集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

悲惨過ぎる朝鮮史と日本人の凄さ。日本人は朝鮮人とのつきあい方を変える必要がある。奴等はただ者ではない。(別に褒め言葉ではない) 自信を取り戻せ日本。

今、日本は第二次韓国ブームである。第一次ブームのときは、ぺ・ヨンジュン出演の冬のソナタが人気で、その他、少女時代やカラ等のポップスが人気があった。今は第二次韓国ブームで、このブームは当分の間終わりそうにない。ファッション、食等が人気があるらしい。外を歩けば韓国人風のファッションやメイクをしている女によく遭遇する。しかし、朝鮮の歴史、その精神構造を知ればとてもじゃないが韓国は好きになれないだろう。

朝鮮は実質中国の2000年属国であった。それは屈辱的であった。2000年も属国化に置かれれば精神が変質して当然であろう。日本人はこの事を認識しとく必要がある。日本人は外交において韓国に苦慮してるが奴等は大したことないのである。押しに弱く恫喝すれば直ぐに人の言いなりになる民族なのである。(信じられないだろうが、あれだけ自己主張が強い欧米人も実は押しに弱くこっちが強気になり恫喝すれば相手の言いなりになる民族である。ある、世界を股にかけ活躍する日本人カメラマンがヨーロッパのレストランで食事をした際に、そこのレストランの従業員の態度が日本人を舐め腐っていたのでカメラマンは激怒した。そのカメラマンは従業員を怒り散らした。そしたらその従業員は態度を180度変えてそのカメラマンの言いなりになったとのことでる。ヨーロッパはローマ帝国の植民地になり、キリスト教を押し付けられた経緯があるので属国根性があり、一旦後ろに退いてしまうと、相手の言いなりになってしまうのだろう。「欧米人は自分達のその体質を知ってるから、一旦引き下がると、どこまでも後ろへ引きずられてしまうので自己主張が強いとも言える」岸田秀の説によると白人は世界初の被差別民族とのことだが、それも関係してるかもしれない。日本人は欧米人の認識も変える必要があるだろう)日本人は韓国人を買い被りすきであり、怯えすぎである。民主党が与党だった時に韓国と中国にすり寄りアメリカとの関係を悪化させた。民主党は我々を失望させた。結局また、自民党が与党になりアメリカにすり寄ることになる。日本はしかし、今でも韓国とアメリカの言いなりにである。日本は韓国を資金的にかなり援助してきた。韓国は不幸な歴史を歩んできたので、しょうがないということだった。しかし、それが良くないのである。ますます韓国を付け上がらせることになる。もう一度言うが朝鮮は属国根性が染み付いており、相手に依存しなければ生きていけないのである。押しに非常に弱くこちらが強く出て恫喝すれば言いなりになる民族なのである。日本人はそのことをしっかりと認識しとく必要があるだろう。

朝鮮は地面が固く、資源に恵まれない悲惨な土地であった。中国に貢ぎ物をしていたのだが、ろくにあげるものがなく、美女を献上していた。朝鮮市民はそれが恐ろしく美女を隠したり顔にあざをつけたりして美女の献上をしない為に必死であった。

日本でも韓国の歴史ドラマが放送されているがそのドラマを観ると日本が侵略するまでは非常に豊かな文化を築いていたと勘違いしがちだがこれは嘘である。朝鮮は非常に貧しく文明らしい文明もなかったのである。朝鮮人はヨーロッパ人並みに悲惨な歴史的経緯のある民族であったのである。従って朝鮮人は被害者意識と劣等感の固まりであった。日本人はそのことを認識しとく必要がある。韓国の言いなりになってはいけない。繰り返しになるが韓国人は押しに弱いのである。だから日本人は韓国に対してもっと強気に出る必要がある。慰安婦問題は両者合意のもと、もう解決した問題であるはずである。しかし、韓国はそのことを反古にしたのだ。日本人はそのことにもっと怒りの感情を示すべきだ。奴等はたかり根性があり、絞りとれるものはなんでも絞り取ろうとする民族である。

