集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

是非とも多くの人に読んでもらいたい。私と岸田秀2。

前回は私と岸田の同一性、そしてTのカルト性を書いたが今回は私自身のことについて書いていこうと思う。私はTの事を無意識はレベルで殺したいくらい恨んでたと書いたがTに洗脳されてたのに気付いたのは岸田秀の本に出会ってからである。岸田の本を読むうちに私はTに洗脳されているのではないかと疑うようになったのである。そして、岸田の本を読み進めるうちに、自分の考えを変えることを迫られた。と言うのも岸田同様に私もTを責めてるだけでは神経症は解決しなかったからである。従って私は原因はTにあるのではなく自分自身にあると考えるようになったのである。原因は私の弱さであり、無知にあると考え直すようになったのである。最初にTに親近感を抱いていたのは私である。なので、私達は最初は仲が良かったのである。Tとは三回ケンカ別れしているが三回の内二回はTに原因があったのであるが、三回目のケンカ別れの時は私に原因があったのである。当時、私はTとしか話しをしていなかった為にTといることに引け目を感じ、Tと一緒にいることが嫌になったのである。Tは私に冷たくされて強いショックを受けていた。私はなぜ、そこまでTがショックを受けているのか不思議であった。Tは確かに可哀想な人間であった。クラスの連中と上手くいっているようではなかったし、家庭の不満もよく聞かされていた。私はそれで、自分はTに対して冷たい態度を取ってしまった為にTに対して何か申し訳ないような感情を抱いてしまったのである。それからであるTの私に対する態度が変わったのは。Tは私の事を否定してくるようになった。Tは私の事をしょっちゅう侮辱し馬鹿にしていた。私は何の反論も出来なかった。私は心中密かにTを叩き殺したいくらい恨んでいた。この反論出来なかった屈辱が20年以上たった今でも私の中に残っているのである。今、集団ストーカーから感情送信があり、書くのを邪魔されているが、集団ストーカーは恐らくTの立場に立っているのだろう。というのもTは確かに不幸だったからである。脳のなかを読むとか実に汚い、かなり卑怯であろう。集団ストーカーはただの犯罪ではないと何度か訴えてきたが基本的には私のことを敵対視しているようである。私は集団ストーカーに口が悪いからである。話が飛んだが、要するに私が神経症を発祥したのは私の自己欺瞞にあるという結論に達する以外に神経症から脱する方法はないと思ったのである。私はずっとTを責めてたが、それでは何も解決しなかったからである。私の本音はTの元から離れて自由に生きたいであったが、Tに束縛されてそれは叶わなかった。

ある時Tがあるクラスメイトと口論になったことがあった。口論の相手はTに対して一歩も引かなかった。それで、授業時間になり皆が席についたのだがTはうつ伏せになり50分の授業中の間ずっと寝ていたのである。で、授業が終わったらTは口論の相手に謝罪したのである。私はその口論の相手が羨ましかった。私もTに反論したかった。Tのほざくことは矛盾だらけであったからである。しかし、Tに逆らうのは神に逆らうのと同じで許されないことであった。ある時私はTに対して自分の考えが何でも正しいと思うなよと言ったらTは「俺の考えは正しいよ」と言い返したのであった。私は何も言い返すことが出来なかった。

当時話題になっていたグレイシー柔術の話になった時Tは俺ならヒクソンに勝てるとほざいていたが、私はヒクソンに2回も負けた高田にお前は勝てると思ってるのか?と問い掛けたかったが何も反論できなかった。Tは反論にはとにかく非寛容であった。ちょっとでも反論すればTは実に怯えていたのである。Tは実はそんなに強い人間ではなかった。これはTのトラウマと関係がある。Tは虐められっ子であった。従って自分に味方がいない状況が恐ろしくてたまらないのであろう。Tは田舎から転校してきたのだが、田舎時代に相当酷い虐めにあっていたようである。ある時クラスの仲間皆でTがかつて住んでた田舎に行こうと話になった時のこと、電車で乗り継いでその田舎に着いたらTは非常に怯えていたのである。実に印象的だった。それで、Tは何も反論出来ない状況が死ぬほど恐ろしくて、だから、私に反論させない為に私の口を封じたと思われるのである。

