだ。集団ストーカーの目的は対象を不幸に追い込むことにあると思われるが、それと思考盗聴がどう繋がるか分からない。大概の被害者は自分は人体実験をされてると考えるようだし、私もそう考えてるが、だとしたら何か対象を不幸に追い込まないと分からないとがあるのだろうか。被害者は精神的にギリギリの状態にまで追い込まれるのであって藁をも掴む思いで生きてるのであり1日も早く終わってもらいたいと思う。被害者はこれだけ辛い毎日を生きてるのだから集団ストーカーに命乞いする人間もいるだろうが、そんな被害者に対して集団ストーカーは実に冷酷である。私は集団ストーカーが耐え難くもう止めてくれと何百回も訴えたが全く聞く耳をもってもらえなかった。非情にも集団ストーカーは行使される。私はある掲示板に集団ストーカーの悪口を書きまくってたらどうも集団ストーカーを怒らせたようで復讐を慣行すると言われて被害が激化したが、嫌がらせが地獄のように辛く耐え難くもう止めてくれと訴えると、ある日朝目覚めた時に集団ストーカーから「謝れば終わる」と思考送信があった。私は被害歴が30年近く、長いこと屈辱を味わわされてきたので集団ストーカーに謝るのは実に屈辱的であったが、嫌がらせは耐え難く被害歴も長いのでこれ以上人生の貴重な時間を無駄にするわけにもいかないので、かなり屈辱的であったが、プライドは脇に退けておいて集団ストーカーに謝罪した。しかし、集団ストーカーが終わることはなかった。私は毎日集団ストーカーに謝罪した。何百回も謝った。しかし、集団ストーカーは終わらなかった。私の集団ストーカーに対する侮辱に対して復讐を慣行すると言ってきたのだがら集団ストーカーは侮辱には侮辱でもって返してきたのであろう。つまり、私は集団ストーカーのプライドを傷つけたようである。集団ストーカーはてめえらの手を汚すことなく証拠を全く残さず、電磁波兵器や一般人を使って嫌がらせをしてくる完全犯罪だが、集団ストーカーはプライド奪還の為に私に謝罪を要求してきたのである。しかし、こいつらは相対的にどう考えても普通の人間よりもプライドが高く私の何百回にも及ぶ謝罪にも全く心が動かないのであった。集団ストーカーは、一応一般的には存在しないものとされてて、被害者は他人にその苦しみを理解されず酷い孤独感に襲われるからせめてテレビで1度でも取り上げてもらえて一般人にこんな特殊な犯罪で苦しんでる人間がいることを知ってもらえれば被害者は多少は苦しみが緩和されるだろうと思い、私は集団ストーカーにかなりへりくだり、せめて1度でもいいからテレビで取り上げてくれと頼み事をした。そしたら私の地元のテレビで集団ストーカーが取り上げられた。原稿を読んだキャスターは何とも言えない表情をしていた。私と同じ地元の被害者がPCにその時のニュースを保存していて私達被害者に見せてくれたが、そのニュースは私が集団ストーカーにお願いした結果集団ストーカーが見せてきたものである。私がどうしようもない屈辱を圧し殺してプライドを殺し、集団ストーカーに何百回も謝罪して集団ストーカーがしてくれたのはたったこれだけである。信じられない。こいつらはどれだけプライドが高いのかと思う。こいつらは私の何百回にも及ぶ謝罪に対しても許す気にはならなかったらしい。どう考えても普通ではない。精神異常である。完全に狂ってしまってるとしか思えない。こいつらは人間ではない。人間以外の何者かである。一応プライドがあるようだから人間とも言えなくもないが、そのプライドの高さは異常であり、人間離れしている。私が集団ストーカーにぶちキレて「早く終われ!」と絶叫しまくったら「早く終わってくださいだろ」と思考送信があった。こんだけ屈辱的な目にあって、人生も犠牲にしているのに私の人生を破壊した奴に何故敬語でお願いしなければならないのだろうか。全く意味が分からない。普通の人間なら被害者に同情するだろうが、こいつらには同情心がなく冷酷無情で残酷であり、被害者の人生を潰しても何とも思わず、そんな被害者が集団ストーカーにぶちキレるのは当然なことなのにその当然のことがさっぱり分からず、不思議であり、被害者は集団ストーカーにへりくだることを当然と考えているようである。こんな連中はどう考えても人間以外である。人間以外の別の生命体であろう。こんな糞に何を訴えても無駄である。どれだけ止めてくれと訴えても無駄である。我々は集団ストーカーの被害者に選ばれて永遠の不幸が約束されたのであり、今回の人生は諦める他にないのだろう。

悲惨を極めた集団ストーカー被害者の一生

一体何の為の人生だったのだろうか。集団ストーカーの被害者に選ばれて30年近くも経ってしまった。これだけ長いこと被害にあい自分の人生を生きれないと産まれてきたことに全く意味を見出だせない。集団ストーカーの被害者に選ばれて毎日陰惨な苛めにあい続けるといかなる思想、哲学、宗教も全く役に立たない。宗教的な意味での救いは消えた。こんな人生だから底無しの虚しさに襲われる。我々被害者の人生に一体何の意味があるのだろうか。今は日本は有事で社会格差が拡がり不幸な人生を生きる人間は多いだろうが、少なくとも彼等は確かに不幸だが自分の人生を生きることは出来るだろう。しかし、我々被害者は集団ストーカーに翻弄され、時間を犠牲にし、自分の人生を生きることは出来ない。そんな人生を長いこと生きてきたのだから、今は私は人生に何の意味も価値も見出だせない。

テレビを観ると演者は楽しそうにしてるが、実に羨ましい。好きなことをして金を稼げるのは幸福であろう。もちろん成功する為には才能と努力が必要であり、成功者なんて全体の1%もいないかもしれないし、普通の人々にはない苦悩もあるかもしれないが(どうしよもなくつまらない無価値な馬鹿も多いが)、私と違ってイキイキと人生を生きてるように見えて実に羨ましくなる。

