集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

何でこんな目にあわなきゃいけないんだ。集団ストーカーて何なのマジで。

被害者に選ばれて30年。長過ぎる。選ばれてからは嫌なことしかなかった。30年も集団ストーカー被害者として苦しい人生を生きてきた。被害者なら分かるだろうが集団ストーカーの嫌がらせは理不尽で本当に耐え難く普通の人間なら1年で音を上げる嫌がらせばかりだ。それだけ辛い嫌がらせに30年も耐えてきた。30年も集団ストーカーをするとか頭がトチ狂ってるとしか思えない。被害初期の頃はいつか終わるだろうくらいに軽く考えてたが、月日はあれよあれよと過ぎ去り気づいたら被害歴30年になってしまった。歳も取り気付いたらいい歳したおっさんになっていた。本当に私の人生は集団ストーカーのせいで終わったと言える。集団ストーカーの何が辛いかと言うと嫌がらせ自体が辛いのはもちろんだがやはり時間を犠牲にすることだろう。どんな人間も自分の人生を生きたいだろうが我々被害者は集団ストーカーに邪魔をされるので自分の人生を生きれず膨大な時間を犠牲にすることになる。何も出来ずに過ぎ去った時間のことを思うとどうしようもない虚しさに襲われる。何で私は理不尽にも集団ストーカーの被害者に選ばれてこんな人生を生きなければならないのだろうか。困難は多いし想像を絶するほどつまらない人生だった。そんな人生を生きてきたので最近は全ては無意味だと思うようになった。人間は人生に意味付をする生き物であり全ては無意味と言う認識も一種の意味付である。そうやって全ては無意味だと意味付をしないと虚しさに耐えられないのだろう。無意味の意味である。そうやって意味付をしたからと言って何かが変わるわけでもないがとにかく意味付をしないと虚しさに耐えれないのだろう。

集団ストーカーの被害者に選ばれて何でこんな虚しい人生を理不尽にも生きなければならないのだろうか。どういう目的があるのかは知らんが全く納得出来ない。納得する奴はただの馬鹿だろう。そんな奴はいるはずはない。当たり前だ。我々は余りにも理不尽な嫌がらせにあい人生を奪われてる。集団ストーカーの目的が何であろうがこれでは納得出来なくて当然と言える。集団ストーカーはこの上なく非寛容な連中で、私が集団ストーカーに対して「許せない」と考えると集団ストーカーはそんな私に対して「許せ」と思考送信をしてくる。だけど、集団ストーカーは私の悪口に対しては絶対に許さないという態度を取ってくる。こっちは長いこと集団ストーカー被害者として生きてきて我慢に我慢を重ねて遂に怒りが爆発して集団ストーカーに対して悪口を言うのだから普通ならそれぐらいは許せよと思うが、集団ストーカーは悪口を許すことが出来ないようである。私にどんなにムカついても文句1つ言わず集団ストーカーに耐えてもらいたいのだろうか。しかし、私は被害歴が30年であり、30年も集団ストーカーに耐えて生きてきたのであるから集団ストーカーに対して悪口の1つも言いたくなるだろ。そんな人間にまだ耐えることを要求するとかこいつら頭が狂ってるのではないか。こいつらは我々にどれだけ絶えてもらいたいのだろうか。耐えた先に幸福があるならまだしも一度始まると集団ストーカーは長く30年も40年も集団ストーカー被害に耐えなければならずいつ終わるか分からない。そんな犯罪だから多くの被害者が集団ストーカーは一度始まったら2度と終わらないと諦めモードになってるかも知れない。実際に私の知ってる被害者二人は集団ストーカーは一度始まったら二度と終わらないと言っていた。何を根拠に言ってるのかと思ったが私も被害歴がウンザリするくらい長いので今ではもう集団ストーカーは終わらないと諦めモードだ。この先幸福が待ってるとも思えないし、仮に終わったとしても被害者は膨大な時間を犠牲にしてるので人生に後悔することは避け難い。終わってなお最悪である。

