集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

集団ストーカーの被害者に選ばれちまった

最初は信じられなかったが自分の身に起こることとネットに書かれてる集団ストーカー大要がものの見事に照応するので信じる以外になかった。もちろん自分以外にも同じ目にあい苦しんでいる人間がいたことを知れたのは嬉しかったが、集団ストーカーの地獄のような苦しさを思うと集団ストーカーの被害者に選ばれたことは自分の運命を呪うしかなかった。え?嘘だろ?俺は集団ストーカーの被害者に選ばれたのか。なんてこった!俺はこの世界的犯罪の被害者に選ばれたのだ。今までの奇特な出来事が走馬灯のように甦る。あれも、これも集団ストーカーだったのか!私は驚愕した。集団ストーカーの存在を初めて知った時は天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。集団ストーカーの被害者に選ばれるなんてどれくらいの確率だろう。人類75億の中から集団ストーカーの被害者に選ばれる確率なんて宝くじに当選する確率よりも低いだろう。宝くじに当選する確率は自分に隕石が落ちてくる確率よりも低いらしいが集団ストーカーの被害者に選ばれる確率はさらに低いであろう。我々は全く運がなかっとしか言いようがない。余りにも運が悪すぎる。なんて人生だ全く。

私が本格的な嫌がらせにあうようになったのは15歳の頃だが、この当時の嫌がらせは主に騒音だった。上階の糞ガキが糞うるさかった。当時はこれが集団ストーカーだと知るよしもなかった。母親が何度も苦情を言いに行ったが騒音がなくなることはなかった。私の階下の住人も文句を言っていた。集団ストーカーは関係のない第3者も巻き込むのだ。

集団ストーカーの何が最悪かと言うと何度も言うが時間を犠牲にすることである。家族、親戚、友達も集団ストーカーに参加し被害者は人と付き合えなくなり孤立状態で生きることを余儀なくされるのだ。孤独になるのは単純に辛いが、何と言っても自分のしたいことが出来ないことが最悪であった。普通の人間なら友達と遊んだり彼女を作ってデートしたりするだろうが、私はいつも一人で何も出来きず無駄に時間が過ぎていった。何で我々被害者はこんな目に会わなきゃいけないのか、現実を直視出来ず、ただ被害に耐えるだけの毎日であった。選ばれちまったもんは仕方がないが、それにしても不本意な人生を生きなきゃならず我々被害者と違って自分の人生を好きなように生きることが出来る人間はなんて恵まれているのだろうと思い羨ましくなるのであった。集団ストーカーの目的は未だに分からないが、如何なる目的があろうとも全く納得できないだろうし、集団ストーカーを許すことはないだろう。時間は有限であり二度と取り戻せない瞬間の連続でありかけがえがないのだが、我々被害者は無駄に時間を浪費しなければならず、ただ虚しく時が過ぎていくだけであった。

集団ストーカーは戯言癖があり、私は集団ストーカーに「謝れば終わる」と言われたので謝ったのだが終わることはなかった。どうせ嘘だろうと思ってたがやはり嘘だった。集団ストーカーは「謝れば終わる」と言ってたから私は何か集団ストーカーに悪いことをしたことになる。色々と考えたが私がした悪いことと言ったら集団ストーカーの悪口を掲示板に書き込んだことくらいであった。たかが悪口を掲示板に書き込んだくらいで謝罪を要求するか。こっちがどれだけ苦しい人生を生きてきたのは誰よりも集団ストーカーが知ってるだろう。だから、私の悪口も私の悲惨な人生に相殺されるだろう。しかし、集団ストーカーは怒ってるようで謝罪を要求してきた。私は全く納得出来なかった。しかし、集団ストーカーは辛いし、歳も歳で、これ以上時間を犠牲に出来ないので、かなりプライドが傷つき、屈辱的だったが、謝ることにした。だが、しかし終わらなかった。ある日外を歩いていたら「さあ、謝ろうか」と思考送信があった。私は仕方がなく口には出さず、頭の中で謝ったが終わることはなかった。こいつらは、やましいことをしてるから、罪悪感の塊で、自分達を正当化しなければ生きていかれず、多少の悪口にも敏感に反応してしまうのではないか。こっちは27年も好きなことが出来ず(中学生に集団ストーカーやるか)苦しんできたのだからもういいだろうという思いで一杯である。今の私は精神的にガチで限界であり死がしょっちゅう頭を過る。いい加減そろそろ終わるかなと考えるとまだ終わらせないと言わんばかりに身体に電磁波が走る。こいつらは人間の振りをしている化け物ではないのか。こんな苦しんでる人間に集団ストーカーするとか普通じゃない。どう考えても狂ってる。2ちゃんねるに集団ストーカーを称して見た目は人間、中身は化け物とレスしてる人間がいたが同意せざるを得ない。こいつらは人間性が完全に欠落してる化け物ではないのか。今もこの文書を書いてる時に電磁波が走った。全くチマチマして忌々しい奴等だ。小物感が漂ってるな。こいつらは典型的なこ悪党であろう。大悪党は更正が早いがこ悪党は本質的に悪であって更正の余地はないとある警察官が語っていた。世界を蹂躙してきたのは大悪党と思われてるが、そうではなくこ悪党である。大悪党のヒトラー率いるナチスは僅か12年で終わったが、こ悪党精神を持つアメリカは未だに滅びない。アメリカのやってることはこ悪党そのものである。アメリカのせいでどれだけの人間が泣いてきたであろうか。人知れず良いことをやりなさいと言うが、それは悪いことも同じであり、こ悪党は人知れず悪いことをする天才であり、主に欧米がこの点に関しては天才的な才能があると言える。集団ストーカーも同じくこ悪党であり、人知れず悪いことをしてるわけではないが、人間を精神的に追い詰めることに関しては天才的な才能があり、こいつらも欧米のこ悪党同様終わってると言えるだろう。

