集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

是非とも多くの人に読んでもらいたい。私と岸田秀。

私は岸田秀と同様に神経症持ちの人間である。神経症にも色々あって一枚岩で語ることは出来ないが、私と岸田秀は似たような神経症的症状を持ってると思われる。なので、私は自分の神経症をどうにかする為に私は岸田秀の本を必死になって読んだのである。岸田秀の他だと、養老孟司内田樹の本を好んで読んだが、それも、私の神経症をどうにかしてくれそうな著作家が上記にあげた二人しかいなかったからである。私が神経症になってなかったら恐らく、私の中のナンバーワンは養老孟司であったろうが、(今の日本で一番賢い人と呼ばれているのは内田樹であるが私の中のナンバーワンは養老孟司なのである。そんな養老孟司も昔は岸田秀より馬鹿だったと語っていた)私は神経症の為に私の中のナンバーワンは岸田秀なのである。

岸田の傑作的書物「フロイドを読む」は私の必読書であった。全く私と同じ問題で岸田は苦しんでいたからである。

私はある奴に洗脳されて神経症になったのだが、私の主な葛藤はそいつの元に居続けるか、離れるかの葛藤であった。本音は勿論奴から離れたいであった。奴は孤独であった。寂しい人間であった。従って私に永遠の友情を求めていた。しかし、私にはそれは重荷であった。私は奴の側から離れたかったが離れる事が出来ないのであった。奴は自分の事を絶対化し、私を洗脳した。従って私の中で奴が絶対的存在になり、反目は許されず、奴の言うことには従わなければならないのであった。岸田と母親の関係と同じであった。岸田も母親の言うことを聞いて劇場を継ぐか、母親の期待を裏切って劇場を継がないか綱引きのような葛藤に苦しんでいた。私と同じである。

絶対化した奴は私を常に自分の側に置こうとした。私は他の友達とも遊びたかったが、それは許されないことであった。私は奴の子分的立場であり、それはそれは屈辱的であった。

私は奴に色々な観念を植え付けられがんじがらめになっていた。それも全ては私を自分の元に置いとく為に見えない鎖で奴は私を縛りつけたのであった。同じく岸田も母親に様々な観念を植え付けられがんじがらめになっていた。私と全く同じであった。岸田の母親はある人物の例えによるとまるで化け物のようであるとのことだが、あの養老孟司ですら岸田の「フロイドを読む」を読んで、もうちょっと子供にも非があるような気がすると語っていたくらいである。他人から見れば岸田の母親はまるで化け物の如く見える為に岸田の話がどうも信じられないようである。しかし、洗脳されていた私に言わせれば、岸田の話を信じられない人間の方が信じられないのである。私は岸田の母親のような母親がいることは信じられるのである。

岸田の母親は岸田に以下のような観念を植え付けたらしい。

・母は僕を育てる何らの義務も責任もないが、特別の恩恵によって最大限に苦労して育ててくれた。母ほど献身的、自己犠牲的で、おのれを顧みず子の為に尽くした親はいない。従って、僕に対する母の恩は無限に大きい。
・僕の一生を母の為に捧げても、母の恩を充分に返しきれないが、できるかぎり返すようにしなければならない。従って、僕の人生には母の為に尽くす以外のことをする余裕はない。
・僕には何の才能もなく、僕の存在そのもは無価値であり、ただ、母の為に役立つことのみによって価値が生じる。
・この劇場は絶大な価値のあるものであって、他の何物にも代えられない。
・母の幸不幸は僕が劇場を継ぐか継がないかにかかっており、劇場を継がなければ、母を不幸のどん底に突き落とすことになり、それは許されない最大の罪悪である。
・世の中に母ほど可哀想な人はいない。
・僕の身体は母がこれまでに僕に与えてくれた食物の栄養で出来上がったものであるから、母の所有物であり、従って、母は僕を煮て喰おうが焼いて喰おうが自由で、僕に対して全ての権利をもっており、僕は母に対して義務しかない。
・もし親が苦労して育てた子が親に恩返しをしないなら、世の親は子を育てなくなり、それでは世の中は成り立たない。

