集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーは間違っている

なんでこんな目に会わなきゃいけないのか。私達被害者が一体何をしたというのだろう。悪いことなんて何もしていない、普通に生きているただの人である。この犯罪の被害にあうようになって普通の日常が崩壊した。家族全体にも迷惑がかかった。始まりは、アパートの上階からの騒音被害であった。その騒音は凄まじくアパート全体が揺れるぐらいの凄まじさであった。ターゲットは私なのだから私1人に集団ストーカー被害があるのなら分かるがなぜ家族全体にまで迷惑をかけるのか全くわからない。私の家族は母と祖母と私の三人暮らしだったが当時70近い祖母にまで迷惑をかけるなんておかしくはないだろうか。なぜここまで卑劣なことをするのか理解できない。

祖母はそのアパートに引っ越した2年後に脳の血管が破裂して亡くなったが、これは集団ストーカーの仕業であろうか。どうも疑わしい。私は集団ストーカーの仕業であると考えているがどうであろうか。

母親はその10年後に亡くなった。朝目が覚めた時に突然立ち上がれなくなり自分で病院に電話をかけて救急車を呼んで病院に運ばれたらしい。その時私は母親とは別に暮らしていたので母親が入院したことは知らなかったのだが、別れた父親から母親が病院に入院したと手紙が届き母親の入院を知った。

それで急いで病院に駆け付けてみるとそこには70代くらいの老婆にしか見えないぼろぼろになった母親がいた。当時まだ52歳である。私はひどいショックを受けた。車イスに乗り自力で歩くことの出来ない母親がいた。母親も私が病院に駆け付けて来たことに驚いている様子であった。母親をこんな目にあわせたのは集団ストーカーの仕業であろうか。病院に勤める看護婦も老婆が入院してきたと勘違いしていた。病院に見舞いに来ていた母親の姉を娘だと勘違いしているぐらいなのだから相当老けて見えたのであろう。急激に老け込む前例のない病気だから看護婦も勘違いしたのではなかろうか。母親のことに関しては100%集団ストーカーの仕業であるとほぼ確信しているがなんでこんなひどい目にあわすのであろうか?母親の姉から母親はもう働けないと聞かされた。母親の姉は元看護婦なんだが、そのことを母親に告げると母親はショックを受けた様子で「嫌だ、絶対に働くんだ」と言っていた。

集団ストーカーの被害にあうと立て続けに不幸が襲ってくる。北海道に住む叔父は借金を背負わされ、さらに体を壊し入院したし、母親の姉の旦那は喉のガンで亡くなり、私の祖母は脳の血管の破裂で亡くなった。母親も入院から3週間後くらいに亡くなってしまった。集団ストーカーがどこまで関わっているのか今は分からないがこの犯罪の被害者になると、何か不幸が起きる度に集団ストーカーの存在を疑ってしまう。

母親が死んだ数時間後に病院内で自殺だ自殺だと不自然に騒いでいるオッサンがいた。病院で人が亡くなるとご親族に病院長が挨拶にやって来るらしい。棺が納棺されている狭い部屋で小柄の女性の病院長と挨拶を交わした。
それから母親の葬儀も済まし、ある程度落ち着いた数日後のこと、タイミングよく母親の友人のおばさんに出会うことがあった。
これは明らかに集団ストーカー側の指示に従って私の前に表れたわけだがそのおばさんが私が奢るから一緒にレストランに行こうという話になった。私はそのことを承諾し、おばさんの車に乗せられレストランに行くことになった。
レストランに着き色々と会話してる中で母親のことに話題が及んだ。その時おばさんは私の母親は「○○ちゃんは賢いから自分で死んだと思うよ」と意味不明なことをほざきだした。要するに自殺したんだよということを言っていたわけであるが、母親が亡くなった直後に病院内で自殺だ自殺と騒いでいたオッサンがいた話はしたが、自殺と言うのは仄めかしだったのであろう。
いちいち、「賢いから自分で死んだと思うよ」と嫌みったらしくほざいてくるのが如何にも集団ストーカーらしいが、私の母親は自分の意思で亡くなったのであろうか。
殺す予定はなく、目的は病気にし入院させることだけだったのであろうか。母親が亡くなる前日に私と口論になり、ムカついた私は思わず「死ねばいいのに」と口走ってしまった。母親は酷いショックを受けている様子であり、ひどく気落ちしていた。
私の悪口に気落ちした母親は心の拠り所を失い自ら死を選んだのであろうか?私は母親の葬儀中に一時的に帰宅したのだがその時に「死ねばいいのに」と言ったことを思いだし「俺が殺したんだ」と号泣した。

