集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

屈辱には屈辱で返す終わり無き不毛な争い

我々は被害者である。被害にしかあってないから被害者である。被害者意識が強くなって当然であろう。しかも、集団ストーカーの嫌がらせの内容が対象を侮辱するものであり、被害期間は長く人生を犠牲にするので実に屈辱的である。従って我々被害者はムカついて屈辱に屈辱で返すのだが、集団ストーカーはそれが許せないらしいのである。だいたいが思考盗聴をして対象の頭の中を覗いてること自体が実に屈辱的行いである。私は性格が歪んでいるが(鶴崎のせいでもあるが)私の頭の中を覗き私の性格の歪みに腹を立てて電磁波攻撃をしてくるのである。それなら最初から思考盗聴するなよと、言いたくなる。こちらの許諾なしに勝手に頭の中を覗いて勝手に腹を立てて攻撃をしてくるのである。これが馬鹿じゃなくてなんと言おうか。従って私は腹を立てて集団ストーカーにしょっちゅうキレるがそうすると集団ストーカーは腹を立てて電磁波攻撃や騒音などの嫌がらせをしてくるのである。そうするとまた私がキレて集団ストーカーを侮辱するのである。永久に終わらない不毛な争いである。私は集団ストーカーに早く終わって貰いたい為に文句があるなら、「俺の元に直接来て文句を言えよ」と言うのだがこいつらは、基本的に罪人であり、ヘタレだから遠隔からしか攻撃してこない。こちらは集団ストーカーが辛いから早く終わって貰いたいのである。だから、「私の落ち度を言えよ」と言うのだが集団ストーカーは黙して語らずである。ただ集団ストーカーをしてくるだけである。

どうも集団ストーカーは私に非があると考えているようである。集団ストーカーは私が全ての非は私にあり、集団ストーカーは正しいと考えると集団ストーカーが激減するのである。しかし、こっちは思考盗聴されてるわけで、やはり、腹が立つし、実に屈辱的であるからしょっちゅうやり返す。私は集団ストーカーに屈辱を与えて屈辱を晴らすが、集団ストーカーは自分達が屈辱を抱えたまま集団ストーカーを終わらせたくないようである。私には集団ストーカーを黙して耐えてもらいたいようである。しかし、仮に私に非があったとしても思考盗聴をし、対象を攻撃するのは如何なものか。これ自体が罪悪ではないのか。ただのプライバシーの侵害であろう。頭の中を覗かれるとか実に屈辱的である。人間には必ず秘匿にしておくべきことがあるのだ。私が思うに何度も語るが、集団ストーカーは集団ストーカーを生業にしなければならず、普通の人々と違う生活を送らなければならず、その事に負い目と劣等感があり、被害者を見下して屈辱を与えなければ自我の安定が揺らぐのではないのか。こいつらはいつも謎の上から目線だが、それも対象を侮辱し見下して劣等感補償をしてるのではないのか。私が集団ストーカーにキレて「早く終われ!」と怒鳴り散らしたら集団ストーカーから「早く終わって下さいだろ」と思考送信があった。これも謎の上から目線だが、こいつらは何様何だろうと思った。こっちは屈辱を嫌と言うほど味わってきたのに、集団ストーカーは自分達が屈辱を受けることが許せず、上から目線で、対象に集団ストーカーをしてくるのである。一体どうしたものか。こっちは今直ぐにでも終わって貰いたいのである。しかし、私は集団ストーカーを笑い者にし侮辱し屈辱を与えてるのだから、集団ストーカーは終わらないのである。このままだと永久に終わらない。それだけは勘弁してもらいたい。私は今ではもういい歳したおっさんだ。この先何かの病気に罹らないとも言えない。もうそんな歳だ。辛酸は嫌と言うほど味わってきた。ここまで苦労し時間を犠牲にしたのに集団ストーカーは集団ストーカーを終わらす気がないのである。どう考えても異常であろう。こいつらは我々被害者を散々傷つけ侮辱し、そして膨大な時間を奪ってきたのだから被害者の文句も相殺されて当然であろう。しかし、集団ストーカーは文句が許せないらしい。文句を買うと侮辱で返してくる。堂々巡りである。このままだと集団ストーカーは一生終わらない。人間は屈辱を受けると屈辱で返さないと我慢ならない生き物である。悟りの境地に到達した仏陀ならいざ知らず普通の人間には無理な話である。例外はない。従って集団ストーカーの嫌がらせ自体が対象を侮辱するもので、被害者の多くが集団ストーカーに腹を立ててるだろうし、侮辱に対しては侮辱で返す被害者もいるだろう。実際に私の知ってる被害者は集団ストーカーをアホ呼ばわりしていた。仮に私が侮辱を受けても反抗せずに黙して耐えてれば終わるだろうか。集団ストーカーは何も言わない。実に面倒くさい連中に目を付けられたものである。私は和解するきはあるのである。(だって早く終わってもらいたいのだものw)しかし、集団ストーカーにはその気はないらしい。やはり、嫌がらせに文句を言わず耐えてもらいたいようである。実に屈辱的であるが、集団ストーカーを終わらす為にはそれしか方法がないのだろうか。非常に難しい問題である。