朝鮮は属国を恥と感じるどころかそれを誇りにしていた。こんな民族は朝鮮人だけである。これを事大主義という。朝鮮は中国の影響を受け中華思想の中国にまねて小中華思想を掲げていた。中国は中華思想を掲げ周辺民族を劣った民族と見なしていた。朝鮮も同じく周辺民族を劣った民族とみなしていた。もちろん日本も見下していた。

朝鮮は大国の後ろ楯がなければ生きていけない民族である。常に中国にすり寄っていた。中国はそんな朝鮮を常に利用していた。貢ぎものを献上せよと命じられていたが朝鮮は非常に貧しく、ろくに奪うものがないのであった。朝鮮は常に中国の言いなりにでそれを良しとしていた。歴代朝鮮王は民衆のことなんぞ考えていなかった。民衆は中国に金銀、美女を献上せねばならないので、悲惨を極めた。とにかく歴史的に見て朝鮮は属国根性が染み付いており、自虐の塊だがこれが朝鮮人体質で今もそれは変わらない。韓国はアメリカの属国であり北朝鮮は中国の後ろ楯がなければ生きていけないのだ。中国に反発する姿勢も見せたが中国の経済援助がない限り北朝鮮は生きていけないので実質中国の属国みたいなものである。実際に中国は今でも北朝鮮を属国にするき満々である。対アメリカとの防波堤とする為だ。今の北朝鮮では金正恩が自分の発言を全てメモをとらせ、メモを取らなかった人間を処刑している。しかし、中国との会談の時に金正恩は自ら中国の習近平の発言をメモに取っているのである。これは自ら北朝鮮は中国の属国であることを証明したようなものであった。北朝鮮は外交に長けていてアメリカと中国と関係を微妙に調整し、つかず離れずの関係をうまく築いている。北朝鮮の外交上手を日本人はしっかりと認識しとく必要がある。(集団ストーカーに包囲されてる我々は1人北朝鮮か)日本は怯えてはならない。もう一度繰り返すと奴等は属国根性が染み付いており、押しに弱いるからだ。やはり日本人は朝鮮人を買い被り過ぎである。今すぐ朝鮮に対する認識を変える必要がある。

朝鮮人は常に自ら属国の道を選んできた自虐的民族である。明が中国の王朝だった時に当然のように明にすり寄っている。明が絶滅しかかっている時に朝鮮は属国から脱却するチャンスであった。しかし、朝鮮は独立を目指さずに属国の道を選んだ。それどころか中華思想の正統な後継者は自分達だと傲慢にも思っていた。結局明は清に滅ぼされるのだがそれでも小中華思想に固着していた。こんな民族は朝鮮人だけである。恥を恥と感じないのである。(無意識レベルでは自分達の運命を呪っていたと思われる。それは無意識へと抑圧され意識の表面に上がってこない。無意識の壁を突き破って出てきた症状が所謂2ちゃんねるで言われているところの火病だと思われる)結局朝鮮は当然の如く清の属国になるのである。

朝鮮は屈辱的な人生を歩んできた民族であり、繰り返すが被害者意識と劣等感の塊である。そして逃げ癖がある民族であるのである。有名な秀吉の朝鮮出兵の時は日本軍の破竹の快進撃に恐れをなした、朝鮮王は逃げ惑うばかりであった。日本軍は朝鮮王を捕えれば戦争に勝てるとふんでいたので朝鮮王を追い詰めたが後一歩のところで取り逃がしている。朝鮮王は味方の部隊を残して明に逃げるのである。朝鮮王に愛想を尽かした朝鮮軍は日本に降伏し日本の手助けをする。結局朝鮮王は明の後ろ楯を得て明の門下に入った。その為朝鮮王を捕らえることは不可能になったので、日本は撤退を余儀なくされた。日本は朝鮮を支配下に置きたかったわけではなく、中国を支配下に置きたかったという説がある。朝鮮は中国を支配下に置くために通らなければならない通過点であったに過ぎないという説である。秀吉が死に結局はその野望は頓挫するが、戦争は大方日本軍の勝利であった。朝鮮のこの「逃げるが勝ち」戦法は今日まで続く、朝鮮人の「お家芸」となる。この「お家芸」が悲劇を生み出すのだ。それは、どういうことかは最後に説明する。やはり日本人は朝鮮人に対する認識を変えて断固韓国には反旗を翻すべきである。やはり、日本人は韓国人を恐れ過ぎであろう。

