集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

思考盗聴器は本当にあるかもしれん

思考盗聴器は本当にあるかもしれない。どうしてそう思うのかというと以前養老孟司の無思想の思想論で思想の問題点を取り上げ1神教を批判したが文書を書き終わってまだアップする以前の下書きの段階の時に散歩に出掛けたのだが、散歩の帰り道の途中でイスラム教徒と思われるスカーフを被った二人組に遭遇したからだ。これは集団ストーカーのいつもの仄めかしだと思った。私は基本的立場として白人種には否定的であり、そのことに関してこのブログにも批判的なことを書いてきたが外を出歩くとよく白人種に出くわすのであった。それは集団ストーカーのいつもの仄めかしだと思い特に気にすることはなかったが、養老孟司の無思想の思想論を書き終わってアップする前にイスラム教徒に遭遇したので集団ストーカーに頭の中を読まれているのではないかと思ったのである。

それ以外に集団ストーカーはしょっちゅう個人的な事柄に関することにおいて仄めかしをしてくるのだが私の個人的な事柄で、まだ誰にも語ったこともないし、ネットにも書き込んだことのない事柄に関して仄めかしが相次いだからである。まだ誰にも語ったことがないのにどうして集団ストーカーはそのことを知ってるのだろうか?頭の中を読まれていたとしか思えない。仮に本当に思考盗聴器があったとしたら集団ストーカー被害者にしてみたら地獄である。レーザー兵器を使ってどこにいるか常に把握されてるしそれ事態はどうってことないんだが頭の中を読まれてるのではどうしようもない。どこにも逃げ場はない。地獄である。

仄めかしは主に2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のまとめサイトからあったのだが頭の中を読まれてるとしか思えない仄めかしが相次いだ。それで思考盗聴器は本当にあるのかなあと思ったがそれはこのブログにも何度も書いた友人との軋轢の後に出来た心の葛藤に関することであった。

どうして集団ストーカーは心の葛藤に関することを仄めかしてくるのだろうか?その事に一体何の意味があるのだろうか。被害者を悪戯に傷つけているだけである。集団ストーカーは被害者に劣等感を与える、嫉妬心を持たせる等のことも嫌がらせの1つにあるから私のことを傷つけて劣等感を持たせる為に個人的な事柄に関する仄めかしをしてきたのかもしれない。私は集団ストーカーはただの犯罪ではないと考えているが集団ストーカーの謎は未だに分からない。

一体誰が何の目的で思いついたのか。何故我々被害者はこれほどまでに人生を犠牲にしなきゃならないのか。全く納得のいかないことである。時間は有限であるのに被害にあい続けている間はしたいことが何も出来ないのである。悪戯に時間を浪費する。無駄に時間が過ぎていく。どんどん歳を重ねる。発狂しそうである。私は集団ストーカーの本当の意味を知りたくていつも考えているがどうしても分からない。

私は以前に集団ストーカー供儀説を唱えたが、それは哲学者の内田樹が自身のブログで「いじめ供儀説」を唱えていてこれは私に対する内田樹からの集団ストーカーに関してのヒントだと捉えて集団ストーカーは供儀ではないかと考えたのである。それから1年くらい経った頃にスマホのニュースサイトで内田樹の記事が紹介されてて内田樹はその記事の中で「もう1つの真実がない」と語っていた。これは私に対しての仄めかしではなかろうか。もう1つと言っているから、そうだとすると集団ストーカー供儀説は当たっていたのであろうか。内田樹は自身のブログの中で「私の説が後から考えてみれば当たっているということがよくあった」と語っていたので「いじめ」つまり「集団ストーカー」は供儀ではないかと私は思ったのである。供儀とは生け贄の儀式である。生け贄の儀式には精神浄化作用があるのである。従って集団ストーカーが供儀だとしたら精神的暗黒を抱えている集団がいるはずである。で、そう考えてみると歴史上一番悲惨な人生を味わいそして人類に対してこの上なく卑劣なことをしてきた白人種のことが思いついたのである。そもそも集団ストーカーはアメリカ生まれの電磁波兵器とアメリカ生まれのガスライティングがベースになっている犯罪だし、こんな気色の悪いことを思い付くのは白人種以外に考えられないのである。そしてそのことをブログで語った後にスマホのニュースサイトで内田樹の記事がアップされておりその中で内田樹は日本の現状を憂い今の日本には「もう1つの真実がない」と語っていたので私はひょっとすると集団ストーカー供儀説が当たっていたのではないかと思ったのである。仮に内田樹が集団ストーカーを分析して集団ストーカーは供儀であると分析してそのことが当たっていたのであったら集団ストーカー側から内田樹に集団ストーカー供儀説は当たっていると通達があったのであろうか?そうだとしたら集団ストーカーは自分達の過ちを認めたのであろうか。それは知らないが仮にそうだとしたらくっそ腹立つ。一部の人間の精神的暗黒を浄化する為に我々被害者は人生を犠牲にしているのである。それははっきしいって卑怯な行いである。集団ストーカーは端から見るとまるで供儀みたいであるが、そのニュースサイトには笑顔の内田樹の写真と共に記事がアップされていた。

いじめ、アンカリング、仄めかし等が集団ストーカーの基本的嫌がらせであるが一体集団ストーカーにどういう意味があるのだろうか。それは私にはいまだに分からないがこっちも本当にいい加減に限界なので集団ストーカーは早く終わってもらいたいものである。一体いつまで我々被害者はこの地獄に耐えなければならないのだろうか…