集団ストーカーの被害者に選ばれたのは現実なのだ。紛れもなく現実をなのだ。集団ストーカーのせいで自分の人生を生きることが叶わず、時間を無駄に浪費してきたのは現実なのだ。気づいたらおっさんになってしまい、若い頃に出来なかったことはどう足掻いても取り戻せない人生は現実なのだ。私はこの現実を受け入れる他にないのだ。この現実を生きる以外にないのだ。現実は余りにも重たく苦痛に満ちており私は今でも現実を直視出来ない。従って私の場合、集団ストーカーが終わっても全然嬉しくない。歳も歳だし、履歴書には7年間も空白期間があり、正社員だったのは僅か4ヶ月しかない。これでは正社員になることはほぼ不可能であり、金がないから恋愛も結婚も諦めざるを得ず、一生ウサギ小屋のような狭くてボロっちいアパートに住む以外になく、爺になったら老人ホームに入る金はないから、孤独死確定であり、未来に待っているのは絶望だけである。集団ストーカーのせいで、こんな絶望的な人生を生きなきゃならないのである。全く納得出来ない。集団ストーカーは許しがたい。こんな現実を受け入れて生きていくには、現実があまりにも重たく、普通に生きてきた人間が私の生きる人生を追体験したら発狂するであろう。

俺の人生は一体何だったんだろう。毎日こんな感慨に襲われる。何の為に産まれてきたのだろう。こんな人生生きる意味あるのだろうか。喜びを知らずに死ぬ。苦しみだらけの人生だった。何て人生だ全く。現実があまりにも重過ぎる。集団ストーカーはムカつく。ああ、頭が痛い…

何も信じず何も依拠しない生き方

私は以前にブログで自分は反自民党の左翼だと書いたがそれは間違いである。私は何も信じず(何も信じないことを信じる)何にも依拠しない生き方を信条としてるのでここで訂正しておきたい。

私は何かにアイデンティファイすることがない。何かに依拠するのが嫌なのだ。従って私は左翼でも右翼でもない。ありとあらゆるものにアイデンティファイしない。それは、自由が保証されるが、全て自分で決めなきゃいけないので大変ではある。しかし、何物にも依拠しない生き方が自分にはあっているのだ。従ってアンチ的姿勢をとることもない。それは何かに依拠することになるからだ。従って反自民党という立場は正確には正解ではない。だけど、自民党には基本的に反対の立場であるために、とりあえず反自民党の立場であると公表したのだ。

