集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

【復讐】活躍し過ぎる大谷と日本人のアイデンティティ

メジャーリーガーの大谷の活躍が止まらない。大谷はピッチャーだけでなくバッターとしても活躍しており二刀流と言われている。投手としては日本史上最速の165キロを記録し日本史上でも最高レベルの投手であろう。バッターとしても日本史上最高レベルのバッター松井秀喜がメジャーで打ち立てたシーズン31本塁打の記録にまだ前半戦でありながらあと一本と言うとこまで迫った。前半戦で30本も打つとかどう考えても異常である。仮に大谷がバッターオンリーの選手だったとしても異常な成績を残してると言えるが大谷の専門はピッチャーである。ピッチャーが松井のシーズンホームラン記録を前半戦だけで塗り変えようとしてるのである。かつてメジャーで旋風を巻き起こしたイチローの衝撃を超えてる。こんな選手前代未聞過ぎて言葉を失う。私みたいに死ぬほど救いようもない人生を生きてる人間と比較してどれだけ差があるだろうか。雲の上の存在すぎてもはや比較の対象にもならない。世の中光溢れる奴もいれば日陰の奴もいるってわけで、神が世界をそのように創造したわけではなく自然とそうなってるだけのことに過ぎない。私と大谷は同郷だから私が余りにも不幸で大谷が余りにも活躍してる為に私と大谷は何か関係があるのではないかと思えてくる。私と大谷は繋がりがあり大谷か活躍すればするほど私が不幸になるんじゃなかって気がしてくる。誇大妄想かもしれないが人間の幸福は確実に誰かの不幸の上に成り立っている。不幸なくして幸福なしである。だから私は自分の幸福になるエネルギーを吸い取られて不幸になってるのではないか。私は多くの人間の幸福を支える為に存在してるのではないか。自分が余りにも不幸でどうやっても幸福になれないから私は自分の不幸は他人に幸福を提供する為に自らの人生を犠牲にしてるような気がしてくるのである。だから同郷だが大谷が活躍すると大谷活躍するな、俺が不幸になると思うのである。

人間も自然だから人間にも自然の法則が成り立つはずである。最初は無だったのか分からないが(無は定義により無いのだから私は無はなかったと考えてる)宇宙が誕生して惑星が誕生し銀河系が生まれて太陽系が生まれ地球に生命体が誕生した。そして一応進化系の最高形態と言われてる人間が誕生したわけであるが、どうもこの人間とか言われる種は自然の法則からずれてるようである。生物界は絶妙なパワーバランスの元に成り立っていて自然と上手く調和し共存共栄の関係を築いてる。勿論肉食獣は草食動物を食料にしてるが、人間と違って必要以上には摂らないのでパワーバランスは見事に維持される。種が増えすぎると集団自殺するレミングの話は嘘らしいが、何某かの天変地異でも起きなければ自然界は見事な調和を見せて何の問題もなく世界は生成生起を繰り返す。しかし、この人間とか言われる生き物は自然界の異端児であってその必要もないのに自然を破壊し自ら殺しあい必要以上に食物を摂する。何でこんな生命体が派生したのかは知らんが人間は進化系の中途段階にあることが科学的に分かっており更に上位の段階へと進化するのだ。そのときになって初めて人間の謎が解けて人間とは何ともどうしようもない生き物だったと思うだろう。