母親が亡くなって14年、今でも時々母親のことを思いだし泣きそうになることもあるが、問題は集団ストーカーがどこまで絡んでいるかである。祖母のことは疑わしいし、母親のことに関しても集団ストーカーの関与は疑わしい。集団ストーカーは母親に私の前に表れるように指示を出したのだが、母親が言うことを聞かなかったから報復として病気にしたのではないだろうか。
殺すつもりはなく病院に入院させるのが目的だったのだが、亡くなってしまったから、想定外のことがおき、自分の意思で亡くなったと判断した為「自殺」という仄めかしをしてきたのであろうか。人の死まで仄めかしに利用するとはなんてことだろう。信じられない。

私のことを言えば、前にも書いたとおり本当は全ての人間が集団ストーカーのことを知っており、そのことに気付いてないのは私達被害者だけだったということに気付かされてからもう6年である。この期間中したいことが何も出来なくされた。いくらなんでも長過ぎである。俺が何をしたというのか?まだこの苦しみは続くのであろうか。もういい加減限界である。こんなこと間違っている。私に罪はない。(母親のことに関しては罪があるかもしれないが集団ストーカーに対しては)

集団ストーカーはいつになったら終わるのであろうか。早く終わってもらいたい。

集団ストーカーの罪。精神的にヤバい状態。

最近色々とヤバい精神状態になってきた。被害年数の長さもさることながら、嫌がらせに耐えるのが非常に辛く、難しくなってきた。もちろん嫌がらせ事態はなんてことないことばかりなんだが、ひとつひとつの嫌がらせに遇う度に「ああ、まだこの犯罪は続くのか」と思い軽い嫌がらせでもダメージは何気にでかいのである。

人を殺す夢想をすることがある。これは自分だけ不幸なのが我慢できなくて、他人を道連れにしてやりたい心理だが、仮に私が本当に犯罪をおかしたら、集団ストーカーはどうなるのであろうか。罪には問われないのであろうか?人を殺すなんてよっぽどのことでもない限り考えないことである。そこまで人のことを追い詰めて罪に問われないなんてどう考えてもおかしくはないか?事情聴取を受けて「集団ストーカーの嫌がらせに耐えられなくなり何もかも嫌気がさし犯行に走りました」と言っても、集団ストーカーは世間的にないことにされており、ただの被害妄想か統合失調症で片付けられるのであろうか。それではあんまり過ぎではないだろうか?集団ストーカーの被害に遭ってなければ人殺しなんて絶対に考えないことである。私は普通に安静な生活を送りたいだけである。その希望は叶わず、嫌がらせに耐えるだけの毎日なのだからいい加減にうんざりしてきただけである。

最近感覚も麻痺してきた。無気力無感情である。テレビを観たりゲームをしても虚しい。ただ、しょうもない毎日が続き無駄に時間だけが過ぎ去っていく。もういい加減限界である。時間を無駄にするのにも耐えられない。なぜ我々被害者だけが有意義に1日を過ごすことが許されないのであろうか。私は苦しみを味わい過ぎるほど味わってきた。この辺で終わりにしてもらえないだろうか。今日もまたいつものように深いため息が漏れる。

人生の意味について書いてきた自分が言うのもなんだが、一般人を巻き込んで不幸にしてやりたい気持ちが最近よく沸いてくる。なかなかヤバい精神状態である。この被害に遭わなければ決して思わないことである。

