集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

悲惨を極めた集団ストーカー被害者の一生

一体何の為の人生だったのだろうか。集団ストーカーの被害者に選ばれて30年近くも経ってしまった。これだけ長いこと被害にあい自分の人生を生きれないと産まれてきたことに全く意味を見出だせない。集団ストーカーの被害者に選ばれて毎日陰惨な苛めにあい続けるといかなる思想、哲学、宗教も全く役に立たない。宗教的な意味での救いは消えた。こんな人生だから底無しの虚しさに襲われる。我々被害者の人生に一体何の意味があるのだろうか。今は日本は有事で社会格差が拡がり不幸な人生を生きる人間は多いだろうが、少なくとも彼等は確かに不幸だが自分の人生を生きることは出来るだろう。しかし、我々被害者は集団ストーカーに翻弄され、時間を犠牲にし、自分の人生を生きることは出来ない。そんな人生を長いこと生きてきたのだから、今は私は人生に何の意味も価値も見出だせない。

テレビを観ると演者は楽しそうにしてるが、実に羨ましい。好きなことをして金を稼げるのは幸福であろう。もちろん成功する為には才能と努力が必要であり、成功者なんて全体の1%もいないかもしれないし、普通の人々にはない苦悩もあるかもしれないが(どうしよもなくつまらない無価値な馬鹿も多いが)、私と違ってイキイキと人生を生きてるように見えて実に羨ましくなる。

今テレビで自民党LGBTは種の保存に背くと言っていたと話題にしてたが、貧富の差を拡大させて富裕層を優遇する製作を施行し、貧困層を増やし、貧乏人は結婚はおろか恋愛すら諦めなきゃいけない社会を作った自民党が一体何をほざいているんだと思った。少子化を促進してるのはこいつらだろうが馬鹿たれが。何を考えているんだ。どうしようもない馬鹿だ。野党もうんこだが自民党の低能ぶりは本当に酷い。しかし、日本人の多くは自民党を支持してるのだからこの国は終わってると言える。自民党が与党であるかぎりにおいて日本は破滅へと向かってると言えるが、集団ストーカー被害者の人生も破滅へと向かってる。好きなことも出来ず精神的、経済的にも追い詰められ30年、40年も被害にあい人生を失う。こんな悲惨な人生もない。私はかつてヨーロッパ人に滅ぼされたか或いは、滅ぼされはしなかったが、人生を奪われ奴隷として使役された異教徒のことを思うと全く他人事だとは思えない。彼等も我々と同様、この上なく卑怯で卑劣で冷酷なヨーロッパ人に人生を奪われたのだから他人事ではない。私は彼等に想いを馳せる。彼等はヨーロッパ人にこれでもかってくらい蹂躙されて時には殺され、ある民族は滅ぼされ、ある民族は大量虐殺され、生き残った連中は土地を奪われ、自分達から土地を奪った連中の文化に同化することを強要され、ある民族は300年も400年も奴隷として生きてきた。何でもスペインに滅ぼされたインカとアステカ帝国には物ごいがいなかったくらい豊かであったらしい。ヨーロッパ人と違って自生の神話の中でアイデンティティー的に安定し(ヨーロッパにも自生の神話があったが)、そこそこ豊かに暮らしてた彼等は幸福であったであろう。しかし、彼等はヨーロッパ人に目を付けられて滅ぼされたのだ。彼等は悲惨だが我々と比べてどれだけ悲惨であろうか。我々も死ぬほど悲惨な人生を生きているが、人類史は悲惨に満ち溢れている。世界中を蹂躙したヨーロッパ人も悲惨な民族であった。世界で一番貧しく戦争を繰り返し、殺し、殺されを繰り返し争いが絶えないのであった。そんなヨーロッパ人の絶望、怒り、不満が爆発して人類史上最大の惨劇大航海時代が始まった。大航海時代はヨーロッパ人が自分達だけ不幸なのが我慢出来なくて他民族を不幸に貶めて自分達は不幸から脱却しようとした企てであった。ヨーロッパは金銀財宝を盗み現地住民を奴隷として使役して、そこで得た資源、物資を安価で輸出し高額で売りさばき豊かになった。(スペインは貧しくなったが)その後イギリスで産業革命が起きて生産率が格段に上がり豊かになるが、貧富の差も拡大した。私は大航海時代は歴史の必然だったと思ってるが、大航海時代によりヨーロッパ人はキリスト教を異教徒に押し付けて、彼等はキリスト教から離れていくのだ。今ではヨーロッパ人は誰も教会に行かなくなったと喜々として語るが、ヨーロッパ人はやはり、キリスト教が重荷だったのだろう。自分達だけがキリスト教を押し付けられた不幸が我慢出来なくて同じようにキリスト教を他民族に押し付けて彼等を不幸に貶めたかったのだろう。アジアではキリスト教の国家もあり、信仰されてるようだがヨーロッパ人はキリスト教を押し付けて自分達はキリスト教から脱したのだ。