私はありとあらゆる苦しみを味わい、ありとあらゆる苦しみに耐えてきた。苦しみはもうたくさんである。30年も苦しみに耐えてきたのだから集団ストーカーはもう良いだろうという気持ちで一杯であるが集団ストーカーはまだ集団ストーカーを止める気はないらしい。集団ストーカーの被害者に選ばれた自分の運命を呪うしかないが、同じく被害者で都議選に出馬し名古屋市長選にも出馬した押越さんが私の地元の盛岡に街宣に来た時に懇親会で語ってたが集団ストーカー被害者は不幸な人間や変わり者が多いとのことである。何で集団ストーカーは不幸な人間をターゲットに選ぶのだろうか。ただでさえ不幸な人生を生きてきて辛いのに集団ストーカーの被害者に選ばれて更に不幸な人生を歩むとか、まるで地獄だが、集団ストーカーは苦しんでる人間のデータでも欲しいのだろうか。集団ストーカーは毎日被害者を虐めて心が傷まないのかと思うこともあるがどうも全く心を痛めてないようである。なにか目的意識があるのかも知れないが被害者はこれだけ大変な人生を歩んでるのだから同情心を持っても良さそうだが集団ストーカーは全く持たないらしい。むしろ普通の人が聞いたら思わず同情したくなる話が大嫌いなようである。私が自分の不幸について考えてたら集団ストーカーから電磁波刺激があった。お前のことは認めないと言わんばかりにだ。冷酷な連中だと思うが集団ストーカーは不本意ながら集団ストーカーをしており被害者よりも自分達の方が不幸だと思ってるのかも知れない。一日中思考盗聴して被害者がある特定のことを考えたら電磁波で攻撃するだけの人生とかどう考えても幸福な人生ではないだろう。

集団ストーカーに何度も止めてくれと訴えるがこいつらには何を訴えても無駄である。被害者の思いは届かず絶対に集団ストーカーを止めることはない。私は集団ストーカーに謝れば終わると言われたからかなり屈辱的だったが集団ストーカーは辛いしこれ以上時間を無駄に出来ないのでプライドを殺して仕方がなしに集団ストーカーに謝ったが集団ストーカーが終わることはなかった。ナチスアウシュビッツに収容されたユダヤ人がユダヤ人絶滅政策が終わると聞いて喜んでトラックに乗ったが期待とは裏腹にそのユダヤ人は殺されてしまった話があるがその話を思い出した。集団ストーカーは期待を持たせて終わらないとある被害者が言ってたが確かにそうだ。より落ち込ませる為に期待をさせて終わらせないのだろうか。私は被害歴が30年であり今更終わっても大して嬉しくないのだが…

私はガキの頃から不孝だった。片親で家は貧しかった。そんな私が集団ストーカーの被害者に選ばれたから最悪である。よくぞこんな人間に集団ストーカー出来るものだ。どこまで非情何だと思う。こんな悲惨な人生もないだろう。私が1番不幸なのではないかとよく思う。せめて集団ストーカーさえなければもっとマシな人生を生きることが出来たとよく思うが、誰が思い付いたのかは知らんが集団ストーカーを思いついた奴のことを考えると殺意が沸いてくる。こいつが集団ストーカーを思い付かなければ我々はもっとマシな人生を送れた筈である。こいつのせいで人生は壊滅状態となり不幸な人生を歩むことを余儀なくされた。一体何を考えてるんだ。こいつらに何の権限があるんだ。早く人生を返してくれ。お前らの人生じゃないんだよ。俺の人生なんだよ。勝手に使ってんじゃねえよ。お前らは時間の貴重さが分かってない。人生は一度きりなんだよ。今しかないこの瞬間を大切にしないと。

