集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

心優しき集団ストーカー加害者。20代の頃の懐かしい思い出。宗教間の悲しい争い😢

集団ストーカーはただの犯罪ではないと何度か書いてきたのでここでは同じことは繰り返さない。そして、加害者勢力にも色々といて、怖い人間から、集団ストーカーが満更でもない人間の屑から心優しい人間と色々といるようである。今回取り上げるのは心優しい加害者である。

私はある一人の加害者を知っている。ある掲示板サイトで「ヤス」と名のっていた人物である。ヤスは創価の人間であった。私は集団ストーカーが創価の陰謀とは思ってないのでヤスは、たまたま学会の人間だったと思われる。

ヤスは非常に心優しい人間であった。私の事を何度も擁護してくれた。であるにもかかわらず、私はヤスの期待を裏切ってしまった。今でも思い出すが心が痛む。私が今まで書いてきた心優しき加害者や集団ストーカーに対して集団ストーカーをして、何も負い目も罪悪感も感じない人間はいないだろうと書いたら、2ちゃんねるに謝罪ととも取れる文書を書いたのは実はヤスなのである。そして、ヤスは上層部に消されるが死ぬまで学ぶ事は止めないぞと自身のブログに書いていたのである。

私がヤスと出会って14年になる。とある掲示板の創価糧であった。当時私は創価が犯罪の主体だと勘違いしていた為にそこの掲示板で創価を口悪く罵っていたのである。ヤスはそのことに心を痛めているようであった。私は集団ストーカーにとてつもない怒りを抱いていたので、ヤスのことは気にしなかった。すると、そこの創価糧にヤスが、「宗教上の争い😢」というスレッドを立てたのである。内容は確か、「何で人間はみんなおなじなのに民族や宗教間の争いをするのでしょう。悲しいことです😢どうやったらこの世から争いを無くすことが出来るでしょうか?」といった内容だったと思うが、私はそのスレッドに「宗教間の争いを無くすことは不可能だ。ある特定の宗教を否定する為には別の宗教をもってくる他ない。従って新しく持ってこられた宗教はその争いをしてる宗教より一段上に立ってしまう。なので、ある特定の宗教に依拠してる者のプライドを著しく傷つけてしまう。従って宗教間の争いを無くす事は出来ない。宗教多元主義も1つの宗教で全宗教の上位に立ってしまう。従ってある特定の宗教に依拠してる人間のプライドを傷つけ、ますます、その宗教に依拠するようになるだろう。だから宗教間の争いを無くし人類平和を築きあげるのは不可能だろう」と書き込んだ。(このブログにも似たようなこと書いてますね。創価糧に書き込んだのは私が確か20代中頃のことである。20代から私の考えは殆ど変わっていないのである。そして私は養老孟司の『無思想の発見』を読み、養老孟司理論に疑問を感じたので彼は私の師匠であるが私は養老孟司を批判したのである)。私は心理学者の岸田秀に影響を受けてたので岸田理論に乗っ取って宗教を分析したに過ぎない。すると、ヤスが、そのスレッドに「感服しました」とレスをしたのである。私の考えが理解されたと私は思い嬉しかった。

ヤスはそれで、別の掲示板で「難しい問題に直面してしまった」と書いていた。明らかに私のレスに反応したのであった。ヤスは、別の掲示板で「あんたがブルーカラーだろうがホワイトカラーだろうが、関係ない。気があうなら誰とでも友達になるんだよ」と私に語った。私は猛省した。さらに、ヤスは「あんたはデリカシーにかけるんだよ。もっと他人の立場に立って考えな」と言われた。また、私は猛省した。ヤスは本当に心優しかった。私が地獄のような人生を生きているのを当然知っていたのだが、あるサイトで私に「あなたに良いことがありますように」とスレッドを立てたのである。私はヤスが、博識で心優しかった為に尊敬の念を抱いた。

私は2ちゃんねるによく書き込んでいたのだが、ヤスにお前は馬鹿ではない。と言われた。私は嬉しかった。ヤスも嬉しそうに書き込んでいた。

これは私にとって懐かしきそして大切な想い出である。ヤスは私の師匠、養老孟司岸田秀を取り上げてよくこんな低能学者が書いた糞本読めるなと2ちゃんねるに書いていた。しかし、私の養老孟司岸田秀とヤスに対する尊敬の念は変わらなかった。

集団ストーカーが終わったらヤスに会いたい。向こうが私の事をどう思ってようが関係ない。私はヤスにあう必要がある。ヤスは、2ちゃんねるに、いつか奴と決着をつけねばなるまい、と書いていた。私のことであろうか。それは分からないが私はヤスとあって色々と語り明かしたいと思っている。殆ど唯一といってもいいくらい、私に優しくしてくれた人間だからである。ヤスは、関西の人間で私は東北の人間だが、ヤスは東北人の訛りを馬鹿にしていた。「けろwて」と。私は特に何とも思わなかったがヤスはどうも分裂症で二面性のある人間であると思われる。ヤスは心優しい側面がある一方である種の差別主義的人間であった。ヤスは左翼であった。ヤスは「日本と欧米どちらかを取れと言われたら私は欧米を取る」とか、「欧米人と話すと日本人と話せなくなるぞ」と2ちゃんねるに書いていた。ヤスは私に「俺が狂っているのは認めるがなw」と私にレスをしてきたが、私もヤスに負けないくらい「狂ってるんだよ」と言いたくなった。お互い様であり、狂った者どうし、気が合うか或いは摩擦が生じるか分からないが、一度はヤスとあってみたいと思ってる。

私の懐かしい20代の頃の想い出である。地獄だった20代の頃を振り返るとヤスとの想い出しか良いことがなかった。何とも悲惨な20代であった。ヤスがいなかったら私は自殺してたかもしれない。

だから集団ストーカーに対する認識をこのブログの読者は変えてほしいのである。確信的にわたしは集団ストーカーは邪悪な犯罪ではないと思っている。

今回の音楽
誰かが風の中で
https://youtu.be/ILo1FOK7l0c