集団ストーカーの目的はなんだろう。なぜここまで人のことを追い詰めるのであろうか。なぜ有名人から政治家やら権威の象徴、宗教的権威までひっぱてきて仄めかしをさせるのであろうか?これもわからない。権威の象徴といえば、皇室の人間から仄めかしがまだ1度もないのも不思議であるが、笑ってもいいがエリザベス女王ローマ法王から仄めかしが2、3回あった。信じがたいがこんな日本の田舎に住むただのオッサンに宗教や権威の象徴的存在が仄めかしをしてくるなんて信じられない。一体目的はなんであろうか。全くわからない。エリザベス女王ローマ法王から仄めかしがあったのだから、同じ日本人の皇室の人間から仄めかしがあってもなんの不思議もないはずである。集団ストーカー側に皇室に参加させることに何か躊躇いでもあるのであろうか。それならエリザベス女王ローマ法王に集団ストーカーに参加させることに躊躇いを感じないのはどういうわけか。各国の大統領から権威の象徴、宗教の最高権威者まで集団ストーカーに参加させているのに、日本の権威の象徴が集団ストーカーには不参加というのはどういうわけか? ますます分からない。謎が深まる。ひょっとしたら私以外の人間で皇室の人間から仄めかしを受けた人はいるのかもしれない。それなら、なぜ私には皇室からの仄めかしはないのか?

話がいささか脱線したが、最近私に仄めかしてくるのはダウンタウン松本人志と、ある有名人2、3人くらいになってしまった。昔は、一般人も含めてかなりの数の有名人から仄めかしがあり、仄めかしは貴重な重要参考資料になるので仄めかしの数が減ってしまったのは残念である。松本人志は私と誕生日が同じなのでよく仄めかしをしてくるのであろうか?ここら辺のところさよくわからない。

とにかくヤバい精神状態になってきている最近の私。なので集団ストーカーの方は早く終わってもらいたい。

心を乗っ取られる?電磁波兵器で意図的に作られる不安

この犯罪の被害者で不安を感じずに生きている人間はほとんどいないだろうが、本物の不安と偽物の不安の2つの不安があることにはお気付きだろうか。

本物の不安は因果関係がはっきりしておりその依ってきたる由来を証明出来る不安である。例えば大学受験を控えた学生が自分が志望している大学の受験に合格出来るかどうか不安になる。これは大学受験という不安が生まれる対象、根拠がはっきりしている不安である。

次に偽物の不安は因果関係が全くはっきりしておらず突発的に起こる不安である。突然訳もなく強い不安の感情に襲われる。電磁波兵器を使えば不安に似た症状も容易に引き起こせるようである。

最初の頃はそれが意図的に作られた不安と気付かずに自然と自ずから沸いてきた不安だと勘違いするが、何度も同じことを繰り返されればそれが自然と沸いてきた本物の不安ではなく、意図的に作られた不安だと判るようになってくる。

自然の不安の方は胸の中心辺りがもやもやする、なんとも不快で耐え難い感情であるが、意図的に作られた不安はその自然の不安プラス胸の中心、横隔膜を手でギュッギュッと強く締め付けられているような不安である。自然の不安と比べると意図的に作られた不安の方が不快で耐え難い。そんな不安が突如襲ってくるわけである。

いやいや、そんなことはない。人間生きてれば突発的な耐え難く、因果関係のはっきりしない不安に襲われることはあるという意見もあるだろうが、どうして意図的に作られる不安を疑うようになったかと言うとまず、不安が突発的に起こる時間帯がいつもだいたい同じことであるのと、どう考えても因果関係的には説明がつかず、自然に作られる不安とは微妙に不安の種類が違うのである。突発的に作られる意図的な不安の方は胸を締め付けられる感触が自然の不安と比べて強いのである。

これは経験した者にしか判らないだろうが、あと意図的に罪悪感等も抱かせることも出来るらしい。突発的にやってきた不安と一緒に不思議と「このままでいいのかな」と罪悪感が沸いてきたのである。この時は本当に耐え難く辛かった。

こういう電波系のことを書けば鼻で笑われるかもしれないが、電磁波兵器で感情を操作出来るのは本当のことだろうと思う。米軍の開発した電磁波兵器を調べてみれば特許情報も大量に出てくるはずである。

全国の本物の集団ストーカー被害者の皆さんも思い当たる節はないだろうか。恐らく被害期間が長い被害者は自然の不安と意図的に作られる不安の区別がついているのではなかろうか?