とにかくヨーロッパの混乱が世界中を不幸にしたが、時代が変わり現代では流石に侵略等は出来なくなり、争いもグッと減って昔と比べて比べ物にならないくらい豊かになり平和になった。しかし、今の時代はそれで必ずしも幸福とは言えない。精神的に病んでる人間も多いし、貧富の差も拡大して貧困に喘ぐ人間も多い。北欧の高福祉社会が幸福なのかどうかは私には分からないが、今の日本には確実に不幸な層がいて、救いようもない人世を生きている。そして我々集団ストーカー被害者もどうしようもなく救いようもない悲惨な人生を生きている。時間は奪われるし、これでもかってくらい侮辱され、精神的にも、経済的にも追い詰められる。盗難にもあうし(私は親父の形見の野球のバッドを盗まれた。死ぬほどムカつく。集団ストーカーが終わったら返ってくるのだろうか)悲惨を極めた人生を生きている。私はよく、自分達集団ストーカー被害者より不幸な人間はいるだろうかと考えるが、そうすると、かつてヨーロッパ人に殺された平和に暮らしてた異教徒が直ぐに思い浮かぷ。とてもじゃないが彼等が他人事とは思えず彼等のことを思うと底無しの悲しさに襲われる。しかし我々集団ストーカー被害者の方がまだマシだとは思わない。幸不幸とは相対的なもので、時代または、置かれてる環境によって様相は変わってくる。色々な問題は抱えてるとは言え、一応は理想的な社会を作ったように見える現代社会に生きる我々にとっては比較の対象が、普通の人々やセレブリティになるわけで、我々集団ストーカー被害者は集団ストーカーの対象に選ばれず自分の好きなような人生を生きることが出来て、それなりに幸福に生きれる人々や莫大な私有財産を持つどうしようもなく馬鹿で無価値なセレブリティなんかが比較の対象になるわけで、彼等と比較すると我々集団ストーカー被害者の人生は何ともしみたっれて悲惨で不幸であると思う。彼等の人生と私は底無しの虚しさに襲われる。それなら比較しなければいい。自分は自分。他人は他人と考えて生きればいいとも考えられるがそうはいかない。人間は他人との関係性の中にしか自分を見出だすことは出来ず、ある時は上を仰ぎ見て劣等感に苛まされ、ある時は下を見下し優越感に浸る。そうして、他人と自分を比較して(他人と言う概念は日本にしかないらしい)自己形成を行う。従って我々被害者は殆ど全ての人間が自分達よりマシに思えてどうしようもなく救いようもない劣等感に苛まされる。こんな悲惨な人生もないと思う。オランダ人に400年も統治され奴隷として生きてきたインドネシア人も悲惨だし、2000年も中国の属国であった朝鮮人も悲惨だったが、我々も負けないくらい悲惨である。この人間とか言う生物は悲惨を創出することに関してはまことにもって天才的な才能があるのだが、その悲惨を克服する能力はないらしい。どうしようもなく救いようもない生物だと言わざるを得ないが、従って人類は必ず不幸を創出し、その不幸から死ぬまで脱することの出来ない人間はたくさんいるのだ。しかし、中でも我々集団ストーカー被害者はそんな不幸な人間の中でも極めて不幸な部類に入るだろう。殺生与奪の権利を集団ストーカーに握られ運命を弄ばれ時間を犠牲にする。こんな悲惨で不幸な人生もない。一体誰が思いつきやがった。思い付いた奴は被害者意識と劣等感の塊ではないのか。少なくとも加害者の中には集団ストーカーが満更でもない糞ゴミがいるようだし、死んで貰いたいがこんな犯罪まがい、いや、犯罪そのもののことが許され被害者が自殺しても罪に問われないのだからやはり満更でもない糞はいるだろう。死ぬほどムカつくが選ばれてしまったものはしょうがない。私はいつも集団ストーカーにキレて集団ストーカーの糞馬鹿を心底見下し小馬鹿にしてるが文句を言っても終わりはしない。我々はいつか集団ストーカーが終わると信じて生きてるが私は被害歴が28年だし、私のメール仲間は被害歴40年で歳は50を過ぎている。従って私も被害歴が40年を過ぎて歳は50を過ぎても集団ストーカーが終わらない可能性はある。