集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

何もやる気しねえ。ネットの弊害。

飯を作るのもめんどくせー、洗い物もめんどくせー、トイレもめんどくせー、洗濯するのもめんどくせー、何するんでもめんどくせー、もう何もかもめんどくせー。こんな人生はもう嫌だ。いい加減に集団ストーカーには終わってもらいたい。早く人生を返してほしい。毎日酷い虚無感に襲われる。自分の人生を生きることが出来ず時間を犠牲にしたからだ。私は今は酷い鬱感情に襲われ何もやる気がしないのである。集団ストーカーのせいだ。他の被害者も何もかも嫌気が差してくるのではないか。私は今病院に通っており抗うつ剤を処方してもらってるが全く効き目はない。薬を飲む前と後では特に何の違いもない。私の精神が安定するのは集団ストーカーが終った時だ。それまでは鬱感情から逃れられないであろう。しかし、私が鬱になったしまったのは毎日集団ストーカーの嫌がらせにあっていることだけじゃなく、何度もいうが貴重な人生の時間を無駄にしたことも関係している。なので集団ストーカーが終わっても鬱感情からは逃れられず酷い虚無感に襲われるであろう。もういい歳で私の人生は本当に最悪であった。楽しかった思い出がほとんどない。出来ることなら人生をやり直したい。今の記憶を保持したまま思春期の頃に戻りたいとよく思う。そうすれば上手く立ち回り今とは違った人生があるのではないかと思う。しかし、歴史にはifはない。過去は変えられないのだ。現在の自分は過去の自分の集積であり、半身である。今の自分を受け入れて生きていく他にないのだ。

集団ストーカーとは一体何なのか。何でここまで酷い目にあわなきゃならないのか。歳も関係してるがもう本当に何もやる気がしない。暇潰しにゲームをするが直ぐにやる気がなくなる。若い頃は意地でもクリアするまで遊んだもんだが今はそんな気概はない。ちょっとでも詰まると直ぐにやめたくなってしまう。クリアせずに放置したゲームが大量にある。金の無駄遣いだ。しかし、今の私は無職ですることがなく毎日暇で辛いためゲームをして暇を潰しているのである。今度のゲームはきっと面白いだろうと期待して買うのだがいつも期待は裏切られる。私が大人になり変わってしまった為にゲームがつまらないと感じるのか、ゲームそのものがつまらないのか、或いはその両方か、それは分からないが私は日本のゲームも海外のゲームもつまらないと思うのである。私は今は仕事が出来なくなった為に生活保護を受けているのだがゲームを大量に買うことに負い目を感じてしまう。このままでいいのだろうか。私は国民の払う税金によって生かされているのである。何だか悪いような気がしてくる。生活保護を受ける前にNPO法人の人に生活出来なくなったので相談に行ったら生活保護を進められた。私は生活困窮者に6ケ月だけ金を支給する制度があったので職が決まるまでその制度を利用しようとおもった。生活保護を受けると負い目をもってしまい、それが嫌だったのである。しかしNPOの人は私に生活保護を進めてきた。働きながら生活保護を受ければいい。貯金も出来る。保護費は働いて稼いだ分が差し引かれて支給される。生活保護を受けている人間の中には1ヶ月100円だけ支給されている人間もいると言っていた。私は悩んだがNPOの人の進めにより生活保護を受ける事にした。仕事は直ぐに決まった。パチンコ屋の清掃業務である。しかし、それから程なくして私は全ての人間に思考盗聴をされていると思い込まされた為に働くことが不可能になり僅か2ヶ月で仕事を辞めてしまった。そこの職場は働きやすく従業員も好い人ばかりで辞めるのは惜しかった。私は仕事を辞めたくなかった。仕事を辞めてから生活福祉課のCWから就労指導があると思ったがCWの人に集団ストーカーの事を話し今は仕事が出来ないと訴えたら就労指導はされなくなった。私は毎日が暇なのと生活保護を受けてる負い目があるので、職安に行き職探しをしようと思うが集団ストーカーに邪魔されるのではないかと思うので職安には行かない。5チャンネルを覗くと生活保護や障害者年金をもらってるゴミは死ねばいいと書き込みがあったが世の中には働きたくても働けない人間もいるのだ。しかし陰惨な社会だ。ネットには口の悪い人間が溢れている。日本人は民度が高いと言われているが本当だろうか。現自民党政権が弱者軽視の政権であり富裕層を優遇してるから日本の底辺層はストレスと劣等感がたまりネットでうさを晴らしているのではないか?しかし自民党を支持してる限り日本は幸福になれない。それなのに支持率が50%もあるのはどういうことであろうか。自らの首を締めているのである。自虐民族としか思えない。安倍は悪夢の民主党政権と言ってたが今のやりたい放題の自民党の方がたちが悪いであろう。そうであるにも関わらず有名人にも安倍支持者がいるのだから日本は終ってる。それとも安倍政権の傍若無人ぶりが目に余るのでその反動でまともな政策を掲げる政党が出てくるだろうか。

