集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

慈しみが全人類を救う

究極の理想に通じた人がこの平安の境地に達してなすべきことは次の通りである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
足ることを知り、質素に暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、気負い立つこと少なく、諸々のひとの家で貪ることがない。
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。一切の生きとし生けるものよ、幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ。
いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも悉く、長いものでも、大なるものでも、中位のものでも、短いものでも、微細または粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに或いは近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ。
何人も他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
あたかも、母が己が独り子を身命を賭しても護るように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。
また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。
上に下にまた横に、障礙なく怨恨なく敵意なき慈しみを行うべし。
立ちつつも歩みつつも坐しつつもふしつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいを確っかりもて

スッタニパータより引用




私は愛には懐疑的だが慈しみは素晴らしいものだと思っている。そして、現代社会の最大の問題、アメリカと1神教問題を克服するのは慈しみ以外にあり得ないと確信している。

アメリカと1神教の問題に関しては養老孟司岸田秀の理論が参考になるだろう。つまり、何度も同じ事を繰り返して申し訳ないが、アメリカと1神教は思考が絶対化、一元化しており、この思考ではもう立ち行かないだろうということである。

岸田理論が正しいと私は確信的に思っているが、つまり、1神教は白人の宗教であり、その白人種はかつてアフリカの大地で差別されていたというものである。それが、現代の白人種の差別感情の強さの表れであり、反動形成的差別感情だというのである。そして、アメリカ人の祖先は黒人に差別された白人に差別された白人に差別された白人に差別された四重の被差別民族のどん詰まりの民族というわけである。そうでも、考えないとアメリカ白人の差別感情の強さは説明がつかないというわけである。

1神教徒とアメリカ人はプライドが死ぬほど高いだろう。自分達が特別だとおもっているであろう。これこそが最大の問題であり病である。自分達が救われる対象だとは認めることは出来ないだろう。しかし、思考が絶対化、一元化されているものは、被害者意識が強く劣等感の塊であることは疑いの余地はない。そうでなきゃ思考が一元化、絶対化されるはずはないからである。従って、彼等の被害者意識と劣等感を癒すのは慈しみ以外にあり得ない。

慈しみとは、どうしても、救ってやりたいが、自分の無力さ、非力さを痛感し涙を流す事である。親鸞の「私はあなたを救う力はありません」というのも慈しみの部類に入るであろう。養老孟司岸田秀の理論は役にたつが彼等はやはり、ちょっと人当たりが冷たいので、(養老孟司は自分に幾ばくかのナチズムがあると語っていたし岸田は自身の著作で、僕が、あちこちでからかっている人達、すなわち、権力でも、財産でも、名声でも、あるいは神の愛でも自己実現でも何でもいいが、「省略」ぼくの本を読んで読者の自我がどうなろうが、或いはどうにもならないのであろうが、知ったことではないと語っていた)理論だけは役にたつがここではその理論だけを参考にして彼等には退場してもらうことにしよう。

結局のところ彼等は人間の優しさに植えていると思われる。それが歪んだ形で表れたのが愛である。愛とは我執であり、病的現象であることは疑いの余地はない。キリスト教では、愛を重要視しているがそれが、人々を病的にしているのである。愛ではなく必要なのは慈悲である。慈悲こそが、アメリカ及び1神教徒を救うのである。しかし、最初の項で言った通り彼等はプライドが高すぎるほど高いために救われる対象になるのは我慢出来ないであろう。おまけに彼等は愛を絶対視しているのだ。