今テレビで自民党LGBTは種の保存に背くと言っていたと話題にしてたが、貧富の差を拡大させて富裕層を優遇する製作を施行し、貧困層を増やし、貧乏人は結婚はおろか恋愛すら諦めなきゃいけない社会を作った自民党が一体何をほざいているんだと思った。少子化を促進してるのはこいつらだろうが馬鹿たれが。何を考えているんだ。どうしようもない馬鹿だ。野党もうんこだが自民党の低能ぶりは本当に酷い。しかし、日本人の多くは自民党を支持してるのだからこの国は終わってると言える。自民党が与党であるかぎりにおいて日本は破滅へと向かってると言えるが、集団ストーカー被害者の人生も破滅へと向かってる。好きなことも出来ず精神的、経済的にも追い詰められ30年、40年も被害にあい人生を失う。こんな悲惨な人生もない。私はかつてヨーロッパ人に滅ぼされたか或いは、滅ぼされはしなかったが、人生を奪われ奴隷として使役された異教徒のことを思うと全く他人事だとは思えない。彼等も我々と同様、この上なく卑怯で卑劣で冷酷なヨーロッパ人に人生を奪われたのだから他人事ではない。私は彼等に想いを馳せる。彼等はヨーロッパ人にこれでもかってくらい蹂躙されて時には殺され、ある民族は滅ぼされ、ある民族は大量虐殺され、生き残った連中は土地を奪われ、自分達から土地を奪った連中の文化に同化することを強要され、ある民族は300年も400年も奴隷として生きてきた。何でもスペインに滅ぼされたインカとアステカ帝国には物ごいがいなかったくらい豊かであったらしい。ヨーロッパ人と違って自生の神話の中でアイデンティティー的に安定し(ヨーロッパにも自生の神話があったが)、そこそこ豊かに暮らしてた彼等は幸福であったであろう。しかし、彼等はヨーロッパ人に目を付けられて滅ぼされたのだ。彼等は悲惨だが我々と比べてどれだけ悲惨であろうか。我々も死ぬほど悲惨な人生を生きているが、人類史は悲惨に満ち溢れている。世界中を蹂躙したヨーロッパ人も悲惨な民族であった。世界で一番貧しく戦争を繰り返し、殺し、殺されを繰り返し争いが絶えないのであった。そんなヨーロッパ人の絶望、怒り、不満が爆発して人類史上最大の惨劇大航海時代が始まった。大航海時代はヨーロッパ人が自分達だけ不幸なのが我慢出来なくて他民族を不幸に貶めて自分達は不幸から脱却しようとした企てであった。ヨーロッパは金銀財宝を盗み現地住民を奴隷として使役して、そこで得た資源、物資を安価で輸出し高額で売りさばき豊かになった。(スペインは貧しくなったが)その後イギリスで産業革命が起きて生産率が格段に上がり豊かになるが、貧富の差も拡大した。私は大航海時代は歴史の必然だったと思ってるが、大航海時代によりヨーロッパ人はキリスト教を異教徒に押し付けて、彼等はキリスト教から離れていくのだ。今ではヨーロッパ人は誰も教会に行かなくなったと喜々として語るが、ヨーロッパ人はやはり、キリスト教が重荷だったのだろう。自分達だけがキリスト教を押し付けられた不幸が我慢出来なくて同じようにキリスト教を他民族に押し付けて彼等を不幸に貶めたかったのだろう。アジアではキリスト教の国家もあり、信仰されてるようだがヨーロッパ人はキリスト教を押し付けて自分達はキリスト教から脱したのだ。

