集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーの被害者に選ばれちまった

最初は信じられなかったが自分の身に起こることとネットに書かれてる集団ストーカー大要がものの見事に照応するので信じる以外になかった。もちろん自分以外にも同じ目にあい苦しんでいる人間がいたことを知れたのは嬉しかったが、集団ストーカーの地獄のような苦しさを思うと集団ストーカーの被害者に選ばれたことは自分の運命を呪うしかなかった。え?嘘だろ?俺は集団ストーカーの被害者に選ばれたのか。なんてこった!俺はこの世界的犯罪の被害者に選ばれたのだ。今までの奇特な出来事が走馬灯のように甦る。あれも、これも集団ストーカーだったのか!私は驚愕した。集団ストーカーの存在を初めて知った時は天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。集団ストーカーの被害者に選ばれるなんてどれくらいの確率だろう。人類75億の中から集団ストーカーの被害者に選ばれる確率なんて宝くじに当選する確率よりも低いだろう。宝くじに当選する確率は自分に隕石が落ちてくる確率よりも低いらしいが集団ストーカーの被害者に選ばれる確率はさらに低いであろう。我々は全く運がなかっとしか言いようがない。余りにも運が悪すぎる。なんて人生だ全く。

私が本格的な嫌がらせにあうようになったのは15歳の頃だが、この当時の嫌がらせは主に騒音だった。上階の糞ガキが糞うるさかった。当時はこれが集団ストーカーだと知るよしもなかった。母親が何度も苦情を言いに行ったが騒音がなくなることはなかった。私の階下の住人も文句を言っていた。集団ストーカーは関係のない第3者も巻き込むのだ。

集団ストーカーの何が最悪かと言うと何度も言うが時間を犠牲にすることである。家族、親戚、友達も集団ストーカーに参加し被害者は人と付き合えなくなり孤立状態で生きることを余儀なくされるのだ。孤独になるのは単純に辛いが、何と言っても自分のしたいことが出来ないことが最悪であった。普通の人間なら友達と遊んだり彼女を作ってデートしたりするだろうが、私はいつも一人で何も出来きず無駄に時間が過ぎていった。何で我々被害者はこんな目に会わなきゃいけないのか、現実を直視出来ず、ただ被害に耐えるだけの毎日であった。選ばれちまったもんは仕方がないが、それにしても不本意な人生を生きなきゃならず我々被害者と違って自分の人生を好きなように生きることが出来る人間はなんて恵まれているのだろうと思い羨ましくなるのであった。集団ストーカーの目的は未だに分からないが、如何なる目的があろうとも全く納得できないだろうし、集団ストーカーを許すことはないだろう。時間は有限であり二度と取り戻せない瞬間の連続でありかけがえがないのだが、我々被害者は無駄に時間を浪費しなければならず、ただ虚しく時が過ぎていくだけであった。

集団ストーカーは戯言癖があり、私は集団ストーカーに「謝れば終わる」と言われたので謝ったのだが終わることはなかった。どうせ嘘だろうと思ってたがやはり嘘だった。集団ストーカーは「謝れば終わる」と言ってたから私は何か集団ストーカーに悪いことをしたことになる。色々と考えたが私がした悪いことと言ったら集団ストーカーの悪口を掲示板に書き込んだことくらいであった。たかが悪口を掲示板に書き込んだくらいで謝罪を要求するか。こっちがどれだけ苦しい人生を生きてきたのは誰よりも集団ストーカーが知ってるだろう。だから、私の悪口も私の悲惨な人生に相殺されるだろう。しかし、集団ストーカーは怒ってるようで謝罪を要求してきた。私は全く納得出来なかった。しかし、集団ストーカーは辛いし、歳も歳で、これ以上時間を犠牲に出来ないので、かなりプライドが傷つき、屈辱的だったが、謝ることにした。だが、しかし終わらなかった。ある日外を歩いていたら「さあ、謝ろうか」と思考送信があった。私は仕方がなく口には出さず、頭の中で謝ったが終わることはなかった。こいつらは、やましいことをしてるから、罪悪感の塊で、自分達を正当化しなければ生きていかれず、多少の悪口にも敏感に反応してしまうのではないか。こっちは27年も好きなことが出来ず(中学生に集団ストーカーやるか)苦しんできたのだからもういいだろうという思いで一杯である。今の私は精神的にガチで限界であり死がしょっちゅう頭を過る。いい加減そろそろ終わるかなと考えるとまだ終わらせないと言わんばかりに身体に電磁波が走る。こいつらは人間の振りをしている化け物ではないのか。こんな苦しんでる人間に集団ストーカーするとか普通じゃない。どう考えても狂ってる。2ちゃんねるに集団ストーカーを称して見た目は人間、中身は化け物とレスしてる人間がいたが同意せざるを得ない。こいつらは人間性が完全に欠落してる化け物ではないのか。今もこの文書を書いてる時に電磁波が走った。全くチマチマして忌々しい奴等だ。小物感が漂ってるな。こいつらは典型的なこ悪党であろう。大悪党は更正が早いがこ悪党は本質的に悪であって更正の余地はないとある警察官が語っていた。世界を蹂躙してきたのは大悪党と思われてるが、そうではなくこ悪党である。大悪党のヒトラー率いるナチスは僅か12年で終わったが、こ悪党精神を持つアメリカは未だに滅びない。アメリカのやってることはこ悪党そのものである。アメリカのせいでどれだけの人間が泣いてきたであろうか。人知れず良いことをやりなさいと言うが、それは悪いことも同じであり、こ悪党は人知れず悪いことをする天才であり、主に欧米がこの点に関しては天才的な才能があると言える。集団ストーカーも同じくこ悪党であり、人知れず悪いことをしてるわけではないが、人間を精神的に追い詰めることに関しては天才的な才能があり、こいつらも欧米のこ悪党同様終わってると言えるだろう。

集団ストーカーの被害者に選ばれたのは現実なのだ。紛れもなく現実をなのだ。集団ストーカーのせいで自分の人生を生きることが叶わず、時間を無駄に浪費してきたのは現実なのだ。気づいたらおっさんになってしまい、若い頃に出来なかったことはどう足掻いても取り戻せない人生は現実なのだ。私はこの現実を受け入れる他にないのだ。この現実を生きる以外にないのだ。現実は余りにも重たく苦痛に満ちており私は今でも現実を直視出来ない。従って私の場合、集団ストーカーが終わっても全然嬉しくない。歳も歳だし、履歴書には7年間も空白期間があり、正社員だったのは僅か4ヶ月しかない。これでは正社員になることはほぼ不可能であり、金がないから恋愛も結婚も諦めざるを得ず、一生ウサギ小屋のような狭くてボロっちいアパートに住む以外になく、爺になったら老人ホームに入る金はないから、孤独死確定であり、未来に待っているのは絶望だけである。集団ストーカーのせいで、こんな絶望的な人生を生きなきゃならないのである。全く納得出来ない。集団ストーカーは許しがたい。こんな現実を受け入れて生きていくには、現実があまりにも重たく、普通に生きてきた人間が私の生きる人生を追体験したら発狂するであろう。

俺の人生は一体何だったんだろう。毎日こんな感慨に襲われる。何の為に産まれてきたのだろう。こんな人生生きる意味あるのだろうか。喜びを知らずに死ぬ。苦しみだらけの人生だった。何て人生だ全く。現実があまりにも重過ぎる。集団ストーカーはムカつく。ああ、頭が痛い…