あと心というか脳を乗っ取られることもあったと随分前の記事に書いたが、揚げ物を作るのに使用した熱々の油を「飲んでみたい」という衝動にかられたことがあった。この時は流石に「これは、危ない」と思って飲まなかったが、一歩間違えれば死に兼ねない危険な嫌がらせである。

私と似たような経験をもつ被害者も多分多いと思うが、何故こんな危険な嫌がらせをしたり、意図的な不安を作り出して被害者のことを苦しめるのかは全く謎である。

そんなこんなでありとあらゆる苦しみを受けている集団ストーカー被害者。ただでさえ不安なのに、それは自分の将来の事が第一で仕事の不安であったり、友人や恋愛の事に関わる不安のことで、それプラス意図的に作られた不安に苦しめられるのだから我々被害者はたまったものではない。

依然として目的が不透明な集団ストーカー電磁波犯罪。我々被害者は早く本当の目的を教えてもらってこの犯罪的罰ゲーム、集団ストーカーもいい加減終わってもらいたいのである。

(この文章を書いてる最中にも不安に襲われたが恐らく電磁波兵器で意図的に作られた不安であろう)

集団ストーカーの価値

被害が本格化して25年である。いくらなんでもこれは長過ぎではないか。私よりも被害歴が長い集団ストーカー被害者はひょっとしたらいるかもしれないが、恐らく全ての被害者の被害年数は最低でも10年は越えるだろうから、全ての被害者は嫌がらせに辟易していることだろう。

この集団ストーカー犯罪が開始される前に電磁波兵器の仕様方について偉い人達の間で話し合いが行われたかもしれない。その話し合いに参加したのは、心理学者であったり、精神科医であったり、教育関係者であったり、脳科学者であったり、軍関係者、あるいは政治家が参加してたかもしれない。その話し合いがなされた中で何者かが集団ストーカーなる犯罪行為を思い付いた。(こいつこそ憎き諸悪の根元)そして、周囲の同意を得てついに集団ストーカーがはじまった。

話し合いが行われた中で何人もの人間を犠牲にするのだから、慎重に議論が進められたであろうか。
恐らく悪事を働いて罪や負い目を感じない人間はいない。その罪と負い目に耐えるだけの価値が集団ストーカーにはあるはずである。

その価値とは何かは分からないが、我々被害者ははっきしいって酷いなんて言葉では言い足りない、地獄のような人生を歩んでおり、しかも、人生で2番目に大切で価値のある時間まで奪われるというおまけ付きである。まことにもって最低最悪の人生を歩んでいるが、集団ストーカー側の人間だってそんなことはわかっているはずである。

私が集団ストーカー側の人間だったら世界中にいる被害者の人生を潰す悪事には耐えられない。

前に集団ストーカーは全ての人間が知っている犯罪だと説明したが、私が被害者ではなく普通の人生を歩む人間だったら被害者が可哀想だと思うだろう。あまりの悲惨さに涙がこぼれるかもしれない。

しかし、普通の人間も有名人も特に気にすることなく生きているようだし、傷ついているようにも見えない。そこはやはり、集団ストーカーには全ての人間を納得させることの出来る、何か説得力のある意味があり、人の人生を犠牲にしても問題ない価値があるのであろうか。

だけど、やはりそこは集団ストーカーサイドの人間には被害者の立場に立って考えてもらいたいものである。何故ここまで卑劣な犯罪をこんな長きに渡って行うのか理解できない。10年なら10年で終わらせてやることは出来ないのか?25年とかあんまりである。私よりも長期間被害に耐えている人間もいるのかもしれないが、私はもう限界である。

