集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

まさに絶望

私の人生は最悪だ。最悪中の最悪だ。これ以上ないってくらい最悪だ。何でこんな最悪な人生を生きなきゃならないのか。本当に最悪だ。集団ストーカーのせいだ。集団ストーカーがなければここまで最悪な人生を生きることはなかったであろう。集団ストーカーのせいで最悪の人生を生きることを余儀なくされている。全くやってられない。こんな最悪な人生はないだろう。なぜ集団ストーカーはここまで人間を追い詰めるのだろう。誰も集団ストーカー被害者と同じ目にあいたくないだろう。

私は神経症持ちの人間である。神経症とは心の病である。日本とアメリカに患者が多いらしい。社会が病んでるからだろう。アメリカはどう考えても病んでいる。日本も同じく。神経症はつらい病である。心が常に重たい。気分が晴れない。未来に何の展望も希望も持てない。そこに集団ストーカーが腫れ物のように重なってきたから堪らない。神経症をどうにかするだけでも大変な精神的労力を要する。本当に辛い病なのである。私は神経症から解放されることはあるだろうか。未来は不安で一杯である。分裂病は自我が破綻した状態だから神経症より病は重いが精神的苦痛はないだろう。神経症は破綻しかかっている自我をなんとか支えている状態である。だから神経症は精神的病の中でも一番辛い病だと思われる。

毎日深い溜め息が漏れる。生きる気が削がれる。集団ストーカーは私が神経症持ちの人間と知っているのだろう。それでも虐めは決して止めない。せめて集団ストーカーがなければどれだけ楽だったか。集団ストーカーのせいで苦しみは2倍増しだ。本当に辛い。まるで地獄である。何でここまで苦しまなければならないのか。神を呪いたくなる。

私は若い頃から自分の人生を生きることが出来なかった。酷い悔恨の念に襲われるが過ぎ去った日々はどうやっても取り戻せないのでしょうがない。私は自分の人生を生きたかった。しかしそれは無理なのであった。何度も説明したが私は友人に洗脳されていたのだ。私を洗脳した奴に好きでもないものを押し付けられたのである。私はその押し付けがましさに屈してしまったのだ。私はそれで好きでもないものを好きになるという屈辱的自己欺瞞を働いてしまったのだ。本当は好きでないのに自分はこれが好きだと自分を偽ったのだ。酷く屈辱的である。私は心の奥では奴のことを叩き殺してやりたくなるくらい恨んでいた。しかし、その思いは無意識へと抑圧され意識の表面に上がってくることはなかった。それで私は自分の好きなものと嫌いなものとの基準が曖昧になり自分が本当に何が好きかわからなくなってしまったのである。今でも例えば音楽を聴くが良い音楽だとは思うのだが自分が本当にこの音楽を好きなのか確信を持てないのである。そして、奴は私の好き嫌いの基準を破壊しただけでなく私に罪悪感を植え付けたのであった。これもかなり厄介であった。何かしようとすると罪悪感が邪魔して何も出来ないのであった。奴は私を自分の所有物にして常に自分の側に置いときたかったのだろう。その為には罪の意識を植え付けて自分の支配下に置くのが一番である。奴は自分の事を絶対化していた。奴のことは今ではただのホラ吹きだとしか思ってないが当時の私は奴にものの見事に騙されたのであった。私にとって奴は絶対的な存在であった。罪悪感を植え付ける為に自分を絶対化したのだ。罪の意識を植え付けておくためには自分が裁きを下す絶対者になるのが一番である。奴のやったことはカルト宗教のそれそのものであるが、今にして思えばなぜ奴の策略を見抜けず言いなりになってしまったかと非常に悔しい気持ちで一杯である。私は奴の策略にはまったのであった。今では奴を思い出すと殺意の感情が沸いてくるが、しかし、原因は自分なのである。自分がしっかりしてれば洗脳されずにすんだのである。ここで一応奴のことを擁護しておくと奴は可哀想な人間であった。クラスの子とあまり上手くいってなかったようであるし、家族とも上手くいっているようでなく、よく家族の不満を聞かされていた。片親で母親は夜中遅くまで働いており学校が終わり家に帰ってくると1人ぼっちであった。兄弟はいたのだが、あまり関係が上手くいってないようで、実質1人ぼっちのようなものであった。可哀想な奴だと思うがやはりムカつきの方が上回る。奴は常に私が奴に注意を向けるように仕向けた。奴はただのかまってちゃんだった。私は奴のことが常に気になるようになってしまった。例えば好きな音楽を聴いている時に奴が顔を出すのである。「そんな音楽よりも俺の方が凄いよ」と語りかけてくるのである。この観念には往生した。何を見ても何を聴いても全く感動出来ないのである。この観念を植え付ける為に自分のことを絶対化したとも思われるが、この観念が事あるごとに顔を出し私の邪魔をするのであった。私は非常に辛い立場に置かれた。なぜこのような観念を植え付けたのかというと奴は存在消滅の危機感を抱いていたのであろう。誰も振り返らない自分なんぞ存在しないのと同じである。それで奴は自分のことを絶対化し私を常に自分の側に置き注意を引こうとこうとしたのである。それ以外に考えられない。

私は混乱と葛藤のただ中に置かれた。そこに集団ストーカーが重なってきたのである。地獄である。何で今まで生きてこれたのか不思議でしょうがない。我ながら随分持ったと思う。しかし今の私はもう限界である。これ以上は耐えられない。友人との軋轢以外に母親との間で出来た問題も抱えているのだから私は三重の苦しみを抱えていることになる。もう耐えられない。毎日発狂しそうである。集団ストーカーにはいい加減に終わってもらいたいのである。
しかし、何度も何度も止めるよう訴えても終る気配がない。なので私は自殺するかもしれない。死ぬのは別に怖くない。苦しみは散々味わったので人生の方はもういいかなという気分である。集団ストーカー被害者なら似たようなことを考えるであろう。もう私は生きることに疲れた。こんな人生もう止めにしたい。