個人的問題と集団ストーカー2

前の記事で書いたことは多分殆どの人に意味不明な記事だったと思うがこの個人的問題は言葉で説明するのが難しい問題なのである。

個人的には集団ストーカーと関連があるとおもっているのでなるだけ分かりやすくこの個人的問題のことについて語ろうと思う。

ある友人と不仲になってしまったときのこと。

その友人が突如人格攻撃をしてきたのである。

私は酷いショックを受けた。

その時に出来たトラウマが心の奥深くまで浸透して内側から私の事を支配するようになってしまったのである。
それから、彼の悪口と共に彼の視点が心の中に残ってしまった。
彼は私にありとあらゆる観念群を植え付けてきた。そして、その観念群が心の中で視点に変質し私は24時間彼に心の中を監視されたような状態になってしまったわけである。

生き地獄であった。何をするんでも、何をやるんでも、何を観ても彼の視点が邪魔をするのであった。

私の心の中は彼の事で一杯であった。彼以外のものは何一つ一切受け付けなかった。喜びも悲しみも苦しみも憎しみも何一つ受け付けなかった。

私の中では彼が全てであり、いつ何時いかなる時でも彼の視点が消えることはなかった。アメーバやスライムみたいに常にまとわりついてくるのであった

生き地獄でしかなかった。何も楽しめない、感動も出来ない、ネガティブな感情ですら素直に感じることが出来なかった。

一種の自閉症のような状態になってしまったのであった。

これは間違いなく一生ものの大問題で完全な解決は永久にみないであろうが、そこに集団ストーカー問題が覆い被さってきたから大変である。

集団ストーカー問題を解決しようとすると此方の個人的問題の方に足を引っ張られるのである。そして個人的問題を解決しようとすると、集団ストーカーに邪魔をされる構造になっているのであった。

わたしは行き場をうしない、にっちもさっちもいかない状況に放り込まれた。

とにかく集団ストーカーは早く終わってもらいたい。問題もどちらか1つ片付けばだいぶ楽になるであろう。

20数年間死んだように生きてきて今更ながらこうして誰かに語ることが出来るようになったのは大きな進歩である。私にトラウマを植え付けてきた友人の不満を語ること事態が禁止事項だったからである。

しかしよく考えるとこの視点の問題。集団ストーカーとそっくりである。一種のモラハラだが構造的に似ている。

かれの取ってきた手法はカルト宗教そっくりだったし集団ストーカーも似たようなものであるが人格破壊、アンカリングつまり印象付け、飴と鞭を使い分け持ち上げては落としそして24時間監視する。彼が私にしてきたことそのままである。

そして私が彼にぶっ壊されておかしくなってから葬式の仄めかしがあった。これは私の精神的な死を意味していたのではなかろうか。
実際に学校の先生が亡くなって黙祷を捧げたこともあったがその時黙祷を捧げる生徒達はなぜかクスクス笑っていた。人が死んでるのに笑うなんて、なんて不謹慎なと思ったが今にして思うとあれは私の事を笑い者にしていたのではないかと思えなくもない。


とにかく余りにも迷惑千万、理解不能なことが立て続けに起こるこの犯罪。早く目的を教えてもらって終ってもらいたいものである。

個人的問題と集団ストーカーの2重苦

集団ストーカーだけでも死にたくなるほど辛いのに個人的にある重大な問題を抱えていてこっちの方も死にたくなるくらい辛い問題である

本物の集団ストーカー被害者ならばたいがいの人間は自殺が頭をよぎることもあろうが、私の抱えているある個人的な問題とは集団ストーカー問題に匹敵するくらい辛く重い問題でこちらの問題に手を焼いて自殺が頭をよぎったのも1度や2度ではない。

そこに集団ストーカー問題が覆い被さってきたから大変である。

個人的問題の方は多分一生ものの問題で死ぬまで完全な解決はみないと思う。
それくらい辛く苦しい問題だというのに集団ストーカー問題の方にも対処しなければならないから大変である。

個人的問題の方はどういう問題かというと言葉で説明するのは難しいが対人関係間で派生した精神的な問題である。

集団ストーカー問題を解決しようとすると個人的問題の方に足を引っ張られ個人的問題を解決しようとすると集団ストーカーに足を引っ張られにっちもさっちもいかないのであった。
1度に2つのどでかい問題が同時に覆い被さってきたわけである。

集団ストーカーがなかなか終わらない理由の1つに個人的問題の方も関係あるのではないかと思ってるが、集団ストーカー問題解決の足を引っ張ってるのは間違いなく事実である。

せめてどちらか1つだけだったらなとしょっちゅう思うのであった。
20数年間この2つの問題と付き合ってきて、時間も、金も、友も、恋も、なにもかも犠牲にしてきて私ほど死ぬほど辛い目にあっている人間もなかなかいないんじゃないかと思うときすらある。

私がもっと強くて賢ければ事態はちがったかもしれない。もうちょっと美味しいおもいも出来たかもしれない。

全てを個人的問題に還元すべきなのか、外に理由を作るべきなのか、あるいはその両方を問題にすべきなのかは分からないが、この、個人的問題の厄介なところはありとあらゆる事に関していちいち顔を出してくるところである。

集団ストーカーは勿論のことその他諸々のことに関してまで足を引っ張ってくるわけでこいつさえいなくなればどれだけ楽かいつもおもうのである。
アメーバとかスライムみたいに身体にまとわりついて離れないような問題なのである。金太郎飴のようにどこを切ってもこいつが顔を出すような問題なのである。

集団ストーカー問題からちょっと話が脱線してしまったが此方としては最重要事項問題であり集団ストーカー問題とも切っても切れない関係にあるので今回のブログで書かせてもらった。

脳を乗っ取られてる?