仏教では何も信じてはならず何物にも依拠してはならず何も所有してはならないと説く。こういう考えに依拠してると言えるから、仏陀の思想は無思想の思想と言えるだろう。同じく無宗教の宗教であり、無信仰の信仰であり、無哲学の哲学であると言えよう。こう考えるのが間ともだと思うのだが、私がみたところ、現代人は何かに依拠して生きたがってるように見える。本当の自分という幻想も自己実現という幻想も人気があるのはその為であろう。しかし、なにものも信じず、なにものにも依拠しない生き方は楽である。帰属感もないがそれでいいと思ってる。状況に応じて自分を臨機応変に変えるのは楽しみである。みんなもこういう生き方をしたら楽になるのにと思う。しかし、養老孟司が指摘してる通り現代日本は1神教化しており、何かに依拠する生き方の方が正しいと勘違いされてるだろう。それは間違いであると言いたい。なにものにも依拠しない生き方こそが至高である。やはり、仏教の思想が浸透すれば世の中は幸福になるだろう。(キリスト教的なミッション精神を持たずに仏教を普及させる為にはどうすればいいだろうか)昔の日本には仏教があったが江戸時代に日本を訪れたヨーロッパ人が日本人には所有欲がないとびっくりしてる。家が火事にあって全てを失ってもケロッとしてると驚いていたのだ。今の日本人とは真逆な国民性があったと言えよう。今では日本は資本主義社会の影響もあって所有欲の塊であろう。ヨーロッパも質素な生活をすることがブームで日本でもブームになりつつあるが、結局のところ人類はドン底も頂点も味わって中道に近付いていると言えるのかも知れない。そうして、まるで仏陀の人生を追体験するが如く人生を歩み仏陀に近づいているだろうか。それで自然と人類は1神教から離れていくのだろうか。

とにかく私は左翼でも右翼でもないのよろしく。

集団ストーカーは被害者の一生を補償しろ

我々集団ストーカー被害者は人生を犠牲にし過ぎるほど犠牲にしている。一体なんの因果か集団ストーカーの被害者に選ばれて辛い人生を送ることを余儀なくされている。

集団ストーカーの被害者に選ばれて何が辛いかって時間を犠牲にすることと、経済的に追い込まれることである。集団ストーカーの苦しみはこれがほとんど全てである。

時間を犠牲にするのは、集団ストーカーの被害者に選ばれると、したいことが何も出来ず、何とも貧相な人生を生きざるを得ないのである。私は気付いたらいい歳したおっさんになっており、何とも恥ずかしい話だが、私はまだ恋愛未経験なのである。私は集団ストーカーの被害者に選ばれてしたいことをしたいように出来ず、友も無くし、恋愛が出来なかったのである。友達がいれば女を紹介してもらえたり出来ただろうが、集団ストーカーの嫌がらせは対象を孤立状態に追い込むのが特徴で得意の離間工作により友を失った。家族も親戚も集団ストーカーに協力した。こんな状態では恋愛は不可能であり、彼女を作るなんて夢のまた夢である。

そして経済的に追い込まれるのである。以前資本主義は性欲が発展させて、女を得る為に何かと金がかかるので男は労働に追従し、そうして資本主義が発展したと分析したが、我々集団ストーカー被害者は金を稼げないのであり、貯金もなく、結婚はおろか、恋愛すら諦めざるを得ないのである。従って、時間を犠牲にすることと、経済的に追い込まれることは軸を1にした現象であると言うことが出来る。金がないから欲しいものを何も買えず、そして何も出来ず、そんな状態で長いこと生きざるを得ず、気付いたら貧乏なおっさんになっているわけである。これでは恋愛は絶望的である。集団ストーカーが終わっても絶望的である。

我々集団ストーカー被害者は40、50になっても金を稼げずろくに貯金がないのだから、集団ストーカーが終わっても人生は絶望的であろう。この歳で良い職を見付けることはほぼ絶望的と言え、全く未来を思うと暗澹とした気持ちになってくる。この先どうやって生きていけばいいのだろうか。集団ストーカー被害者は仮に集団ストーカーが終わっても何もない状態で社会に放り込まれるのであって、この状態でどうやって生きていけばいいのか。結婚するなんてほぼ不可能ではないか。だから、集団ストーカーは集団ストーカーが終わったら被害者に生涯賃金分の金を与え職も与えるべきである。我々は不幸に不幸が重なっているのであって、何の楽しみを知らないまま人生の貴重な時間を犠牲にしてるのだから、被害者の一生を補償して然るべきであろう。

今日散歩の時に集団ストーカーが終わったら大金が転がりこんでくるのかな、と考えたら「お帰り」と思考送信があった。その次に「お前にはやらない」と思考送信があった。集団ストーカーが終わったら大金が貰えるのだろうか。私はどうも集団ストーカーに嫌われてるから、大金は貰えないようである。私が恋愛をしたくて、したくて仕方がないと集団ストーカーは知っているのである。それなのに集団ストーカーは集団ストーカーを絶対に止めない。謝れば終わると言われたので謝ったが終わらない。昨日眠りについたら集団ストーカーから「どんだけ足掻いても無駄なものは無駄」と思考送信があった。集団ストーカーはまだ終わらないと言うのである。私は被害歴27年である。もういい加減に良いだろと言う気持ちで一杯である。

