集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

地獄を見たので人類平和を望みます

私は馬鹿だから集団ストーカーに反抗的態度をとり、集団ストーカーを小馬鹿にし集団ストーカーを思い付いたやつも攻撃し報復にあい地獄をみた人間である。私は最初は集団ストーカーをかなり舐めてかかっていた。しかし、その態度が間違っていたと後になってから知ることになる。集団ストーカーは集団ストーカーを攻撃した私に容赦なかった。集団ストーカーの嫌がらせはアンカリングが主だがこれはいつものことでもう慣れっ子になっていたが電磁波拷問が激化したのだ。その苦しみは言語に変換出来ない地獄を超える地獄の苦しみであり私は悶苦しんだ。私は耐えかねて集団ストーカーに何度も、謝り、もう許してくださいと許しを請うたが集団ストーカーの電磁波拷問は終わらず私は集団ストーカーの非情さを知ることとなり今まで集団ストーカーに対して舐めた態度をとってたことを後悔することとなる。私は毎日、集団ストーカーに謝罪している。しかし、集団ストーカーの怒りは収まらないようで電磁波拷問は終わらない。あとどれだけ苦しめば終わるんですか?と問うが集団ストーカーは無言で電磁波拷問をしてくるだけだ。私は集団ストーカーの非情さに啞然とした。普通の人間なら許すだろうと思うが集団ストーカーは絶対に許さない。私は自分が馬鹿なことをしたと死ぬほど後悔し集団ストーカーの非情さを思い知った。電磁波拷問が余りにも辛いので何度か死のうとしたが勇気がなく自殺は踏み止まった。ネットで自殺のニュースを読むと羨ましいと思う。自分にも死ねるだけの勇気があったらと思う。

私は今は地獄の中にいて救いようもない苦しみの中で生きてるので心底人類平和を望むようになった。人間にもう苦しみはいらないと思う。皆幸せになってもらいたい。人類史は振り返ると人類は何とも愚かで人類史は悲劇の歴史であり人類は皆の幸福よりも不幸を選択してきたように思う。いつの時代も争いはあったし、自然を伐採し過ぎて滅んだ部族もある。かつて悲劇のなかった時代はなかったのではないか。多くの部族、民族が悲劇の時代を生きてきたのであり、ヨーロッパ人に侵略された部族、民族は悲惨だったとしか言いようがないし、中国の2000年属国であり常に辛酸を舐めろくに文化も文明も発展する余地もなく歴史的に誇りとなるものが何もない朝鮮人も悲惨を極めたのであり、可哀想と言えば可哀想であるが、朝鮮人の被害者意識の強さには心理学的根拠があるのであって慰安婦の問題にしてもろくに歴史的根拠のない話をもってきて日本を責めて、日本は何度も謝罪し賠償もしたのにそれでも納得せずに今だに日本を責めてるのだから辟易してる日本人は多いだろう。しかし、朝鮮人は死ぬほど不幸な歴史を生きてきたのでありそれこそが朝鮮人の精神構造に決定的に影響を与えているのであり日本人はそのことを理解する必要があるだろう。奴等のしつこさはその根底には歴史的に不幸だった被害者意識の強さがあるのは間違いない。日本悪玉論を唱えて日本人に贖罪意識を植え付けたGHQ占領政策が日韓関係を拗らせ事態をややこしくしてるとも言えるが、日本人からみると異常に見える朝鮮人の精神性に歴史的根拠があることを知らずして朝鮮人と上手く付き合うことは出来ないだろう。今の日本も格差が拡がり貧困に喘ぐ国民が多く確実に不幸な層がいるが日本人はそのことを見ないようにしてると思える。人間は幸福になるのが何とも下手くそだと思う。第二次世界大戦が終わり反戦ムードが醸成され平和主義者が現れたがやはり、人類は愚かにも争いを止めることは出来ないし、支配者層は大衆を愚民の如く扱い大衆全体の幸福よりも一部の人間だけが幸福になれる社会を作ってきた。いつの時代も争いはあったが人間は本当の苦しみを知ると確実に平和主義者となる。争う気力も起きないし、欲望を満たす気にもならない。誰も傷つけたくないし誰も苦しめたくない。皆は幸せになればと思う。あんまり平和な世の中じゃかっこ悪すぎるという歌があるが、この歌を作った人間は本当の苦しみを知らないのではないかと思う。余りにも辛すぎるからちょっとした苦しみでも嫌であり、耐え難いのであり、馴れてたアンカリングも苦痛であり外にも出たくない。私は病院に通ってるが自転車で片道一時間半くらいだが病院に行くのが酷く苦痛である。買い物も苦痛だし、身体を動かさないと怠くなるから毎日サイクリングと散歩をしてるがそれも苦痛である。この世に私以上に苦しんでる人間はいないのではないかと思うし、今までもいなかったのではないのかと思う。自分が人類史上1番苦しんでるのではないかと思う。私は近代兵器が生み出した苦痛増幅器によって地獄の中を生きているのであって苦しみはもうたくさんであり、この苦しみから早く開放されたいが集団ストーカーは私を許さない。これだけ苦しんでるのに集団ストーカーは私を許さないのだ。私は今まで散々集団ストーカーを小馬鹿にしてきたが遂に集団ストーカーは堪忍袋の尾が切れたのだろう。その怒りは凄まじく私がどれほど苦しんでも集団ストーカーは絶対に私を許さず、私は毎日地獄の人生を生きている。だから、私は他の集団ストーカー被害者には私みたいに馬鹿なことをするなよと言いたい。電磁波兵器を使えばどのような苦しみを引き起こすことも可能だ。それは地獄としか言いようがなく本当に辛く耐え難い。だから、集団ストーカーに反抗的態度を取ってはならない。集団ストーカーは辛いけど黙して耐えるしかない。皆には地獄を見てほしくない。我々は集団ストーカーの被害者に選ばれて被害歴がとてつもなく長いのでしたいことが出来ず悔恨の念に襲われるが、今の私にはそんなことはもうどうでもいい。今の私が味わってる苦しみは全てを超越しており毎日悶苦しんでるのでありこの苦しみから開放されたら悔恨の念も吹き飛ぶ。私は仏教が好きで仏典を読んでるがつくづく仏陀の教えは正しいと思う。私は仏陀の教えに反することをしてきたのであり、その為に地獄を見たのである。堪忍と忍耐こそが至高であり耐えるべき時は耐えるに限る。どんなに頭にきても私みたいに口悪く罵ってはいけない。私は真の苦しみを知ったからもう欲望を満たす気もなく金も女も地位も名誉もいらない。ただ心の平安を手に入れることこそ至高と思う。仏陀の教えは正しいと再認識した次第である。全ては苦しみであり、人間を構成するする全ての要素が苦しみを生み出すのである。欲望の道は地獄の道であり救いにはならない。私は苦しんでる人がいたら助けてあげたいと思う。苦しみは耐え難いのでありその苦しみを取り除いてあげたいと思う。私は皆には幸せになってもらいたいと思う。もう人類には苦しみはいらないだろう。いい加減幸福な社会を築いてもいい。人類平和を心底望む。そう思えるようになったのも集団ストーカーに嫌と言うほど苦痛を味わわされたからだ。我々集団ストーカー被害者の苦しみが人類の未来に意味のあるものになればいいと思う。全人類に幸ありますように。