集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

産まれも育ちも最悪。集団ストーカーの被害者に選ばれて更に最悪。

私の親は愛情がなかった。私は親から愛情を感じたことはない。更に片親で母親と二人暮らしで家は貧しかった。私はいつも他人の家庭の子供が羨ましかった。愛情のない親との二人暮らしは辛いものであった。私の母親は家族持ちの男性と恋に落ち私を産んだのだ。一体何を考えているのだろう。私は産まれたくなかったので二人に対しては怒りを覚える。片親は何かと辛いであろう。両親がいれば子供を育てる苦労は分散されるが片親だと一人で稼ぎ子供の世話をしなければならない。私は母親から教育らしい教育は受けたことはない。母親は私に対して無関心だったので会話らしい会話をした記憶も殆どない。明らかに狂ってる。しかも母親は知性がなくかなり馬鹿だった。私はそんな母親と二人きりで生きてきたのだ。これでは精神も病むし馬鹿にもなるだろう。母親から勉強をしろと言われたことはない。抱きしめられたこともない。二人きりで暮らしてるのに私の母親は私に対して無関心であった。私は母親の愛情に飢えていた。私はいつも愛情に溢れた家庭で育った友達が羨ましかった。私の人生は最悪だったと思う。今にして子供の頃を振り返ってみると母親との楽しかった思い出はほとんどない。覚えているのは母親とドッチボールの練習をしたことだ。それからスキー場に行ったこともある。

母一人の家庭だったために家は貧しく八畳1間、風呂無しのアパートで暮らしていた。誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントも貰ったことは殆どない。他の普通の家庭では誕生日パーティークリスマスパーティーをひらくだろう。私はそんな経験は一度もない。外食も殆どしたことがない。私は劣等感と嫉妬心の塊であった。

愛情に溢れた家庭で育った子供は強くなるだろう。心の支え、後ろ楯があるのでちょっとやそっとのことでは動じないだろう。翻って私は何も支えとなるものも後ろ楯となるものも持ってなかった。従って私はちょっとしたことでも傷つきやすく、傷が癒えるまでに時間がかかるのである。しかも、傷つきやすいからだろうが、かなり根に持つ性格で恨みがなかなか消えないのである。そして、私の母親は神経症であった。母親の自我は確実に歪んでいた。それで私はそんな母親の自我を受け継いだのだ。仮に父親がいて、そんな父親が間ともな自我を持っていたとしたら、私はそんな父親との関係性の中からまともな自我を構築することが可能であっただろう。実際私の父親はそこそこまともな人であった。しかし、私は母親と二人きりで生活をしていた為に母親との関係性の中からしか自我構築が出来ず私は神経症になったのだ。しかも、母親は愛情がなかったから最悪であった。私は二重の苦しみを持つことになったのだ。

