集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

それでもやっぱり人生にイエスと言う

私は自分の人生にイエスと言うことが出来るだろうか。かなり難しい。私は恋愛経験がないのである。これこそが私の人生における最大の後悔なのである。10代の頃に恋愛出来てたらどれだけ幸福であったろうか。ドラマでも歌でも恋愛を取り上げないということはない。だから恋愛は素晴らしいものなのだろう。私は恋愛経験がないから恋愛の素晴らしさを知らない。歳のことを考えると彼女いない歴年齢のままで人生を終える可能性がある。こんなポンコツの中年のおっさんと付き合ってもいいという女が一体どこにいるというのだろう。

5チャンネルを覗く。私以外にも彼女いない歴年齢の人間が沢山いる。中には57歳の人間もいた。私は彼等の書き込みを見て自分を慰めているのである。集団ストーカーの被害者に選ばれなければ彼女と付き合うことが出来たであろうか。それは分からない。私は女に関してはかなり消極的であった。だから、集団ストーカーの被害者に選ばれなくても女と付き合えなかったかもしれない。

私を洗脳した奴が女と遊びまくっている時に私は葛藤に囚われ日々悶々としていた。私の友達に女を紹介してやるかと言われたが私は断っているのである。何で断ったかというと私を洗脳した奴に「彼女を作ってはいけない」という観念を植え付けられていたからである。そいつは、私がてめえが植え付けた様々な観念に苦しめられていたのに、女遊びをしてやがった。絶対に許せない。死ぬほどムカつく。奴は私にセックス以上に気持ちいいものはないと自慢気に語っていた。別に羨ましいとは思わなかった。奴の事に全く興味がなかったからである。しかし、他の友達が恋に青春に人生を謳歌してるのは羨ましかった。私も恋をしてみたかった。しかし、植え付けられた観念によって私の中で恋愛は禁止事項であった。私は呪われていた。

セックス・ピストルズジョニー・ロットンは恋愛は嫌いだと言う。女の本質を知ってしまったら恋愛をするきは起きないって、と言う。このジョニー・ロットンの言葉には救われた。彼はThis-Not-A-Love-Songという曲を書いている。セックス・ピストルズの音楽は全てを吹き飛ばした。なので恋愛経験がゼロでもそんなこと大したことじゃないと思わせてくれる。因みにジョニー・ロットンの妻は認知症にかかりジョニー・ロットンが介護してるらしい。認知症になってもジョニー・ロットンのことは忘れずに覚えているとのことだ。愛の力は偉大だ。

今の私はもちろん糞みたいな人生を歩んでいるが、過去に恋愛経験があっただけでも大分違ったであろう。私を不幸のドン底に叩き落とした奴を私は永久に許さないだろう。

フランクルは「それでも人生にイエスと言う」という本を書いている。人生を肯定的にとらえるのはなかなか出来ないことである。意味のない人生はないとフランクルはいう。どんな困難に満ち溢れた人生にも意味があると言うのだ。人生に何も期待してはいけない。人生が課す試練を受け入れ自分なりに意味のあるものに仕立て上げなければならない。これは辛いことである。恐らく殆ど誰にも不可能な企てであろう。自分の人生にイエスと言える人間は殆どいまい。

人生に意味はないと言うのは簡単だ。直ぐに結論を出し楽になることが出来る。これはある種の逃げであろう。人生に意味を見出だすのは難しい。困難多き人生を歩んでいる人間にはほぼ不可能だろう。しかし、それでも人生にイエスと言うのだ。それ以外にないのだ。我々集団ストーカー被害者に残された可能性は人生に意味を見出だすことしかない。それしかないのだ。

私の人生は悲惨を極めた。片親で貧しく親は馬鹿で愛情がなかった。従って私は学校の成績はいつも悪かった。そんな私は中学の頃に洗脳され、そして集団ストーカーの被害者に選ばれたのだ。あまりにも不幸すぎて誰もがドン引きするであろう。人生の意味とは他者との合作である。一人では完成しない。他者にとっても意味のあるものに仕立てあげなければならない。これは難しい試練である。私の人生は悲惨を極めた。なので人生に意味を見出だすのは難しいだろう。しかし、それでも人生にイエスと言うのだ。もうそれ以外にないのだ。人生さんよ、凄まじい試練を与えてくれて有り難う。私以上に不幸な人間はいないだろう。全くとんでもない人生だ。産まれてくるんじゃなかったとよく思う。5チャンネルを覗くと俺より不幸な人間はいないといった書き込みをよく見るが多分私がチャンピオンだと思う。幸不幸は相対的な問題で誰が一番不幸だと決めることは出来ないが、客観的に見ても私の人生は相当不幸だろう。人生は何故私にこんな試練を与えたのだ。私の人生に意味を見出だすとしたら他人の劣等感を癒すだけであろう。それ以外に考えられない。自分が一番不幸だと思ってる奴。気にすんな。私がいる。私には誰も敵うまい。

私が人生に意味を見出だせるとしたら他者の劣等感補償として役立つだけだ。それ以外にありそうにない。やれやれだ。本当、産まれてくるんじゃなかったと思う。本当、生きるのはつれえなあ。おわり。