とにかくヨーロッパの混乱が世界中を不幸にしたが、時代が変わり現代では流石に侵略等は出来なくなり、争いもグッと減って昔と比べて比べ物にならないくらい豊かになり平和になった。しかし、今の時代はそれで必ずしも幸福とは言えない。精神的に病んでる人間も多いし、貧富の差も拡大して貧困に喘ぐ人間も多い。北欧の高福祉社会が幸福なのかどうかは私には分からないが、今の日本には確実に不幸な層がいて、救いようもない人世を生きている。そして我々集団ストーカー被害者もどうしようもなく救いようもない悲惨な人生を生きている。時間は奪われるし、これでもかってくらい侮辱され、精神的にも、経済的にも追い詰められる。盗難にもあうし(私は親父の形見の野球のバッドを盗まれた。死ぬほどムカつく。集団ストーカーが終わったら返ってくるのだろうか)悲惨を極めた人生を生きている。私はよく、自分達集団ストーカー被害者より不幸な人間はいるだろうかと考えるが、そうすると、かつてヨーロッパ人に殺された平和に暮らしてた異教徒が直ぐに思い浮かぷ。とてもじゃないが彼等が他人事とは思えず彼等のことを思うと底無しの悲しさに襲われる。しかし我々集団ストーカー被害者の方がまだマシだとは思わない。幸不幸とは相対的なもので、時代または、置かれてる環境によって様相は変わってくる。色々な問題は抱えてるとは言え、一応は理想的な社会を作ったように見える現代社会に生きる我々にとっては比較の対象が、普通の人々やセレブリティになるわけで、我々集団ストーカー被害者は集団ストーカーの対象に選ばれず自分の好きなような人生を生きることが出来て、それなりに幸福に生きれる人々や莫大な私有財産を持つどうしようもなく馬鹿で無価値なセレブリティなんかが比較の対象になるわけで、彼等と比較すると我々集団ストーカー被害者の人生は何ともしみたっれて悲惨で不幸であると思う。彼等の人生と私は底無しの虚しさに襲われる。それなら比較しなければいい。自分は自分。他人は他人と考えて生きればいいとも考えられるがそうはいかない。人間は他人との関係性の中にしか自分を見出だすことは出来ず、ある時は上を仰ぎ見て劣等感に苛まされ、ある時は下を見下し優越感に浸る。そうして、他人と自分を比較して(他人と言う概念は日本にしかないらしい)自己形成を行う。従って我々被害者は殆ど全ての人間が自分達よりマシに思えてどうしようもなく救いようもない劣等感に苛まされる。こんな悲惨な人生もないと思う。オランダ人に400年も統治され奴隷として生きてきたインドネシア人も悲惨だし、2000年も中国の属国であった朝鮮人も悲惨だったが、我々も負けないくらい悲惨である。この人間とか言う生物は悲惨を創出することに関してはまことにもって天才的な才能があるのだが、その悲惨を克服する能力はないらしい。どうしようもなく救いようもない生物だと言わざるを得ないが、従って人類は必ず不幸を創出し、その不幸から死ぬまで脱することの出来ない人間はたくさんいるのだ。しかし、中でも我々集団ストーカー被害者はそんな不幸な人間の中でも極めて不幸な部類に入るだろう。殺生与奪の権利を集団ストーカーに握られ運命を弄ばれ時間を犠牲にする。こんな悲惨で不幸な人生もない。一体誰が思いつきやがった。思い付いた奴は被害者意識と劣等感の塊ではないのか。少なくとも加害者の中には集団ストーカーが満更でもない糞ゴミがいるようだし、死んで貰いたいがこんな犯罪まがい、いや、犯罪そのもののことが許され被害者が自殺しても罪に問われないのだからやはり満更でもない糞はいるだろう。死ぬほどムカつくが選ばれてしまったものはしょうがない。私はいつも集団ストーカーにキレて集団ストーカーの糞馬鹿を心底見下し小馬鹿にしてるが文句を言っても終わりはしない。我々はいつか集団ストーカーが終わると信じて生きてるが私は被害歴が28年だし、私のメール仲間は被害歴40年で歳は50を過ぎている。従って私も被害歴が40年を過ぎて歳は50を過ぎても集団ストーカーが終わらない可能性はある。私は結婚願望は強いから早く終わってもらって結婚し、自分の家族を持ちたいがはっきし言ってその夢も叶いそうにない。殺意を抱くくらいムカつくし、私は復讐心満点だが現実がそうなんだから仕方がない。現実は認める他にない。その現実がどうしようもなく救いようもないのだから全くもってたまらない。何故集団ストーカーはそこまで被害者を不幸に追い詰めるのかは分からない。そのことに一体何の意味があるのだろうか。何度か書いたが私は集団ストーカーに謝罪を要求されて、謝れば終わると言われたので何百回も謝ったのだが集団ストーカーが終わることはなかった。この集団ストーカーの馬鹿はどうもプライドだけは人1倍高いらしく被害者からの攻撃にはことのほか非寛容である。その理由を考えると疚しい仕事を生業にして生活してる為に被害者意識と罪悪感がごっちゃ混ぜになり、精神的に不安定で自分を保つ為に相対的にプライドが高くなるのではなかろうか。集団ストーカーとしての誇りとか笑止千万だが、こいつらはいつも、人より立場的に上位に立ちたがりいつも上から目線で、私が集団ストーカーの電磁波攻撃があまりにも鬱陶しくブチキレて、「早く終われ!」と絶叫しまくってたら、「早く終わってくださいだろ」と思考送信があった。何で私の人生を潰した奴に敬語でお願いをしなければならないのだろうか。全く意味が分からない。私はある掲示板で集団ストーカーを心底見下し、小馬鹿にし、罵倒してたのだが、そしたら集団ストーカーから復讐を慣行すると言われて地獄を見たが集団ストーカーは先に説明した通り被害者の悪口にはことの他非寛容である。集団ストーカーは自分達が被害者を見下し、小馬鹿にし、被害者を精神的に追い詰めて、人生を破壊し、或いは自殺に追い詰めても何の罪に問われることはなく全ての行いは許されるが、被害者が集団ストーカーを見下し、小馬鹿にし、集団ストーカーを罵倒し、復讐をすることは許されないと、考えてるようである。集団ストーカーは私に謝罪を要求してきたが、私には私が集団ストーカーに今までしてきた愚行を恥じて、反省し、2度と同じ過ちは繰り返さず、集団ストーカーにどれだけ小馬鹿にされ、見下され、人生の貴重な時間を奪われ、人生修復が完全に不可能なレベルまで破壊されても文句1つ言わず、ましてや復讐心を持ってはならず、終わってもらいたいなら屈辱に黙して耐えなければないと考えてるように思う。私が見たところ、何か屈辱的な事態に陥った人間が屈辱を克服する為に復讐をしなかった例は存在しない。屈辱には屈辱で返すのである。屈辱は受け入れればいいと言うが、神か仏か知らぬが屈辱を屈辱として受け入れて復讐心を持たずに克服した例は存在しない。屈辱を与えられた人間は必ず何がしかの仕方で復讐をするものである。自分に屈辱を与えた人間に直接復讐をするか、相手が自分よりも強く直接的に復讐をするのが不可能な場合、或いは復讐の対象が死ぬとかして存在しない場合、復讐心を他の人間にずらして自分より弱い人間を苛めたり、かつて自分が味わわされた屈辱と同じ屈辱を別の人間に与えたりするものである。かつてのヨーロッパがそうだったし、日本人もそうである。従って集団ストーカーは我々被害者に絶対に出来もしない、無理なことを要求してると言える。それで、集団ストーカーはどれだけ卑怯卑劣なことをしても許され、集団ストーカー被害者が反撃してきたら、その反撃の度合いに応じて復讐をすることが許されるのだから集団ストーカーはかなり優越感に浸ってるのではなかろうか。集団ストーカーが満更でもない糞馬鹿がいると書いたが、そういう人間はどうしようもない劣等感を抱えているのではなかろうか。何度も語って申し訳ないが人類史上最も不幸な人生を生きてきたヨーロッパ人と言うか、アメリカ人も含めて白人の潜在意識に眠る人類に対する深い悲しみ、憎しみ、復讐心が集団ストーカーを産み出したのではなかろうか。私にはそう思えるのだがどうだろうか。