第16代朝鮮王のインジョは中国の清王朝皇帝に土下座して、平伏した。インジョは中国皇帝を讃え、自らを卑下する内容の文を石碑に刻まれた。この恥辱碑と呼ばれる石碑が今もソウルの江南地区に残されている。中国に踏みつけられた朝鮮の悲惨な歴史は消えることがない。朝鮮は自ら国を中国に売り渡し市民は奴隷として働かされた。いくら働いても中国に貢ぎ物をしなければならず、元々貧しい土地であったこともあり、朝鮮民衆は悲惨な生活を強いられたのである。このような、自らを下げずむ自虐さ、卑下すること等は朝鮮人の精神を蝕んだ。国際的に通用する一般常識が朝鮮人には通用せず、度々悶着を起こすのはその為である。

1636年に朝鮮の仁祖は清のホンタイジに降伏する。仁祖は漢江南岸に出向き、ホンタイジに拝謁する。その際、三き九叩頭の礼を強いられる。三き九叩頭の礼とは、清王朝皇帝に対する臣下の礼である。皇帝の内官がホイと号令をかけると、土下座し、一叩頭再叩頭三頭という号令の度に頭を地に打ち付けチーで立ち上がる。そして、また、ホイで土下座して同じ行動をする。この土下座行為が計三回繰り返される。仁祖はこの三き九叩頭の礼でホンタイジに拝謁し、自ら清の臣下となり、服従を誓った。ホンタイジに自らの恥を石に刻めと言われ、朝鮮王が石碑に自分の恥を刻んだ。このようなことは世界史でも全く例がない。朝鮮はあくまでも明の立場に立ち小中華思想を掲げ清と戦争するつもりであったが結果的に清の属国になり屈辱的な三き九叩頭の礼をする羽目になったのである。社会情勢を見誤りあくまでも明に忠誠を近い小中華思想を掲げた結果である。

時は欧米列強の時代である欧米は世界中を植民地化していた。日本と朝鮮は開国か鎖国かに意見が真っ二つに別れていた。清がイギリスに戦争で負けたという情報が入ってきた。これは日本にとっては衝撃的であった。日本では幕府が頼りにならんと言うことで明治維新が起き幕府が倒され明治政府が誕生する。それで日本は欧米に負けない為に富国強兵政策を取る。そして、日本は早速朝鮮に赴き1875年に軍艦を引き連れて朝鮮を恫喝する。朝鮮は秀吉以来の恫喝として日本を非難する声が圧倒的であった。しかし、その一方で朝鮮も欧米や日本を学び近代技術を取り入れようとする一派もあった。その一派は朝鮮が生き残る為には開国するしかないと考えていた。しかし、開国派と鎖国派は対立し話が纏まらず朝鮮は騒然となっていた。結局開国派が日本と話し合いをすることとなる。1876年日朝修好条規が締結され、朝鮮は開国政策が進められる。朝鮮は日朝修好条規が不平等条約として日本に締結を改善するよう迫るが日本はこれを一蹴する。

