集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

日本人のアイデンティティ

日本は今はアイデンティティクライシス状態だと言われている。個人に例えれば自分が自分であることに確信的な安定感を持てない状態である。しかし、この論理はちょっとおかしくないだろうか。アイデンティティの確立とは自分が自分の足で立っている状態のことであろうが、しかし、日本は歴史上常に外部の文化、思想に影響を受けて成り立っていた国である。日本という国の始まり自体が中国神話の影響で成り立っているし、常に信仰の対象は外部に求めてきた国である。かつては、中国とインドの思想の影響下にあり、近代ではヨーロッパ、アメリカである。だから、アイデンティティクライシス状態と言われてもピンとこないのである。しかもアイデンティティという概念自体に懐疑的である。アイデンティティなんて本当にあるのだろうか。キリスト教ヨーロッパ文明の産物であり、岸田秀的に言わせれば神が死に後ろ楯を失ったので神の後釜としてアイデンティティという概念を産み落とす必要があったのではなかろうか。私は特にアイデンティティを確立しようと思ったことはない。なくても特に困ることはないし不通に生きていけるからだ。しかし、日本は右翼と、左翼に分裂しており分裂病にかかり精神的に狂ったであろう。右翼は欧米化した日本を屈辱に感じており、左翼は基本的に欧米讚美で、かつて日本が犯した罪をいつまでも責めている。日本は確かに侵略行為はしたが、しかし、始めに侵略行為をしたのはヨーロッパであり、日本の犯した罪なんか比べ物にならないくらい悪いことを沢山してきたのだ。何故日本の左翼はヨーロッパを責めないのだろうか。日本だけを責めてチュウカンの立場に立ち彼等に賠償と謝罪をすべきだと考えている。日本はどんだけ謝罪と賠償をすれば反日日本人と朝鮮人は納得するであろうか。朝鮮人は被害者意識剥き出しである。みっともないとは思わないのだろうか。野球の日韓戦で試合後に韓国チームの人達がマウンドに韓国の国旗を立てることがあった。ああいうことをするから朝鮮人は世界的に評価が低いのである。あれは朝鮮人の精神構造が特殊でしかも被害者意識の塊だと周りにアピールしただけのことに過ぎない。わざわざそんなことしなくても皆気付いてるから心配しなくともいいよと言いたくなる。私は朝鮮人のこういう体質が大嫌いなのである。夏目漱石は私は、まあ、朝鮮、シナに産まれなくて良かったと語っていたが、私も同じ気持ちである。別に差別しているわけではないが、あいつらの精神構造は狂っており、ただ単純にああはなりたくないと思うだけである。右翼も相当病んでるが左翼はもっと病んでおり、左翼の狂いっぷりは異常である。日本人の事を見下し、日本は劣った国と考え欧米を讚美している。私は何故日本から左翼的な人間が出てくるのか不思議なのだが、私が思うに日本の中心に何もないから左翼的な人間が出てくるのではなかろうか。つまり内部に後ろ楯がないから外部に後ろ楯を求めるのである。それは当然の如く信仰になり、必然的に誇りの根拠になるから日本軽視の感情を持つのである。日本の馬鹿な女子高生が韓国にはまり込んでるようだが、歴史を学び韓国人の精神構造を知ればイメージはガラリと変わるだろう。日本の左翼をぶっ潰す為には内部に信仰の対象を作る以外にあるまい。