何とも不謹慎な話だが集団ストーカーが終わったら今度は集団ストーカーの仕事が待っているのかな?と考えたら「他を当たれ」と思考送信があった。

とにかく私にあった思考送信から察するに集団ストーカーが終わったら大金が転がり込んでくる可能性がある。当然であろう。我々被害者は金を稼げず、人生の貴重な時間を犠牲にし、このまま終わったら結婚はおろか、普通に生きていくのも難しいからである。だから、集団ストーカーは被害者の一生を補償しろと言いたい。そうすべきですよね。我々はあまりにも多くのものを犠牲にしたのだから…

Xzccさんへ
私は紛れもなく本物の被害者ですよ。仄めかしとは何のことでしょうか?Xzccさんはコメント欄に初めて投稿したのではないですか?

そうですか。貴女がいくつの女性か知りませんが生活保護を受けてるニートと付き合うのは即お断りですか。頭が痛いですね。早く集団ストーカーに終わってもらって就職して恋愛したいですね。

恋愛は一部の特権階級だけの楽しみと化している

今は酷い時代だ。貧乏で結婚はおろか恋愛すら諦めざるをえない人間が増えているのだ。男は金がないから彼女を作ることを諦めているのである。このままだと少子化がますます進むだろう。少子化が進むと子供の教育問題、競争力の低下等が予想出来、更に社会格差も拡がる一方で全く未来を思うと暗澹とした気持ちになってくる。一部の上層部の人間が人を減らすことを考えているようだが、自分はちゃっかり子供を作っているのであるから意味不明である。金がある人間は恋愛をし結婚して子供を作ることが出来るだろうが、貧困層は全てを諦めざるをえない。果たしてこんな社会が健全な社会と言えるのだろうか。小泉時代に非正規雇用が増えて経済格差が生まれた。そして、最悪な安倍政権時代になりさらに貧富の差は拡がり貧困層はとどめを刺された。このままでいいとは思えない。政治を私物化して安倍はやりたい放題だったが、国民はなぜそんな安倍を支持してたのだろうか。大嘘つきで、都合の悪いことは誤魔化したり、隠蔽し、桜を見る会や、モリカケ問題など色々と問題を起こしたが、嘘をつき罪から逃れてるだけなのが普通の人々にも明らかだったのに支持率が5割を超えいたのだからこの国は終わってると言える。日本人の半分は馬鹿かマゾなんじゃないかと疑いたくなる。あるブロガーが自民党支持者と反自民党勢力の人間に日本を2つに分けたらいいのではないかと言っていたが、蟻の7対3の法則が示す通り、つまり、蟻をどのように分けても働き蟻7、働かない蟻3の割合になるのだから、反自民党の人間だけを集めても100%確実に馬鹿な人間が半分は出てくるのである。

資本主義を発展させたのは性欲であると以前ブログに書いたが、女を手に入れる為には何かと金がかかるのである。従って今の時代は非正規雇用者がたくさんいるのだから、女を手に入れることが出来ずに泣いてる男は多いだろう。それで、今では恋愛は一部の金を持ってる特権階級の楽しみと化しているのである。こんな社会が健全だとは思えない。今は日本は不景気だから経済が回らず増税内需縮小し、景気が冷え込み社会補償費が削減され更に増税するという悪循環に陥っており、このままでは少子化は止まらないだろう。非正規雇用をなくし、正規社員を増やして最低賃金を1500円以上にして経済を回し誰もが恋愛出来るようにしないとこのままでは競争力も低下し、移民に頼ることになり、そうすると、外国人犯罪の問題や職を奪われる問題が出てくるだろう。だから、日本は富裕層に累進課税を課して社会的弱者に金を回して日本全体の富を公平に分配するべきであろう。しかし、自民党の馬鹿は富裕層の法人税を引き下げ、労働の規制緩和をしてるのだから終わってると言え、まさに国民の敵であろう。くたばれ自民党と思う。