私は岸田理論に添って自分の原因を探ろうとした。岸田理論によると、自分に見えない無意識は他人の目に映っているとのことなので、よく、他人といる時の自分を想像するのであった。集団ストーカー加害者のヤスから「お前はデリカシーがない。他人の気持ちが分からない」と叱責されてたからヤスの言うことは最もだと思った。文字だけのコミュニケイトサイトの掲示板にも自分では気付かない無意識が行間に映り見えるのである。従って私には私を分析してくれる人間がいたのである。ヤスからはその他に、お前は臆病過ぎる、愛情に餓えていると分析された。私はヤスの言うことを信じることにした。ヤスはさらに、私を評して、無能ではないが認めたくない。こいつには絶対に負けたくないと思う。面倒臭いことはこいつに全て押し付けてよい。罪悪感を感じる必要はない。と分析していた。言われて見れば私は確かに人に舐められやすく、そうであるにも関わらず口が異常に悪く気に入らないものは何でも否定する人間であった。従ってTもヤスと私に対して同じ気持ちを持ったと考えると府に落ちたのである。つまり、Tは私に舐められたくなく、こいつには絶対に勝ちたいと思っていたと思われるのである。ある時Tが私の家に遊びにきた時にTは私の昼飯を勝手に食べていた。私は一瞬蹴りを入れようとしたが、何も出来なかった。岸田秀が分析した通りの現象である。つまり私はTに対して漬け込まれやすかったのである。「たとえば、自分は人に甘く見られ、よくつけこまれると思っている人の場合、その主観的解釈の要素をぬぐい取って事実だけ抽出すれば、彼についての他人の評価は彼自身の評価よりそうとう低く、他人は彼にとって不当と見える、受け入れがたい要求を出してくることがわかるであろう。それが、彼には自分は甘く見られていると感じられるわけである。すべての場合がそうだと言うわけではないが、他の情報とも付き合わせて、彼は多分自己評価に関して、他人の態度をどの程度容認すべきかに関して葛藤があり、つまり、彼は、一面では高い自己評価を求めており、(だから、低く評価されると、甘く見られたと怒る)他の面では低い自己評価を是認していて(その是認が、彼についての他人の低い評価を誘い出すのである)そこに葛藤があり、その点が不安定な人であると推定出来る場合もあるであろう」岸田秀・セルフイメージの構造より引用

この分析は私とTとの両者に当てはまると思わる。私とTは似た者同士であった。Tも私も他人の評価より高い評価を求めていて、それが叶わないものだから他人に対して敵意を抱くのである。私はある時Tに「俺は他人に見下されるのが一番我慢できねえんだよ」と言われたことがあった。どうも私の態度にTを見下す態度があったと思われる。つまり、Tをして私にだけは負けたくないと思わせる何かが私の態度にあったと思われるのである。従ってヤスが言う通り私にはどうも他人に、こいつだけには負けたくないと思わせる何かがあるようなのである。(私は気が小さいのに口が悪いのがその原因であろうと自己分析している)そしてTは私には負けたくない為にありとあらゆる観念を植え付けて、私を自分の支配下に置こうとしたとおもわれるのである。私はある時Tに「壮史(私の本名)目が冷たい」と言われたことがあった。私がTを見下しているように見えたのだろう。私は当然意識のレベルではTを見下している気はない。