お前らに伝えておきたいこと。集団ストーカーに反抗的態度をとるな。

私は性根が腐ってる糞野郎で性格が悪く冷酷で他人を傷つけても何とも思わず、むしろ不幸になったと喜ぶカスである。こんなゴミのブログを読んでくれてる集団ストーカー被害者の存在は有り難いが私は被害者の期待に添えることは出来ない。私は恐らく世界一他人を見下す糞野郎であって常に心の中で他人を小馬鹿にしている。こんなゴミが集団ストーカーの被害者に選ばれたのだから事態は大変である。みんな知ってる通り我々集団ストーカー被害者は思考盗聴されてるからである。従って私みたいなゴミが心の中でいつも他人を小馬鹿にしているのが筒抜けなのである。これは困ったことである。全ての人間に二面性はあると言えるが私は外的自己(社会的自己)と内的自己(心の中の自己)の解離が激しく、外的自己は一応社会的には善人で通ってるのである。私は他人には結構優しい人間で表立って傷つけるようなことはしないが、心の中ではかなり他人を見下しているのである。岡目八目と言って自分の無意識は他人に映ると言うが、私は一応外的自己は善人で通してるがしかし、私の内的自己は他人には映ってるかもしれない。それでも他人が私に対して何の文句も言わないのは私と付き合っても私は外的自己においては一応善人だから、実害はないからである。しかし、この地獄の思考盗聴器の存在は私の内なる悪魔を浮き彫りにする。私は100万人に1人の奇病と言える病気にかかっていて頭の中で考え事をする時に普通の人間は当然のように言語で考えるが、私も当然のように言語で考えるのだが、いちいちそれを言葉にして自分の頭の中で自己会話しながら考えるのである。例えば何か屈辱を与えられた場合、普通の人間なら、ムカつくとか頭にきたとかの感情が沸いてくるだろうが、その感情をいちいち頭の中で言語化することはないだろう。ただそういう感情が心の中を過ぎ去っていくだけである。しかし、私は、それが頭の中で言語化されるのである。従って集団ストーカーに対する私のムカつきが感情としてではなく言語として伝わるのである。これは困ったことである。私は性根が腐ってるゴミだから集団ストーカーを当然のように見下してるが、その見下しの感情が全て言語化されるのである。私は頭の中で何度も集団ストーカーを罵倒し見下してきた。普通の人間なら誰だって集団ストーカーの被害者になれば、集団ストーカーの陰湿さ卑怯さに辟易して馬鹿にしたくもなれば見下したくもなるだろう。それは人間として当然の感情と言えるだろう。私の知ってる被害者は集団ストーカーに家族仲をズタズタに壊されて、日常でもしょっちゅう嫌がらせにあうので集団ストーカーが憎く、悔しくて復讐したいとメールで語ってきたが、これは、集団ストーカー被害者なら誰でも共感出来るだろう。私も共感出来る。私も復讐心満点であり、仮に現世で復讐出来なかったらあの世から呪い殺してやる予定である。だから私も一介の人間として彼の感情はよく分かる。しかし、私は集団ストーカーを呪い殺してやりたいが、呪われてるのは私であって、私は100万人に1人の奇病に罹ってるのであって私の集団ストーカーに対する怨みつらみが全て言語化されて思考盗聴器を通じて集団ストーカーに伝わるのである。こんな偶然はそれこそ100万分の1以下だ。こんな奇妙な奇病を持つ人間が集団ストーカーの被害者に選ばれ思考盗聴されてるのだ。海に上がってきた亀が海流を漂う樹木の穴の中にすっぽりと嵌まってしまう中国だかどこかの国の例えがあるがこれと同じくらいの天文学的確立と言えるだろう。従って私は内的自己が死ぬほど歪んでいる為にどうも集団ストーカーを怒らせたようである。それで嫌がらせが激化したがムカついた私は怒りの感情を抱くがそれが全て言語化されて集団ストーカーに伝わり、終わりなき報復の連鎖になるのである。まるでイスラエルパレスチナの争いのようにだ。私は従って集団ストーカーの怨みを買い地獄を見たが、遂には怒りが大爆発してブログで集団ストーカーを挑発する愚行に売って出たが、それで被害が終息することはなく、更なる地獄を見て全く外出出来なくなったのである。先に紹介した集団ストーカーに対して怒りを抱いている被害者は普通の善人であり勤め人である。性格は良い。しかし、集団ストーカーは終わらない。私は被害期間が長くもう少しで30年になってしまうが余りにも長く辛いため、その被害者の方に被害期間を聞いたら何と40年で10歳の頃から音声送信の被害にあってると言うのだ。従って集団ストーカーの歴史は長く思考盗聴器はいつ発明されたのかは分からないけど、少なくとも音声送信兵器は40年以上前からあることになる。集団ストーカーの歴史は長いから集団ストーカーを発明した人間は死んでるかもしれないが、集団ストーカーには当然の如くマニュアルがあるだろうから癌細胞の如く加害者は増幅可能であり、その精神は受け継がれるだろう。集団ストーカーの真の目的は分からないが、どうも集団ストーカーは被害者の文句にことの他非寛容である。私のように口の悪い人間に対しては怒りの感情を表にして報復をしてくる。その報復は人間の諸行とは思えない冷酷無比なものであり、私は地獄を見た。だから、被害者は集団ストーカーにムカつくことはあっても文句を言ってはいけない。当然人間は何か自分が理不尽で不幸な目にあうと不満を表明せずにはいられない。だから、ブログやTwitter、或いは街宣等で集団ストーカーにされてることを語り、集団ストーカーの嫌がらせが如何に辛く苦しく耐え難いものか訴えればよい。しかし、私みたいに馬鹿な文句を言ってはいけない。必ず地獄を見る。私は今はこの世のものとは思えない地獄の人生を生きてるがそれも集団ストーカーに対して反抗的態度をとってきたからだ。今の私は外出も出来ず人と会うことも出来ず部屋に篭りっきりで全ての物が恐ろしく、何も見たくないし、何も聞きたくない。こうなったのも私が馬鹿で反抗的だったからだ。だから、集団ストーカーは辛いけど、私みたいに集団ストーカーに対して反抗的態度を取らずに冷静に自分の置かれてる状況を見て打開策を考えればよい。基本的に集団ストーカー被害者は誰にも助けてもらえないし味方になってくれる人もいない。1人で黙して耐えてる人間も多いだろう。集団ストーカーの嫌らしさに耐えきれずぶちキレることもあるだろうが、私と同じ過ちを踏んでもらいたくない。集団ストーカーはいつ終わるか分からないけど、絶望して私みたいに馬鹿なことはしてほしくない。それは確実に自己破壊に繋がるからだ。まだまだ辛い人生は続くと思うけどこれからもお互いに頑張って生きていこう。

【自殺】全てを超越した地獄の苦しみを生きる

私は何度かこのブログで訴えてきたように普通の人々も間違いなく集団ストーカーのことを知ってるのである。集団ストーカーは対象にアンカリングや仄めかしの嫌がらせをする場合、普通の人々にやらせるわけであるが、普通の人々は音声送信兵器で指示を受けて対象にアンカリングや仄めかしをしてると思われる。集団ストーカー加害者がやってるとも考えられるがどう考えてもたまたまそこにいたとしか思えない奴がアンカリングや仄めかしをしてくるのである。それに、集団ストーカーに参加してくる人間の数が尋常じゃないくらい多いことを考えると絶対に普通の人々も集団ストーカーのことは知ってるのである。普通の人々にどうやって集団ストーカーのことを伝えたのかは分からない。一軒一軒家を回って集団ストーカーのことを説明したのか、大きい会場に人を集めて説明したのかは分からない。大勢を集めて説明する場合に予め電話で伝えたであろうか。手紙ならば外に漏れる可能性がある。実際の所は分からないが、確実に普通の人々も集団ストーカーを知ってるのである。だから私は周知活動は意味がないと思っている。大勢の被害者がチラシを作成してチラシ配りや街宣等をやっているが私はこれらの活動は集団ストーカー終息の為には意味がないと思っている。

この集団ストーカーが厄介なのは集団ストーカーだけでなく普通の人々も思考盗聴してることである。集団ストーカーの嫌がらせをつぶさに観察してみると対象を付け回したり、対象の前に姿を表す場合、余りにもタイミングがばっちりなので、集団ストーカーをしてる側は三次元的に対象の位置情報を予め知っとく必要があり、そうでなければ集団ストーカーをするのは不可能である。集団ストーカー撲滅、周知チラシを見ると普通の人々が集団ストーカーに依頼されて対象が通り過ぎるまで、スマホを持って立っていて下さいとか、対象が通り過ぎる時に咳払いをしてくださいとか、ある特定のカラーの洋服を着て対象の前に表れて下さいと言われてると書かれてるが、集団ストーカーが対象の前に表れるタイミングが余りにもばっちりなので、集団ストーカーに参加させられる普通の人々は対象の脳の中を読み位置情報をしっかりと把握して対象に集団ストーカーをしてること以外に考えられない。それって普通の人々ではなくただの集団ストーカー加害者じゃないのと言われそうだが、参加する人間の数が尋常じゃないのである。従って集団ストーカー加害組織の人間だけがやってるとは考えにくい。試しに集団ストーカー被害者は普通の人々に頭の中から語りかけてみるとよい。何かしらの反応があるはずである。私は試しに普通の女性に頭の中から、「ブス」とか「結婚してくれ」とか「やらせろ」と語りかけると、泣かれたり、ドン引きされたりした。こういうことがあったので私は集団ストーカーだけでなく普通の人々にも思考盗聴されてると確信した。普通の語りかけでは全く反応してこない。私みたいに多少過激な語りかけがよい。女性を傷つけることになったが、どうも集団ストーカーは集団ストーカーだけでなく普通の人々も思考盗聴している事実を知られても問題ないと考えてるようである。