私と大谷は同郷だが同じく同郷の人間に大谷と同じくメジャーリーガーの菊池雄星がいる。そしてもう一人同郷の人間に高校時代に大谷の高校史上最速の160キロを超える163キロを記録した佐々木郎希がいる。最近岩手の人間の活躍が目覚ましいが、野球以外だとボルタリングの伊藤ふたば、スキーの小林陵侑等がいる。何故岩手からこのように有能な人間が近い時代にたくさん出て来たのかというと差別されて生きてきた東北人の復讐心が原動力としてあったとしか思えない。東北はただでさえ差別されてるがその中でも岩手の差別が酷い。だから、岩手県民の怨念がこれら有能な人間を生み出したとしか思えない。全てを超越した大谷なんかは岩手県民の怨念が結晶化して出て来たとしか思えない。東北土人なんて言われるが、これは自分達を西洋人と同一視して自分達が差別の対象にされてることが屈辱的だからその屈辱を内側にずらして身内を差別することによって劣等感を補償してるに過ぎない。日本人は見ようによっては本当に馬鹿な民族で民族としての誇りや団結よりも外国人と自分達を同一視することを重要視して民族的アイデンティティを確立するよりも外国人との結合を目指す。これはかつては和魂漢才と呼ばれ今は和魂洋才と呼ばれている。日本人が日本のものよりも外国のものの方が優れていれると考える傾向が強いのは否定出来ないだろう。こんか民族だからアイデンティティの確立なんて不可能である。私はそもそもアイデンティティなるものを全く信用しておらず自我の確立も必要ないと考えているが、しかし、今の日本は右翼と左翼に分裂しており、その分裂の症状の原因は日本人はアイデンティティ的に常に不安定だからである。日本の文化の中心には何もないと言われてるが、日本の良い面も悪い面も全て文化の中心には何もないところから出て来ている。だから、日本人は日本の文化の中心には何もないと自覚する必要がある。文化の中心に何があるのかと問われたら何もないがあると答えねばならない。自覚的にそうなることによって初めてアイデンティティ的なものを確立出来るようになり、東北土人とか言って仲間を見下すこともないだろう。大谷のような怪人が出て来たのも文化の中心には何もないからである。何もないからある特定の型にはまることがないので二刀流が可能になったのである。これは日本人の良い面である。悪い面は身内を差別したり左翼みたいな反日が出てくることである。これも文化の中心には何もないからだ。自民党は右翼だが反日であり、国を売り飛ばす売国奴の癖に極右のカルト日本会議とパイプがあるのだから訳が分からない。反日右翼と言った感じだが、安倍は悪夢の民主党政権時代と言ってたが安倍の頃の方が確実に悪夢だったし、安倍は反日の人間がオリンピックに反対してると語ってたが本当に自国のことを思うならば普通ならオリンピックは中止すべきであり、開催するにはデメリットがあり過ぎる。そして何が絶望的かと言うとそんな自民党を国民が支持してるのである。余りにも馬鹿だが私が思うに日本が今有事なのは殆ど全て文化の中心には何もところから出てきてる症状だと思う。勿論GHQの日本人骨抜き政策が功を奏してる面もあるのは事実だろうし、スリーS政策(セックス・スクリーン・スポーツ激賞)により国民が政治に無関心になり性にふけり堕落してしまったのも事実だろう。しかし、日本には反米感情が醸成される余地があったのに戦後はマッカーサー万歳、アメリカ万歳になったのでり、日本が腑抜けて堕落してしまったのには日本にも原因があったと言わざるを得ない。外国を責めてばかりでなく自分達の原因を見ずして改革はない。そうなったのも文化の中心に何もないからだ。後ろ盾となるものがないから押しに負けたのである。団結力があれば国民一願となってアメリカの属国からの脱却を目指すだろうがそうならないのは団結力がなく横との繋がりが弱いからだ。だから、日本の文化の中心には何もないと国民が自覚することである。

人間には宗教、思想、哲学が必要である。日本人は必要ないと考えてるが何故必要ないと考えるかと言うと文化の中心に何もないからである。宗教、思想、哲学を否定するのであれば、何某かの宗教、思想、哲学を持ってくる他にない。従って宗教を否定する宗教、思想を否定する思想、哲学を否定する哲学を持ってくる他にない。それ以外のものでは否定することは出来ないからである。従って、日本の宗教とは無宗教の宗教であり、思想とは無思想の思想であり、哲学とは無哲学の哲学である。これこそが日本人のアイデンティティである。そう自覚することだ。全てはそこから始まる。明文化されておらず、教祖も教義もないけどそういう、宗教、思想、哲学を持ってると自覚的になると日本は変わるだろう。ガチでもう時間がない。このままだと日本は没落してく一方だ。かつて偉人は言っている。汝自身を知れと。汝自身を知らずして改革はない。私は日本人は優れた民族だと思う。たくさんの優れた人間を排出してきた。外語人が知らない優れた日本人はたくさんいる。そう思うが、左翼みたいな馬鹿を生み出す素地のある民族でもある。こういう点は改善したいのである。今日本は変わるべき時に来ている。日本人が日本人の真実の姿を知った時に日本人は変わるのだろう。