清は朝鮮が貧しく取る物が無いために朝鮮を無視していた。しかし、欧米列強の時代に際してロシアが満州に南下してきたので恐れをなした清は朝鮮への介入を始める。ロシアの南下は日本にとっても脅威であった。日本は是非とも朝鮮が近代化してほしかった。朝鮮の開国派は日本を招き入れ近代軍隊の増強に努めるようになる。別技軍という新式軍隊を組織する。開国派は中国と日本を招き入れ両者を天秤にかけ時間稼ぎする作戦であった。しかし、これは上手くいかなかった。清は軍事力でもって朝鮮に押し入り朝鮮の内政に介入した。開国派が清の軍勢を招いたことで朝鮮は清への従属を余儀なくされた。清は朝鮮に中朝商民水陸貿易章程を締結された。こうして朝鮮は改めて清の属国となる。

日本は朝鮮を支配する為には清と戦争するしかないと考えていた。日本は清と共同で朝鮮を支配することを提案したが案の定清は拒否した。そこで日本は清との戦争を決意する。日清戦争が始まるのであった。戦争はあっけなく終わった。清がすぐに降伏したのだ。こうして日本は平壌を占領し、更に北上して遼島半島を制圧。そして山東半島を制圧し、南方の台湾も占領する。日本は清と下関条約を締結した。下関条約により清が朝鮮の独立を認める。『日本が朝鮮の長い属国を断ち切ったのだ』。朝鮮は何度か独立するチャンスがあったのだが自ら放棄し、中国の属国になる道を選択している。朝鮮人は今も昔も後ろ楯がないと生きていけないのである。この卑屈さが今日の異常な朝鮮人体質を作ってしまったことは疑いの余地はなく、日本人はそのことをしっかりと認識しとく必要があるだろう。(認識、認識ばかりしつこいね。ごめんね)

下関条約で台湾は日本の領土となる。台湾人は清の圧政から解放されたきっかけとして下関条約を高く評価している。韓国も長い属国を断ち切ったきっかけになったのだから感謝してもよいだろうが、彼等は違った。下関条約で長い属国史が終わったので朝鮮人はこれを喜んだ。中国の隷属の象徴であった迎恩門を取り壊した。朝鮮王は中国の勅使を迎える為に自らこの門に出向き三き九叩頭の礼で迎えていた。朝鮮人はこの屈辱を忘れない為に独立の記念として、新たに独立門を同じ場所に建てた。現在でも残る独立門を韓国人は日本からの独立を記念するものと勘違いしている。実際は清からの独立を記念する門なのだ。

その後日本は日露戦争に勝利しロシアを朝鮮半島から排除した。最終的に1910年に日本と朝鮮との間で併合条約が双方の合意により調印された。日本の勝利は、向かうところ敵なしであった欧米を初めて負かしたので、世界中に衝撃が走った。ほっといても植民地支配は終わったであろうが、日本の勝利が植民地化されてた人々に勇気を与え植民地支配の終演を早めたのは事実であろう。(この時の日本は英米の傀儡であったが)実際日本が戦争に負け領土を失うとまた欧米人がかつて植民地支配してた土地に戻ってきたが、彼らは現地住民に笑われたとのことである。日本軍に降伏し、奴隷として、働かされていた情けない姿を彼らを見てたからである。

日本の植民地支配は搾取、強制労働をさせるだけの欧米と違っていた。確かに同化政策は誉められたものではなかった。朝鮮は日本が朝鮮の文化を破壊し朝鮮の文化を奪い朝鮮は貧しくなったと主張してるがこれは嘘である。朝鮮は文明がなく貧しく奪えるもの等なかった。(イザベラ・バードの手記に詳しい)日本は朝鮮をインフラ整備をし、近代農業技術を教え、奇特な風習(うんこを舐めあって誰のうんこか当てるゲーム等)を廃止し、朝鮮人に名前を与え、ハングル文字を掘り起こした。朝鮮の近代化は目まぐるしく人口が1200万人まで増えた。朝鮮人の軍人は日本の軍人と違って優遇され、戦争末期に動員されただけで済んだ。しかも戦争で亡くなった朝鮮人は英霊として奉られた。慰安婦は数億の大金を稼いだとのことである。朝鮮はこの事実を無視して日本を責めている。日本は毅然とした態度を取るべきである。謝るべき点は誤り正すべきは正すべきである。このままでは日本はいつまで経っても韓国の言いなりであり、絞り取られるだけである。

