集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーの何がムカつくかって

時間を犠牲にすることだ。これだけはどうにもならん。私は被害歴26年だ。辛酸は嫌と言うほど味わってきたが中でも時間を犠牲にすることだけは耐え難い。時間だけはどうやっても取り戻せないのだから。私と同じく集団ストーカーのせいで何も出来ずに時間を無駄にしてきた被害者はいるだろうか。私のように時間を犠牲にしたことにより強い悔恨の念に囚われていたり、集団ストーカーのせいでしたいことが出来ず後悔の多い人生を送ってきた集団ストーカー被害者はいるだろうか。いたら、苦しんでるのは自分だけではないと思い嬉しいだろう。

なんて理不尽なんだろうと思う。こんな理不尽なこともない。集団ストーカーの被害者に選ばれたら人生終わりだ。本当にしたいことが何も出来なくされるのである。どこにいても誰といても被害にあうのでこちらから積極的に人と関わることを避けようとする。よって必然的に一人でいることが多くなり楽しい思い出も何も作れなくなるのだ。普通の人生を生きる人間は若い頃に楽しかった思い出があるだろうが私は何もない。良かったのは小中校と野球に打ち込み多少は楽しい思い出があるだけだ。私の人生には女が入り込む余地がなかった。これこそが最大の後悔であるが、若い頃に女と付き合ったことのある人間は実に羨ましい限りだ。私は友人のやりちんの奴で二十歳の時点で50人の女とやった奴に女を紹介してやるかと言われたのだが断っているのである。何で断ったのだろう。断らずに自分に素直になって女を紹介してもらえばよかった。私は中年のおっさんだが、未だに女を知らないのである。全く恥ずかしい話だが今の時代は私のような中年は多いらしい。そういう時代だからだが、5ちゃんねるをやると60過ぎて実家住まいで童貞の人間もいるから世の中広いなと思うが私もひょっとすると生涯童貞のまま人生を終えるかもしれない。そう考えるとゾッとするが、集団ストーカー被害者の中で私と同じく女と付き合うのことが出来なかった中年童貞はいるだろうか。そいつは知らんが実に屈辱的である。情けない話だがやはり男の沽券に関わるのだろう。男が男として生きて、自分が確かに男であると実感し価値を感じることが出来るのは女がいるからだ。確かに今はそういう時代だから、我々は時代に踊らされてる糞に過ぎないが、男の沽券という観念も時代がそういう男を要求してると分かるとある程度欲望を相対化出来るだろう。人間の欲望は社会性があるのだから、或いは他者の欲望なのだから。

しかし、それにしても屈辱的である。私は子供の頃は彼女が出来て結婚し一軒家を構えてると思ってたが今では精神障害二級の生活保護自給者である。何とも情けない。こんな糞ゴミと付き合ってもいいと考える女がこの世にいるというのか。好きな女がいるのだが、彼女にどうも私の思いが伝わってるようだが、何だか好きになるだけで申し訳ない気持ちになってしまう。私に好かれるだけでも恥ずかしいのではなかろうか。女は年相応の男を求めるだろうから、何の経験値もなく貧乏なこんな中年のゴミを好きになることはあり得ない。未来は絶望的である。今更集団ストーカーが終わっても年齢的に正社員になるのは難しいだろう。中年の非正規雇用の人間と付き合ってもいいと考える女なんぞいるものか。どうしたものか。女を作るどころか20年後生きてるのかも分からないではないか。ノー・フューチャー・フォー・ミーである。集団ストーカーの被害者に選ばれさえしなければ友人を失うこともなかっただろうから女を紹介してもらえたこともあっただろう。

集団ストーカーの嫌がらせだったかも知れないが私の友達がしょっちゅう私の元に彼女を連れてやってきたものだ。そいつは大麻をやっていて二十歳の彼女とキメセクをしていた。私は正直羨ましかった。大麻をきめると快楽が倍増するというのだ。私もキメセクをしてみたかった。何よりも二十歳の女がキメセクをしてることに驚いたが今の時代は珍しくないのだろう。大麻は比較的容易に手に入る(そこら辺に生えてる場合もある)から10代の頃からキメセクをしてる場合もあるのだろう。あののりピー覚醒剤をやってたのだから誰がやってるか分かったものじゃない。

ブータンに行くとそこらじゅうに大麻が生えてるらしい。しかし、誰も吸わないというのだ。やはり日本みたいなストレス社会だと薬に走る人間も多くなる、或いは日本は典型的な都市型社会であるから、生の充実が感じられずある種のリアリティーを求めて薬に手を出すのだろう。(棒)

岸田秀の説によると男が労働をし働くのは女をゲットしてセックスする為でそのお陰で資本主義が発展したとのことだが当たってるとしか思えない。少なくとも私には当てはまる。行動の動機の基準が明らかに綺麗な女をゲットしてセックスすることであるからである。従って、欲望には普遍性があり心の内側からやってくるものではなくて社会が産み出した一時的な観念に欲望が支配されてるに過ぎない。純粋無垢な欲望などあり得ない。脳の気質的な働きであり本能的なものであり、欲望には時代を超える普遍性があるように思えるが、欲望には客観性はない。主観的欲望と思ってるところの社会的産物である。女とやりまくって優越感に浸ってる人間がいたとしたら明らかに時代に踊らされてると言えるだろう。しかし、時代は変わった。資本主義の限界が叫ばれて久しいが今は草食系とか言われて恋愛に興味のない男女が増えている。資本主義の終わりも近いのかも知れないが彼等は恋愛が楽しいと全く思わないらしいのである。私にしてみれば信じられないが今の時代はそういう若者が増えているのである。資本主義の発展に貢献する最後の世代かもしれないのである。私の世代は。

話がだいぶ逸れてしまったが、我々集団ストーカー被害者はしたいことをしたいように出来ず、好きなことを好きなように出来ないのだから、普通の人達は集団ストーカーの被害者に選ばれなかっただけでも感謝の気持ちをもつべきであろう。集団ストーカーの被害者に選ばれてなくても現状に不満を抱え不幸に生きる人間もいるだろうが。