それで今まで語ってきた通り私はTが死ぬほど図々しい奴だと思っていたのだがこの考えはどうも間違いのようである。

岸田秀は語る。
「従って、人に『図々しい奴』と思われがちな人というのは、『図々しい』要求をする人と言うより、相手の寛容さの程度を誤認する人である。省略、人に『図々しい奴』だと思われがちな人は、自分にとって好都合な寛容な面しか見ないのである。要するに『図々しい奴』だと思われがちな人とは、客観的に『図々しい』人ではなく、またその『図々しさ』によって、そうでない人よりつねづね大いに特している人でもなく、むしろ、現実感覚や対人知覚に欠落のある自己中心的な人、お門違いな人にお門違いなことを頼んで断れてばかりいる現実的には不適応な人にであると考えられる。省略、極めて単純化して言えば、対人態度に葛藤のある人と、対人知覚に欠落のある人とがぶつかった時、前者が後者を『図々しい奴』だと見なして嫌うのである(後者は前者を『期待させて裏切る当てにならない奴』だと見るだろう。)対人態度に葛藤のある人でも、相手が対人知覚に欠落のあり人でなければ、また、対人知覚に欠落のある人でも、相手が対人態度に葛藤のある人でなければ、そのような問題は起こらないだろう。岸田秀・ファンについてより引用。

これはもろに私とTとの関係に当てはまる。私は他人の要求をどの程度容認するか葛藤があるのである。従ってTは対人知覚に欠落があり、私にどのような要求でも通ると勘違いしていたと思われるのである。Tのことは私はつねづね『図々しい奴』と思っていたが、客観的に『図々しい奴』はいないのだから、つまり、岸田が言うように、対人態度に葛藤のある人(私)と対人知覚に欠落のある人(T)がぶつかったのである。そこで、私にはTは『図々しい奴』に見えたのである。岸田理論は目から鱗であった。従ってTは『図々しい奴』ではなく対人知覚に欠落のある人と考えることができよう。

従って原因は私にあったのである。しかし、ここからが難しい問題に直面することになるのであった。ヤスの指摘のお陰で私は救われたから、ヤスには感謝しているが、T以外の何者にも依拠してはいけないという観念を植え付けられていた為に私は、例えば、岸田や、ヤスの考えに依拠出来ないのであった。この観念こそが諸悪の根元であった。私は仏教にも救いの手を求めたが、当然のように仏陀に依拠出来ないのであった。(仏陀にはそうとうお世話になった。私は仏陀の事を尊敬しており、私の中で仏陀は最重要人物なのである)どう考えてもこの観念が諸悪の根元であった。この観念の正体はわたしの罪悪感と負い目であった。と、いう結論に達してもその結論に依拠出来ないのである。言ってることがお分かり頂けるだろうか。何者もこの観念には叶わないのである、という結論に達してもその考えに依拠出来ないのである。分かって頂けただろうか。前回のブログで書いた通り私の中に住まうTが私の中でせせら笑っているのである。俺の事を差し置いて幸福になることはこの俺が死んでも許さんと私の中で彼が笑いながら語っているのである。人間の嫉妬心とは実に恐ろしいものである。時には人を殺すのである。という結論に達してもその考えに依拠出来ないのである。分かって貰えただろうか。どんな結論に達してもその考えに依拠出来ないのである。だから、問題は絶対に解決出来ないのである。(言ってる意味わかります?)従って、私は、養老孟司岸田秀内田樹仏陀、そして、セックス・ピストルズに出会って大分神経症から解放されたが、未だに問題は完全には解決出来てないのである。岸田が言うように1度植え付けられた観念は絶対に消えないのである。従って私はこの神経症から完全に解放されることはなく、死ぬまで付き合っていくことになると確信的に思っているのである。

Tは私の心の中に住み着いて私が心に留めようとするものを全て弾き返すのである。従って私は何も心に留めることが出来なくなったのである。Tはどこにも居場所はなかった。なので、末恐ろしいことに私の中に住もうとしたと思われるのである。本当に気持ち悪い。これが化け物ではなく何であろうか。こんな気持ち悪い人間は前代未聞であろう。更にTは私にも自由を与えない為に私の心の中に自分の視点を残したのでる。従って私は視点が邪魔して何も出来なくなったのである。Tは私にとって化け物であり、全くもって最悪な人間であった。

