集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

何故こんな目に 産まれて来ない方が良かったとしか思えない

集団ストーカーの被害者に選定されて人生を滅茶苦茶に破壊された。 何故俺達だけこんな目にあわなきゃならないんだろう。理不尽過ぎてどのような理由があるにせよ納得ゆきかねるものを感じる。目的は未だわからないが、俺達みんな毎日が戦争状態で心休まる時がない。誰かにとっては深い意味のあることにせよ俺達は悲惨で無様で辛い毎日を生きることを強いられ、今日こそは終わると儚い期待を胸に抱き生きているがしかし夢は裏切られ集団ストーカーの嫌がらせに会うたびに「ああ、この嫌がらせはまだ続くのか」と深い絶望と共に溜め息が漏れる。

ロッコ問題の仄めかしがあった。ある人を助ける為に他の人を犠牲にするのは許されるのかという倫理問題である。我々被害者はあるものを助ける為に集団ストーカー被害者に選定され人生を犠牲にしているのだろうか。助けるとかそういうことじゃなくても誰かの役にたっているのだろうか?こんだけ悲惨で辛く苦しい目にあっているのだから、誰かの役にたっていると考えなければやってられない。

しかし、此方はもう限界である。何か意味や価値があり誰かの為になっていたとしても、もういい加減にしてもらいたいものである。これだけしつこく嫌がらせをしてくるということは何か嫌がらせそれ事態を楽しんでいるのではないかと勘ぐってしまう。何せ被害者の人生を期待通りに自分達の都合のよいレベルまで破壊でき、破壊しても罪に問われないし、更に被害者に人的嫌がらせをする為に第三者に指示を出して自由に動かすことが出来る。これだけでも擬似的に神になったような気がして優越感に浸れているのではないか。それはわからない。こっちは毎日を必死に生きているのに外を歩けば笑いを堪えているものに出会すことがある。理由を知ったら何か笑いを堪えなければならない理由でもあるのだろうか。

私は最近何もかも嫌気がさしてきて鬱状態で何もやる気が起きない。他の被害者はどうであろうか。やはり私と同じく深い絶望状態で生きているのだろうか?少なくとも人生を楽しめてないはずである。
何せ何かする度に邪魔が入るし被害者には常に緊張状態を強いる為に計算しつくされた犯罪で、心休まることがなく、常に不安や緊張、恐怖心などを植え付けてくるからである。

人生に楽しいことはなく毎日が憂鬱で退廃的でただ惰性で生きており、そして常に不安で、生きることに、もはや何の期待も持てなくなってきている。
毎日がこんなに辛いなら産まれてこない方が良かったと最近よくおもう。私以外の被害者でも同じような感慨を持つ者は多いのではなかろうか。被害者に絶望感を与え未来に何の期待も持たせないことがこの犯罪の骨子であろうか。自分の未来に期待をしている被害者なんぞ殆どいないだろう。私も同じくもう未来に期待を持てない。ただこの犯罪が終わることを待つだけの身である。

我々に終わりの日はくるのであろうか?一生終わらないとか勘弁してもらいたいものである。

平成が終わり新元号令和になるが我々被害者の人生が辛く苦しいものであることには変わりないであろう。