高校を卒業して就職したのだが、私はその職場を僅か4ヶ月で辞めてしまった。私は仕事を僅か4ヶ月で辞めたとはいえ、働く気満々であった。10代20代はなんて自由何だろう、好きな時に働いて好きな時に辞めることが出来る。私はそんな若者ライフを満喫しようと思っていた。定職につくのは30を過ぎてからでいいと思っていた。私の未来は開かれていた。私は解放感で一杯だった。しかし、そんな私が送ろうと思ってた若者ライフはものの見事に崩壊する。私が仕事を辞めたその日に母親は強いショックを受けその日の仕事は休んでいるのである。たかが仕事を辞めたくらいでそんなに落ち込むか。どう考えても普通じゃない。私はそんな母親を見て唖然とした。こっちは働く気満々なのである。直ぐに次の職場を見付ける予定だったのである。だから何もそこまで落ち込む必要もないだろう。それで、次の日に母親は仕事から帰ってくると開口一番に「面接行ってきた?」と聞いてきた。私は愕然とした。仕事を辞めた次の日にどうやって面接に行けるというのだろう。仕事探してきた?なら分かるが「面接行ってきた?」である。この人はどれだけ私が働くことに期待しているのだろう。母親は、私のことを全く信用していないのである。私のことを疑っていたので「面接行ってきた?」とプレッシャーをかけたのだろう。実の親に不信に思われるのは辛いものである。1週間か二週間遊んだら働くんだよ、ぐらい言えないものか。私は母親を喜ばす為だけに働かなきゃいけないと思い働くのがアホらしくなりニートになってしまった。私の人生は母親を喜ばすだけの人生かよと思い、そんな自分の人生に何の意味も価値も見出だせなくなったのだ。私は働く気満々だったのに母親は私のことを疑い信用出来なかったのである。私のことを疑わずに信用してれば私は働いたのである。母親は私が仕事を辞めるか不安だったのであろう。それで私が僅か4ヶ月で仕事を辞めたので嫌な予感が的中した為に私にプレッシャーをかけたのだろう。母親は過度に私が働くことに期待しており、明らかに私の立場には立っておらず、自分の都合だけを考えていた。私は家族の為とおもって働いた金の1/3を家に入れていたのである。私のその家族の為という思いは母親に伝わってなかった。家に金を入れてる人間が二度と働かないと思うのか。働いて金を稼ぐことに喜びを感じ、家族の為を思ってるから働いていたに決まってるではないか。それなのに私の母親は私を信用していなかった。私が仕事を辞めたその日に仕事を休んでるから、母親は自分だけ働くのが嫌だったのだろう。仮に私の事を疑い、働かないんじゃないかと、考えても1週間くらい様子をみて働かなかったら、仕事を探してこいくらい言えないものか。どうしようもない馬鹿だ。私は働いていた頃はイキイキしていた。当然であろう。金が入るのだから好きなことに金を使える生活の方が楽しいに決まってるではないか。母親はそんな当たり前なことも分からないくらい馬鹿だったのである。とにかく私が働くかどうか心配でしょうがなかったのである。だから、頭がそれだけで一杯になったので仕事を辞めた翌日に「面接行ってきた?」になったのであろう。私の人生は母親を喜ばす為だけにあり、母親は私には愛情がなく、そんな母親を喜ばす為だけに働くとか、それは私の精神的な死を意味する。従って私は働くことが出来なくなったのである。

私は働きたかったかった。普通の人間と同じく金を稼いで人生を謳歌したかった。ニートになると確実に精神が腐食する。生きてても全然楽しくないのである。好きでニートになる奴なんて一人もいないだろうし、ニートライフを楽しんでる奴なんて1%もいないだろう。人間は社会性を失うと自分を失うものである。働くことはいいことである。身体を使うと自分が生きていると実感出きるし、社会性を持ち、更に金を貰えるのだから、働いた方がいいに決まってる。私は母親に変わってもらいたいと思い何度も話し合いを重ねた。しかし、実りある話し合いはいつも実現しなかった。私は母親が私のことを信用していないこと、そして愛情がないことが許せなく母親に怒りをぶつけた。無駄に月日だけが過ぎていった。私は焦っていた。その気持ちを分かってもらいたかった。しかし、母親は私の気持ちを全く理解してなかった。ニートになって一年が過ぎた頃、私は母親に「もういい加減遊んだべ?」(東北の人間)と言われた。私が酷い葛藤に襲われていたとは知らずに母親には私が遊んでいるように見えたのである。私は中学生の頃にある奴に洗脳されて自分を完全に見失い、自分の人生を生きれなかった。好きでないものを無理やり好きになろうとした。私はその葛藤も抱えており、葛藤が重なったのである。私は毎日悶々としていた。毎日焦ってた。それなのに、母親には私が遊んで見えたのである。どこまでも人の気持ちの分からない人間だ。ムカついた私は母親に殴る蹴るの暴行を繰り返した。毎日、毎日、母親を殴った。いくら殴っても怒りは消えなかった。そしたら母親は友達の家に逃げてしまった。私は母親が戻ってくる一年ほどの間母親からの仕送りで生活していた。