どうするべきか。少なくともアメリカ人の祖先が差別されていた連中であることは歴史を調べれば直ぐに分かるわけでアメリカ人が被害者意識と劣等感が強いことは疑いの余地はないのである。アメリカ内部に潜む、その劣等感と被害者意識の強さがアメリカを病的にしているであろう。(この、書き込みをしている時にお前笑われてるぞと感情が送信され、喉に違和感を感じ何度も咳払いをされた。何か都合の悪いことでもあるのだろうか)アメリカが病的な国家だとは誰もが認めるところであり、当のアメリカ人ですら認めているのである。そんなアメリカに反抗的なアメリカ人アーティストも多いのである。しかし、アメリカは変わらない。アメリカが作った映画の猿の惑星は、日本人にかつて捕虜にされた経験のある人間が原作を書いた日本人がモデルの映画らしい。(確かフランス人?忘れた)作品名は忘れたがホラー映画のモンスターのモデルは日本人であるらしい。(日本人はお人好しだから、差別されても、あまり文句は言わないが無意識レベルではやはりアメリカを恨んでると思われる)やはり、アメリカ人にはかなり根強い差別感情があると言えるだろう。差別に否定的な白人種も多く今回の警察官の黒人殺害事件でも多くの白人がデモに参加し、白人セレブも非難の声を上げているが、白人が1番優れた人種であるという、共同幻想は根強く、あくまでも白人が上位に立っているという前提での抗議であり、デモである。この共同幻想はもちろん白人種以外にも共有化されており、我々、アジア人も何となく白人種が1番優れていると思っている。どうやったらこの幻想が崩れるであろうか。歴史を調べれば直ぐに分かるし、明らかなように1番悲惨な人生を生きてきたのは白人種である。(朝鮮史もかなり悲惨だったがその歴史的経緯は省くとして今、韓国狂いの馬鹿女はそのことを知らない)だから、1番被害者意識が強く劣等感、或いは嫉妬心が白人種が1番強いことは疑いの余地はないのである。白人種がそのことを認めることはあるだろうか。(因みに私は集団ストーカーも白人が発明した供儀だと思っている)しかし、それを、認めないと話が先に進まないのである。だから、慈悲なのである。彼等の、怒り、憎しみ、劣等感、被害者意識、嫉妬心を癒すのは慈悲以外にあり得ないのである。白人種は笑うだろう。馬鹿にするだろう。下らない戯言だと言うだろう。しかし、歴史を調べれば1番不幸で1番はた迷惑だったのは白人種なのは明らかなのである。今1番はた迷惑なのはヨーロッパの帝国主義精神を受け継いでいるアメリカである。彼等にその歴史的真実を突き付けたらどういう反応をするだろうか。なぜ世界制覇を成し遂げたのか、なぜ植民地支配をしたのか質問したら何て答えるだろうか。その心理的背景に劣等感と被害者意識と嫉妬心があったことは疑いの余地はないのである。

不幸な人間は自分の不幸を他人に分かってもらいたい、理解してもらいたいのである。その目的が叶わないと劣等感補償として他人を自分と同じ目にあわせたくなるのである。それが、大航海時代であることは疑いの余地はないことである。白人種の病は他人に語ることが憚れる恥ずかしいことなのである。それを訴えても誰にも聞いてもらえないという絶望があるのである。その絶望感から出てきたのが過激な世界制覇の野望であり、差別精神である。白人種は自分達に課せられた運命を呪っているのである。それ以外に考えられない。そしてそれは自分達が死ぬほど不幸で、他人が聞いたらドン引きするレベルなので人に言えないのである。その不幸の始まりが黒人種に差別されていた不幸と言うわけである。

だから慈悲なのである。慈悲以外にあり得ないのである。今の日本人は慈悲を忘れてしまった。昔は親鸞を持ってくるでもなく日本人には慈悲があったであろう。今の時代は愛情に飢える日本人も多いだろう。彼等に必要なのは愛ではなく慈悲なのである。慈悲が愛に飢える人間を救うのである。縁なき衆生は度しがたしと仏教では言うが日本はラッキーなことに仏教国である。日本人は今の陰惨な時代にこそ慈悲心を取り戻すべきであろう。慈悲はありとあらゆる病を癒すのである。従って、欧米白人の心的病を癒すのは、彼等の劣等感、被害者意識を癒すのは慈悲以外にあり得ないのである。なので、仏教と日本人が重要な役割を持ってると思うのである。もういい加減にアメリカと1神教徒について真剣に考えるべきだろう。それは全世界の未来を考えることと同じなのだから。日本人も慈悲心を取り戻そうではないか。

今回の記事は閲覧数伸びねえだろうなあ。多くの人間に読んでもらいたいのだが。