開国派の外交はその時々で変わり、日本、中国、ロシアといった具合に手を結ぶ相手を替えた。このような事大主義的外交は現代でも受け継がれている。2000年間属国として生きてきた(短い期間だったが一時期独立してた時期があるが)民族のDNAに刻みこまれた屈辱的外交手段である。地政学的条件的不幸によって朝鮮はこのような外交手段を編み出す以外になかったのである。そして儒教倫理を叩き込まれ小中華主義を国是としてきた朝鮮人の悲劇であり、彼等の精神構造が日本人には理解し難いものであることを理解せねばなるまい。(朝鮮人はかなり不幸だったし、2000年にも及ぶ中国支配の不幸が今の異常な朝鮮人体質を作ってしまったことは疑いの余地はない)地政学的条件によって日本はこれからも、南北朝鮮と渡りあっていかなければならないからだ。アメリカの日本弱体化計画が痛すぎた。日本は武士道精神を剥奪され、骨抜きにされた。これが、今の日本の弱さであり、狂いの根拠であろう。確かに日本人は復活する必要がある。右翼では駄目だし、ましてや左翼なんぞ当てにならない。どちらの立場にも立たない第三の道を歩む以外にあるまい。

朝鮮文化は恨の文化だと言われている。長い間、屈辱を味わってきたので、精神が歪み、ちょっとしたことでも、直ぐに怒り、相手を恨み復讐心をもつのだ。実に厄介な隣国を持ったものだが、これは地政学的に日本人に課せられた宿命である。日本はかつての気概に溢れた日本を取り戻すべきであろう。日本なら必ず出来るはずだ。

同じく劣等感と被害者意識の塊だったヨーロッパが世界制覇の野望を持ったのに対して何故同じく劣等感と被害者意識の塊だった朝鮮が世界制覇の野望を持たなかったのは、そもそも朝鮮は属国根性が染み付いているのと、貧しくて車輪すら近代になるまで作れなかったのである。翻ってヨーロッパは聖俗分離に成功していた。従って聖に縛られずに抜群の軍事力を持つことに成功したのだ。しかも、ヨーロッパの後ろ楯はキリスト教であった。ヨーロッパ人は神の名のもとに人殺しを正当化していた。そして、ヨーロッパは複数の国が土地のぶんどりあいをしていた為に気づいたら地上の8割を植民地化していたのである。朝鮮には人殺しを正当化する思想はなかったし、朝鮮一国では世界制覇は当然のように無理であった。共に劣等感と被害者意識が強いと言っても歴史的に見てみるとやはり、中国の2000年属国が大きかったと言え、朝鮮は常に目上の存在がなければ生きていかれない精神構造を持ってしまったのである。これでは世界制覇は無理と言えよう。近代化した今でもやはり、思想的に弱く(韓国はキリスト教徒が多いらしいが)世界制覇は無理と言えよう。ヨーロッパが世界制覇出来たのは思想的に強かったからである。(僅か200名足らずの軍隊でアステカを滅ぼすことが出来たのはやはり思想的に強く、神の後ろ楯があったからである)しかも、中華思想は確かに1元論的な思想であるが、キリスト教と違って周辺民族を見下し優越感に浸ってるだけであり、キリスト教とは本質的に違い、思想的に弱かった。日本人はヨーロッパ人と朝鮮人が劣等感と被害者意識の塊の民族であることに留意する必要があると言えよう。彼らの精神構造を知らずに彼らと対等に渡り合うことは出来ない。国際社会を生きるのは大変なのである。(日本は明治以降、世界最速のスピードで領土をぶん取ったのである。これは凄いことであった。モンゴル軍を凌ぐレベルであった。「断っておくが私はネトウヨではない」しかし、一国でこれだけの領土を管理するのは無理があった。日本はやればかなり出来るのである。だから、自分達に自信を持てと言いたい。しかし、熱しやすく冷めやすい民族とも言えよう)