それから7年の月日が流れた。毎日が暇でつまらなかった。私は完全に生きる意味を見失っていた。精神は死んでいた。ある日母親の姉が私の家に訪ねてきた。母親の姉は私に母親がなんと1000万の借金をしていたと伝えたのだ。私はまた愕然とした。母親は借金を抱えていた事実を私に隠していたのである。なぜその事実を私に隠したのか。なぜ生活が困窮している事実を隠して借金をしたのか。なぜ私に事情を話して働いてもらうように言わなかったのか。私は実に腹がたった。こんな馬鹿もいないだろう。私は元々働く気が満々だったのである。母親の過度な期待が嫌になって働く気が失せたのである。実につまらない人生であった。こんな人生は早く終わりにしたかった。母親が私を信用してれば私は嫌でも働いたのに、母親は鼻から私を疑っていた。こんな馬鹿な親の元に生まれた人生を呪う他になかった。結局借金は当然返せないので破産宣告をすることになった。母親が私に事情を話して働いて欲しいと言えば私は働いたのになんて馬鹿な人間なんだ。こんな馬鹿はいない。それで、アパートの家賃も長いこと滞納していたので大家に出ていってくれと言われたので引っ越すことになった。私の母親の兄弟が二人暮らしをするとまた暴力を振るう可能性があるから、住まいは別々にしたほうがいいと言った。私の住まいは既に決められていた。なぜ私に何の相談もなく勝手に住まいを決めたのか。私は腹が立った。結局私達親子は離れて生きていくことになった。母親は生活保護を受けることになった。母親は遂に苦労から解放されたと嬉しそうにしてた。私の母親は本当に馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。人類史上最悪レベルの馬鹿だ。こんな馬鹿もいない。見たことないくらい馬鹿だ。全く腹立たしい。私を疑わなければ良かったのに。私は働いていた頃の方が人生が楽しかった。私は若者ライフを満喫したかった。しかし、その夢は叶わなかった。私は人生を無駄にした。働いていた頃に自分の金で買ったローリング・ストーンズのCDがある。今でもそのCDを聴くと働いてイキイキとした人生を歩んでた頃の記憶が甦る。人間は社会的動物であり、社会性を失うと精神が腐食するのである。絶対に働いた方がいい。私は僅か4ヶ月でイキイキとした若者ライフが終わってしまった。悔やんでも悔やみきれない。なんて人生だろう。子の気持ちがわかり、子の未来をあんじる両親の元に育った人間が羨ましかった。私はガキの頃から貧乏だったから初めて仕事をし、給料を貰った時は嬉しかった。僅か12万円の給料だったが嬉しかった。確かゴーリキーがどんな仕事でも働いて金を得るのはいいものだ、と言ってたと思うが全く同意する。働いて金を稼ぐのはいいものである。1%もいないだろうが、好きなことをして働き金を稼げる人間は幸福であろう。有名人やスポーツ選手は好きなことをして大金を稼げるので自己肯定感が高いであろう。年収が1500万を超えると幸福指数に差がでなくなるらしいが、彼らは好きなことをして大金を稼げるから恵まれているだろう。確かビートたけしが大金を稼いでも虚しいだけだと言っていた。それはそうかも知れないが好きなことをして金を稼げるのは幸福であろう。私も何か自分の好きなことをして金を稼ぎたい。何か創作活動をしたい。しかし、何かするには歳を取りすぎた。もう手遅れである。未来は絶望で一杯である。