地獄を見たので人類平和を望みます

私は馬鹿だから集団ストーカーに反抗的態度をとり、集団ストーカーを小馬鹿にし集団ストーカーを思い付いたやつも攻撃し報復にあい地獄をみた人間である。私は最初は集団ストーカーをかなり舐めてかかっていた。しかし、その態度が間違っていたと後になってから知ることになる。集団ストーカーは集団ストーカーを攻撃した私に容赦なかった。集団ストーカーの嫌がらせはアンカリングが主だがこれはいつものことでもう慣れっ子になっていたが電磁波拷問が激化したのだ。その苦しみは言語に変換出来ない地獄を超える地獄の苦しみであり私は悶苦しんだ。私は耐えかねて集団ストーカーに何度も、謝り、もう許してくださいと許しを請うたが集団ストーカーの電磁波拷問は終わらず私は集団ストーカーの非情さを知ることとなり今まで集団ストーカーに対して舐めた態度をとってたことを後悔することとなる。私は毎日、集団ストーカーに謝罪している。しかし、集団ストーカーの怒りは収まらないようで電磁波拷問は終わらない。あとどれだけ苦しめば終わるんですか?と問うが集団ストーカーは無言で電磁波拷問をしてくるだけだ。私は集団ストーカーの非情さに啞然とした。普通の人間なら許すだろうと思うが集団ストーカーは絶対に許さない。私は自分が馬鹿なことをしたと死ぬほど後悔し集団ストーカーの非情さを思い知った。電磁波拷問が余りにも辛いので何度か死のうとしたが勇気がなく自殺は踏み止まった。ネットで自殺のニュースを読むと羨ましいと思う。自分にも死ねるだけの勇気があったらと思う。

