集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

俺の精神は既に死んでいる

することが何もない。地獄である。私は日課にしている二時間半の散歩以外には毎日一日中家にいてテレビを観たりラジオを聴いたりしている。テレビもラジオも死ぬほどつまらん。だが付けてないよりましだ。ゲームもつまらん。和ゲーも洋ゲーもつまらん。一般的に評価の高いゲームもつまらん。何故こんなゲームが世界中で馬鹿売れしているのか不思議でしょうがない。外国の人間はゲームに関しては見る目がないんじゃないのか?

一体いつまでこんなしょうもない人生が続くのであろうか。辛すぎて涙が自然と溢れてくる。私も普通の人々のように自分の人生を生きたい。或いは有名人のように何か創作活動をしたい。何もすることがないのは地獄である。精神が死んでいくのがわかる。今の私はただ死んでいないだけだ。このやることのない地獄も集団ストーカーの嫌がらせの1つであろうか。私が遂にはやることが何もなくなり暇地獄に陥るのも計算済みであったであろうか。人間は鎖に繋がれたペットと違って何もせずに生きるのは耐えられないように出来ているらしい。

私はこんな人生が辛くてたまらないので集団ストーカーに許しを乞い集団ストーカーに謝罪をし丁寧に、集団ストーカーを止めて下さいとお願いした。屈辱的だった。だがしかし、暇地獄は耐え難く早く止めてもらうようお願いする他になかった。だが集団ストーカーは終わらない。電磁波攻撃は相変わらず。外出すれば車両ストーキングやハザードランプを付けた車にしょっちゅう遭遇するのであった。

集団ストーカーの被害にあい友人も失い恋人も出来なかった。仮に終わったとしてもいい歳だ。人生が冴えないものになるのは避けがたいであろう。私は毎日、私の人生は何だったんだろうかと反芻する。苦悩に満ち溢れた人生であった。こんな人生に一体何の意味があるのだろうか。他の被害者も仕事も友人も恋人も失った人間は多いだろう。なぜこんなことが許されているのか謎だが私のように死んだような人生を生きる集団ストーカー被害者は多いだろう。我々の人生は一体何であろうか。こんな人生に一体何の意味があるのだろうか。

テレビを観る。ラジオ聴く。芸能人やDJはイキイキとしている。自分の好きなことを仕事に出来るのは幸せであろう。大金も稼ぐことも出来る。好きなことをして大金を稼ぐのはたまらないであろう。彼等が非常に羨ましい。金持ちなのが羨ましいわけではなく自分の好きなことを仕事にし、生産的な活動が出来ているのが羨ましいのである。私は特に有名人にはなりたいと思ったことはないが何か生産的な活動、創作活動をしたいと思っている。身体と頭を同時に使う仕事がベストだ。それで金が稼げたら最高である。私には何か漠然と芸術関係に才能があるんじゃないかと思っている。何もないかもしれないが、何もしない人生は耐え難いので創作活動をしたい。その為には集団ストーカーに終わってもらわないと困る。早く終わってもらいたい。暇地獄はもうたくさんだ。