以上、ほとんど朝鮮属国史を参考にした。興味のあるかたは一読を。

追記。
岸田秀養老孟司の説によると北朝鮮の体制は日本の天皇制の模倣だと言う。北朝鮮では世襲性で時のトップが亡くなるとその息子がトップの座につく。これが天皇制の模倣だと言うのだ。更に岸田秀は今の北朝鮮大日本帝国の理念を受け継いでいると言う。当時の日本はアジア解放の為に欧米と戦ったが、北朝鮮はそのアジア解放の理念を持ち欧米に対抗してると言うのだ。北朝鮮には貧民がたくさんいるが、これはかつての日本と同じで、欲しがりません、勝つまではと言っていたのと同様の現象だと言う。だから、今は西側についている日本が北朝鮮は裏切り者に見え、許せないと言うのだ。更に岸田は中国も大日本帝国の理念を受け継いでいると分析する。中国もアジアの大義の為に欧米と対抗してると言うのだ。大東亜共栄圏死なずである。日本は大きな遺恨を残した。大東亜共栄圏の野望は明らかに欧米に差別され、文化、文明的に破れた、日本の屈辱感がその背景にあったと、考えることが出来る。(もちろんそれだけではないが)従って、先に説明した通り、劣等感と被害者意識の塊の朝鮮人には大東亜共栄圏の野望は馬があうのである。そして、北朝鮮が未だに今では干からびてしまった、アジア解放の大義を持っている為に、大日本帝国時代を生きた古い世代の人達は北朝鮮にシンパシーを感じてるとのことであった。岸田の分析が当たっているのか知らぬが面白い分析である。

終わりに。
朝鮮属国史から引用。

朝鮮人の「伝統のお家芸」が現代史において、とんでもない悲劇を招きます。1950年6月25日に北朝鮮軍が38度せんを越えて侵攻を開始してから3日後、ソウル市内に突入します。当時の韓国大統領イスンマンもやはり、我先に逃げました。それも、ただ逃げるだけではなく、追ってくる北朝鮮軍の南下を食い止める為、ハンガン大橋を爆破するのです。ソウル市民は北朝鮮軍がソウルに入って来るのを見てはじめて、危機に気付き、避難しはじめました。ソウルから南へ逃れるには、ハンガンを渡らなければなりません。市民はハンガン大橋に殺到し、付近は大混乱でした。ほとんどの市民は未だ、市内から避難していません。橋を爆破するということは彼らを見殺しにするということです。イスンマンはそれをわかっていながら、橋の爆破を命じました。午前2時30分、夜中でしたがハンガン大橋の付近に、押すな押すなと市民が詰めかけていました。軍が市民を制止しようと試みましたが、現場はパニック状態で、もはや統制不能でした。市民が橋の上を徒歩で渡っている最中、橋は爆破されました。橋の上にいた市民約500~800名がこの爆破で死にました。ハンガン北岸には多くの市民が取り残されました。この時、市民は自分達が政府に見捨てられたのだと実感しました。しかし、政府が見捨てたのは市民だけではありません。韓国軍の数千人に及ぶ部隊が未だ、取り残されていました。彼ら軍人は1000両にも及ぶ車両やおびただしい武器を持っていましたが、北朝鮮軍にそれらを接収された上、殺されました。市民は警官、役人、地主などから、順番に、北朝鮮軍に殺されていきました。北朝鮮軍が軍事侵攻してからわずか3日、ソウルは地獄と変わり果てます。イスンマンはテジョンに逃げ、そこまで北朝鮮軍が迫ると、テグに逃げます。テグにも北朝鮮軍が迫ると、プサンに逃げました。イスンマンは7月2日にプサンに到着しています。韓国軍はハンガン大橋爆破以後、士気を大きく低下させて、指揮系統を失い、北朝鮮の進撃にまともに抗戦することも出来ませんでした。韓国南端のプサンまで逃げたイスンマンはもうこれ以上、逃げられる所はありませんでしたが、命惜しさに、日本の山口県に亡命を受け入れてもらうよう、日本と交渉をはじめています。イスンマンは大の日本嫌いであったにも関わらず、日本に助けを求めたのですから、まさに恥も外聞もありません。しかし、ようやくアメリカ軍がプサン近郊で、北朝鮮軍を押し返しはじめ、イスンマンはギリギリのところで日本に亡命せずに済みます。

