集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーはナチスより悪質である

ナチスドイツは僅か12年で終わったが集団ストーカー被害者の被害期間は12年どころではなく、30年、40年にも及ぶ。例のアウシュビッツから奇跡的に生還した精神科医のビクトール・フランクルが、アウシュビッツから生還したユダヤ人がその精神的外傷を克服するのは難しいと語ってたが我々集団ストーカー被害者も同じである。人間不信にされ、時間を犠牲にし、ありとあらゆるものを失う。従って我々被害者は集団ストーカーが終わったとしてもトラウマに苦しめられるだろう。集団ストーカーに如何なる理由があろうと我々被害者は精神的外傷に苦しめ続けられるだろう。アウシュビッツでドイツ人に虐待され続けたユダヤ人は僅か2日で階段の上り下りが出来なくなるくらい痛めつけられたようである。当時のドイツ人の残酷さ、冷酷さには驚愕するが、こいつら集団ストーカーはナチス並みに残酷で冷酷である。私は被害期間が28年になるが、いくら集団ストーカーを止めてくれと訴えても止めることはなく、冷酷にも集団ストーカーは行使される。アウシュビッツユダヤ人は余りにも悲惨な目にあった為に他人の苦しみに対して感覚が麻痺してたようである。12歳の裸足のユダヤ人少年が収用されてきた時も誰も何の同情心も抱かず何とも思わなかったようである。フランクル達が列車で収用先へと向かう際にフランクルに馴染みのある想いでの景色が見えたのでフランクルはその景色がよく見たくてぎゅうぎゅう詰めにされたユダヤ人達に、ちょっとどけてくれ。外の景色が見たいんだと言うと、ユダヤ人はフランクルに冷たく「もう十分見ただろ」と言ったそうである。我々集団ストーカー被害者もユダヤ人と同じく感覚が完全に麻痺してしまっている。5ちゃんねるに俺が一番不幸。今日も明日も不幸。永久に不幸だ。この不幸を終わらせたかったら死ぬしかないと書き込んでた奴がいたが、私はそいつよりも自分の方が不幸だとしか思えず、そいつに「さっさと死ねよ」と書き込んでしまった。そしたら、そいつが、じゃあ死ぬわと私に書き込んできた。焦った私は「嘘だ!死ぬな!」と書き込んだがそれ以来そいつは5ちゃんねるに現れなくなってしまった。本当に死んでしまったかもしれないが、そしたら私は自殺幇助罪に問われるだろうか。そうなるかも知れないが正直罪悪感はない。私は精神が完全にぶっ壊れてしまって人が死のうがもはや何とも思わない。完全にユダヤ人状態だ。ユダヤ人にとって例の毒ガス室は自殺の手間を省けてくれる装置と化してたそうだが、我々にとっては電磁波兵器がそれに該当する。自殺するのは怖いがしかし、死ぬのは大歓迎である。さっさと電磁波兵器で殺せよと思う。こんな糞みたいな人生を生きるくらいなら死んだ方がましである。我々はナチスに蹂躙されたユダヤ人並みに不幸である。フランクルはそんな死ぬほど不幸な状況下にあって、ある考えに到達する。我々は人生に期待することは止めて人生の側が我々に何を期待してるか考えるべきだと考えた。こんな悲惨を極めた辛い人生だけど、何か意味があるはずだと考えた。フランクルアウシュビッツから奇跡的に生還してアウシュビッツの地獄を生きたユダヤ人の人生を夜と霧と題した書物で書いたがその書物には、我々は人生に積極的に意味を見出だすのであって、人生に期待してはいけない。人生の側の問い掛けに対してその都度答えていかなければならない。どんな人生にも意味はあり意味のない人生はないと説かれている。大変影響力のあった書物のようで、私も影響を受けたが、だがしかし、私はもう人生の意味とかどうでもいい。もはや、人生に何の意味も見出だせない。フランクルにはまだ幾ばくかの精神的余裕があったであろうし、だから、人生に積極的に意味を見出だそうとしたのだろうが、私にはもう余裕はない。限界である。ユダヤ人より不幸なんじゃないかと思う。この人間とか言うアホな生き物は不幸を産み出すのには天才的才能があるが、その不幸を乗り越える能力はないらしい。人類史はいつだって不幸が勝ちを収めてきたと言える。人間のことだがら、この先もどうしようもなく救いようもない不幸を産み出すであろう。こんな救いようもない生き物はいない。どうしようもない生き物だ。数々の悲惨を体験してきた人類であるが過去から何も学ばず反省もせずに次から次へと不幸を産み出す。こう考えると人間の不幸には何か意味があると考えられずにはいられない。一体何の意味があるだろうか。人間は科学的に進化系の中途段階にあると分かっている。つまり、人間は完全な生き物ではなくて不完全な生き物で今よりも上位の段階へと進化するのだ。要するに超人になるのである。従って我々哀れな不完全な人間とか言う生き物にとっては不幸とは超人へと進化する為に必用な精神的陣痛ではなかろうか。仏陀は地獄のような修行の果てに遂には涅槃の境地にたどり着いた。人類も同じく地獄のような人生をへて遂には超人へとたどり着くのではなかろうか。私にはそう思えるのだがどうだろうか。