日本では相対的貧困家庭が多くそこからぬけだせずにいる家庭が多い。教育に金をかけることが出来ずに就職に不利になり世代間で貧困が続くのだ。この負の貧困の連鎖がある為に恋愛を諦めざるをえない人間はますます増えるだろう。日本は貧困層と富裕層に二極化されており、一部の特権階級しか恋愛や豊な人生を楽しめないのだ。自民党は何を考えているのだろうか。自民党はくっそ腹立つが国民の半分が自民党を支持してるのだから未来は絶望的である。不正と隠蔽を繰り返して罪逃れをする自民党をなぜ支持してるのだろうか。それはやはり、安倍は明確な大きい物語を持っていたからであろう。日本を取り戻すと語り戦前の日本を取り戻そうとしてた。その大きな物語に共感してたのだろう。しかし、安倍は不正、隠蔽、改竄を繰り返し、貧困層を増やしたのだから支持率は下がって当然だが大して下がらなかった。何故であろうか。それは安倍が生粋の嘘つきだからである。安倍は息を吐くように嘘をついてたが、ネトウヨ朝鮮人は息を吐くように嘘をつくと非難するが、安倍のことは擁護するという矛盾した態度を取ってたが、安倍が余りにも嘘をつく為に大衆は口をあんぐりさせて、何も出来なくなったのであろう。幽霊を見て驚くどころか、驚かず、静止してしまうのに似てる。安倍は嘘をつきまくると大衆は反発心をもたなくなり、言いなりになるか、諦めの気持ちが醸成されると学習したのであろう。実際の支持率は3割程度だったと思うが(それでも多い)残りの安倍を支持しない7割は自民党は何をしても無駄だと、諦めの境地に達し選挙にいかなくなったのであろう。野党がまともだったら良かったが民主党が馬鹿過ぎた為に大衆は野党にも期待出来なくなり、「もうどうでもいいや」と思ったのであろう。安倍は馬鹿だが悪知恵は働く策士と言わねばなるまい。こいつは全く評価出来ないが、策士家としては一流だった。新首相の菅は安倍路線を継承すると言ってるし、首相としての器がどう考えてもないのだから頭が痛い。岸田秀が指摘してる通り日本は右翼と左翼に分裂しており、今は右翼が抑圧された状態だが、安倍は右翼であり、一部の抑圧された層が安倍の理念に共鳴したのであろう。戦前の日本を取り戻すなら反米になるはずだが、安倍はアメリカに媚びていた。その姿勢、つまり、戦前の日本を取り戻しつつも、アメリカとは良好な関係を築きたいという願望を共有化してたのだろう。何とも歪んで屈折した感情を持ってると言える。私は特に右翼でもないし、左翼でもないし反米でもないが、しかし、アメリカはどちらかと言うと嫌いである。

経済格差と恋愛格差は軸を1にした現象であろう。経済格差が拡がり貧困層は金がないために恋愛を諦めざるをえないのである。私も貧困層の側の人間であり、更に集団ストーカーの被害者なのだから恋愛は絶望的である。前にも書いたが日本のテレビを見ると貧困層を明らかに無視しているとしか思えない。あるテレビ関係者の話によるとテレビ関係者は高学歴だが、ターゲットは偏差値30前後の馬鹿な連中に絞ってるとのことである。我々貧困層からしてみたら、どうでもいいとしか思えない番組ばかりで、全く頭が痛い。料理番組、エンタメ情報、流行り物、バラエティー等があり、みんな楽しそうにしてるが、我々貧困層はその日暮らしであり、全くテレビを楽しめない。恋愛関係の番組もあるが、我々と違う世界の人間と思い、全く虚しい気持ちに襲われる。芸能界にはきら星の如く輝くタレントがたくさんいて劣等感を刺激される。昔のバラエティーは反セレブ的な雰囲気がありそういう番組が多く勇気付けられたが今ではセレブを持ち上げる始末である。私は日本人の持ち上げ体質が嫌いである。バラエティーも変質してしまったと言えるだろう。今は一部のセレブというか特権階級が美味しい思いをしており、劣等感を刺激されてる日本人は多いのだから、反セレブ的な番組を作ったらどうか。セレブの馬鹿にはうんざりしている日本人は多いはずである。だから、反セレブ的な番組を制作したら視聴率を稼げるだろう。

自民党を引きずり落としても野党が馬鹿なのは誰でも知っているのであり、日本の未来は絶望的である。このままだと、恋愛格差は拡がり、内需は冷え込み少子化が進み更に増税という絶望的な未来が待ち受けてるのだから日本はどうにもならない。我々貧困層はこの先どうやって生きていくべきであろうか。