私は今は地獄の中にいて救いようもない苦しみの中で生きてるので心底人類平和を望むようになった。人間にもう苦しみはいらないと思う。皆幸せになってもらいたい。人類史は振り返ると人類は何とも愚かで人類史は悲劇の歴史であり人類は皆の幸福よりも不幸を選択してきたように思う。いつの時代も争いはあったし、自然を伐採し過ぎて滅んだ部族もある。かつて悲劇のなかった時代はなかったのではないか。多くの部族、民族が悲劇の時代を生きてきたのであり、ヨーロッパ人に侵略された部族、民族は悲惨だったとしか言いようがないし、中国の2000年属国であり常に辛酸を舐めろくに文化も文明も発展する余地もなく歴史的に誇りとなるものが何もない朝鮮人も悲惨を極めたのであり、可哀想と言えば可哀想であるが、朝鮮人の被害者意識の強さには心理学的根拠があるのであって慰安婦の問題にしてもろくに歴史的根拠のない話をもってきて日本を責めて、日本は何度も謝罪し賠償もしたのにそれでも納得せずに今だに日本を責めてるのだから辟易してる日本人は多いだろう。しかし、朝鮮人は死ぬほど不幸な歴史を生きてきたのでありそれこそが朝鮮人の精神構造に決定的に影響を与えているのであり日本人はそのことを理解する必要があるだろう。奴等のしつこさはその根底には歴史的に不幸だった被害者意識の強さがあるのは間違いない。日本悪玉論を唱えて日本人に贖罪意識を植え付けたGHQ占領政策が日韓関係を拗らせ事態をややこしくしてるとも言えるが、日本人からみると異常に見える朝鮮人の精神性に歴史的根拠があることを知らずして朝鮮人と上手く付き合うことは出来ないだろう。今の日本も格差が拡がり貧困に喘ぐ国民が多く確実に不幸な層がいるが日本人はそのことを見ないようにしてると思える。人間は幸福になるのが何とも下手くそだと思う。第二次世界大戦が終わり反戦ムードが醸成され平和主義者が現れたがやはり、人類は愚かにも争いを止めることは出来ないし、支配者層は大衆を愚民の如く扱い大衆全体の幸福よりも一部の人間だけが幸福になれる社会を作ってきた。いつの時代も争いはあったが人間は本当の苦しみを知ると確実に平和主義者となる。争う気力も起きないし、欲望を満たす気にもならない。誰も傷つけたくないし誰も苦しめたくない。皆は幸せになればと思う。あんまり平和な世の中じゃかっこ悪すぎるという歌があるが、この歌を作った人間は本当の苦しみを知らないのではないかと思う。余りにも辛すぎるからちょっとした苦しみでも嫌であり、耐え難いのであり、馴れてたアンカリングも苦痛であり外にも出たくない。私は病院に通ってるが自転車で片道一時間半くらいだが病院に行くのが酷く苦痛である。買い物も苦痛だし、身体を動かさないと怠くなるから毎日サイクリングと散歩をしてるがそれも苦痛である。この世に私以上に苦しんでる人間はいないのではないかと思うし、今までもいなかったのではないのかと思う。自分が人類史上1番苦しんでるのではないかと思う。私は近代兵器が生み出した苦痛増幅器によって地獄の中を生きているのであって苦しみはもうたくさんであり、この苦しみから早く開放されたいが集団ストーカーは私を許さない。これだけ苦しんでるのに集団ストーカーは私を許さないのだ。私は今まで散々集団ストーカーを小馬鹿にしてきたが遂に集団ストーカーは堪忍袋の尾が切れたのだろう。その怒りは凄まじく私がどれほど苦しんでも集団ストーカーは絶対に私を許さず、私は毎日地獄の人生を生きている。だから、私は他の集団ストーカー被害者には私みたいに馬鹿なことをするなよと言いたい。電磁波兵器を使えばどのような苦しみを引き起こすことも可能だ。それは地獄としか言いようがなく本当に辛く耐え難い。だから、集団ストーカーに反抗的態度を取ってはならない。集団ストーカーは辛いけど黙して耐えるしかない。皆には地獄を見てほしくない。我々は集団ストーカーの被害者に選ばれて被害歴がとてつもなく長いのでしたいことが出来ず悔恨の念に襲われるが、今の私にはそんなことはもうどうでもいい。今の私が味わってる苦しみは全てを超越しており毎日悶苦しんでるのでありこの苦しみから開放されたら悔恨の念も吹き飛ぶ。私は仏教が好きで仏典を読んでるがつくづく仏陀の教えは正しいと思う。私は仏陀の教えに反することをしてきたのであり、その為に地獄を見たのである。堪忍と忍耐こそが至高であり耐えるべき時は耐えるに限る。どんなに頭にきても私みたいに口悪く罵ってはいけない。私は真の苦しみを知ったからもう欲望を満たす気もなく金も女も地位も名誉もいらない。ただ心の平安を手に入れることこそ至高と思う。仏陀の教えは正しいと再認識した次第である。全ては苦しみであり、人間を構成するする全ての要素が苦しみを生み出すのである。欲望の道は地獄の道であり救いにはならない。私は苦しんでる人がいたら助けてあげたいと思う。苦しみは耐え難いのでありその苦しみを取り除いてあげたいと思う。私は皆には幸せになってもらいたいと思う。もう人類には苦しみはいらないだろう。いい加減幸福な社会を築いてもいい。人類平和を心底望む。そう思えるようになったのも集団ストーカーに嫌と言うほど苦痛を味わわされたからだ。我々集団ストーカー被害者の苦しみが人類の未来に意味のあるものになればいいと思う。全人類に幸ありますように。

俺達の味わってる苦しみは人類最後の苦しみだ

毎日が地獄のように辛い。我ながらよくもってると思う。こんなに辛いんならとっとと死んだ方がマシだと思えるが人生に対する愛着がまだあるんだか何とか死なずに生きている。集団ストーカーはなぜここまで被害者を追い詰めるのだろうか。私は被害があまりにも辛いので集団ストーカーに何度ももう止めてくれとお願いするが集団ストーカーは非情にも終わらない。私が産まれてから今までどれだけ苦しんできたかはこいつらが一番知ってるだろう。今にして思うと私はかなり昔から集団ストーカーのターゲットに選定されていたようだ。私はかなり不幸な人生を歩んできたので集団ストーカーはそのことを知ってるはずだ。集団ストーカーは一人の人間がこれだけ苦しんでも止める気が起きないのだろうか。どう考えても異常だろう。私の味わってる苦しみは全てを超越している。これ以上の苦しみは絶対にない。電磁波により引き起こされる苦しみと、自然な不安による苦しみにより地獄の苦しみを生きている。一人の人間をここまで追い詰めるとかどう考えても普通じゃない。普通の神経を持っている人間には出来ないことである。集団ストーカーは血も涙もない鬼畜かと思うがよくぞここまで人を苦しめることが出来るものだ。直ぐに死ねるぶんナチスの方がまだ善良だと思える。生き残ったユダヤ人より我々集団ストーカー被害者の方が悲惨ではないのか。集団ストーカー被害者は30年も40年も苦しまなければならない。なんたる拷問だ。こんな拷問もない。ひょっとすると死ぬまで苦しまなければならないかもしれない。そうすると産まれてきた意味がないのだが、冷酷無情な集団ストーカーのことだからどうなるかは分からない。