しかし、救いはあった。岸田秀である。岸田秀精神分析が専門である。従って私が何者にも依拠出来ない症状を精神分析は分析出来るのである。従って岸田秀はTより上位に立つことになったのである。何だか岸田秀が強引に私の中に入り込んできたようであった。だから、岸田秀は私の中でナンバーワンなのである。それ以外だとやはり、養老孟司理論がTの考えを粉々に粉砕した。攻撃力抜群であった。だから、私は岸田秀養老孟司には頭が上がらないのである。もちろんTの理論を最初に粉砕したのはセックス・ピストルズである。従って私はセックス・ピストルズジョニー・ロットンにも頭が上がらないのである。同じミュージシャンだがレッド・ホッド・チリ・ペッパーズもTに負けず私の中に強引に入り込んできたようであった。私は(通称レッチリ)レッチリが好きでよく聞いてたのだがレッチリの音楽を聴いて感動すると、Tが顔を出して「俺がいるぞ」と私に語りかけてくるのである。こんな中学生世界中探してもどこにもいないだろう。ガチで化け物である。しかし、レッチリはTに負けなかった。レッチリの音楽は本物であった。私はレッチリにも随分と助けられた。だからレッチリには感謝の気持ちがあるのである。レッチリの音楽は本当に最高でリアリティーが半端ないのである。セックス・ピストルズの対抗馬はレッチリ以外にあり得ないだろう。サンキューレッチリ。つまり私が好むのはTより優れていて尚且つTが好きにならないものであった。その一番最初がセックス・ピストルズであったのである。

Tはある時、俺は仏陀がたどり着いた境地を超えてやるぜとほざいていたがそういう言い方をしてる時点で仏陀の真意に全く気付いてないと言えよう。ただの馬鹿だが、つまり、それは我執であり、仏陀の足元にもたどり着けてないことは明らかだが、Tは私の前では絶対的な存在者を演じていたのであろう。

Tは常に何者かを演じていた。私の前では絶対的な存在者を演じていた。しかし、私の友人のHの話によると高校はTと別々だったのだが、Tは高校の同級生の前ではおちゃらけたキャラを演じているようである。Tはよく友達自慢を私にしてきたのだが、友達自慢をする奴なんて聞いたことないが、「俺はクラスメイトのOを崇拝している。Oの為なら命を失ってもかまわないとほざいていた。Oは元ヤンで自分の飼ってる猫を野良犬に噛み殺されたからその野良犬の首をへし折って殺したとTは嬉々として語っていたのである」どう考えてもTもOも精神が歪んでいるだろう。Tは白猫を飼っていたのだが、この猫に出会えただけでも産まれてきた価値はあったとほざいていたがTはその猫を踏み潰して遊んでいるのである。ただの馬鹿だがTはどうも情に欠けるらしい。

ある時Tは私に「俺は誰といる時でも仮面をつけてる。お前といる時ですらも」とほざいていたが、これは明らかにブルーハーツの歌詞のパクりである。Tは自分の思想で語ることはないのであった。Tは酒鬼薔薇殺人事件にショックを受けていたが私ははっきし言って何とも思わなかった。というのも酒鬼薔薇は漫画の文章を引用して犯行声明文を書いてたからである。酒鬼薔薇はTと同様に自分の思想を持ってなかった。それが私を白けさせたのである。

私は今では流石にTは絶対的な存在者になってはいないが、今でもいくつかの観念に苦しめられている。中でもT以外の何者も依拠してはいけない観念には往生した。この観念のお陰で本当に何も出来ないのである。