今では草食男子や女子が増えて恋愛に興味を持てない人間が増えているようだが、これは日本は国土面積に比して人口が多いことと関係があるのではなかろうか。日本とだいたい同じ国土面積のイギリスは人口が日本の半分である。これくらいが丁度いいのだろう。貧困層の増加もそうだが、人口を増やさない為に淘汰圧がかかってるのではなかろうか。アフリカは貧しいのに人口の増加が止まらないが、それは貧しいからだ。アフリカでは子どもが直ぐに死ぬし貴重な働き手なので子供をたくさん作るのだ。日本では人口減少が止まらず少子化が問題視されてるが、世界中問題だらけである。この先地球はどうなるであろうか。私には分からないが、たぶん全ては同じところから出てる問題なのであろう。例えば1神教がそうである。1神教問題が解決されれば、芋づる式に多くの問題が解決されるだろう。例えば食の問題に関してもキリスト教は問題であろう。キリスト教では作物や動物は人間の食糧の為に存在してるのであって神の贈り物らしいが、この思想が食糧問題に大きく関係してると言えるだろう。命を頂くことに感謝の気持ちを持つどころか、命を頂いても当然という考えが支配的になり、人間を傲慢にしてると言える。日本人もこの思想を支持していると言え、日本も1神教化してると言えるから全く頭が痛い。人口増加、食糧危機問題は喫緊の課題と言え、キリスト教の教えは食糧危機問題を解決するどころか増長してると言えるだろう。キリスト教がこういった極端な思想を持つからベジタリアンが出てくるのである。仏教では肉食を認めているが、命を頂くことに感謝の気持ちを持つように教える。これがベストな思想である。ベジタリアンと言っても命を殺して食べてることでは同じであり、感謝の気持ちを持つべきであろう。やはり、1神教の問題は大きいと言えるだろう。キリスト教では生物が階層化して区分けされており神が頂点でその次に天使、その次に人間と続く。そして、人間より下の階層に動植物がいる。だから、仏教のように、或いは神道のように万物平等という思想はない。このキリスト教の階層問題が諸悪の根元である。セレブを生み出したのもこの階層構造的思想と無関係ではあるまい。人間>動植物という構図が人間関係にずらされて、セレブ>一般大衆>貧困層という階層が出来たのであろう。優越感に浸ってる馬鹿な、富裕層、セレブの人間はこのキリスト教的な階層構造的な思想に知らず知らずの内に染まってる哀れな連中と言えるだろう。やはり問題は1神教なのである。1神教問題の解決は非常に難しい問題であろうが、1神教の問題を解決出来れば希望も見えてくるだろう。

資本主義を発展させたのは性欲である

精神分析の父と呼ばれているのはフロイトである。フロイトはその天才的才能で奇特的ともいうべき凄まじい理論を展開したわけであるが、フロイトフロイトの元に訪れる患者を調べてみると患者の多くが性的葛藤を抱えていた。フロイトはそこで神経症になる原因は性的葛藤にあるのではないかと考えた。フロイトの弟子のアドラーユングはそのフロイトの考えに賛同できず、フロイトの元を離れてしまった。(フロイト派の岸田秀アドラーユングを馬鹿呼ばわりしてた)アドラー神経症の原因は劣等感補償にあるとし、ユングは専門が分裂病であり、フロイトにとって無意識とは抑圧された意識でありどちらかと言えばネガティブなものと捉えられてたがユングフロイトと違って無意識には無限の可能性があり、明るい側面もあり、病気になり、それを克服するのは自己実現の過程であると考え、太古の昔より無意識的に受け継がれた元型があると考えた。

フロイトのことを考えると時代性は無視出来ない。フロイトの時代は性的に抑圧の強い時代であった。それで、性欲を満たせないから苦しい思いをしてたのだが、例えば王室では表では性的に厳格な態度をとりながら裏では欺瞞的性を謳歌していた。しかし、一般市民は性欲を発散出来ずに苦しんでいた。これが神経症になる原因であった。だから、フロイトの元を訪れる人間は皆性的に葛藤を抱えていたのである。そこでフロイト神経症になる原因は性的葛藤にあると考えたのだが、しかし、これはちょっとおかしい。フロイトの理論によると社会性や時代性が生み出す観念とエス(無意識)との合作により病気が生まれるのだから、フロイトの時代は性的抑圧の強い時代なのだから、フロイト神経症には時代性があると考えてもよさそうだがフロイト神経症になるのに性的葛藤があるのには普遍性があると考えていたようである。あの天才的なフロイトがそう考えていたのは実に不思議である。

フロイトはその神経症の因って来る由来を分析してその分析内容を患者に告げると病気はびっくりするくらい治ったのであった。フロイトは言う「そうです。自分の欲望に忠実になればいいのです」「勇気を持って無意識的葛藤を直視すればいいのです」と。すると患者はカタルシスを得て病気が治ったのだ。