普通の人々に頭の中を覗かれられるとか地獄以外の何物でもない。まず、外出出来なくなる。人間はどうしても食わなくちゃ生きていけないのでスーパーに行かざるを得ないから私は我慢してスーパーに出掛ける。今まではそんな地獄の生活に耐えて生きてきたが私はもう限界である。精神的にもう疲れた。もう耐えれそうにない。集団ストーカーや普通の人々に思考盗聴されてるだけでも辛いのに、集団ストーカーの嫌がらせが実に陰惨で冷酷で残酷なのである。人類史は悲惨に満ちてるが我々集団ストーカー被害者はまず間違いなく歴史に残るくらい不幸な人生を生きてると言えるだろう。私はその時は来ないと思ってるが、全ての集団ストーカーが終息した時に我々は集団ストーカーの苦しみが如何に辛かったか語る機会を得るのではないかと思う。もちろん普通の人々は集団ストーカーのことを知っていて思考盗聴してるのだから、被害者の苦しみは知ってるだろうが、我々被害者はこの地獄の苦しみを人々に語らずにはいられない。やはり話さなければ分からないことがあると思う。今は私は生きるのが余りにも辛いので集団ストーカーに早く殺せよとお願いする。こんな辛い人生を生きるくらいなら死んだ方がましである。この世にこんな苦しみがあるのかと思う。耐え難い苦しみだ。恐らく人類史上最大の苦しみだろう。これ以上の苦しみは今までなかったし、これからもないだろう。つまり、究極の苦しみである。以前の記事で集団ストーカーはナチスより悪質であると書いたが、ドイツ人に塗炭の苦しみを味わわされたユダヤ人の苦しみを超える苦しみと言ってよかろう。全てを超越した苦しみだ。思考盗聴器を使えば人間の五感情報が思考盗聴してる側に直に伝わるから、みんな我々被害者の味わってる苦しみを知ってると言えるが、実際にされた人間にしかこの苦しみはやはり分からないだろう。何とも残酷な犯罪である。仮に同じ事をヒトラースターリンポル・ポトや女子高生コンクリート殺人事件の主犯ににしたとしたら彼等に同情したくなるだろう。(私は女子高生コンクリート殺人事件の主犯は処刑すべきと思ってるので彼が我々と同じ被害にあったらザマアと思うだろうが)一部のキチガイを除いてみんな傷ついてると思いたいもんだ。こんなあり得ないレベルの苦しみを人間に与えるとか想像を絶する。とてもじゃないが考えられない。人類史上最大の惨劇だ。我々は間違いなく歴史に残る。今まで私はこの苦しみを処理する為に文学者の言葉に頼ってきた。一番のお気に入りはアメリカの作家、チャールズ・ブコウスキーだ。ブコウスキーには今まで何度も助けられてきた。時には励まされ、時には勇気づけられ生きることの手助けになってきた。しかし、もう限界だ。ブコウスキーの言葉ももう何の助けにもならない。ブコウスキーは私と同様地獄のような人生を生きてきたが、私の苦しみはブコウスキーの味わった苦しみを超えている。その苦しみは筆舌に尽くしがたい。人類が誕生してから今日までどれほどの人間が誕生したのかは知らんが地球上に誕生した人間達が味わってきた全ての苦しみを超えてるし、この先人類が滅ぶか別の種へと進化するまで私の味わってる苦しみを超える苦しみを味わう人間は存在しない。確信をもって言える。私の味わってる苦しみは究極的に普遍的な苦しみと言えるだろう。人類はもうこれ以上の苦しみを産み出すことはない。人類最後の苦しみと言ってもよかろう。従って人類は全ての苦しみを知ったとも言える。全ての苦しみを知ったのだから後は幸福な社会を作ることに邁進してもらいたいが人間のことだから何も期待出来ない。全ての苦しんで生きてる人間が私の苦しみを知れば自分の方がましだと思えるだろう。そういった意味で私は他人の支えになってると言える。

私は自殺した人間に想いを馳せる。彼等は私よりも苦しんでたであろうか。そんなことはない。確実に私の方が苦しんでる。キェルケゴールが言うように絶望とは死ねないことである。死という安らぎを与えられず生き続ける方が遥かに苦しいだろう。私が一番苦しんでるが世の絶望的状況にあって死ぬことが出来ずに苦しんでる人間は世界中にたくさんいるだろう。集団ストーカー被害者も地獄のような人生を生きてるだろう。私は昔、集団ストーカーの被害者でもないのに自殺してしまう人間が信じられなかった。自殺してまった連中よりも我々集団ストーカー被害者の方が遥かに苦しんでるだろうと思っていた。集団ストーカー被害者の中には自殺してしまった人間もいるようだが、我々はなんとか自殺せずに生きている。しかし、私はもう限界だ。今はしょっちゅう自殺が頭を過る。救いはどこにもない。このまま苦しみ続けるなら死んだ方がましだと思う。私は自殺するかもしれない。私が死んだところで誰も悲しまないだろう。両親はもういない。兄弟もいない。友達もいない。恋人もいない。悲しむ人間なんてどこにもいない。別に悲しんでほしいわけではない。死んだら無になるだけだから、悲しむ人間がいようがいなかろうが同じことである。人はよく自殺を考える人間に残された人間のことを考えろと言うが、私のように誰とも関わらず孤独に生きる人間がいるのだ。仮に残された人間がいるとしても、彼等は自殺する人間には何の支えにも救いにもならず、自殺するしか選択肢がないのである。