今回のコロナ騒動で景気はかなり冷え込んだが、今の自民党政権では駄目だと多くの日本人が気付き、まともな日本になってほしいと思う。コロナにやられて亡くなった有名人がいる。私はPCをもっておらずスマホから書き込んでるが、スマホを覗くと様々なニュースサイトや動画サイトからの配信のお知らせが入ってくる。そこで私は考えこんでしまう。志村けんがコロナで亡くなった時にスマホにニュースサイトからお知らせがあったのだがその直後に動画サイトから配信のお知らせがあったのである。志村けんが亡くなったと知って私は驚いたが、その直後にある動画サイトから配信のお知らせが入ってきた。動画サイトからはしょっちゅう配信のお知らせが入ってくるのだが、これだけ情報過多の世の中では人々の精神も分断されてしまうのではないかと思ったのである。情報の洪水が人々から精神の統一を奪うのだ。人の死も次から次へと入ってくる情報によって直ぐに忘れてしまう。スマホは携帯型PCであり電話も出来カメラ機能も搭載され更にラジオを聴く事が出来テレビも映画も観れるのだ。至極便利で昔の人からしたら魔法の機械だが問題があるとしたらスマホの影響で人々の精神が分断されるのではないかと言うことである。例えば昔の評論家はテレビやラジオに警鐘を鳴らしていたのである。今の時代の人間でテレビやラジオの弊害に想いを馳せる人はほとんどいまい。もはやテレビとラジオはあるのが当たり前のものであり誰も問題視しない。ラジオが登場した時は次から次へと番組が入れ変わりこれでは人々の精神が分断されるのではないかと問題視していた識者がいたのである。暗いニュースの後にバラエティー番組が放送されバラエティー番組の後に政治的議論番組が放送される。これでは人々は次から次へと興味の対象が変わり、情報の洪水にまみれて関心の対象が次から次へと変わってしまう為に重大な問題ごとに対する危機意識も持てないのではないかと。テレビも同じである。深刻な議論番組の後にバラエティー番組が放送されたりする。1984の中でオーエルが映像の魔力について書いているがTVが家庭に普及する50年代後半には多くの人間がテレビの弊害について言及しているのである。テレビは人々を受け身にし想像力を減退させる。見ることは必ず人々から抽象能力を奪い読む能力を減退させると。今の日本でテレビの問題点について言及する人間はいまい。スマホも同様。もはやあって当たり前であり誰も問題にしない。悲しいニュースが流れても情報の洪水により直ぐに忘れてしまうであろう。このブログを書いてる時に女優の岡江久美子が亡くなったとスマホにニュースサイトから配信が飛び込んできた。その直後にある動画サイトから配線のお知らせがあったのである。これでは確かに精神の統一を欠いてしまうわいと私は思ったのである。実際今の人達は物事の関心ごとの殆どが自分に集中しているのではないか。情報の洪水の中で自分にとって何が1番有益な情報か判断出来ずまた人の死がラジオやテレビから伝えられても鈍感になり関心を持てないのではなかろうか。スマホという機械は確かに便利だが人間を内向的にしてしまい自分に関することしか興味を持てないようにしてしまうのではないか?私自身がそうなのであるから文句ばかり言ってられないがスマホと言う機械が人々に与える影響力がかつてテレビやラジオが誕生した時に多くの識者が問題にしたようにスマホも様々な問題を孕んでいると思ったのである。実際私もスマホは暇だからしょっちゅう観てるし分からないことがあると直ぐにGoogleで検索して調べるが、昔の人は分からない事があったら本を読み調べものをしていたであろう。情報量からいってネットは本には勝てない。私は本も買うが確かに本の方が勉強になる。もちろんスマホから得た情報も参考になるしありとあらゆる事を一瞬で調べることが出来るので至極便利だし勉強になったことも沢山あるし、昔の人には不可能だった沢山の普通の人達の考えに触れることも出来る。興味深いことも沢山あり、世の中には色々な人間がいることを知る事が出来て非常に面白い。問題も孕んでいるが悪いことばかりではあるまい。要は使う本人の問題である。集団ストーカーの存在を知ったのもネットのお陰でありネットがなかったら集団ストーカーのことは知る事が出来なかったであろう。今はスマホを介して他の被害者とメールで近況を報告したり、様々なやり取りが出来ているわけで何も悪いことばかりではない。しかし、昔の人達はラジオやテレビを問題視しておりその問題は現代のスマホやPCを使う現代人にも当てはまるのではないかと思ったのである。昔の人の本は読むべきであろう。現代人が抱えている問題と、当時の人々が問題にしていたことがものの見事にリンクするのだ。亀井勝一郎が有事の際には過去の歴史を調べて今の問題とリンクすることを探すと自身の著作の中で書いていたが、たまにはじじいの話を聞くのもいいだろう。