以前哲学者の内田樹から「負のループに陥っている」と仄めかしがあった。これは私と集団ストーカーの関係を言ってると思った。完全に負のループに陥っている。どうすべきか。屈辱は耐え難い。脳の中を読まれているだけでも屈辱的である。私は以前ブログで思考盗聴は人間の神秘性を知る為の学習ではないかと分析したが、そうだとしたら、集団ストーカーはなぜここまで反抗的態度を嫌うのだろうか。同じく内田樹から「集団ストーカー供儀説」があった。供儀とは生け贄の儀式である。生け贄の儀式は大衆に精神的に安定をもたらすのである。集団ストーカーにもそういう側面があるだろうか。だから、生け贄の儀式に選ばれた我々被害者が反抗的態度を取ることが許せず、生け贄なら生け贄らしく集団ストーカーの言うとおりにして大人しく嫌がらせに耐えてもらいたいのだろうか。私が集団ストーカー供儀説をブログで提唱したら打田樹から「もう1つの真実がない」と仄めかしがあった。「もう1つの」と言ってたから、集団ストーカー供儀説は当たってたのだろう。集団ストーカーには何か対象を侮辱し、苛めて、時間を奪っても許される理由があるらしいのだ。今このブログを書いてる時にも電磁波が走った。一体こいつらのどこに正当性があると言うのか。思考盗聴自体が犯罪ではないのか。戦う敵としてもこっちは圧倒的に不利である。私は被害歴28年になるのでもう怒りがマックスに達している。今も電磁波が走った。こいつらはどうも自分達のしてることに正当性があると考えているようである。正当性があるとしたら、やはり、人間理解を深める実験以外に考えられない。我々は人間理解を深める為に人生を犠牲にしているのである。全く腹立たしいが腹を立てても集団ストーカーは終わらない。何か人類の役に立ってるだろうか。そうでも思わないとやってられない。そうでなかっとしたら我々はただ被害にあっただけで人生が終わってしまう。それだけは回避したい。