人類史は不幸な話に満ちており不幸にも悲惨な人生を生きることとなった人達がたくさんいる。その不幸は悲しいことに報われるものではなく死ぬまで不幸な人生を生きた人間も沢山いただろう。我々もそういった連中と席を同じくする可能性がある。誰にも知られず不幸なまま亡くなった人は多いだろうが、誰だって無名の不幸な人間にはなりたくないだろう。どんな不幸にも意味はあり必ず昇華出来るからその不幸から目を逸らさずしっかりと認識する必要があるだろう。日本人にはこういうことは苦手であろう。日本の文化の中心には何もなく横の繋がりを保証する立脚点がないので民族的繋がりがかなり弱く一致団結することが出来ないので不幸を受け入れることが出来ないのだろう。外国と関わりを持たず日本人だけでやってくにはそれで問題なかったが航海技術が発達して海洋防壁が崩壊して外国と付き合わなければならなくなり、当時は侵略の危機もあり日本人は自分達の弱さを痛感することとなった。現代の日本の混乱も文化の中心に何も無いことと無関係ではないだろう。どんな民族も歴史的に不幸を味わってるからその不幸を昇華させ、それが民族的な強みになったと言えるが日本人は不幸から目を逸して不幸を昇華させてこなかった。これが日本の弱さになってる。勿論不幸な歴史がもたらした屈辱的な人生がその屈辱を克服する為に優越感に浸り他民族軽視に繋がってる面もあるから何から何まで褒められたものではないし、日本人は他民族に比べると他民族軽視感情が弱いかも知れずその点は良いのかも知れないが、不幸は昇華させずそこから普遍的なものも生み出さなかった。日本に集団ストーカー被害者はたぶん2000人くらいいるだろうがとんでもなく不幸な人生を生きる我々集団ストーカー被害者の人生を何か未来の日本人の為に意味のあるものに仕立て上げたい。我々の人生はそれ以外に使い道がない。こんなに不幸で悲しい人生なんだからいつか報われたいと思うが報われる為には他者の承認が必要であろう。日本人は興味も関心も持たないだろうけど、そうやって我々の不幸な人生に意味を持たせて未来の日本人の為に役立てる他に使い道がない。

仮に集団ストーカーが死ぬまで終わらないとしたら我々の人生には全く意味も価値もない。ただ集団ストーカーに虐められただけで人生が終わってしまう。そんな人生は余りにも悲し過ぎるだろう。世の中には70歳を超える集団ストーカー被害者がいるが我々も70歳を過ぎても集団ストーカーは終わらないだろうか。そうなったら我々はこの世になんの為に産まれてきたのだろうか。被害者のまま老人にだけはなりたくないが、結局苦労は報われず死ぬまで集団ストーカーの被害者として生きることになったら悲惨だ。それだけは避けたいが、そうなる可能性はある。こんな人生を生きるくらいなら産まれてこないほうが良かったとよく思う。こう思うのも全て集団ストーカーのせいだ。私の人生が悔恨に満ちてるのも全て集団ストーカーのせいだ。我々の不幸の原因は全て集団ストーカーにある。何でこんな不幸な人生を生きなきゃならないのだろうか。こんな不幸な人生に一体何の意味があるのだろうか。このまま苦労は報われず人生が終わってしまう可能性があるが、そうなったら何の為の人生なんだろうか。仮に人生に自分なりに意味を見出しても集団ストーカーの被害者で有る限り好きなように生きることは叶わずかなり制限された人生を生きることになるので人生の意味を見失うかもしれない。中国に弾圧されてるウイグル族は人生の意味を考えることも出来ないほど辛い人生を送ってるかも知れずかなり悲惨だが、人類史は悲惨な話に満ちている。昔から苦労続きでその苦労は報われず亡くなった人間は腐るほどいただろうが今はネットがあり自分の苦労史をいくらでもネットに書き込むことは出来る。昔は不可能だった普通の人達がネットの力を借りて多くの人間に共感してもらうことが可能になった。従って今は昔よりはマシかもしれないが、しかし、いつの時代でも象徴的な幸不幸があり幸不幸とは相対的なもので昔の方がマシなこともたくさんあり別に今の人達の方が幸福とは言えない。私は集団ストーカー被害者はネットにその苦しみを書いてもらいたいと思う。我々がその苦しみに意味を持たせる為には他者の承認が必要不可欠だからだ。だから積極的に苦しみに意味を持たせて他者に伝えてほしい。我々が出来るのはそれくらいだ。