何で日本人は伝統を破壊し周りに合わせたがるのだろうか。はっきし言って病的である。野球でもストライクとボールの表示をアメリカに合わせて上下逆転した。何故アメリカに合わせる必要があるのか。表示はストライクが上でボールが下の方がしっくりくるだろう。世界基準という言葉を好み世界に合わせたがるのが日本人の根本的体質である。外国に行けば名字と名前を逆転して自己紹介する。何故わざわざそんなことするのだろうか。外国でも名字が最初でいいだろう。私ならそうする。はっきし言って自虐的である。世界から取り残されるのが怖いのだろうと思う。日本人の取り残され恐怖は異常である。島国体質だろうが、こんな民族だから世界から小馬鹿にされるのである。養老孟司がヨーロッパに滞在した際にヨーロッパの新聞を読むと日本に関していい記事が載ってることはないと不思議がってたが私は日本人が小馬鹿にされる要因は確かにあると思う。取り残され恐怖を持ち未だに国際化(今時国際化て)すべきだと考え(本音は鎖国したいのだろう)「バスに乗り遅れるな」と言っているのである。こんな民族だからアメリカの属国からの脱却の道は非常に遠い、殆ど絶望的であろう。自民党を見てると自ら積極的に属国になることを選んでいるかのようだ。日本もそろそろ自分の足で立って生きる気概を持つべきではないか。このままではいつまで経っても日本は外国人から馬鹿にされるであろう。あるドイツ人が「日本人は自分の人生を生きてない」と語っていたが確かにそのドイツ人の言う通り日本人は自分の人生を生きていないであろう。同調圧力に弱く長いものには巻かれろ主義で、自分の人生を生きるよりは周りに合わせて生きる事を選び周りに同調することによって安心する。こんな調子では安心感は得られても自分の人生を生き生きと生きることは出来ないだろう。私は日本人のこの体質が大嫌いなのである。ネットでも日本人のこの体質はよく話題になる。否定的な意見をよく目にするが一体どうしたら日本人は自分の足で立ち自分の人生を生きる事が出来るようになるであろうか。私は日本人は自分達にあった行動指針を作る以外にないと思っているのであるがどうであろうか。

日本人に合ってる宗教は無宗教の宗教である。それは言語化されておらず、また言語化したくないのだろう。表面化した時に他の思想に依拠出来なくなることを恐れているのである。つまり日本人は既存の宗教に依拠するよりも無宗教の宗教の利点と欠点を比較し何にも依拠しないで、依拠しないものに依拠するという、無宗教の宗教に依拠することを「無意識的」に選んだのである。それならば無宗教の宗教のデメリットに考慮する必要があるだろう。しかしその信仰は無意識的で如何せん無宗教の宗教に依拠してるものだから殆ど誰も自分達の宗教がどういう宗教なのか気付いていない為に日本人はデメリットに思いを馳せることがないのである。養老孟司は日本人は日本の宗教が無宗教の宗教であると自覚する必要があると語るが日本人の宗教は無宗教の宗教であるが故に日本の宗教は無宗教の宗教だと自覚することが出来ないのである。一体どうすべきであろうか。無宗教の宗教には利点が沢山ある。有事の際に矢継ぎ早に自分達を変えることが出来、柔軟に事に当たり有事に対応することが出来るのだ。しかし、欧米列強の時代に日本は今のままでは駄目だと思い、欧米に学び日本を欧米化した為に狂ってしまったであろう。外部に信仰の対象をもってしまう体質が日本を病的にしてしまったであろう。かつては和魂漢才と呼ばれた。今は和魂洋才である。和魂漢才の頃はさほど狂ってなかったから日本人にはやはり東洋思想が合っていたのであろう。和魂洋才、つまり日本を欧米化してから日本は確実に狂ったのである。太宰治三島由紀夫芥川龍之介夏目漱石等狂った作家が出てきたのもその為であり、谷崎潤一郎の陰影礼賛も日本人の葛藤を表現した非常に面白い書物であるが、谷崎的葛藤はまだ死んではいないだろう。やはり日本人には西洋の価値体系は合わない。当の西洋人ですら、「西洋的価値体系はアホらしい、そんなのくだらないよ」と言っていた。西側に対して批判的な人間も多い。だから日本人もその事に早く気付くべきであろう。資本主義陣営は人を幸福にしないと思う。養老孟司は日本人はヨーロッパ人の振りをしてればいいと言うがこんなんだからヨーロッパ人から馬鹿にされるのであってこの考えは承服し難い。(ヨーロッパ人の差別感情の強さを知らんのか)問題は山ずみである。一体どうすべきか私には分からないがしかし、日本の行動指針を自ら作る以外にないのではないかと思う。それ以外にあるか。日本人の行動指針は無宗教の宗教だが無宗教の宗教のデメリットに気付いていないだけである。今は病的にそのデメリットが噴出してる時代であろう(例えば左翼とか)。その思想の利点と欠点を自覚出来た時に初めて思想を有効活用出来るだろう。このままでは本当の意味で大人になれない。あくまでも自分の頭で考えて行動指針を作るべきである。それ以外にないだろうと思う。その時初めて世界から尊敬されアメリカからの独立の道も見えてくるだろう。右翼と左翼に分裂している問題も解決出来るだろう。第2の日本の出発である。問題は誰が行動指針を作るかである。誰も責任は持ちたくはないし、一旦思想が産まれれば他のモノに依拠出来なくなるし、特定の思想に依拠するのは堅苦しいのであろう。そして誰も未来の日本人に思いを馳せていないのだろう。

