集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

【全てがどうでもいい】全ての苦しみを超越した終わりなき電磁波拷問

今私は毎日電磁波拷問に耐えている。その苦しみは想像を絶するのであり全ての苦しみを超えていると言え苦しみの極地だと思う。未だかつて誰も知らない苦しみでありこの先も誰も知らない苦しみだと言える。まさに究極である。ここまで苦しいとこの世の全てがどうでもよくなるのであって人生の意味も価値もどうでもいいし、人類平和もどうでもいい。アウシュビッツから奇跡的に生還したフランクルはあの極限状況にあって人生の意味について考察したがそれもまだ幾ばくかの精神的な余裕があったから可能なのであって、今の電磁波拷問を受けている私にはもはやそんな余裕もなくただ苦しみが終わるのを待っているだけだ。私はアウシュビッツに収容されたユダヤ人よりも苦しんでいるだろう。ひょっとすると人類史上1番苦しんでるかも知れない。フランクルは人間は何にでも慣れる存在だと語ってたがこれは嘘である。電磁波兵器により生み出される苦しみは慣れることはない。どうやっても克服出来ず心が常に苦しく何ものも慰めにはならない。苦しみは誰かと共有すれば癒えるものだが、この電磁波拷問により生み出される苦しみはその共有は不可能であり、何ものも救いにならない。全てが苦痛であり何も見たくないし聞きたくもない。一生寝てたい気分である。しかし非情にも朝はやってくる。朝目覚めた時の絶望感は異常である。電磁波兵器を使えば何でも可能で病気にすることも出来るし、身体を操ることも出来るし、精神的に追い込むことも出来る。精神を攻撃されてる被害者は悲惨だ。その苦しみはこの世のものとは思えず地獄であり、たぶん誰も耐えれないだろう。究極の苦しみであり、この苦しみから開放されたらたとえ集団ストーカーが終わらなかったとしても天国だろう。反動で涅槃に至るのではないかと思ってしまうほどだ。

私は余りにも辛いので自殺を試みた。首吊をしたのだが失神までは行ったのだがタオルをかけてるドアが外れて自殺は失敗に終わった。最初失神から目覚めた時は意識が朦朧としており、自分が自殺をしたことも分からず何が起きてるかも分からず、何でこんなとこに居るんだろうと思った。自分の肩に外れたドアがかかっていて、何だこれはと思ったが、徐々に意識が回復してくると事態を飲み込めるようになり、ああ、ドアが外れて自殺に失敗したんだなと思った。首吊をして意識は直ぐになくなった。ドアが外れなければ私は死んでいただろう。死ねなくて残念だった。死ねば全てが終わったのに。私の意識が目覚めると集団ストーカーから電磁波攻撃があった。自殺未遂をした人間にも電磁波攻撃をするのが集団ストーカーである。何て冷酷な人間なんだろうと思った。人間は人間に対してここまで冷酷になれるのか。その冷酷さはナチスを超えてるのではないか。

私は電磁波拷問が毎日辛いので集団ストーカーに毎日謝罪している。私が間違っていました。もう悪口はいいません。お願いです。どうか許してくださいと。毎日毎日何度も謝罪している。しかし、集団ストーカーの電磁波拷問は終わらない。私が謝罪するとまだ許さんとでも言わんばかりに電磁波刺激が走る。私のことを憎んでるのかなと考えたら電磁波刺激が走った。私はかなり集団ストーカーを小馬鹿にしてきたので集団ストーカーは私を憎んでるようであった。その憎しみは凄まじく私が何度も心の底から謝罪しても電磁波拷問は終わらなかった。私は二週間くらい電磁波拷問に耐えてるがもう限界だ。今日自殺を試みたが本当に耐えられなく発作的に自殺に踏み切ったのだ。死ねば全てが終わると思った。早くこの苦しみから開放されたかった。私は集団ストーカーに集団ストーカーが終わらなくてもいいから電磁波拷問だけは止めてくださいと集団ストーカーに何度もお願いしたが聞いてもらえなかった。今も私は電磁波拷問に耐えながらブログを書いている。私は今まで集団ストーカーの被害者に選ばれて不幸な人生を生きてきたのに私の集団ストーカーに対する反抗的態度が気に入らず集団ストーカーは私に鉄槌を食らわしてきた。私はかなり不幸だったのだからもっと多目に見てもいいと思うが集団ストーカーはかなり怒ってるようで電磁波拷問を止めない。どんだけ怒ってると思うが、私から見たら集団ストーカーの怒りは的外れだと思う。私がいかに不幸な人間か知ってるだろう。そんな人間にすることか。しかし集団ストーカーの怒りは収まらないようである。

とにかく私が言いたいことは電磁波兵器は地獄の兵器であり、集団ストーカーを怒らすようなことをしてはならないと言うことである。馬鹿な私みたいに集団ストーカーを舐めてかかると必ず痛い目にあう。集団ストーカーはこの上なく冷酷無情な連中であり被害者がどれだけ苦しんでても何とも思わず殺人的嫌がらせをしてくるのである。私は何百回も謝ったが全く許してもらえず殺人的拷問の中で苦しんでいる。馬鹿な私を除けば、集団ストーカー被害者とは言えまだ幾ばくかの自由はあるのであってショッピングをしたり映画を観に行ったり食事を楽しんだり出来るだろう。被害は辛いけど僅かな自由の中で好きなことをして気分転換をすれば良いと思う。集団ストーカーの嫌がらせにムカついて私みたいに噛み付いてはいけない。必ず地獄を見るから。集団ストーカーは辛いけど、現実は現実として認めて受け入れてその中で他の被害者と交流をして辛い気持ちを共有化して僅かな自由の中で自分の好きなことをすれば良いだろう。ひょっとすると私みたいに地獄を生きる被害者もいるかも知れないがそういう被害者には同情の念を禁じえない。集団ストーカーの被害期間は長くいつ終わるか分からないけど希望を捨てずに生きてもらいたいものである。私は死ぬかも知れないけど、全ての被害者に光が訪れることを願っている。