私の人生は一体何だったのだろうとしょっちゅう考える。私の人生には一体何の意味があったのだろう。私は親に愛されず育った人間である。従って私は幼少の頃より人の愛情に飢えて生きてきた。もちろん友達はいたし、親とのそれなりに楽しい思い出はある。父親と野球をやったりスキーに行ったりした。それは楽しい思い出である。やはり親との思い出は特別なものだ。岸田秀は家族愛も幻想だと言ってたが、それは、岸田が親に愛されず育ったからであって大概の人間にはやはり、親の存在は特別であろう。しかし、私は片親で母親1人に育てられて生きてきたのだが、母親は私と同じく親に愛されず育ったのだ。その為に母親は人の愛仕方を知らず私のことを愛せずに私は神経症になってしまったのである。母親も神経症だったと思われるが私はそんな母親の自我を受け継ぎそして愛されず育ったのである。兄弟もいなかったし、父親とは年に数回会う程度。こんな不幸な人生もない。私の母親は父親がたまにしか帰って来ないので父親を瘋癲の寅さんに準えて寅さんと読んでいた。何とも切なく悲しい話である。で、私は神経症でいつも孤独感があり、常に胸苦しい人生を生きてきたので、時には精神分析に頼ったが私の神経症は治らなかった。本当に苦しい人生であった。おっさんになった今でも恋愛経験すらない。まことに終わってる人生と言える。セックスの経験はあるが大して感動しなかった。初めて体験する時は感動するかと思ったがいざ体験してみると大して感動はなく、ああ、こんなもんかで終わりであった。愛する女とするセックスはまた違うのかも知れないが、私はプロを相手にセックスをしたのであって恐らく何千人も相手にしてきたプロだろうから愛なんかあるはずもなく、アソコもガバガバで大して気持ちの良いセックスではなかった。また、ソープに行こうかと考えてた時もあるが今の私にはそんな気力はない。それで、そんな、愛情に飢えていて神経症の私が集団ストーカーの被害者に選ばれたのだ。ある有名被害者の話によると不幸な人間が集団ストーカーの被害者に選ばれやすいとのことだが、私も例に漏れず不幸な人間であった。ただでさえ生きるのが辛いのに更に集団ストーカーの苦しみに耐えなければならなかった。その苦しみは筆舌に尽くしがたく生きるのは困難を極めた。時には希望にすがることもあったが、冷酷無比無情の集団ストーカーの嫌がらせに遂には希望は消えた。私は被害歴28年だが遂に心が折れてしまった。もう生きる気力はない。この先生きててもしょうがないと思う。だから近い内に死ぬかもしれない。私が死んだところで全人口の1人が死んだだけであり、誰も何とも思わないだろう。別にそれで構わないが、全ての集団ストーカー被害者に光が訪れることを願っている。ではさようなら。

集団ストーカーはナチスより悪質である

ナチスドイツは僅か12年で終わったが集団ストーカー被害者の被害期間は12年どころではなく、30年、40年にも及ぶ。例のアウシュビッツから奇跡的に生還した精神科医のビクトール・フランクルが、アウシュビッツから生還したユダヤ人がその精神的外傷を克服するのは難しいと語ってたが我々集団ストーカー被害者も同じである。人間不信にされ、時間を犠牲にし、ありとあらゆるものを失う。従って我々被害者は集団ストーカーが終わったとしてもトラウマに苦しめられるだろう。集団ストーカーに如何なる理由があろうと我々被害者は精神的外傷に苦しめ続けられるだろう。アウシュビッツでドイツ人に虐待され続けたユダヤ人は僅か2日で階段の上り下りが出来なくなるくらい痛めつけられたようである。当時のドイツ人の残酷さ、冷酷さには驚愕するが、こいつら集団ストーカーはナチス並みに残酷で冷酷である。私は被害期間が28年になるが、いくら集団ストーカーを止めてくれと訴えても止めることはなく、冷酷にも集団ストーカーは行使される。アウシュビッツユダヤ人は余りにも悲惨な目にあった為に他人の苦しみに対して感覚が麻痺してたようである。12歳の裸足のユダヤ人少年が収用されてきた時も誰も何の同情心も抱かず何とも思わなかったようである。フランクル達が列車で収用先へと向かう際にフランクルに馴染みのある想いでの景色が見えたのでフランクルはその景色がよく見たくてぎゅうぎゅう詰めにされたユダヤ人達に、ちょっとどけてくれ。外の景色が見たいんだと言うと、ユダヤ人はフランクルに冷たく「もう十分見ただろ」と言ったそうである。我々集団ストーカー被害者もユダヤ人と同じく感覚が完全に麻痺してしまっている。5ちゃんねるに俺が一番不幸。今日も明日も不幸。永久に不幸だ。この不幸を終わらせたかったら死ぬしかないと書き込んでた奴がいたが、私はそいつよりも自分の方が不幸だとしか思えず、そいつに「さっさと死ねよ」と書き込んでしまった。そしたら、そいつが、じゃあ死ぬわと私に書き込んできた。焦った私は「嘘だ!死ぬな!」と書き込んだがそれ以来そいつは5ちゃんねるに現れなくなってしまった。本当に死んでしまったかもしれないが、そしたら私は自殺幇助罪に問われるだろうか。そうなるかも知れないが正直罪悪感はない。私は精神が完全にぶっ壊れてしまって人が死のうがもはや何とも思わない。完全にユダヤ人状態だ。ユダヤ人にとって例の毒ガス室は自殺の手間を省けてくれる装置と化してたそうだが、我々にとっては電磁波兵器がそれに該当する。自殺するのは怖いがしかし、死ぬのは大歓迎である。さっさと電磁波兵器で殺せよと思う。こんな糞みたいな人生を生きるくらいなら死んだ方がましである。我々はナチスに蹂躙されたユダヤ人並みに不幸である。フランクルはそんな死ぬほど不幸な状況下にあって、ある考えに到達する。我々は人生に期待することは止めて人生の側が我々に何を期待してるか考えるべきだと考えた。こんな悲惨を極めた辛い人生だけど、何か意味があるはずだと考えた。フランクルアウシュビッツから奇跡的に生還してアウシュビッツの地獄を生きたユダヤ人の人生を夜と霧と題した書物で書いたがその書物には、我々は人生に積極的に意味を見出だすのであって、人生に期待してはいけない。人生の側の問い掛けに対してその都度答えていかなければならない。どんな人生にも意味はあり意味のない人生はないと説かれている。大変影響力のあった書物のようで、私も影響を受けたが、だがしかし、私はもう人生の意味とかどうでもいい。もはや、人生に何の意味も見出だせない。フランクルにはまだ幾ばくかの精神的余裕があったであろうし、だから、人生に積極的に意味を見出だそうとしたのだろうが、私にはもう余裕はない。限界である。ユダヤ人より不幸なんじゃないかと思う。この人間とか言うアホな生き物は不幸を産み出すのには天才的才能があるが、その不幸を乗り越える能力はないらしい。人類史はいつだって不幸が勝ちを収めてきたと言える。人間のことだがら、この先もどうしようもなく救いようもない不幸を産み出すであろう。こんな救いようもない生き物はいない。どうしようもない生き物だ。数々の悲惨を体験してきた人類であるが過去から何も学ばず反省もせずに次から次へと不幸を産み出す。こう考えると人間の不幸には何か意味があると考えられずにはいられない。一体何の意味があるだろうか。人間は科学的に進化系の中途段階にあると分かっている。つまり、人間は完全な生き物ではなくて不完全な生き物で今よりも上位の段階へと進化するのだ。要するに超人になるのである。従って我々哀れな不完全な人間とか言う生き物にとっては不幸とは超人へと進化する為に必用な精神的陣痛ではなかろうか。仏陀は地獄のような修行の果てに遂には涅槃の境地にたどり着いた。人類も同じく地獄のような人生をへて遂には超人へとたどり着くのではなかろうか。私にはそう思えるのだがどうだろうか。

