集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

どうしても許せない

私は集団ストーカーをどうしても許せない。人生の貴重な時間を潰され、したいことが何も出来なくされた。人生一回きりだから価値があるわけで、時間を奪うのは重たい罪であろう。

集団ストーカーを絶対に許せないと考えると「許せ」と思考送信が送られてくる。集団ストーカーを許せば終わるのだろうか?それならば私はいくらでも許す。今までのことは全て水に長そうではないか。こっちは終わるのならば何でも良いわけである。屈辱的だがどんな要求も呑もうではないか。しかし、私が思うに集団ストーカーを許しても終わることはないであろう。それは集団ストーカーのいつもの行動パターンからも明らかである。こっちは本当に止めてもらいたいのである。終わる条件があるなら是非提示してくれ。言うこと聞くから。どんな被害者もそれならば集団ストーカーの要求もすんなりと呑むであろう。それぐらい辛い犯罪なのである。

集団ストーカーの被害者に選ばれてなければ今と違った人生があったのは確実で家族や友人を奪われることはなかったかも知れない。結婚して今頃幸せな生活を送ってたかもしれない。幸せな生活を完全に奪われ、地獄のような人生を歩むことを余儀なくされてしまった。

人生一度きりしかないってことをコイツらわかってるのかね?(分かってるからこそ苛めて優越感に浸ってるのかもしれない) 人生の価値はそこにしかない。一度きりだから誰もが一分一秒も無駄にせずに生きたいのである。何で俺達はこいつらに人生の貴重な時間を奪われなきゃならないんだ?こいつらに一体なんの権限があるというのか。全く理解出来ない。毎日深いため息が漏れる。もうこんな人生やってられない。いい加減に疲れた。耐え難い毎日である。今すぐにでもやめてもらいたい。なんでこんなに長いんだ。もういいだろう。

最近昔のことをよく思い返す。集団ストーカーの被害にあっておらず、それなりに楽しい人生を歩めてた時を。あの頃はよかった。今と違って生き生きとしていたし、憂鬱な日々を過ごすこともなかった。
集団ストーカーの被害者に選定されているとも知らずにはしゃぎ回ってたあの頃を思うと泣けてくる。

私は集団ストーカーに全てをぶっ壊された。楽しい時は終わり苦悩の日々が始まる。全くやってられない。苦悩の日々は一体いつまで続くのか。もう耐えられない。仮にどんな犯罪を犯したとしても、罰としての集団ストーカーの刑を執行されたらこの上なく卑劣な仕打ちであろう。一体なんたる仕打ちであろうか。我々被害者が一体何をしたというのか。悪いことなんて何もしていないではないか。みんなごくありきたりの人生を送る普通の人達である。誰にも罪はない。それなのに、なぜこんな拷問のような毎日を過ごさなければならないのか?

松本人志は「誰かの犠牲が必要なこともあるんや」と私に語ってきたが、一体何の為の犠牲であろうか?誰かの役に立っているのか?誰かの役に立ってるとしたら世界中にいる集団ストーカー被害者はどんなに惨めで絶望的な人生を歩んでも、犯罪自体は許されるのか?こっちは苛めにあってるだけだから辛いだけで全くもって意味不明である。集団ストーカーの真実を知らされた時に納得できるのであろうか?納得できるにせよ、出来ないにせよ、どうせ私の人生が絶望的なのには代わりなく今はただ被害が終息することを願うだけである。

精神科医に相談すれば的確なアドバイスをくれますよとコメントがあったが精神科医に相談しても無駄であろう。なぜなら皆集団ストーカーのことは知っているのだからw

集団ストーカーに何か目的があり、ただの嫌がらせではないと知りつつもやはり怒りの感情が湧いてくる。今の私の人生は絶望しかない。やりたいことが何も出来ない人生であった。ちくしょう。泣けてくるぜ。こんなしょうもない目にあうなら産まれてくるんじゃなかったと最近よく思う。
時間だけはどうやっても取り戻せない。集団ストーカーさえなければあった私の普通の人生。虚しい気分が全てに先行してやってくる。集団ストーカーの被害者に選ばれてなければ出来たことが沢山あったろうに。底無しに虚しい気分だ。もう全てを終わらせたい。

私のブログはいつも似たようなことばかり書いていて何だか申し訳ないが、そうであるにも関わらず読者がいることは嬉しい限りである。文章を書くのはあまり得意ではないのでこれからも似たような文章を書き続けることになると思うので今後とも宜しくお願いいたします。