集団ストーカーをするにあたってどういった話し合いが行われたのであろう。中には被害者に同情して被害年数をもっと短くしてもいいと、訴えた人間もいたかもしれない。それは分からないが、私が加害者側の人間だったらもっと同情的になっていたと思う。他人の人生の貴重な時間を奪うなんて気分の良いものではない。自分の身に当て嵌めて考えてみれば吐き気を催すレベルである。その罪と負い目に耐える人間はまずいない。

時間だけはどうやっても返ってこないんですよ。分かっていますか。

今の私は人生と集団ストーカーの意味と価値について考える毎日である。これは今の人生を生きていく上で避けては通れない問題である。我々は訳も分からずにまことに珍妙にして奇妙な世界に放りこまれた訳で、ここまで酷い目にあうと人生と集団ストーカーの意味と価値について考えずにはいられない。

兎に角我々は集団ストーカー被害者に選定されてしまったのだ。それは揺るぎのない事実だし夢ではないのだ。自分の現実から目を逸らしても何も始まらない。まずは現実を直視することだ。そこから始めないと物事は前に進まない。自分の現実を直視すれば悲しいかな、諦めなければならないことも沢山あるだろう。しかし、それはしょうがない。諦めの境地の中でも、そこは何かキラリと光る価値あるものを見付けることが出来るかもしれない。兎に角頑張って生きていこう。大切なのは覚悟を決めること!そして人生の意味について考えること、もうそれしかない。


日本全国の本物の集団ストーカー被害者のみなさん。辛い毎日を過ごされているとは思いますが、負けずに頑張っていきましょう!\(^^)/

続人生の意味について

幾つか前の記事でヴィクトール・フランクルの文章を交えながら自分なりに考えた人生の意味について記事を書きましたが、今回も人生の意味について考えていきたいとおもいます。

まず、第一に人生の意味は他の者との関係性の中から生まれるということです。他者性あってこその人生の意味です。誰もいない孤島で人生の意味について考えても意味がない。人生の意味は関係性の中にこそあります。

第2に人生の意味は受動的に発生するものではありません。自ら積極的に関係性の中に身をおいてその関係性の中から自ら積極的に人生の意味について熟考します。積極性なくして人生の意味は発生しません。関係性の中に自らを放り投げてその関係性の中から見えてくる自分の中にこそ人生の意味が初めて発生する余地があります。

そして第3に生きることから何かを期待しても人生の意味は発生しないということです。生きることから何かを期待するのではなく、寧ろ人生の側が自分に何を期待しているのか考えるということです。辛く苦しい状況下にあってその苦しみにどんな意味があり、そこから人生の側が自分に何を期待しているのか考える。言うなれば人生の側が非常に辛い中にあって、そこからどんな意味を自分が見出だすのか、期待しているのか考える。つまり、人生の側が自分に人生の意味を問い掛けてくるわけです。我々はそれに応える義務があると考えます。

我々集団ストーカー被害者の人生は辛く苦しいものです。時に怒り、時に泣き、そして、時には無気力になります。こんな悲惨な生活を送っているが上に全てがアホらしく感じることもあるかとおもいます。

全ては無価値で無意味だと考えることもあるかと思います。しかし、これはよくない。何故ならばこれ事態が1つの解答であり、その者にとっての人生の意味に他ならいわけであります。なんともお粗末な解答と言わざるを得ません。非常に辛い中にあってこそ燦然と輝いて見えてくるものがあります。関係性の中から発生する人生の意味です。辛い辛い人生に意味を与えなければなりません。非常に辛い中にあって人生からの問いに応える作業は時には辛く厳しいものになりかねません。しかし、我々集団ストーカー被害者に残された道は人生からの問いに応える他にないのではないかと思います。時には全てに対して投げやりになることもあります。私だってそうです。しかし、集団ストーカー被害者に選定されて非常に辛い人生を生きる中で全ては無意味だとニヒリズムだかシニシニズムだか知らないが、逃げることは簡単なことだと思うのです。寧ろ嫌がらせの中から生まれる苦しみと苦悩をきっかけっとして、人生の意味をそこから汲み取り人生の側からの問いに積極的に応え続ける姿勢が必要なんだと思います。