哀れ過ぎるマニュアル猿の一生

集団ストーカーにはマニュアルは当然のようにあると思われる。被害内容をつぶさに観察してみると法則性があるのが分かる。私の今の被害は電磁波攻撃とアンカリング、たまに仄めかしだが、例えば電磁波攻撃をしてくる場合にある特定のことを考えると電磁波で攻撃してくるのである。必ず左耳に電磁波攻撃をしてくるわけであるが、これが最強にムカつくのである。密室に閉じ込めて水をポタリポタリと落とすだけの拷問があるがこれと同じようなものである。アンカリングは人間や車、動物等を使って行われるが、人間なら特定の仕草、車ならハザードランプの点滅、パッシング、クラクション、動物なら犬の鳴き声等である。これらの集団ストーカー的嫌がらせは全てマニュアルに書いてありその通りに対象に対して嫌がらせをしてくるのであろう。私はよく集団ストーカーにキレて時には反発し時には集団ストーカーを挑発するが集団ストーカーがその時にやり返してくることはない。おそらく集団ストーカーマニュアルに被害者の挑発には乗せられてはならないと書かれてるのだろう。後でやり返してくるが。

集団ストーカーはマニュアル通りにしか動けない哀れな下僕である。自分の頭で考えることはない。犯罪はしてはいけないがやるなら自分の頭で考えて犯罪を犯してみろよと言いたくなる。集団ストーカーは毎日毎日集団ストーカーマニュアルに添って対象を苛めるのである。集団ストーカー被害者の被害期間は膨大なものになりある被害者は被害歴40年を超えるが、人は当然入れ替わってるだろうが、集団ストーカーは何十年も集団ストーカーマニュアルに添って嫌がらせをするのである。まことにもって最悪の人生と言わざるを得ない。こんな糞みたいな人生を生きてたら誰だって自尊心が低下するだろう。やってることが実に罪深く卑怯で卑劣であり、とてもじゃないがこんな仕事に誇りなんて持てない。だから、集団ストーカーは対象を苛めて憂さ晴らしをしてるのかもしれない。集団ストーカーは一般人参加型の犯罪だが、どうも集団ストーカーの指示は絶対であり、誰も逆らえないようである。私はエリザベス女王ローマ法王から仄めかしにあったが、ある被害者のメール仲間はそのことが信じられずドン引きしたとメールしてきた。だがしかし、これは本当のことである。それで、集団ストーカーは自尊心が低下してる為に対象を苛めたり、一般人や有名人に指示を出して好きなようにどんな人間でも動かせるので自尊の幻想をそうやって埋め合わせているのではなかろうか。要するに自尊心が低下して自我の安定が揺らぐからそうやって優越感に浸る以外に自我の安定は保証されないのである。全く哀れとしか言いようがない。

集団ストーカーはマニュアル通りにしか動けない哀れな猿の癖にプライドだけはいっちょまえに高いようである。私は集団ストーカーを心底見下してるしよく小馬鹿にするが、どうも私のその態度が許せないようである。集団ストーカーは私のことが嫌いなようである。それは別に良いとしてそれなら、集団ストーカーは集団ストーカーマニュアルをかなぐり捨てて、自分の頭で考えて、私に対する不満を表明して復讐してみろよと言いたくなる。しかし、この集団ストーカーの猿は絶対にマニュアルを手放さない。あくまでも集団ストーカー的手法にのっといて復讐してくるのである。実に情けない連中であろう。こいつらは電磁波兵器を使って攻撃してきたり、一般人を利用してアンカリングをしてきたり、動物をブレインジャックして対象の前に捨て猫を登場させたり、犬を吠えさせたりするだけである。絶対にてめえの手は汚さない。たぶんだが、集団ストーカーは年中家に籠ってる糞ニートなのだろう。これでは気も病むだろう。そしてやることは集団ストーカーであり、時間がある時は多分PCのエロゲーをしたりマスターベーションをしたり、酒を浴びるように飲み現実逃避をしてるのだろう。