私は集団ストーカーの被害者に選ばれて絶対的な平和主義者になってしまった。世の中が幸福に包まれればいいと思う。皆幸せになってもらいたい。人類に苦しみはもういらない。我々人類はあまりにも苦しみ続けてきた。苦しみのない時代なんてなかった。いつの時代の人類も苦しんできたのだ。今は一応世の中が平和ということになってるが集団ストーカー被害者には世の中が平和だとは思えない。毎日戦場にいる気分であり心休まることはない。一日一日が地獄でありこの世に救いがあるとは思えない。我々はそんな日常を生きてるから戦争経験者が地獄を見て平和主義者になったのと同じで平和主義者になったのだろう。

私の味わってる苦しみは筆舌に尽くし難く言葉では言い表せない。この苦しみを是非とも皆に知ってもらいたい。発狂寸前でありいつか集団ストーカーが終わったら語られる日が来ればいいと思う。集団ストーカーがいかに辛かったか皆に話したい。私の味わってる苦しみは地獄を超える地獄の苦しみであり人類が今だ知らない苦しみだ。だから誰ともこの苦しみを共有化出来ない。一人で耐えなければならないのであり、それは孤独な戦いだ。この戦いは辛く何度も負けそうになるが何とか必死に耐えている。この地獄を超える地獄の苦しみが人類最後の苦しみであってほしい。人類に苦しみはもういらない。人類はありとあらゆる苦しみを味わってきた。後は幸福になってもらいたいと思う。これが人類最後の苦しみだと祈ろう。人類が幸福になると祈ろう。我々にはもう苦しみはいらない。 