私の精神が歪んでるのは鶴崎のせいだと言ったが、私は鶴崎に精神を破壊されて精神が歪んだのである。鶴崎は確実に精神が歪んでいた。人をよく見下していたし、飼い猫を踏みつけて遊んでいた。この猫に出会えただけでも産まれてきた価値があったと言ってたのにも関わらずだ。鶴崎は本当にムカつく野郎で断りもなしに私の飯を食べたりジュースを飲むような奴だった。引っ越した時も私の新しい住居に来て「しょぼいアパートだな」と言った。私はかなりムカついた。鶴崎は私を人格攻撃をして私の精神を破壊した。私は鶴崎に文句を言いたかったが文句を言えずその不満は抑圧された。しかし、抑圧されたものは必ず回帰するのである。20代後半に鶴崎に対する怒りと憎しみが沸いてきた。私は鶴崎に文句を言うことが出来ず、鶴崎の言いなりであった。私はやり返したかった。鶴崎は反論を極度に恐れる野郎で私がちょっとでも反論するとびくびく怯える野郎だった。実に弱い人間であったが、私の前では強い人間を演じていた。(鶴崎はある時私に俺は誰といる時でも仮面を付けている。お前といる時ですらもと、言っていたから私以外の人間の前でも何者かを演じていたのだろう。実際に私の友達が鶴崎が高校の同級生の前でおちゃらけたキャラを演じていたと言っていた。鶴崎は何者かを演じてるのは誰にもバレてないと思ってたようだが、他人の目には映るのである。誰にもバレてないと他人を見下してるのである。実にムカつく野郎である)鶴崎には孤立恐怖があったのだろう。自分の主張を訴えても誰も味方になってくれず、孤立するのが怖かったのだろう。小学生の頃に壮大な苛めにあってたようだが、これは確実に鶴崎の性格に原因があり、苛められていたのだろう。そういうトラウマもあり、反論は許せなかったのだろう。それで鶴崎は私の口を封じた。鶴崎は自分がいかに不幸な人間か私によく言ってきかせた。私は鶴崎には可哀想な事情があるからと、多少の不満は我慢していたが、しかし、鶴崎は私を追い込み過ぎた。鶴崎は私の口を封じる為に自分が如何に不幸か語ったのだろう。私が何も反論しないことを良いことに図に乗っていた。私をこれでもかって言うくらい侮辱した。その時の怒り、憎しみが20代後半になり回帰してきた。心理学者の岸田秀の本を読んでからである。岸田秀も私と同じく母親に洗脳されていた。私は鶴崎に洗脳されてたが、岸田は脅迫神経症に罹りその原因をフロイド理論を拠り所に突き止めて、母親は建前上は自分のことを愛してるように振る舞っていたが、実は自分のことを愛しておらず、自分の都合を満足させる為に岸田に様々な観念を植え付けて岸田を支配しようとした。そのことが分かったのである。私と同じであった。鶴崎は私が反論出来ないように、或いは自分の都合の良い人間になるようにする為に、私に様々な観念を植え付けて私を支配下に置こうとした。岸田の母親は何にでも寛容で優しかったらしいが、鶴崎も同じであった。実に寛容で私の言うことを何でも良く聞くのだ。しかし、これは自分の支配下に置くための策略であった。岸田の母親は岸田を劇場に継がせたかったようで何でも寛容であり、ご馳走を作ったりしたようだが、こと劇場のことになるとどれだけ後を継ぐのが嫌だと言っても全く話を聞かないのであった。鶴崎も同じであった。ことの他寛容でこちらの言うことをよく聞くのであるが、反論だけは絶対に許さないのであった。私は岸田の本を読み鶴崎の策略が分かったのである。私は鶴崎に文句を言いたくて仕方がなかった。しかし、もう鶴崎はいない。文句を言えない。私は怒りのやり場に困った。それで、私は頭の中でしょっちゅう鶴崎を侮辱する自分を思い描いた。それは凄まじい侮辱であった。鶴崎のことを心底見下し、小馬鹿にし、侮辱した。その私の鶴崎に対する侮辱が集団ストーカーは許せないらしいのだ。私の精神は確実に歪んでいた。性格がひん曲がった。その為に私は集団ストーカーを腹立たせたようである。私は鶴崎に反論出来なかった悔しさがあるから、屈辱や侮辱に対しては同じく屈辱や侮辱で返すようになった。私と鶴崎の関係が、私と集団ストーカーの関係にずらされ、私の鶴崎に対する怒りが集団ストーカーに向かうようになったと思われる。それで、集団ストーカーは私に腹を立てて集団ストーカーを止めないのであろう。

集団ストーカーの嫌がらせはただでさえ屈辱的な嫌がらせばかりである。性格がひん曲がった私は集団ストーカーを腹の底から見下し、馬鹿にし、侮辱した。集団ストーカーはそれが許せない。勝手に私の頭の中を覗いて勝手に腹を立ててるのである。どう考えてもただの馬鹿だろ?違うか?しかし、私はこのままだと集団ストーカーが終わらないので自分の性格を変えようと何度も自己変革を試みた。しかし、集団ストーカーはその邪魔をしてくるのであった。集団ストーカーは私に100%非があると考えているようであった。私には正当性がないのであった。私は罪人であり、裁かれるべき存在であった。集団ストーカーに正当性があるのであった。そうでもなかったら思考盗聴器を使って私を裁くことはしないだろう。しかし、こちらは思考盗聴されているのである。それだけでも腹立つことだろう。私は何度も集団ストーカーにキレた。私は自分を変えようとしてるのに集団ストーカーは何度も邪魔してきた。集団ストーカーはあくまでも私に非があると言いたげだった。しかし、思考盗聴自体が罪悪なのだから、こっちも黙ってるわけにはいかない。それからは先に説明した通り終わり無き不毛な争いである。自分を変えようとしても駄目。変えようとしなくても駄目。私は一体どうすればいいのか。何も出来ないではないか。私は苦慮した。このままでは集団ストーカーは終わらない。実に絶望的である。私はどうすべきか分からない。鶴崎問題も解決しなければならず、集団ストーカーにも対処しなければならないのだから私は実に不幸である。こんな苦労をするくらいなら産まれてくるんじゃなかったと、つくづく思う。私のメール仲間も集団ストーカー被害者だが人間はもうたくさんだと、言っていた。来世があったとしても、人間には産まれたくない、植物でいいと言っていた。気持ちは分かる。私も人間にはうんざりしている。人間はつくづくどうしようもない生き物だと思う。しかし、私は集団ストーカー被害さえなければ人間でもいいと思ってるのだが・・・