私はある集団ストーカー加害者を知っている。彼は当然ニートであった。彼は2ちゃんねるではないが、そこそこ利用者の多い掲示板に現れ私に粘着していた。私は特に気にも止めてなかったのであるが、そいつが、自分であるスレッドを建てた。内容はこうであった。2階の自室から床を足で叩き母親に飯を持ってこいと、言っていると言う内容のスレッドであった。私はこいつはニートで集団ストーカーをして生きてる為に自尊心が低下してるのだろうと思った。どういう基準で集団ストーカー加害者に選ばれるのか知らないが、大概の加害者はニートで人生がつまらなく、自分に誇りが持てないのであろう。彼は実際にそうであった。私がそのスレッドに落ち着けニートと書き込んだら、そいつが、「ムカついた。酒飲んでオナニーして寝る」と書き込んだ。私は集団ストーカーはこんな奴等ばかりなのかなと、思った。だとしたら何とも哀れである。私はその頃はもう既に集団ストーカーに思考盗聴されてると知ってたから、そいつに向かって頭の中で「助けてやる」と語りかけた。そしたら、そいつは今まで掲示板で私に粘着して時には暴言を吐いてたが、掲示板に「お?え?」と嬉しそうな書き込みをしていた。だから、私は集団ストーカーは確かに不満を抱えながら生きてるのだろうと思った。しかし、ある時ヤフー掲示板を閲覧してたのだが、思考を乗っ取られてヤフー掲示板を閲覧するように誘導されたかどうかは知らないが、別の集団ストーカーと思われる人物が内容はよく覚えてないのだが、そいつのことを助けるのは無意味だといった内容の書き込みがあった。それ以来そいつは掲示板から姿を消した。一体何があったのであろうか。私にはよく分からない。もう一人私は集団ストーカー加害者を知っている。今は5ちゃんねるになったが2ちゃんねる時代に私が集団ストーカー関連のスレッドに集団ストーカーをして他人の人生を潰す、或いは殺して負い目と罪悪感に耐える人間はいないだろうと、書き込んだらその加害者が2ちゃんねるの集団ストーカー関連のスレッドに「加害者側の事情も被害者が思う以上にぐだぐだしています。集団ストーカーを生業にして生活をしなければならないので自尊心が低下して相対的に被害者を咎めないと精神的安定が保てないのでしょう。そこで加害者がすることは加害者放送なのです。しかし、そこでも集団ストーカーは全てを語るわけではありません。集団ストーカーに人生を奪われる被害者は辛いでしょうけど被害者の罪は浄化されました。集団ストーカー加害者は集団ストーカーをして得たお金で家族を養ってるのです。なんて哀れなのでしょう。子供が親の真実の姿を知ったらなんと思うでしょうか」と言ったようなことが書かれててた。私は集団ストーカーは確実に罪悪感を感じてると思った。私はその加害者のブログを見付けて読んでみたら、「上層部に消されてしまう。しかし死ぬまで学ぶことは止めないぞ」と書かれてた。最初に紹介した集団ストーカー加害者は私、つまり、被害者に同情でもして消されたのだろうか。それは分からないが、2番目に紹介した集団ストーカー加害者の2ちゃんねるにあった書き込みも何から何まで信じるわけにはいかないが幾ばくかの真実はあったのだろう。確かに集団ストーカー加害者は哀れな人生を生きてるのだろう。その人生は幸福とは言えないのだろう。当然である。一日中家の中にいて、集団ストーカーをしてたら頭が狂うだろう。全く哀れとしか言いようがないが、しかし、集団ストーカー加害者とは比べ物にならないくらい哀れな人生を生きるのが我々集団ストーカー被害者である。その人生は悲惨を極めておりどこにも救いはない。誰も助けてはくれないし、ありとあらゆる宗教、思想、哲学も役に立たない。救いのない人生を見つめてその否定しようもない圧倒的現実を受け入れ、人生を諦める他にないのだ。こんな悲惨な人生もない。ヨーロッパ人は全人類レベルの厄災を与えたが、ヨーロッパ人に蹂躙された民族の悲惨に負けないくらい我々集団ストーカー被害者は悲惨である。人類は今では昔と比べてかなり平和になったとは言え、しかし、やはり、悲惨を創出するのは止めなかった。人類は集団ストーカーを発明したのだ。目的は未だに分からないが、我々集団ストーカー被害者は確実に歴史に残るくらい不幸であろう。いつの日かその不幸が語られる日が来るであろう。今は一応集団ストーカーはないことにされてるが、いつの日かテレビや書籍で語られるかもしれない。その時が来れば良いと思う。多くの人間に我々の苦しみを知ってもらいたいと思う。

我々被害者には幸せな生活は絶対に許されず不幸な人生を生きることを余儀なくされる。終わってるのが、集団ストーカーはその被害期間が膨大なものになり、仮に集団ストーカーが終わったとしても失った時間は返ってこず、その後の人生は悔恨の念に耐えて生きなければならない。苦悩が終わりまた別の苦悩に苦しめられるのだ。何たる人生だ全く。我々は人類史上最も不幸だ。こんな不幸な人生もない。底無しの虚しさに襲われる。この先生きてくことに一体何の意味があるだろうか。

集団ストーカーは家の中から時には電磁波兵器を使い時には人間を使い時には動物を利用して反抗的被害者に対して復讐をする。こんな哀れなマニュアル猿なんか見下されて当然だろうが。私は別に復讐にあうのは構わないし、実際に私のとこに来て私に対する不満を表明するなりして、文句を言い、時には殺すこともあるかも知れないが、それなら、私は仮に殺されても納得出来る。しかし、集団ストーカーの馬鹿はそれは絶対にしない。とにかく集団ストーカーマニュアルは手放さない。遠隔からチマチマと集団ストーカーマニュアルに添って嫌がらせをしてくるだけである。まことに哀れな猿としか言いようがない。こんな哀れな猿に我々被害者は人生をこれでもかってくらい蹂躙され犠牲にしてるのだから全く哀れである。集団ストーカーは人類史上最悪の犯罪とも言えるが、世界中に被害者がいて、彼等被害者は塗炭の苦しみを味わい、苦しみに耐えるだけの毎日にもはや何の意味も価値も見出だせず、虚無感満点の人生を生きることになるだろう。ある者は遂には苦しみに耐えられず自殺する。そうやって被害者を追い込むのは自分の頭で考えることを放棄した哀れなマニュアル猿なのである。世界中にいる被害者は哀れとしか言いようがない。私は苦しみに耐えられず世界中にいる被害者に想いを馳せる。彼等は私と同じかそれ以上に苦しんでるかもしれない。私は集団ストーカー被害者の中でもかなり不幸な部類に入る被害者だと思っているが私よりも不幸な被害者はいるかもしれない。実際に自殺した被害者もいるからまだ何とか生きれてる私はマシな部類に入るかもしれない。しかし、私はもう限界である。これ以上集団ストーカーには耐えられない。人間不信にも陥り人間に会いたくないし、外出もしたくない。人間はどうしても食わなくちゃ生きていけないのでどうしてもスーパーに行かなくてはならず、外出し人間と関わりを持たなければならない。これが拷問レベルで辛いのである。私は外出する時は戦場に行くくらいの覚悟を持って外出するが、実際に集団ストーカー被害者にとってこの世界は戦場である。アンカリングのオンパレードで胸糞悪いことこの上ない。一時的に集団ストーカーのアンカリングには慣れてたが、しかし、今ではもう限界である。小さな嫌がらせでもそのダメージは甚大である。集団ストーカーの嫌がらせの全ては遠隔から行われる、この上なく卑怯で卑劣な犯罪であり、その犯罪に私は遂には屈してしまった。精神がぶっ壊れた。もうこれ以上生きたくない。生き延びたとしても、失った時間は返ってこないので人生に何の意味も見出だせない。この先地獄のような悔恨に苦しみながら生きなければならない。誰にもあるたった1度きりの人生。しかし、我々被害者が自分の人生を生きるのは不可能である。だから、もう人生に何の意味も価値も見出だせない。一思いに殺せよと思う。もう疲れた。早く殺せよ。集団ストーカー的手法でもってよ。お前らにはそれしかないんだから。へたれで臆病なお前らは直接被害者の元に来て殺すことは出来ないだろう。だから、遠隔から電磁波兵器で一思いに殺せよ。私はもう疲れた。生きたくない。最後くらいはせめて、てめえの手で殺してみろよと言いたくなるが。まあ、こいつらには無理だろうな。最後まで集団ストーカーマニュアルを手放さず、集団ストーカー的手法でもって殺すのだろう。どうしようもないへたれだ。哀れ。