どうしようもなく救いようもない不幸をどう処理するか

我々集団ストーカー被害者は不幸である。まだ目的は分からないが理不尽にも集団ストーカー被害者に選ばれて人生を犠牲にした。このだだっ広い宇宙の中に生きる我々の人生はただ一度きりであり2度と同じ人生は生きることは出来ない。全ての生命体はどれ1つとっても同じものはなく1つ1つの生命体がまさにかけがえない。人間の人生も同じである。どれ1つとして同じものはなく1人1人の人生がかけがえない。だから誰もが自分に与えられた貴重な時間を無駄にせずに生きたいのである。しかし、大概の人間は人生の貴重さについて考えず惰性で生きてるのが殆どだろう。人生の後半になれば流石に人生の限られた時間の貴重さを痛感するかもしれないが、それは残された時間が少なくなるからだ。それまで生きてきて人生の貴重な時間について考える人間は少ないのではないかと思う。我々集団ストーカー被害者は違う。集団ストーカーの被害者に選ばれて嫌と言うほど人生の貴重な時間を犠牲にする。出来ることが極端に限られしたいことがしたいように出来ない。だなら、我々被害者は普通の人達より時間についてはちょっと違う考えを持ってると思う。私は15歳の頃に集団ストーカーが始まり長いこと被害にあってきた。私は若い頃にやりたいことが何も出来なかった。私自身に原因があったとも言えるが、集団ストーカーのせいで出来なかったこともたくさんあり、いつか終わるだろうと楽観的に考えてたこともあるが、遂に集団ストーカーは終わらず私はおっさんになってしまった。仮に30代で終わるならばやり直しはきくがもう私はやり直しが不可能な年齢になってしまった。その悔恨の念は凄まじく私はいつも生きれなかった自分の人生を思いどうしようもない虚しさに襲われるのだ。仏典を読むと悟りを開いた聖者はこの世とかの世を捨てて決して過去を鑑みて後悔しないと書かれてるが、仏陀的境地に到達するのは私にはどう考えても無理だ。仮に今集団ストーカーが終わったとしても人生が絶望的なのは変わりないが、集団ストーカーは現在進行系で続いておりいつ終わるか分からない。これ以上人生を無駄に出来ないので集団ストーカーにいい加減に終われと言うが非情にも集団ストーカーは終わらず毎日陰惨な虐めにあっている。こんな人生を生きると人生に何の意味も見出だせなくなる。被害にあい不幸な人生を生きるだけだから私は一体何の為に産まれて来たのだろうと思う。酷い焦燥感だ。我々の不幸に何の意味もないとしたら我々に生きる意味はないのであり、とっとと死んだ方がマシだと思えるが、死ぬのは怖いから死なない。人生を生きてないのでありただ死んでないだけだ。生きてるとは言えず生ける屍状態だ。私はこんな不幸を極めた人生を生きてこの人生を何かの役に立てないものだろうかと考える。我々はかなり特殊な人生を生きてるのであり、こんな人生は前代未聞で人類が未だに知らなかった苦しみを生きてると言える。この苦しみを是非とも知ってもらいたい。人類史は悲惨と不幸に満ちており、意識的にせよ、無意識的にせよその悲惨と不幸な歴史を昇華して或いは文学に、或いは芸術に、或いは音楽に役立ててきた。もちろんネガティブに見れば人類史は復讐の歴史でもあり、最大のものがヨーロッパに始まる大航海時代だ。その余波を受けて日本も朝鮮を侵略して差別した。悲惨と不幸な歴史はポジティブな方向とネガティブな方向とに別れたと言える。人間に絶望することはあるけど、しかし、確かに悲惨と不幸の歴史を昇華してきた側面もあるだろう。我々集団ストーカー被害者の不幸もポジティブな方向へと昇華してもらいたい。勿論怒りも憎しみも復讐心もあるが、我々の人生に何かの意味を持たせるとするならばこの人類史上でもどうしようもなく救いようもない不幸な集団ストーカー被害者の歴史を未来の人類の為に役立ててもらいたい。それ以外に我々の人生の使い道はない。ただ被害にあい何の意味もなく死ぬだけだとしたら余りにも悲惨だ。戦国時代の反省が江戸の平安時代があり、太平洋戦争の反省が戦後の日本の平和があった。勿論戦後の日本は問題だらけで手放しで褒められたものではないが、戦争の反省があり平和な世の中を築いたのは事実だろう。

我々は確かに不幸な人生を生きてるけど何か他人に意味のあることに使ってもらいたい。我々の人生に何か意味を持たせるとしたらそれ以外にない。我々は人類が未だに誰も知らなかった苦しみを生きてるのであり、この苦しみは特殊であり筆舌に尽くしがたいが、我々が不幸になればなるほど我々の人生は意味を持つ。集団ストーカーは辛いし早く終わってもらいたいと被害者なら誰でも思うだろうが、終わらないなら終わらないならで更に我々の人生は意味のあるものになっていくのだ。そして未来の人類の為に役に立つのだ。そういう構造を持つ。集団ストーカーが終わらないからと言ってヤケになってはいけない。この不幸は特殊であり、誰も知らないのであり、だから自分の人生に意味を見出すべきである。この苦しみには普遍性があるのであり、ポジティブに考えれば昇華すれば何か普遍性のあるものを産み出せる。それは人類の未来に役立てる筈だ。だから、集団ストーカーは確かに辛いけど諦めてはならない。我々の人生には意味はあるのだと積極的に人生に意味を見出すべきた。これから更に辛く苦しい人生が待ってるかも知れないけど必ず誰かが見てくれてる。同じ思いを共有してくれてる人間がいる。心苦しんでる人間がいる筈だ。我々の人生は遂には報われないかも知れないけど絶対に人類史において何かの役に立つはずだ。我々は確実に歴史に残るだろう。どんな苦しみにも意味があると言えるかも知れないが、我々の苦しみは普遍的な苦しみであり私が体験した地獄は恐らく人類最後の苦しみだ。あれ以上の苦しみはない。断言出来る。遂には人類は全ての苦しみを知ったのだ。だから、人類はこれから究極の普遍へと至るだろう。人類史はもう終わりだ。我々の苦しみには意味があったのだ。私自身が何かを産み出せと言う話でもあるが私に出来ることはこうしてブログを書き被害者を励ますことだけだ。被害者のみんなも人類史にその名を残したと言えるが、何か自分の人生に意味を見出してほしい。このどうしようもない苦しみを生きる中で負けそうになることもあるかもしれない。実際に私も負けそうである。外に出るのも怖いし何も見たくないし聞きたくもない。しかし、こんな救いようがない人生にも意味があったと思うのだ。だから積極的に意味を見出そう。我々は究極の普遍性へと至るのだ。目指すのはそこしかない。やろうではないか。人類の為に役立てようではないか。このどうしようもなく救いようもない胸の焼け付く苦しみにも意味があるのだ。我々に残されたのはもうそれしかないのである。