Tは私に対して私を裁きたいと言う思いと私に救ってもらいたいという思いを持ってたと思われるが、この両者は当然統一性をもたないので、Tの要求により私は葛藤のただ中に置かれた。Tは「お前は何も考えないもんな」と私に語ってきた。私は殺意を抱くくらいムカついた。お前のせいで「俺がどんだけ追い詰められていたと思うんだよ」と思ったのであった。しかし、これははっきし言ってお互い様であった。この両者は共に他人の気持ちが分からないと思われるのである。Tは私に対して涙ながらに1+1は10にも100にもなると訴えてきた。Tは仲間を死ぬほど欲しがっていた。私にとってマイナスになるという可能性については驚くほど無関心であった。更にTは私に対して「お前もっと明るくなれば」と語ってきたことがあった。私は唖然とした。お前に洗脳されたから、俺は暗くなったんだよ!と私は思った。Tは信じられないほど私の気持ちに無関心であった。しかし、私もTに言わせればTに対して死ぬほど無関心に思えたであろう。実際私はTに対して無関心であった。Tが死のうが不幸になろうが知ったことではないのであった。岸田秀から見たらこれは面白い現象であろう。岸田秀ならどっちもどっちと分析するだろう。最初にTは私に救いを求めてたと語ったが、その事実はTのプライドが許さないだろう。従ってTは私がTの真意を汲み取らない、つまり、私を利用して、自分を救おうとするのも深い考えがあってのことであり、それを理解すれば「互いに」救われると言うわけであるが、別に私は救いは求めてないので、Tは岸田がいう通り対人知覚に障害があったと思われるのである。つまり、Tは自分と私を同一視してたと思われるのである。つまり、私の事を思って私の事を、実にムカつくが、救おうとしていたと思われるのである。しかし、これはTの独りよがりであった。Tは確かに対人知覚の盲点により分析を謝ったと思われるのである。要するにTは自分の都合の事しか考えていなかったのであり、その無意識的動機が他人(私)に丸見えなので、私は彼に反発したと思われるのである。Tは私を裁くと同時に私に救ってもらいたかったのだがこれは不可能な試みであった。Tは自らを絶対化していた為にその事に気付けなかったというわけである。

二回続けて集団ストーカーと関係のない書き込みをして申し訳ない。どうしてもわかってもらいたかったのである。出来るだけ多くの人間に読んでもらいたいが、集団ストーカー以外の記事は延びないので読んでくれている人が10人もいればよしとするか。

私は本当に植え付けられた観念に苦しんできたのであり、私を変えてくれた、セックス・ピストルズレッチリ岸田秀養老孟司内田樹仏陀(私は仏陀の考えは正しいと確信してるから、信仰しているわけではない。そんな私を集団ストーカーはよくからかってくるのである。そんなら1神教徒も攻撃しろよと思う。1神教の方が仏教より遥かに駄教なのは明らかであるからである。少なくとも仏陀の方がキリストや、モーセや、ムハマンドよりましなのは疑いの余地はないだろう。従っておそらく、欧米の何者かに意見を頼り私の考えを論破してると思われるのである。だが欧米人は未だにズブズブな1神教漬けであり、彼らが1神教を克服できてないのは言うまでもない。欧米の科学者は世界の背後に大いなる意思を感じると言うがそれは実に1神教的であろう。日本人に言わせれば科学的真理を知っても、はあ、そんなもんかで終わりである。養老孟司は1神教はここまで強いかと殆ど絶望的に語っていたが、仏教を攻撃するのであれは、同じ宗教である、1神教を攻撃しないと駄目であろう。1神教は駄教であるからである。)、ジグムンド・フロイドそして、ヤスであるが、彼らには感謝の気持ちがあるのである。あちらとしては世話をした思いはないだろうが此方としては大変世話になったので彼等には感謝の気持ちがあるのである。感謝感激雨あられ

駄文を、読んでくれて有り難う。

今回の記事は閲覧者数は延びねえだろうなあ。せめて、ヤスだけでも読んでくれたらありがたいが・・・

今回の音楽
Tが好きになれなかったセックス・ピストルズ
他人の不幸に付き合うつまらねえ休日
https://youtu.be/2Ah1JM9mf60