日本人のアイデンティティ的問題とアメリカの属国の問題は繋がっていると思うがそれも日本人独自の行動指針を持っていなことが原因であろう。ヨーロッパ人が日本をよく叩くのも何の行動指針を持ってるように見えないのに経済大国で豊かな文化を持ち、世界的に認められるクリエイターを多数輩出するのが不思議で嫉妬してるのだろう。それもこれも日本の宗教が無宗教の宗教だからだ。これこそが無宗教の宗教の利点であるが、だから養老孟司無宗教の宗教の利点を世界に伝えるべきだと語るがそれは無理ってものだろう。外国の人間が無宗教の宗教を理解出来るとは思えない。無宗教の宗教とは0のことをだよと語れば通じるのではないかと語っていたがそれがかえって駄目なのである。彼等のプライドに思いを馳せてない。有思想の人間を説得するのは難儀なことであろう。それは科学的真理であって思想の問題に対応しない。科学的真理であるが故に益々自分達の依拠している思想、宗教に依拠するようになるだろう。反論の余地のない理論はかえってプライドが傷つき自分達の依拠している、思想、宗教に対する信仰を強めるはずである。昔はダーウィン主義キリスト教徒が対立し、対論していたではないか。今でもダーウィンの思想を教育しないアメリカのキリスト教徒を見れば分かるだろう。アメリカではにわかに信じがたいが福音派(聖書に書かれてる記述は全て正しいと考える一派)が6割もいるのである。従って科学的真理は宗教、及び有思想に対する解毒剤になりえないのである。ある特定の信仰を否定し、その信仰を捨てさせる為には別の信仰を用意する以外にない。それは、日本の信仰である、無信仰の信仰になるのだが、養老孟司はそれを伝えよと説くのだが、如何せん、養老孟司の理論は全て自然科学で理論武装されている為に聞く耳持たないはずである。信仰に対応するのは信仰だけであるからである。だから養老孟司はまた、最初の地点まで戻って1から考え直す必要があるだろう。思想、宗教の問題に関しては思想的、宗教的に対応する他ないのだ。従って仏教と日本の宗教、無宗教の宗教は重要な役割を担っていると言えるだろう。日本人が独自の行動指針を持つことは無理だろうか。日本で起こることは世界で起こり世界で起こることは日本で起こると言われている。日本が世界の中心みたくなっているのだが、だから、日本人が独自の行動指針を産み出したら世界に貴重な価値体系を寄与出来るのではないかと思うのである。

無宗教の宗教と言えば仏教である。色即是空、一切皆空を説く仏教は無宗教の宗教と言って差し支えなかろう。そんな宗教が世界三大宗教の1つと言われている。これは1神教が幅をきかせる地球という惑星では奇跡的である。無宗教の宗教が世界的に認めてられているのである。(仏教が無宗教の宗教だと気付いている人間は殆どいないだろうが)従って同じく無宗教の宗教を持つ日本が独自の行動指針を産み出したら世界に通用する行動指針を持てるのではないかと言う思いがあるのである。だから日本人の役割は大きいと思うのである。日本が抱えている様々な問題を解決出来た時に世界に通用する行動指針を持ちそれを世界に発信出来るのではなかろうか。人類平和に寄与出来るのではなかろうか。私は日本の抱える問題の殆どが日本は行動指針を持っていない、いや持ってはいるがそれが表面化しておらず、自分達の宗教観に気付いてない所から出て来ていると思っている。日本の問題の多くが突き詰めて考えると日本の宗教が無宗教の宗教であること、さらに1神教的なものの流入によって産まれたであろう。1神教の解毒剤は勿論有思想ではない。1神教圏内で生きる人間は度々思想的に対立する。それも1神教的なそれで非常に特徴的であるが共に有思想をもっていることでは同じである。仏陀が説くように議論は虚しく他人を愚人と否定するならば自分も等しく愚人になるのである。思想的対立は虚しいだけである。思想に対応するのは思想だけなのだから無思想の思想を持つ仏教と日本が重要な役割を担っていると言えよう。日本は今は混迷の時代を生きているが日本独自の行動指針を持った時に初めて自分達に自信を持ちまた日本の問題も解決する事が出来るであろう。遠い未来の話であろうが。