集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカー本当のところ

集団ストーカーはやたら被害者に罪の意識を植え付けてくるのだが、以前数字ストーカーで話したが、私はよく23ナンバーの車に遭遇する。昔からだ。23とは罪と解釈出来るが、何故集団ストーカーは罪の意識を植え付けてくるのだろうか。今日も23ナンバーの車に遭遇した。

大体罪の意識を植え付けてくる奴はその当人が罪の意識を持ってるか、誰も自分の味方をしてくれないかのどちらかである。集団ストーカーは前者と解釈出来るだろう。後者は誰も自分の側に立ってくれないからある特定の人物を見付けて、罪の意識を植え付けて常に自分の側に置いとこうとする算段である。集団ストーカーが後者である可能性はないだろう。こいつらには集団ストーカー仲間がいるからね。

集団ストーカーが抱えている罪の意識とは何か。こいつらはガチもんで人を殺してるのではないか?或いは集団ストーカー自体に罪の意識を感じてるか。だなら、負い目や後ろめたさがあるから、普通に生きれない。しかし、私を見て笑ってる人がいたからな。本当に人を殺してたら笑える筈はない。

私の考察が当たってるかどうかは分からない。仮に当たっていたとしたら集団ストーカーは自己正当化してるクズと言うことになるだろう。実際に私と被害者友達の被害者は未遂をした。死んでたら殺人である。我々が未遂をしたのだから未遂や自殺をした人間がかなりいる可能性はあるだろう。私が未遂をして意識を失い目が覚めたら何と集団ストーカーは私に電磁波兵器で攻撃してきた。信じられない。何たる非情さだ。これではガチで人を殺してると疑われても仕方がないだろう。未遂が成功してれば殺人になったわけだが、やはり、一般人は笑ってるのであった。何がおかしいのか。普通ならまず笑えない。ますます集団ストーカーが分からなくなる。

しかし、ここで疑問が出てくる。私によればみんな集団ストーカーを知ってるのだから、集団ストーカーが本当に人を殺してたら一般人は普通の生活を送るのが難しくなるだろう。しかし、周りの人を見てみればみんな普通に生きてるように見える。集団ストーカーは悲惨だけどそこまで一般人に構ってられないよ、と言うことか。私が被害者ではなかったらゲロ吐きそうになり普通に生きてはいけない。仮に私が加害者になってとしたら、その罪悪感と負い目に耐えれないだろう。例外はない。どんな冷酷無比の極悪人だって悪いことをしたら罪悪感を抱くのである。サイコパスはどうか知らん。

ここまで集団ストーカーが長く卑劣極まりない虐めに遭うと神はいないと確信してしまうではないか。ニーチェは神は死んでると言ったが散々不幸を極めてきたヨーロッパ人の基本的共有意識として神はいないという思いがあったのではないか。すると、ヨーロッパ人はキリスト教だが、キリスト教を信じてなかったのだろう。今では掲示板に誰も教会に行かなくなったと嬉しそうに書く始末。ローマ帝国キリスト教を押し付けられたこともあって、やはり、信じてなかったのだろう。

どんな人間もいつか必ず死ぬ。集団ストーカーも我々被害者もいつか死ぬ。それは良いとして、死ぬまでが長過ぎる。私はこんな目に遭うくらいならとっとと死んでしまいたいので、死ぬのは別に構わない。早く人生終わんねえかなあ。

集団ストーカーほどムカつく奴らは見たことも聞いたこともない。その界隈においてはNo.1であろう。良かったね。1番になれて。何故集団ストーカーはそこまでムカつくかと言うと集団ストーカー自身が毎日ムカつきながら生きてるからである。それは誰にも誇れない集団ストーカーを生業にしてるからかもしれないが、何かムカつきの対象があり、その対象を被害者に投影して、投影された被害者に信じられないくらいの冷酷無比さでもって虐めに当たるのである。投影同一視もあるかも知れないね。自分と被害者を同一視して、虐めることによってストレス発散してるわけである。自分と同じ人間を好きになれない心理があるだろう。それである。この負け犬野郎が!これが、集団ストーカーが世界一ムカつく理由で、後は、集団ストーカーマニュアルには被害者を怒らせろ、と書いてるのだろう。そして、怒らす方法も記述されていて、それを実践してるのだろう。

集団ストーカーは明治時代には既にあったと荒唐無稽な事を語る被害者がいるが、偽被害者か、思い込みが激しいのだろう。欧米ではエレクトリックハラスメントと言ってるくらいだから、メインは電磁波兵器による攻撃になる。思考盗聴器も無くして集団ストーカーを語ることは出来ないだろう。従って集団ストーカーとは電磁波兵器発明以降に産まれた犯罪であり、明治時代から集団ストーカーがあったとかあり得ない。

