集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

幸せは地味な生活の中にある

現代人は文句が多い。文句を言い過ぎだ。これでは全く幸福にはなれない。現状に不満があるから文句を言うのだろうけど文句ばかり言ってる内は幸福にはなれない。求めることは少なく渋々とした人生の中に幸福を見付けないと意味はない。そうでなかったとしたら人間の人生は一体何の為の人生ということになるだろう。だから、地味な渋々とした生活の中にも幸福はあるはずだ。今は勝ち組とか負け組とか言って恵まれてる層とそうでない層との間に差を付けようとしてるがどう考えても劣等感の裏返しだ。ヨーロッパ的というかアメリカ的な価値観を持ってるのだろうがこういう連中は幸せにはなれない。ヨーロッパ人とかアメリカ人は順位をつけることをやたら好み国家の幸福指数を数値化して順位付けたりしてるがこれもランキングの低い国家を見下すことによって優越感に浸りたいのだろう。こいつらも劣等感の裏返しとしてこういうことをやってるのである。まさに哀れと言う他にないがこういうことをやってる連中が確かな幸福の指針を持ってるとは思えない。幸福の指針と言えば仏教である。仏教の思想とは人間を幸福へと導く思想だがどうやって幸福に導くのかと言うと人間の思考の誤りを正して幸福へと導くのだ。仏陀の教えは厳しいもので仏陀の教えを聞いたからと言って必ずしも幸福になれるわけではないがしかし仏陀の中道の教えはベストな教えだろう。何事もほどほどで満足しとけと言う教えである。何事もほどほどで満足しとけば大過ないが人間はどうしたことか欲望がありその欲望は満足することを知らない。ある程度のとこで満足しとけばこれだけ格差も広がることもなく貧困層も産まれないだろう。しかし、人間は愚かな生き物で欲望は満足することを知らず求めに求めて豊かになる層は豊かになるが豊かになれない層もいて社会格差は広がる一方だ。何で人間はこのように出来てるか知らないが少なくともこのように出来てるのは確かだからそのことを認識することによって欲望を抑えることが出来るだろう。仏教はこういった人間の愚かさを抑止する宗教だが人間の欲望は底なしで人類史は人間の愚かさが勝ってきた歴史である。最終的に人類はどうなるか知らないが、人間は進化系の中途段階にあり更に進化するようだが今より更に進化して初めて欲望を制御出来るようになるかもしれない。悟りの境地に到達したのが仏陀だが普通の人間が悟れるとは思えない。人間が悟るとかどうやっても無理なような気がする。従って仏陀は人間を超える存在だったのかも知れない。そんな悟りに到達した仏陀が悟ったことは人生とは苦しみであり人間は勘違いする生き物で勘違いすることによって無駄に苦しみ、そして欲望を制御することによって人間は幸福になれるということであった。人間が欲望をコントロールするとか絶対に無理なような気がするが欲望のコントロールなくして涅槃はない。言うなれば欲望なくして涅槃はないと言うことである。欲望があるからそれをコントロールして涅槃に至るのだから欲望なくして涅槃はない。欲望は必要悪なんだろう。その他様々な人間のネガティブな要素も必要悪なのだろう。人間が人間を超えて超人になった時にこれらネガティブな要素も消えてなくなるのかも知れない。なぜ人間はこんなに面倒に出来てるのかと言うとやはり人間はまだ進化系の中途段階にあり今よりも進化することにより、より完全な生き物となりネガティブな要素が消えて本当に幸福になれるのかもしれない。だいたいが幸福という概念自体が人類に適用される概念だから進化した人類が誕生したらそういう人類には幸福という概念すらないのかもしれない。そういう状態こそが真の幸福かも知れない。幸福という概念がないのだから不幸という概念もない。仏教では全ては空だと説くがこれも全ての概念を超えて人間や世の中を認識し、そういう認識は人間を超えた境地かもしれない。仏典を読むと人間がいかに錯誤する生き物か書かれており錯誤することによって人間は不幸になると書いてある。その錯誤とは欲望に負けることによって生まれる。仏典には欲望をコントロール下に置き欲望に支配されず自分に打ち勝つ者こそが最上の勝利者であると書かれている。人間が今よりも進化するということは仏陀みたいに意識的に欲望をコントロールすることもなく欲望に負けるということも起こらず、ただ平時の状態で欲望をコントロール出来るということであろうか。というか欲望すらもなくなるのかもしれない。人間を超える人間、超人が誕生したら旧人類は欲望の生き物だと定義されるかもしれない。とにかく今は地味で渋々とした生活を否定し欲望を満たした派手な生活が推奨されてるがこれはどう考えても間違った考えである。欲望をほどほどに抑えることこそ正しい。どう考えても現代人は誤った道を歩んでいる。人類は散々誤ったことをしてきたがその反省もせずに相変わらず誤った社会を築く。社会格差が拡がり出来損ないの社会を作ってきたが、それもどう考えても劣等感があるからだ。恵まれない層を見下し優越感に浸りたいから格差のある社会を作るのだ。人類はどうしようない生き物だがいったいいつになったら人間にとって理想的な社会を築けるだろうか。我々は集団ストーカー被害者でもあるしただでさえ普通の人達と比較して不幸で幸福になれないのだから怒りがこみ上げてくるがそんな人生の中で幸福を感じることがあったら感謝の気持ちを持って生きるのが良いだろう。難しいだろうが。