普段考えないことを考えさせられたり、行動をコントロールされてると感じることはないだろうか?

こいつら集団ストーカーのことは絶対に許さないと考えると『ゆるせ』という考えが頭に浮かんできたり、ある特定の人物に対して恨みや憎しみの感情が沸いてくると『◯◯をゆるせ』という考えがうかんできたり、
散歩してるときに歩行進路を強制的に変えさせられ、待ち受けたさきにストーカー達がいて仄めかしをしてきたり、視線を強制的に変えさせられ目を向けた先に集ストお馴染みのアイテム、風マスクが落ちていたり。


あと、向こうの考えが送信されてくることもある。
『謝ってくれ』『もう許してやってくれ』『わかってくれ』等。

どこまでが自分の考えで、どこまでが自分の考えにもとずいた行動なのかいまいち分からない。
思考送信兵器もほんとうにあるのかどうなのかよく分からない。
何もかも分からないずくしのこの犯罪。
被害歴も20年を越えていろいろと限界も近いので早く本当の目的を教えてもらって加害行為も終わりにしてもらいたいものである。

終わってまだマシ程度の喜びしかないのか

20数年に及ぶ嫌がらせを受けてきたら終わったら今まで受けてきた苦しみを帳消しに出来るだけの喜びを嫌でも期待せざるを得ない。

しかし、どうもそんな喜びなどありそうに有りませぬ。

終わってまだマシ程度の喜びだけでしょうか。

俺達が今まで味わってきた苦しみは一体男だったのかということになりそうで怖い。

毎日嫌がらせを受けながら無駄に時間だけが過ぎていく。
ため息が漏れます。

時間を奪われるのが一番辛いこの犯罪、一刻でも早い終わりを願う。

わかってみれば、ああ、そういうことだったのかと納得できる?

25年の長きに渡って続いている集団ストーカーの目的を早く知りたいです。

25年の苦労を帳消しに出来るだけの納得のいく理由があるのでしょうか。

わかってみれば『ああ、そういうことだったのか』と、わかるとTBSから仄めかしがありました。

カプコンのゲームの悪口ばかり言っていたら『お前には教えてやんねえよ』というカプコンからの仄めかしもありました

数えあげればきりがないほどたくさん苦労を味わってきました
自殺が頭をよぎったのも1度や2度ではありません

25年の苦労を帳消しに出来る幸福がこの世にあるとは思えませぬ

いい加減いい歳なので肉体的にも辛くなってきましたし、今更終わっても楽しいことも大してありそうにありません
歳を重ねる程に精神的に弱くなっていく実感があり精神的にはもう限界寸前です

お願いします
早く終わってください
そして目的を早く教えてください

(この文章を書いている時にもなのだが耳にバチンと走る電磁波刺激が鬱陶しい)

死なない程度なら何をしてもOKですと言われる

人の人生を何だと思ってるのかと考えずにはいられないが

悪いことがまかり通る
誰かの犠牲が必要

そして死なない程度なら何をしてもOK

これらのことは一体何を意味しているのだろうか?

とにかくこっちはもう耐えるのが限界なので早く終ってもらいたい

もう疲れた いい加減に終わってもらいたい

この被害にあってもう25年たちます。


色々な苦しみを味わってきました。色々なものを失ってきました。


この被害に遭わなければ出来たことがたくさんあるでしょう。たくさん楽しい思いでも作れたでしょう。それらの事が頭を過ります。



今日公園に散歩に出掛けました。多くの家族連れを見かけました。はしゃぎ回る子供達。ボール遊びや楽しそうに手を繋いで歩く親子。
みんな幸福そうに見えました。


多くは望まない、ただ不通のありふれた日常がほしい。


それなのに一体何なのでしょうかこの仕打ちは。


どれだけ酷いことをしたらここまで酷い目に会わなきゃならないのでしょうか。


もう、いい加減にしてもらいたいです。


被害に耐えるだけの毎日。


2度と取り戻せない時間だけがただ過ぎ去っていく。


そして今日もアンカリング、救急車のサイレン、携帯で話す人々、数字を使った仄めかし、抜群のタイミングで横切って行く車の数々、タクシーや配達業者の車に頻繁に遭遇する、咳払い、終わる気配が全くしません。


しかも、歳も歳だし終わってからの人生も楽しめそうにありません!


俺が一体何をしたというのか。


被害が始まってもう25年である。いい加減に終わってもらいたい。心からの願いである。