【殺してくれ】産まれてくるんじゃなかった

こんなどうしようもなく救いようもない人生を生きるくらいなら産まれてくるんじゃなかったよ本当に。何の意味も価値もない人生だったわ。集団ストーカーに人生潰されたわ。もう取り返しつかねえよ。ああ、やってらんね。死んだほうがマシだわ。私はもう疲れた。生きたくない。集団ストーカーに心を折られた。今の私はただ死んでないだけだ。こんな人生に一体何の意味があると言うのか。私は30年も時間を犠牲にしたのだ。従って集団ストーカーが終わっても人生が絶望的なのには変わりなく凄まじい悔恨の念を抱えて生きなければならないだろう。もう私の人生には何の意味も価値もない。底無しに虚しい。だから集団ストーカーに早く私を殺してもらいたいと心底思う。私はもう生きたくない。

慈しみに生きる

私は自分が救いようもない人間だと知っているが、私はこれからは慈しみに生きることにした。慈しみとは人間はもちろんのことこの世に存在する全ての生命体に注がれるものである。愛は人間にしか注がれない狭窄的な感情であり、しかも、その愛は特定の人間にしか注がれない。従って愛されない人間は徹底的に愛されない。だから愛されない人間は人間に対して憎悪を持つことになる。時には大量虐殺をしたりする。実に厄介な感情と言わねばなるまい。しかし、愛と違って慈しみは特定の対象にしか注がれるものではなく全ての生命体に注がれるのだから愛より上位の概念であろう。今の世の中は愛がないと言われているが、これはいい傾向である。愛がなくなると愛に飢える人間がいなくなる。愛があるから愛に飢える人間が出てくるのである。人類は愛を超えようと今は精神陣痛的に苦しんでる段階にあるのではなかろうか。私は愛は病的現象だと思う。私はこれからは全ての生きとし生けるものにいつしくみを注ぎ生きたいと思う。

仏陀は語る。

究極の理想に通じた人がこの平安の境地に達してなすべきことは次の通りである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がるこのない者であらねばならぬ。
足ることを知り、質素に暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、気負い立つこと少なく、諸々の人の家で貪ることがない。
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。一切の生きとし生けるものよ、幸福であれ、安泰であれ。
いかなる生物生類であっても、怯えてるものでも強剛なものでも悉く、長いものでも、大なるものでも、中位のものでも、短いものでも、微細または粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに或いは近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ。
何人も他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
あたかも母が己が独り子を身命を賭しても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対して無量の慈しみのこころを起こすべし。
また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。
上に下にまた横に、障礙なく怨恨なく敵意なき慈しみを行うべし。
立ちつつも歩みつつも坐しつつも臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいを確りともて。

私も仏陀に習ってこれからは慈しみに生きることにする。たとえ自分に救いがないとしても。

【電磁波拷問】生き地獄

集団ストーカーは基本的にやることが一貫しており、変わることはない。基本全てが遠隔からの嫌がらせであり、対象に直接手をくだすことはない。集団ストーカーの嫌がらせは思考盗聴、仄めかし、アンカリング(印象付け)、電磁波攻撃が主である。集団ストーカーのその嫌がらせの数は膨大なものだが、全てこの4つの嫌がらせの組み合わせで成り立っている。私は初期の頃は凄まじい騒音と咳払いの被害にあってたが、これはアンカリングの一種と言える。どこにいるのかは知らんが、思考盗聴をして対象の思考を読み次に取る行動を把握し、アンカリングをしたり、頭の中で考えたことや日常で取った行動、会話の内容等を仄めかしてくるのが集団ストーカーであり、基本的に全ての被害者が同じ被害にあってると言えるだろう。