何処にいても、誰といても、部屋の中にいても必ずなにがしかの嫌がらせにあう、全てが制限され極限的な状況下にあって残された唯一の道は人生の意味について考えることだと思うのです。皆さんギリギリの非常に切迫つまった状況にあるとおもいます。それでも積極的に考えましょう!人生の意味について。それこそが我々被害者に残されたただ1つ唯一の可能性だと思うのです。ギリギリの限界状況にあってこそ見えてくるものがあると思うのです。

ヴィクトール・フランクルの言うとおり意味のない人生なんぞありはしません。どんな人生にも意味はあるのです。

皆さん非常に辛い人生を送っておられるかと思いますが人生の意味について考え、そして集団ストーカーの終焉を信じてこれからも共に頑張っていきましょう!

冷酷無比無情な集団ストーカー

うんざりしてくる、げっそりしてくる、どうでもよくなる、生きるのがアホらしくなってくる。一体我々被害者いつまでこの集団ストーカーとかいう拷問に耐え続けなければならないのか。

毎日思う事であって、最近は部屋の中での嫌がらせはかなり減ったが、外出すればハザードランプを点滅させた車、救急車、パトカーや物品を使ったアンカリング等に遭遇する度に、ああ、この犯罪はまだ続くのかと思いげんなりして深い溜め息が漏れる。

ここ1年で歳のせいでだいぶ身体も重たくなり顔も老けてしまった。

なぜここまで執拗でしつこいのか。あまりにしつこい嫌がらせが次々に大挙してやってくる為にこっちはもう無気力状態になってしまった。この犯罪の被害者ならば大体みんな同じでしょう?少なくとも毎日快活に生きている人間はいないはずである。

この世に生を受けて約半世紀、集団ストーカーのせいで楽しいことがほとんどなかった。どんな人間にも最低限の文化的生活を送る権利があると憲法に書いてあるのに、我々被害者だけはこの憲法はどうも適用外であるらしい。

なんてことだ!どんな人間にも人を好きになり恋をし結婚をして、家族を持つ権利が保証されているというのに、我々被害者だけは何も許されないというのか。一生孤独の身で生きていかねばならないのか。実はみんな集団ストーカーのことは知っておりそのなかでどうやって彼女を作り恋愛をせよというのか。これではまるで笑うに笑えないコメディではないか。全くやってられない。

目的は今はまだわからない。人体実験なのか、或いはもっと違った目的があるのかもしれない。それは判らないがいい加減にしてほしいものである。多少は、爪の垢程度の人情でもあるならばもう終わってもらいたいものである。何処までも冷酷無比無情に集団ストーカーの嫌がらせは続く。一体どうしたら、ここまで人間に対して冷酷になれるというのか。想像を絶するレベルである。まるで地獄の中で生きているようである。日本人にはない冷酷さだ。日本人が発明したとは信じがたいが、仮にこれが日本人の発明した犯罪で主犯が日本人ならば嫌がらせはもっと大甘で被害年数も、もっと少なく早く終わるような気がする。やはり、発明者は欧米人の何者かであろうか?電磁波兵器の特許は殆どアメリカ軍が取っているからやはり欧米があやしい。尋常じゃない執拗さ、しつこさ、徹底した妥協のなさからいってもこれは日本的ではない。

これは現実で夢ではないのだ。現実に集団ストーカーは存在していて、我々は紛れもなく集団ストーカーの被害者なのだ。どこにも逃げ場はない。現実と対峙せなばならない。

私にだって人並みにしたいことが沢山あるのだ。集団ストーカーのせいで出来なかったことが沢山ある。集団ストーカーの被害者に選定されなければもっと違った人生があったであろう。少なくともそれくらいは理解してもらいたいものである。