それで独り暮らしをするようになり集団ストーカーの嫌がらせが激化し、私は地獄を見ることになるのである。凄まじい騒音被害であった。外に出れば咳払いの嫌がらせが頻発した。私は何か危険な連中に付け狙われているのではないかと思った。それで、近隣から咳払いの嫌がらせが相次ぎ私は徐々に不思議に感じるようになった。私の行動に合わせて咳払いの嫌がらせがあるのである。更にテレビが切れ変わるタイミングで咳払いがあるのである。私は盗聴されてると思った。私が盗聴されてるぞ、と言ったら咳払いをする近隣の住人がしばらくの間家を空にした。私は盗聴されてると確信した。今にして思うと思考盗聴されてたのだが、その当時は思考盗聴も集団ストーカーも知らなかった。普通なら警察に訴えるべきだがなぜか私は警察に訴えても無駄なような気がして警察には訴えなかった。ラップ音もあった。私は最初は何か音を出す機械が室内に取り付けられてると思った。ラップ音は主に冷蔵庫からあった。それで冷蔵庫を裏側までくまなく調べたが何もみつからなかった。後にラップ音は全ての物体には固有の振動数があり、その振動数に合わせて電磁波を照射するとラップ音を出せると知った。糞ムカついたが隣のアパートのたぶん大学生だろうが、その糞ガキが私に遭遇した時に笑っていたのである。その馬鹿な糞ガキは私のプライベートを知ってたのであろう。それで、私を小馬鹿にして笑っていたのであろう。馬鹿には疚しいことをしてる感覚がないようである。私は私の行動に合わせてラップ音があるので部屋の中にカメラが取り付けられてると思った。探してもみつからなかった。当然である。盗聴器も盗撮器も必要がないのである。対象の行動を思考盗聴器で把握してたのである。それで私は居間にカメラが仕掛けられていると思ったので台所で生活するようになった。そしたら、ある時買い物から帰ってきたら私を笑った糞ガキに遭遇することになった。その糞ガキは何か申し訳なさそうにしていた。私を思考盗聴してることに負い目があったのであろう。たぶん大学生だから、仲間内で私を笑い者にしてるに違いないと私は思った。私は殺意を抱いた。それで、私は図書館に行って無料でネットが使えたので、盗聴、盗撮と検索したら、集団ストーカーが出てきた。それを読んでみたら私が経験した数々の出来事と同じことが書かれていた。騒音、咳払い、嘲笑、物品を使ったアンカリング、車両ストーキング、警察官によく職質される等々出てきたが、私が体験したことばかりであった。私は天地が引っくり返るほど仰天した。私はどうも集団ストーカーの被害者に選ばれたらしい。普通なら警察に訴えるが、しかし、私はやはり、警察に訴えても無駄なような気がして警察には行かなかった。今にして思えば警察に行けば良かったと思う。被害者団体もたくさんあったが私はどの団体も偽被害者団体のような気がして被害者団体には入らなかった。私の人生は完全に終わっていた。楽しいことなど何もなかった。28歳の時に図書館で読書をしてた時に私は突然、私は一体何をしてるんだろうと思い、どうしようもない虚しさに襲われた。同級生は皆友達と遊んだり恋愛したりしてるだろう。中には結婚してる人間もいるだろう。それなのに私は毎日一人で孤独で糞つまらない人生を歩んでいた。私の人生はもう終わってしまった感が半端なく私は図書館の机に頭をつけて凄まじい後悔の念に襲われた。集団ストーカーの被害者に選ばれたし、人生もつまらないし、好きなことも出来ず、集団ストーカーから逃れることに人生の殆どを費やしてるのだ。何て不幸な人生何だろう。私より不幸な人間はいるのか。母親に愛情はなく、そして母親の自我は歪んでおり、私はそんな自我を受け継ぎ、神経症になり、更に中学の頃にある奴に洗脳され人生を破壊され、そして集団ストーカーの被害者に選ばれ好きなことが何も出来ないのだ。余りにも不幸過ぎる。私より不幸な人間はいない。全くやってられない。私の人生は19歳の頃に終わってしまったようなものだった。

今では毎日死ぬことを考えている。集団ストーカーは終わりそうにない。いったい私の人生は何だったのか。楽しいことなんか殆どなく苦悩を感じることの方が多い人生であった。本当にやってられない。私は今は生きるのが死ぬほど辛いのでとっととこの世からおさらばしたいと毎日思っている。終わり。