私は結婚願望は強いから早く終わってもらって結婚し、自分の家族を持ちたいがはっきし言ってその夢も叶いそうにない。殺意を抱くくらいムカつくし、私は復讐心満点だが現実がそうなんだから仕方がない。現実は認める他にない。その現実がどうしようもなく救いようもないのだから全くもってたまらない。何故集団ストーカーはそこまで被害者を不幸に追い詰めるのかは分からない。そのことに一体何の意味があるのだろうか。何度か書いたが私は集団ストーカーに謝罪を要求されて、謝れば終わると言われたので何百回も謝ったのだが集団ストーカーが終わることはなかった。この集団ストーカーの馬鹿はどうもプライドだけは人1倍高いらしく被害者からの攻撃にはことのほか非寛容である。その理由を考えると疚しい仕事を生業にして生活してる為に被害者意識と罪悪感がごっちゃ混ぜになり、精神的に不安定で自分を保つ為に相対的にプライドが高くなるのではなかろうか。集団ストーカーとしての誇りとか笑止千万だが、こいつらはいつも、人より立場的に上位に立ちたがりいつも上から目線で、私が集団ストーカーの電磁波攻撃があまりにも鬱陶しくブチキレて、「早く終われ!」と絶叫しまくってたら、「早く終わってくださいだろ」と思考送信があった。何で私の人生を潰した奴に敬語でお願いをしなければならないのだろうか。全く意味が分からない。私はある掲示板で集団ストーカーを心底見下し、小馬鹿にし、罵倒してたのだが、そしたら集団ストーカーから復讐を慣行すると言われて地獄を見たが集団ストーカーは先に説明した通り被害者の悪口にはことの他非寛容である。集団ストーカーは自分達が被害者を見下し、小馬鹿にし、被害者を精神的に追い詰めて、人生を破壊し、或いは自殺に追い詰めても何の罪に問われることはなく全ての行いは許されるが、被害者が集団ストーカーを見下し、小馬鹿にし、集団ストーカーを罵倒し、復讐をすることは許されないと、考えてるようである。集団ストーカーは私に謝罪を要求してきたが、私には私が集団ストーカーに今までしてきた愚行を恥じて、反省し、2度と同じ過ちは繰り返さず、集団ストーカーにどれだけ小馬鹿にされ、見下され、人生の貴重な時間を奪われ、人生修復が完全に不可能なレベルまで破壊されても文句1つ言わず、ましてや復讐心を持ってはならず、終わってもらいたいなら屈辱に黙して耐えなければないと考えてるように思う。私が見たところ、何か屈辱的な事態に陥った人間が屈辱を克服する為に復讐をしなかった例は存在しない。屈辱には屈辱で返すのである。屈辱は受け入れればいいと言うが、神か仏か知らぬが屈辱を屈辱として受け入れて復讐心を持たずに克服した例は存在しない。屈辱を与えられた人間は必ず何がしかの仕方で復讐をするものである。自分に屈辱を与えた人間に直接復讐をするか、相手が自分よりも強く直接的に復讐をするのが不可能な場合、或いは復讐の対象が死ぬとかして存在しない場合、復讐心を他の人間にずらして自分より弱い人間を苛めたり、かつて自分が味わわされた屈辱と同じ屈辱を別の人間に与えたりするものである。かつてのヨーロッパがそうだったし、日本人もそうである。従って集団ストーカーは我々被害者に絶対に出来もしない、無理なことを要求してると言える。それで、集団ストーカーはどれだけ卑怯卑劣なことをしても許され、集団ストーカー被害者が反撃してきたら、その反撃の度合いに応じて復讐をすることが許されるのだから集団ストーカーはかなり優越感に浸ってるのではなかろうか。集団ストーカーが満更でもない糞馬鹿がいると書いたが、そういう人間はどうしようもない劣等感を抱えているのではなかろうか。何度も語って申し訳ないが人類史上最も不幸な人生を生きてきたヨーロッパ人と言うか、アメリカ人も含めて白人の潜在意識に眠る人類に対する深い悲しみ、憎しみ、復讐心が集団ストーカーを産み出したのではなかろうか。私にはそう思えるのだがどうだろうか。