集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーは本質的に悪でありカルトである

私は集団ストーカーはカルト犯罪ではないと訴えてきたが前言撤回することにする。こいつらは本質的に悪でありカルトである。無断で人の頭の中を読み嫌がらせをしてくる。明らかに悪であろう。集団ストーカーはどうも自分達が被害者を攻めるのは良いが自分達が攻(責)められるのは我慢出来ないらしい。 分かりきった当然のことだがまず、人のプライバシーを覗くのが悪であるし、あろうことかこちらの許諾なしに脳の中を読んでいるのである。そしてこちらが良からぬことを考えると電磁波攻撃をしてくるのである。私はキレて頭の中で集団ストーカー死ねとやり返すと嫌がらせが激化するのである。しかし、勝手に頭と頭が繋がった状態にされてるんだから、思考盗聴自体が悪で、集団ストーカーは自分達が攻(責)められる覚悟をもってやるべきであろう。これは分かりきったことである。しかし、集団ストーカーは自分達が攻(責)められるのは許せないらしいのだ。こいつらただの駄々っ子であり甘ったれた糞野郎だろう。私は何度もキレてそんなに俺のことが嫌いなら直接俺の所に一人できて文句を言えよと言うのだが集団ストーカーの馬鹿は遠隔から攻撃をしてくるだけである。実に終わってる奴等だと言えるだろう。今の日本人はゴミが多く他人の不幸を笑い者にする奴等ばかりだ。集団ストーカーを楽しんでるとしか思えない。相手の立場に立って考えることの出来ない糞野郎ではない。誰よりも相手の立場に立って考えることが出来るから被害者の苦しみがわかり、嘲笑っているのである。人の気持ちが分からない奴が苦しみを受けている人間を笑い者にするわけはない。加藤が秋葉原で大量殺戮をした時に加藤に刺されて苦しんでる人間を笑顔で撮影していたゴミがいて駆け付けた救急隊員を怒らせてたが、今の日本人はこういう奴等ばかりだろう。人の苦しみが楽しいのである。実に終わってると言えるが、しかし、自分が被害者だったらと考えることの出来ない低能であるのは確実であろう。そういった意味で言うとかなりの馬鹿である。つくづく日本は終わってると思う。5ちゃんねるの各板にこんな糞みたいな国滅べ、というスレッドがたくさん建つわけである。私も実際に投げやりになって「もうどうでもいいや」、と思い、いっそのこと滅べと思う。自民党が与党で有る限りにおいて日本は破滅へと向かっているが日本の政治状況は変わりそうにないし、もうどうにでもなりやがれと言う気持ちである。

それで我々被害者は時間を無駄にしてるわけであるが、何でこんなことが許されているのか分からない。時間は有限で2度と取り戻せないのだから時間を奪うのは罪だろう。私は何か良からぬことを考えると集団ストーカーに電磁波攻撃を受けると書いたが、集団ストーカーにとって私を裁くことは正義なのである。思考盗聴は本質的に悪なのだから、本来ならば許されないはずだが、集団ストーカーの低能の糞は私を裁いて私を変えようとしてるのである。これはカルトの洗脳と同じであろう。人間を人為的に変えてはいけない。それは人格破壊である。ナチュラルに無理のない仕方で変えなければならない。私はこのブログで鶴崎と言う奴に人格を破壊されて人生が終わったと何度も書いてきたが鶴崎は私を自分の都合の良い人間に作り変えようとしていた。鶴崎にとってそれは善意であり、正義だったのである。主観的には。しかし、客観的には間違いなく悪である。善悪は相対的なものであるが、しかし、人格破壊は後の人生に膨大な被害をもたらし、長いこと苦しみ続けなければならないのだから、罰せられるべき悪と言ってもいいだろう。怖いのは鶴崎はその悪の行為が主観的には善意なのである。私は何度か鶴崎を否定したが、そうすると鶴崎は「俺は正しいよ」と言っていた。「俺は正しいと」考えること自体が間違いである。或いは鶴崎は「俺は仏陀の境地を超えてやる」と言っていた。こういうことを言うこと自体が仏陀の真意を理解してるとは言えず、鶴崎は仏教が一番嫌う執着の塊だと言えるだろう。ただのアホである。私を支配下に置くために有能な人間を演じていたのだろう。ある時鶴崎は私に「お前は何も考えないもんな」と言ってきた。私は殺意を抱いた。こっちが鶴崎のせいで葛藤に捕らわれ、葛藤から解放される為にどれだけ考えていたことか。鶴崎にはその事が見えなかったのである。鶴崎は私の前で有能な人間を演じるのに疲れたのだろう。本当の自分を晒して生きたかったのだろう。それが、叶わず、鶴崎の真意を理解しない、私に腹を立てて私に「お前は何も考えないもんな」と言ってきたのだろう。しかし、他人の目にはそいつの無意識的動機は映るものである。私は鶴崎が何を考えているか分かっていたが関わりたくなかったので無視した。(馬鹿がw)鶴崎は自分の思い通りにことが運ばなくなり、私を変えることを諦めたようである。私の趣味や好きなものを散々否定してきたが、10代後半からそういうことがなくなった。それで、ハッピーになったかと言うと全くそんなことはなく私は長いことトラウマに捕らわれ人生を無駄にしたのだ。人生は一回きりだと言うのに鶴崎の糞のおかげでたった一度きりの青春を無駄にしたのである。もう、悔やんでも悔やみきれない。泣けてくる。私は友達と遊んだり、女遊びをしたかった。しかし、それが叶わなかった。私は一生後悔して生きなければならない。鶴崎にもいつか同じで苦しみが降り罹ると信じるしかない。鶴崎にいつか天罰が下ると信じるしかない。集団ストーカーも同じであろう。思考盗聴をして私を裁き私を変えようとするのも主観的には正義なのである。自分達のしてることが悪で正義ではなく被害者の人生を潰すだけだったとしたら、その負い目、罪悪感に耐えれず、自己正当化をしなければ自我が崩壊するのである。だから、正義は自分達の側にあり、私が悪であり私を裁き、私を変えようとするのは正しい行いであり、私の為になってると思わなければ、自分達のしてることを正当化出来ないのである。考えてみたまえ。集団ストーカーは被害者の脳の中を読んでいるのである。被害者はなんて悲惨であろうか。それだけならいざ知らず、集団ストーカーは被害者を毎日苛めているのである。なんて残酷で冷酷な連中であろうか。被害期間は長期に渡り被害者は人生を犠牲にする。これだけのことをして、負い目や罪悪感を感じないとかあり得ない。従って自己正当化するのは必然的帰結である。基本的に集団ストーカーは悪なのである。どんな人間も二面性や多面性があるものである。色々な人格があり、その色々な人格をその都度使い分けて人間付き合いをするのである。そして、その色々ある人格は自我を支える為に必要悪的要素があるのである。欠点は長所と繋がっておりそこで微妙なバランスをとり自我を成立させているのである。従って欠点を欠くと自我が破綻とはいかないまでもバランスを崩すのである。対人関係において問題を起こしてしまう自我を築いているのなら自我改革が必要になるが、無理に自我のあらゆる側面を変えるのは良くない。ここまでくれば集団ストーカーがいかに悪か分かるだろう。こいつら低能はあろうことか断りもなしに頭の中を読んで人格攻撃をし私を変えようとしてるのである。これが悪でカルトでなくて何であろうか。しかも、こいつらのせいで人生の貴重な時間を無駄にするのである。間違いなく集団ストーカーは悪である。私は集団ストーカーは悪の振りをしてると考えていたがこいつらは本質的に悪であった。