集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

大衆は基本的に悪

俺達被害者は毎日がこんなに辛く酷い目にあっているってのに、皆知らぬふりをして、全く興味も関心も持ってくれない。それどころか、薄ら笑いを浮かべたり笑いを堪える者もいる始末。24時間監視されてプライベートは筒抜け、誰だって他人に晒したくないことはあるでしょう。それを、公にされて笑い者にさる。心無い人ばかりでうんざりしてくる。
目的は今はまだ分からないから誤った分析をしていて、勘違いしているのが滑稽で楽しくて仕方がないのかもしれない。笑いを堪えている奴等がくっそ腹立つ。叩き殺してやりたくなる。日本人はなんて冷たい民族なんだろうと最近よく思う。別に同情してもらいたいわけじゃないが、この犯罪 の被害者になったらどれだけ辛くて悲惨な目に会うかちょっと想像すれば分かるでしょう。

なぜ、プライベートを晒されて笑い者にされなきゃならないのか。24時間監視されて、1日とて休みなく嫌がらにあい続け笑い者にされる。とてもじゃないがもう耐えられない。仮に犯罪が終わったとしても被害者の個人情報は普通の人達の記憶に残り続けるのだろうか。そうだとすると、俺達被害者の未来はお先真っ暗ではないか。普通に生きていけない。

なぜ、こんなしょうもない目にあい続けなければならないのか?納得出来ないことばかりである。人間は基本的に他人の不幸が大好きで、虐めにあっている被害者に同情するどころか虐めはまんざらではないと思ってしまう。中には虐めに積極的に参加する人間もいるだろう。

しかし、逆の立場に立って考えてみる。つまり、自分が被害者ではなく、傍観する立場だったらと。何か、どうしても笑いを堪えてしまわざるを得ない理由があるのかもしれない。それはわからないが、笑い者にされるのは気分の悪いものである。

今さら終わっても全然嬉しくないし(終わらないよりはるかにましだが)この犯罪を思い付いた奴を正直叩き殺してやりたくなることもある。もし、この犯罪にあわなければ俺の人生は今とは相当違ったものであったであろう。

最近加藤や宅間の気持ちがわかるようになってきた。精神的に相当ヤバい状況になってきている。普通の人間を殺しまくる自分を想像する時がある。実際に殺人に手を染めることはないと思うが、連続殺人犯に共感を覚える精神状態はかなりヤバイ。

ここまで一人の人間を追い詰めて一体何をしたいのか目的がさっぱり分からない。 引っ越しは繰り返されるは、精神病院に入院させられるは、笑い者にされるは散々である。(女の笑いがくっそ腹立つ)

集団ストーカーに終わりはあるのだろうか。ターゲットに一度選定されてしまったら最後、二度と終わらないのだろうか。それは分からないが、俺の場合被害年数が長すぎて気付いたらもう、取り返しのつかない年齢になっていた。朝、目を覚ました時に非情な現実に引き戻されゾッとする。俺の人生はもう半分以上は諦めた。

若い頃に友達と思い出作を作りたかった、おもいっきり遊びたかった。が、その夢はもう叶わない。普通の人生、自分の人生を生きている人達が羨ましい。