2014年、韓国のセウォル号が沈没した際、避難誘導の任にあたるべき船長が真っ先に逃げました。船長は「船室で待機するように」との船内放送を流しており、この指示に従って船室にとどまった乗客は水が船室に流れ込み、出られなくなってしまいました。修学旅行生ら293人の若い命が失われました。

1950年の朝鮮戦争の際、イスンマンはラジオで「国軍が北朝鮮軍をよく防いでいる。落ち着いて行動するように」という放送を流します。ソウルに北朝鮮軍が迫っていましたが、ソウル市民はこの放送を信じて、避難行動をとりませんでした。大砲の音が間近に聞こえた時、ようやくソウル市民は「これはただ事ではない」と気付きはじめたのです。この時、イスンマンは既に、ソウルから脱出していました。

朝鮮には、自分だけが助かろうとして逃げる「伝統のお家芸」があります。彼らは社会や、公共、更に国というものの意識を持たず、国の為に戦おうという発想ももちろんなく、外敵が攻めて来ても、ただ逃げ惑うばかりでした。

朝鮮は歴史的に中国の属国にされてきました。本書で、その「歴史的隷属」がどのように朝鮮人の心を蝕み「精神の卑屈」を生んできたのか、また、それが長い歴史の中で、今日にも受け継がれているのかを読み解いてきました。国民が自分たちの歴史を誇ることができない、このことが歪んだ政治(北朝鮮の核問題、韓国の反日)を生む根元的な原因となっています。
引用終わり。

ここまで読めば朝鮮人がいかに精神構造的に狂った民族か分かるであろう。長い属国にあった屈辱が今日にも続くイカれた精神構造を作ってきたと言えるだろう。

今、日本では第二次韓国ブームである。多くの人間が、特に若い女子の間で韓国文化がもてはやされている。しかし、日本人はこの事実を知らねばなるまい。韓国人に、生まれ変わるとしたらもう一度韓国人に生まれ変わりたいかアンケートを取ったところ、実に6割の韓国人が韓国に生まれ変わりたくないと答えているのである。韓国がいかに不幸で社会全体が歪んでいるか分かるだろう。仮に韓国にはまっている日本人が今日から韓国で暮らすことになります、と言われたら、どう思うだろうか。ほとんどの日本人が拒否するであろう。あくまでも、豊かな日本に住みながら(貧困層が増えているが)実質、韓国とは微妙な距離感を保ち、韓国文化を好んでいるだけであろう。韓国ではKポップを国策で育成しており、世界中にKポップを輸出している。それは一応の成功をおさめている。私は韓国文化の何が魅力的なのかさっぱり分からんが、韓国はそんなことを国策にするくらいなら、熾烈な受験競争を止めて誰でもほどほどのところで満足出来る社会を築けよと思う。日本も今は階級社会化しており、人のことを言えた義理ではないが、韓国社会は明らかに狂ってると言えるだろう。このブログが朝鮮人のイメージを変えるきっかけになると共に、日本人が自信を取り戻すきっかけになれば幸いである。