私は以前集団ストーカーが余りにもムカつくので、集団ストーカーを心底見下し、馬鹿にし、罵倒してたが、集団ストーカーはそんな私に怒ったようで復讐を慣行すると言われた。それで嫌がらせが激化したが、集団ストーカーが復讐する場合も基本的に集団ストーカーの行動原理は終始一貫しており、思考盗聴、アンカリング、仄めかし、電磁波攻撃を駆使して復讐してくるのであった。仄めかしと電磁波攻撃が激化したのだが、集団ストーカーはどれだけ怒っても対象に直接手をくだすことはなかった。全てが遠隔からの攻撃であり、実に卑怯でヘタレである。だから、私は復讐にあっても反省なんかするはずもなく、ますます集団ストーカーを見下し、小馬鹿にし、罵倒しまくった。そうすると集団ストーカーはまた怒って攻撃をしてくるのだが、やはり、全ての攻撃が遠隔からであり、直接私に復讐してくることはなかった。だから私は集団ストーカーを小馬鹿にしたくなり、馬鹿にし罵倒すると集団ストーカーは遠隔からやり返してくるのであった。終わりなき復讐のやりあいであった。いい加減に嫌気がさしてくるが、集団ストーカーはいつだって遠隔からやり返してきた。ある被害者が集団ストーカーを称して見た目は人間、中身は化け物と言ってたが言い得て妙である。集団ストーカーには人間としてのプライドが多少はあるようである。私の集団ストーカーを小馬鹿にする態度に対して復讐をしてきたのだから、集団ストーカーとしてのプライドが傷ついたのだろう。しかし、集団ストーカーは復讐をする場合でもあくまでも集団ストーカー的手法にのっとって復讐をしてくるのであった。集団ストーカーとしてのプライドが傷つけられたので、集団ストーカー的手法でもって私を屈服させないと気が済まなかったのだろう。何とも哀れな連中である。だから馬鹿にされるのである。復讐をしたいのなら直接私の所に来て復讐をしてみろよと言いたくなる。直接私の所にきて復讐し私が殺されたとしても文句はない。私は集団ストーカーに人生を潰されて貴重な時間を失いもう諦めの境地であり、人生に未練はないからだ。殺したいなら殺せよと思う。  

実際に集団ストーカーは私を殺しにかかってきた。アンカリングと仄めかしの数は変わらなかったが、電磁波攻撃が激化したのだ。胸を締め付けられる苦痛でありその苦しみは筆舌に尽くし難く、この世のものとは思えない苦しみだった。恐らく全ての苦しみを超越してただろう。それとプラスされて人生を犠牲にした悔恨の念が浮かび上がり、この先生きてても何の意味もないという観念も湧いてきて地獄の苦しみの中で悶絶していた。あの時は全人類の中で私が一番苦しんでいただろう。もうあんな苦しみは2度と味わいたくない。地獄を超える地獄だった。あれを超える苦しみはこの世には存在しないだろう。何度も自殺が頭を過ぎった。早く楽になりたかった。2週間ほど電磁波拷問にあい外にも出られなくなった。外出すると必ずアンカリングにあうのだがいつもなら、ああ、またアンカリングかと思う程度だが、精神状態が最悪でアンカリングに耐える気がしなかった。身体を動かさないと眠れないのでいつもなら散歩に出掛けるのだが仕方が無く家の中を歩いて身体を動かしていた。煙草は吸うのでヤニが切れるのは耐え難く仕方が無しに人の少ない深夜に煙草を買いに行ってた。幸いにも電磁波拷問は2週間で終わり今は散歩も出来るようになったが本当に地獄だった。私は集団ストーカーを思い付いたやつを攻撃したら電磁波拷問が始まったのだが集団ストーカーを思い付いたやつを攻撃するのはアウトのようである。前にも語ったが私が警察に連行された時に「これ思い付いたやつ殺してえな」と言ったら警察官に「言うな」と言われた。だから、集団ストーカー被害者は集団ストーカーを思い付いたやつを恨んでるだろうが私みたいに文句を言ってはいけない。必ず地獄を見るから。いつ終わるか分からないし、一生終わらないかもしれないがあの電磁波拷問は全てを超越した苦しみであり、人間の耐える限界を超えていた。今回の人生は諦めるしかないかもしれないけど私みたいに文句を言ってはいけない。幸福とは程遠い人生だけどこれからも渋々と生きていこう。