岸田は言う。子供にこのような観念を植え付ける親が化け物でなくて何でしょか。僕はこれらの観念にがんじがらめになり、窒息しそうでした。

私は岸田の気持ちが痛いほど分かるのである。だから、私と岸田は無関係だとは思えないのである。

私が中学生の頃に植え付けられた観念は以下のものである。これから奴の事をTと呼ぶことにする。

・Tはこの世で一番不幸な人間だからTに対して思いやりの気持ちを持たなければならない。Tを悲しませるような事は決してしてはならない。
・Tは人類史上最高の天才であり、何者も叶わなくその事は疑いようのない真実である。なので彼の対抗馬は松本人志だけであり、Tを喜ばす為に松本人志に匹敵するお笑いの才能を身に付けねばならない。
・いつ如何なる時でもTの事を優先的に考えて、自分を差し置いてでもTに献身しなければならない。
・Tは絶対的な存在者である。決して疑ったり口答えしてはならない。
・T以外の友達は作ってはならない。仮に友達を作る場合はTのお気に入りの人間でなければならない。
・Tは私の為を思ってこれら観念を植え付けているのだからTに対して感謝の気持ちを持たなければならない。
・Tの言うことは全て正しい。間違いはない。矛盾点があっても指摘してはならない。
・Tを差し置いて幸福になってはならない。
・自分の人生を生きてはならない。常にTの脇役であるべきである。
・Tは笑い好きだから私は芸人としての才能を身に付けなければならない。
・Tの好きな物は全て価値の有るものである。従ってTの好きな物を否定してはならず、好きにならなければならない。
・Tを差し置いて恋愛もセックスもしてはならない
・T以外の如何なる者であっても、信じてはならないし、依拠してもならない。
・Tは人類史上最高の人物であるのだから崇拝し、尊敬しなければならない
ブルーハーツは日本最高のロックバンドであるのだから、好きにならなければならない。ブルーハーツを理解出来ない人間は馬鹿である
・Tがいかに偉大な人間か周りにアピールしなければならない。
・Tの味方をたくさん見付けてくるべきである。

だいたいこのような観念を私はTに植え付けられたのである。岸田の母親をどう考えても超えているだろう。私に言わせるとTはただの化け物だったのである。私はこれら観念にがんじがらめになって自分の人生を生きることが出来なかったのである。しかも、その観念を植え付けられたのが思春期だったのが痛すぎた。20代以降だったらここまで私は苦しむことはなかったであろう。

中学生がこのような観念を植え付けるなんて誰も信じられないだろう。しかし、Tは創価の人間で、創価の洗脳の手法を知らない内に身に付けていたと思われる。だからこれは疑いようのない真実なのである。私の中のナンバーワンはTだったのである。岸田にはフロイドという希望があったが私にも希望があった。

このブログで嫌と言うほど語ったセックス・ピストルズである。Tはセックス・ピストルズの事が好きではなかった。Tはジョジョの奇妙な冒険の大ファンだったのだが、ジョジョのスタンドにはロックバンドの名前がよく冠されていたのだが、ジョジョセックス・ピストルズが出てきたのである。その事をTに告げると「だからよ」とTは言った。Tはブルーハーツのファンだったのだがブルーハーツ甲本ヒロトセックス・ピストルズに多大な影響を受けていた為にセックス・ピストルズを否定出来ないのであった。それで、私はTに懐疑的になったのである。私は当然Tはセックス・ピストルズを認めると思っていたからである。そのことがきっかけでTが私の中では絶対的な存在者であるという観念に亀裂が走ったのである。私はパンクファッションを真似てチェック柄のシャツをズタズタに切り裂いて着ていた。Tはそんな私を見てドン引きしていた。Tに叶う人間はどこにもいないと思ってたので、Tがパンクにドン引きしていたのでパンクはTより上位に立ったのである。なので私の中でTが絶対的な存在者ではなくなった最初のきっかけを与えたのは、岸田秀でもなく養老孟司でもなく内田樹でもなく、セックス・ピストルズなのである。従って私はセックス・ピストルズには多大な影響を受けて今でも感謝の気持ちがあり、セックス・ピストルズを産み落としたイギリスに強い興味があるのである。(そう言えばフロイドもイギリス哲学を好んで読んでいた。私もイギリス哲学を学びたいと思っている。やはり、同じヨーロッパ人でもイギリス人は違うのである。)セックス・ピストルズジョニー・ロットンから、「助けてあげるんじゃなかったよ」と仄めかされたが、私は確かにジョニー・ロットンに助けられたのである。その次に養老孟司岸田秀内田樹に出会い私の中でTが絶対的な存在ではなくなったのである。中でも精神分析が専門の岸田秀は決定的だったのである。

岸田は神経症は完治は不可能で一生付き合っていかなければならないと語っているがこれも分かるのである。私の中に住まうTが私の中で微笑んでいるのである。従ってわたしはTの事を本音では叩き殺してやりたいくらい恨んでいた。

このブログではたまに集団ストーカーと関係のない記事を書くが、今回の記事は是非とも多くの人間に読んでもらいたいのである。集団ストーカーとは関係ないが大勢の人間に読んでもらえると幸いである。にわかに信じがたいであろうが嘘偽りのない事実である。続く。

今回の音楽
レッチリ
ノー・チャンプ・ラブ・サッカー
https://youtu.be/mYSZtBTJIn8
レッチリ最高