集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

【生き地獄】電磁波拷問だけは勘弁してくれ

今日も電磁波拷問に耐えている。私が集団ストーカーに噛み付いて怒らせたので集団ストーカーは電磁波兵器を使って罰を与えてきた。その苦しみは耐え難く全く地獄としか言いようがない。人間の理解しうる苦しみを超えておりおそらく誰も味わったことのない苦しみだろう。遂に耐えきれなくなった私は自殺を試みたが未遂に終わった。科学の進歩は日進月歩だからこの先人類は更に恐ろしい科学兵器を発明するだろうが、全くおぞましいことである。今の私の味わってる苦しみを超える苦しみを与えられたとしたら確実に発狂する。科学の進歩は有益な側面もあったが負の側面もある。全てのことに関して二面性があると言えるから科学も例外ではないのだろう。必ず良質な側面と負の側面を生み出す。

我々集団ストーカー被害者は電磁波攻撃に苦しめられており、毎日途端の苦しみの中で生きているが、集団ストーカーの嫌がらせには2つの側面があり1つは電磁波による嫌がら。2つは人為的嫌がらせ。人為的嫌がらせは主に仄めかし、アンカリング、付きまとい、咳払い、騒音等である。人為的嫌がらせもかなり辛く嫌なものでトラウマも出来るし、人間不信や対人恐怖症にされ、外に出るのが嫌になるが、アンカリングは慣れてしまえばさほど苦痛ではない。悪意ある咳払いや騒音等は本当に恐ろしく私はトラウマを抱えてしまったがそれでも電磁波拷問よりはマシだ。電磁波拷問だけは本当に耐え難くこの世のものとは思えないのである。この世には様々な精神的病が存在するがすべての精神的病が引き起こす苦痛を遥かに超えていると思う。私は本当に辛く耐えられないので集団ストーカーに頼むから電磁波拷問だけは止めてくれとお願いするが集団ストーカーは電磁波拷問を止めない。どれだけ私に怒ってるんだよと思うが私は何度も集団ストーカーに謝罪するのだが電磁波拷問が終わらないのである。私の態度が気に入らないなら人為的嫌がらせによって私にダメージを与えることは出来るだろう。しかし、集団ストーカーは私の集団ストーカーに対する侮辱に対しては何故かあまり反応せずに、私は集団ストーカーを舐めてかかり罵りまくっていたが人為的嫌がらせが増えることはなかった。しかし、ある日突然電磁波拷問が始まったのだ。何故か人が怖くなり外に出られなくなり、今までは何ともなかったアンカリングが酷く苦痛になりそして精神的に尋常じゃないレベルで苦しくなったのだ。私が集団ストーカーにした攻撃に集団ストーカーがその都度やり返してればストレスも発散出来るだろう。実際に私は長年行われた咳払いと騒音がトラウマであり、死ぬほど恐れていて集団ストーカーはそのことを知ってるはずだから咳払いや騒音等の嫌がらせをして私を懲らしめることも出来ただろう。しかし、集団ストーカーはそうしなかった。電磁波による苦しみを与えることを選択したのだ。これは罰であり見せしめでもあろうが数多くある嫌がらせの中でも最大級の苦痛が伴う電磁波攻撃による嫌がらせをしてきたのだ。集団ストーカーは私の罵りに対して耐えていたのだろうか。耐えに耐えて遂に堪忍袋の緒が切れたのだろうか。私は集団ストーカーに対して「俺の所に一人で来てみろよヘタレが」とか「苦労知らずの甘ったれが他人を苦しめてんじゃねえよ」とか「大衆に指示を出して集団ストーカーさせてる奴死ね」とか言ってたが、するとある動画サイトから~を挑発した結果wwwと言うタイトルの動画が配信されてきて、私は直ぐにこれは集団ストーカーからの仄めかしだと分かった。私は確かに集団ストーカーを挑発してたがまさかここまで酷い目に遭うとは思わなかった。電磁波拷問はありとあらゆる苦しみを超越した地獄であり、一体どんだけ酷いことをしたらここまで苦しまなきゃいけないんだよと思う。俺はそこまで酷いことをしたのか。集団ストーカーは何故その都度ストレスを発散しなかったのであろうか。集団ストーカーはどうも私のことが嫌いなようであるが昔から私に罰を与えたかったのではなかろうか。罰を与える為には理由が必要であり私に好き勝手に泳がせておいて集団ストーカーに対して私が侮辱的言動を振りまいても挑発に乗らず屈辱を我慢して遂に私の言動が度を超えたので、それが理由となり電磁波拷問が始まったのではなかろうか。集団ストーカーは悪いことをしているから罪悪感と負い目があり、自分たちのしてることに正当性を見出すのは難しい。だから、正当性を見出し復讐する為に私に悪口を言わせてたのではなかろうか。私を黙らすなら咳払いや騒音でも十分な筈である。しかし、集団ストーカーはそうしなかった。集団ストーカーは私のことをガチで殺してやりたいくらい憎んでおり、最大級の苦痛でもって復讐したかったのだろう。Twitterを見ると私以外の被害者でも集団ストーカーに対して悪口を言っている人はよく見掛ける。「集団ストーカーをする為に生まれてきて可哀想」とか「悪に身を染めて金を稼ぎ生活してる奴なんかろくなもんじゃない」とか「集団ストーカーしてる時点で負けだから。それだけでどういう奴かわかるだろう」とかある。こういった悪口は共容の範囲内なのであろうか。しかし、私の侮辱は集団ストーカーの共容の範囲を超えて集団ストーカーを完全に怒らせてしまったようだ。