フロイト派の岸田秀フロイトの理論を拠り所に資本主義を分析する。ウェーバーの説によるとプロテスタントの貯蓄の精神が資本主義を産み出したとのことだが、岸田はそれだけでは足りないと分析する。資本主義が発展する為には性欲も必要だと言うのだ。男が女を得る為に性欲を刺激させる様々な観念を普及させて、男は女の虜になり、女を得る為に労働に勤しみ資本主義が発展したと言うのだ。これは卓見と言わねばなるまい。少なくとも私には当てはまる。私は女が欲しいからファッションに気を遣うが洋服を買うために労働に追従する他にない。もろに資本主義の罠にはまってると言えるだろう。それで最終目標は好きな女とセックスすることだが、その最終目標に到達する為にはどうしても色々と金がかかってしまう。ファッションに気を使い、時には買い物に付き合い洋服や小物等をプレゼントしたり、映画や食事を奢ったりすることもあるだろう。とにかく女をモノにするためには金がかかる。そういう努力を重ねて女に魅力的な男と思わせて、最終目標であるセックスの為に男は労働に勤しみ金を稼ぎそうしてやっと女を得ることが出来るのだ。資本主義とはそういう世界で男に労働をさせ女の為に金を使うように社会が仕向けてると言うのである。

岸田はプラトニックラブの幻想と性欲を満たす為だけの性幻想とを分けて説明してるが長くなるし、ややこしくなるので簡単に説明する。プラトニックラブの幻想は間違いなく聖母マリアの処女幻想からきてるがこのプラトニックラブの幻想と性欲を満たす為だけの性幻想が分離したと言うのだ。性と愛が一致せず分離したのだ。愛あるセックスも幻想に過ぎないが(愛自体が幻想に過ぎないが)これは私には実によく分かる。私はプラトニックラブの幻想と性欲を満たす為だけの幻想が分離して統合されてないのだ。私は女には清純さを求める一方で性のみを楽しみたいという欲望を持っており、愛と性が一致してないのだ。日本にはプラトニックラブの幻想はなくヨーロッパ人みたいに性的な葛藤はなかった。日本人は性におおらかで夜這いや筆下ろしの風習があり、性を気軽に楽しんでた。そんな日本人を見てヨーロッパ人は驚いた。近年になりヨーロッパからプラトニックラブの幻想が輸入され、日本人もヨーロッパ人と同じく葛藤を抱えることになった。今の日本人はやたらと処女にこだわる人間がいるし、性自体を神聖視してる人間も多い。これはプラトニックラブの幻想が輸入された結果と言えるだろう。岸田の本を読み膝を叩きたくなった。岸田は分析力がはやりあると言えるだろう。

今の日本のアイドル界では恋愛を禁止して処女性を売りにしてるがそれもプラトニックラブの幻想が普及したからである。あるアイドルが恋愛してたことがばれて涙の丸坊主謝罪会見をしたが、今のアイドル界は処女性がビジネスになっているのである。実際日本の処女幻想は異常である。別に普通の人間なのだから、恋愛をしてもいいとおもうが、セックス経験済みのアイドルは傷もので売り物にならないのである。おニャン子クラブAKB48をプロデュースしてる秋元康はアイドルに恋愛を禁止してたくせに自分は女とやりまくってた。そして秋元康は男性経験のないおニャン子クラブのメンバーと結婚したのであった。理由は処女だからだったが、これも処女幻想と性欲だけの性幻想が分離している結果と言えよう。アイドルに恋愛を禁止してたくせに、自分は女とヤりまくり、だけど、結婚するなら傷ものは嫌なのである。私は処女幻想を持っておらず経験済みの女でも構わないが、結婚するなら確かに清純な女がいい。そして、そういう女とヤりまくりたい欲望があるのである。

どのような欲望にも社会性があるのだから、女を抱きまくって優越感に浸ってる奴は社会に踊らされた哀れな男と言えよう。女と全く縁のなかった私の嫉妬もあるが、欲望には社会性があると知れば、欲望を満たせなくとも、ある程度欲望と距離をとり客観的になれるだろう。

フロイトが性の解放運動に最も貢献した人物であることには論を待たない。フロイトの登場により性の解放運動が始まったのである。フロイトの弟子のライヒ神経症になるのは性的葛藤にあるのだから性を解放してやれば世界は平和になると考えてオルゴンエネルギーなるものがあると考えた。オルゴンエネルギーとは世界に充満し、性エネルギー、生命エネルギーと考えられ、病気の治療に有効だと考えられた。オルゴンエネルギーの力によってオルガスムスに達することが出来ると考え性の解放を訴えていた。ライヒは話にならないが、性の解放運動に一役かったフロイトのお陰で今では誰もが気軽にセックスを楽しめるようになったが、資本主義はプロテスタントの貯蓄の精神が理由で発展したと書いたが、実は資本主義の発展に最も貢献したのはフロイトではなかろうか。岸田の理論に間違いなければ資本主義の発展は性欲を満たす、その原動力にあったのであって性を解放したのはフロイトなのだから、資本主義の発展に貢献したのはフロイトと言うことになる。