集団ストーカーは自殺強要ストーキングと呼ばれてるが、確かに私達は未遂をしたのだから自殺強要ストーキングである。自ら一切手を汚さず電磁波兵器で殺しにかかった卑怯者と言うことができよう。兵法では長刀は相手に遠くから攻撃する臆病者の戦い方と言われており、まさに集団ストーカーそのものだな。こんな臆病な卑怯者私は知らない。誰からも攻撃されない所からチマチマチマチマ嫌がらせをしてきてよお。こいつらはアメリカが実施した3S(スポーツ、セックス、スクリーン)政策の影響下から出てきた哀れな愚人かも知れないね。大体どの民族も3S政策の洗礼を浴びたら狂うに決まってる。アメリカはムカつくし、流石に世界一の嫌われものと言った感じだが、実際に日本は今の日本人を見ても分かる通り、狂いに狂いまくってるが、1番狂ってるのは集団ストーカーだろう。3S政策とはアイデンティティ破壊であり、自分が何者か知る為にはアイデンティティが必要だが、今の日本人は自分が何者か知らないのである。集団ストーカーは完全にぶっ壊れてしまっており手の施しようがない哀れな奴らと言うことが出来るだろう。

集団ストーカーを見てて思ったのだが、集団ストーカーは確かに電磁波兵器で攻撃してはくるが、それには何か条件のようなものがあるようで、例えば私が、集団ストーカーはもう嫌だな、とか、早く終われや、とか言うと電磁波攻撃してくるが、こっちが、何か悪口を言っても電磁波攻撃はしてこない。悪口を言ってるのだから電磁波攻撃があっても良さそうだが、ない。これは多分だが集団ストーカーの上層部から被害者の煽りに決して載せられるなと指示があったのだろう。例えば私が集団ストーカーの馬鹿早く死ねよ、と言っても特に攻撃はないが、こっちが集団ストーカーに辟易して、早く終われや!と言うと電磁波攻撃がある。電磁波攻撃がある時と無いときがあり不思議に思ってたが、なるたけこちらの煽りに乗せられないようにしてるのだろう。

私が集団ストーカーで不思議に思ったのは集団ストーカーお得意の嫌がらせに騒音があるが、騒音被害を受けた被害者にはたまったものではないが、近隣住民にもたまったものではない。仮に集団ストーカーが実験で被害者が実験対象なら周りに迷惑を掛ける必要はない。しかし、集団ストーカーの騒音は完全に度を超えており、アパートが揺れ、近隣にしてみたら至極迷惑である。何故こんなことが許されるのか。集団ストーカーが卑怯なのは、てめえらが最初に迷惑を掛けた癖に、最終的に被害者に罪を押し付けて被害者が悪いと言うことになってしまうところである。私が訳が分からなかったのは不動産屋だって集団ストーカーを知ってる癖に、と言うことは集団ストーカーの嫌がらせが如何に卑劣で卑怯か知ってるだろう。従って被害者が集団ストーカーに切れるのは当然と言える。それで、ムカついて冷蔵庫とかに蹴りを入れたりして、物音を出してたら、不動産屋は私に切れていたのである。こっちにしてみたら、は?である。集団ストーカーはどこまでも卑怯な愚人であろうか。ムカつき過ぎて頭が爆発しそうである。被害歴が長い被害者なら騒音の、嫌がらせに遭ったことあるかと思うが、私と同様に悪者扱いされたのではないか。当時は私を見て恨めしい表情をしていた近隣の顔が忘れられない。

前に、手段と目的の逆転と言うタイトルのブログを書いたが、やはり、日本の集団ストーカーは手段と目的が逆転しており、集団ストーカーの目的達成の為の集団ストーカーではなく、被害者をとにかく虐めて屈服させることがメインになってしまってると思われる。日本の集団ストーカーが1番辛いと言われており、それも集団と目的が逆転してるから被害者虐めがメインになってしまってるからである。ある意味日本人は嫌な民族である。私は左翼じゃないけど。

ひょっとすると集団ストーカーは善とは言えないけど、思考盗聴器を使うことにより、精神病の治療に活かそうとしてるのか。思考盗聴器を使って精神病者の脳の中を見れば、神経症とか対人恐怖症が発病するメカニズムが分かるかも知れない。

日本では集団ストーカーはないことにされてるが、その方が集団ストーカーをする上で、何かと都合が良いのだろう。被害者が集団ストーカーの被害にあい、集団ストーカーの仕業ですと、言っても日本では集団ストーカーはなきものにされてるから、病人扱いできる訳である。それで集団ストーカーを無いもの、被害者の被害妄想にしとくのだろう。ところが、欧米では集団ストーカー、つまり、ギャングストーキングをテレビで放送してるのである。欧米の被害者は日本の被害者より気が楽であろう。分かってくれる人がいるのだから。しかし、欧米でもギャングストーキングの被害を訴えると証拠不十分、犯罪を立証出来ないということで、被害者の被害妄想にされてしまうのだろう。証拠なんかどこにもないんだから。

とにかく私達被害者が知りたいのは集団ストーカーの目的だ。論理的に理解出来る嫌がらせから、意味不明な嫌がらせまであり、よく分からない集団ストーカー。

取り敢えず集団ストーカーの終焉を願って終わりとしよう。ではまた。