一体いつまで集団ストーカーは続くのか。それは分からないが、死ぬまで集団ストーカーが終わらないというのは勘弁してもらいたいものである。

人生短いってのに。集団ストーカーはもううんざりだな。

集団ストーカーのせいで何も出来なくされました。
人生を潰されました。したいことが一杯あります。
しかし、集団ストーカーのせいで何もできません。
過去記事で全ての人間が集団ストーカーのことは知っていると説明しました。なので集団ストーカー被害者の私はどこに行っても辛い、一般人の視線が痛く突き刺さります。どこにも自由に行き来出来なくされました。

今は半ば諦めの境地と覚悟を決めて昼間に外出しますが、一般人とは絶対に目を合わせません。全ての人間が集団ストーカーのことを知っているなかで外出するのは深夜でも勇気のいるものです。しかし、私は身体の健康と睡眠時間の調整をしっかり取るために日の光を浴びるべく勇気を出して日中に外出します。

昔は深夜にしか外出出来なかったのですが日中に外出出来る、これだけでも凄い進歩です。むかしは、人一人に遭遇するだけでも恐怖と戦慄に襲われました。なので、外出は基本深夜、日中に外出なんてとんでもない話でした。しかし、いまでは、日中にスーパーやブックオフなどで買い物が出来るまでになりました。しかし、もちろん、ある程度は恐怖心はありますから覚悟はいります。

二十歳を過ぎた頃から時間が経つのが早く感じて三十路を過ぎたあたりから、人生の短さを痛感するようになります。1日1日がすぎるのがとても早い。
一週間が2、3日で過ぎていくように感じます。この調子だと棺桶まであっという間でしょう。1日1日の貴重さを実感できるのはある程度歳をとってからです。若い頃はこの若さが永遠と続くと錯覚出来る時期ですが、私も今ではある程度歳をとり、時間の貴重さを実感するようになりました。人生短いとしみじみおもいます。ですから1日を無駄にせずに過ごしたいのですが、集団ストーカーのせいではっきしいって1日をほぼ無駄に過ごす毎日です。したいこをしたいように、やりたいことをやりたいように生きたいのですが、それが叶いません。何せ全ての人間が集団ストーカーを知っているものですから一般人の視線を感じながら生きるのはつらいものです。

これ以上人生の貴重な時間を無駄にはできません。自分も早く自由を手にいれて自分の人生を生きたいとおもいます。しかし、その希望は今はまだ叶いません。

人生短く、したいことも出来る時間も限られているというのは集団ストーカーだって重々承知していることでしょう?他人の貴重な人生の時間を奪ってなんとも思わないのでしょうか?これではあんまりです。毎日深い溜め息が漏れます。

もういい加減にしてくれ、もう勘弁してくれと語ると「謝ってくれ」と思考送信がきます。25年間も苛めにあい続けて「謝ってくれ」とは一体なんなんでしょうか。苛めはつらいし、時間を奪われるのはもっと辛い、仮にお互いの受けたダメージが対当か向こうの方が多少多い場合なら「謝ってくれ」という思考送信も納得ができますが、どう考えても自分の方が受けたダメージはでかいし、今更終わっても自分もいい歳なので出来ることに限りがあり、これからの人生大して楽しめそうにありません。これではあんまりです。納得できない。しかし、早く終わって貰いたいので納得出来なくても「謝る」のですが全く終わってもらえません。

私は今はテレビを観たり、ゲームをしたり、散歩等をして時間を潰す毎日です。しょうもないことで時間を潰しているなと我ながら思います。

時間が足りない、したいことも沢山ある。早く終わってもらいたい。

ひょっとして集団ストーカーは私に絶望を与えるのが目的でしょうか。貴重な人生の時間を奪ってしたいことが出来ない歳になってから外の世界におっぽり出すつもりでしょうか。未来の不安や仕事の不安、集団ストーカーは終わるのか等、私の人生は不安ばかりです。

お願いだ、早く終わってくれ!時間を奪うのは罪だ!お願いだもういい加減に終わってやってくれ、頼む!もう終わりにしてくれ!頼む、もう終わってやってくれ!

心からの願いです。