最初は私は掲示場に集団ストーカーの悪口を書きまくってたが私の悪口が度を超えたので集団ストーカーに復讐を敢行すると言われ思考盗聴地獄に陥り地獄を見た。外に出ると全ての人間が思考盗聴をしているのである。バイト先の仲間も思考盗聴をしていた。従って私はバイトが出来なくなり僅か2ヶ月でバイトを辞めてしまった。その後色々あり生活保護を打ち切られて再受給の申請をしたり引っ越ししたり、アパートを追い出されて野宿したり部屋の内外で暴れまくり警察に補導されて強制的に精神病院に連れて行かれて入院したりとかあった。思考盗聴地獄は確かに辛かったけど慣れるものであり、最初は買い物に行くのも苦痛であったが最後の方は夜ではあったが買い物は普通に出来るまでになっていた。そして、集団ストーカーから普通の人達も思考盗聴してたら生活出来る筈ないと思考送信があり思考盗聴地獄は終わった。しかし、確かに私は一時期普通の人達にも思考盗聴されてたのだ。これは確実である。私は何度も頭の中で考えたことを仄めかされた。集団ストーカーが思考盗聴をして私の頭の中から得た情報を音声送信により伝えて仄めかすのなら多少時間がかかってしまうが、頭の中で考えて直ぐに頭の中で考えたことを仄めかされた。仄めかしではないがこういこともあった。バイト仲間に余りにも辛いので頭の中で、助けてくれと、言ったらおじさんだったが助けるからと言われた。バイトの最終日に頭の中でこれからも地獄の人生を生きるのだろうなと考えたらバイト仲間が悲しそうにして、さ、バイトに行きますかと言った。こういうことがあったから確かに私は集団ストーカーだけでなく普通の人達にも思考盗聴されてただろう。集団ストーカーだけではなく普通の人達にも思考盗聴されるとか地獄だが、しかし、電磁波拷問はこの地獄を超えている。思考盗聴地獄の時は励ましの言葉や音楽等に勇気付けられたが、電磁波拷問の前では全てのものが無と化してしまいなにものも救いにはならない。これは苦しみの極限であり、全てを超えている。誰も耐えれないだろう。集団ストーカーはここまで私のことを憎んでたのかと思う。思考盗聴地獄の時は確かに苦痛で死にたいと思ってたが自殺するほどではなかった。しかし電磁波拷問は本当に耐え難く遂に私は自殺を図った。首吊りをしたのだが失神するまではいったのだが扉が外れて失敗に終わった。直ぐに失神したご、どれほどの時間気を失ってたかは分からないが目が覚めると事態が把握出来ず何故こんなとこにいるんだ、肩に扉がかかってる、何んでだろうと思った。時間が経ち徐々に事態を把握出来るようになり、ああ、俺は自殺をしたんだったな。扉が外れて失敗したんだなと思った。すると私に電磁波刺激が走った。自殺未遂した私に対しても集団ストーカーは全く同情しなかった。どれだけ憎んでるのだろうか。殺したいなら殺せよと思うが集団ストーカーは殺さない。苦しみと共に死んでもらいたいのだろうか。電磁波兵器を使えば一瞬で殺すことも可能だろう。しかし、それをすると私を苦しめずに殺すことになるから、電磁波拷問でもって最大級の苦しみを与えて自殺へと追い詰めたいのだろう。私は集団ストーカーに何度も謝罪したが電磁波拷問が終わらない。ここ二週間くらい地獄の中を生きているが多少電磁波拷問が緩和化されたと言え今だに地獄の人生を生きている。例え集団ストーカーが終わらなくても電磁波拷問が終わるだけで天国だろう。集団ストーカーの被害にあって自殺した人間はいるし、死ぬことを考える被害者は多いだろう。多くの被害者がブログやTwitterで集団ストーカーがいかに辛い犯罪か訴えているが、私の電磁波拷問が終われば集団ストーカーがあったとしても天国なのである。電磁波拷問はそれだけ辛いのである。だから、私は集団ストーカーに集団ストーカーが終わらなくてもいいから電磁波拷問だけは勘弁してくれと言うが電磁波拷問は終わらない。まさかこんな未来が待ってるとは夢にも思わなかった。ガキの時のことを考えると未来にこんな地獄が待ってるとは知らず、無邪気で無垢で毎日はしゃいでいた。泣けてくる。腹を痛めた我が子が蓋を開ければ集団ストーカー被害者である。なんて悲惨なんだろう。私は未来の集団ストーカー被害者に思いを馳せる。今無邪気にはしゃいでるガキの中に未来の集団ストーカー被害者がいるのだ。未来に地獄がまってるとは知らずに無邪気にはしゃいでるのだ。なんて哀れであろうか。自分の子供の頃の写真を見ると泣けてくる。無邪気に笑っている私が写っている。未来に地獄が待ってるとは知らず笑ってる。こんな悲しいこともないだろう。私の散歩コースにかつて通ってた保育園があるが取り壊されて更地になっていた。保育園時代のことを思い出したら泣けてきた。仮の結婚式の写真を撮ることになり幸運にも私が好きだった野中恵子ちゃんと一緒に写真を撮った。野中恵子ちゃんは今は何をしてるだろうか。結婚して家族がいるだろうか。私が集団ストーカーの被害者だと知ってるだろう。どう思ってるだろうか。何とも思ってないかも知れないし、悲しんでるかもしれない。それは分からないが、いつか集団ストーカーが終わったら同窓会を開きたいと思う。みんなにあいたい。保育園、小学校、中学校時代の友人と色々と話したいものだ。集団ストーカーの苦しみを話したいと思う。いつかその日が訪れるといいのだが・・・