とにかく、人間の精神の構造は時代や社会性に影響を受けると発見したのはフロイトでありこれは偉大な発見であった。今でも欲望には普遍性があるように勘違いしてる人間がほとんどなのに、今から100年以上前に欲望には時代性や社会性があると訴えていた人間がいたのだ。全く天才的と言わざるを得ない。養老孟司によれば個人と集団を分けて考えないのは私を含めて岸田秀の二人だけ(私を入れて三人だけ)と語っていたが、なぜ個人と集団を分けて考えるか不思議で仕方がない。今でも一般的じゃないこの考え方を100年以上前に持っており、個人と集団を分けずに考えていたフロイトは天才的だったと言う他ない。固着と言えば聞いたことがある人間もいるかと思うが、これは誰もが個人の心理機制と考えるだろうがフロイトは違う。フロイトはこの固着現象も集団心理学的に分析する。ある特定の部族が住みかを移動する時にある地点まで行き、その場にとどまってしまう人間がいたに違いないと分析するのだ。全く恐るべき分析力である。

とにかくフロイトの登場により、現代人は性を楽しむことが出来るようになったのだからフロイトに感謝すべきであろうか。(日本は昔から性に関してはおおらかだったが、プラトニックラブの幻想がヨーロッパから入ってきて日本人の性観念も変わってしまった。今でも処女幻想は根強くアイドルや女子アナに清純さを求める人間は後をたたない。最近フジテレビのお天気お姉さんが初対面の一般男性とナンパバーで10分間も熱烈なキスをしてた事実が暴露されて話題になったが、その女子アナは清純派で売っており好きなお天気お姉さん2年連続1位を獲得してて、その女子アナはファンにショックを与えたようだが、岸田が指摘するようにプラトニックラブの幻想と性欲だけを求める性幻想が分離してるのだから、このスキャンダラスな事件は何もおかしくない。彼女は清純な側面とエロス的側面の両方持っていたのであろう。従って彼女を擁護すると彼女の本当の側面が暴露されたという考えは間違いである。現代人は処女性とエロス性の両方を持ってるのであるから、彼女のように清純に見えて裏ではエロスを満足させてる人間がいても何ら不思議ではない。現代ではアイドルや女優がAVに出演することが珍しくないがそれも、プラトニックラブの幻想と性欲だけの性幻想が分離してしまったことと無関係ではないだろう。セックスを気軽に謳歌出来るようになり性の敷居が下がったのであり、性は今では娯楽であり、やましいものであるという観念がなくなり、誰もが気軽に楽しめるものとなった。そこで、自尊の幻想を満たしたい欲望ももちろんあるが、性の観念が変質し敷居が下がった為に、AVに出演する芸能人が出てくるのであろう。性だけを求める男が増えてその要望に答えているのである。それと同時に性だけを求める女も増えて性の敷居が下がり更に女の身体が商売道具になった為にAVに出演するのだろう。あの女優やアイドルがAVに!と驚く人間がいるが、驚くのはプラトニックラブの幻想を信じてるからである。もう1つは性のタブーが崩壊してしまったこととも無関係ではないだろう。性が解放されアダルトビデオが普及すると性のタブーがなくなりAV界は次々と性のタブー破っていく。従って遂には性のタブーがなくなり、究極のタブーとも言える有名人に目を向けたのであろう。有名人の自尊の幻想とアダルトビデオ会社の思惑が一致しAVに出演するアイドルや女優が増えたのである。)少なくとも心理は全て社会性があるのだから女を手に入れることが出来ないからと言ってそこまで落ち込むこともあるまい。その欲望も社会の産物なのだから。そのことを知ることによって客観的になることが出来るだろう。フロイトは偉大だ。日本で一番賢い人だと言われてる内田樹が自分に確信を与えたのはフロイトマルクスですと言い、日本で1位、2位を争うほど分析力のある岸田が天才と褒め称えているのだから確かに天才的人物であろう。

最近では草食男子とか言われて女にも恋愛にも興味のない男子が増えてきたし、昔の男子ほど購買意欲もなく車も欲しがらず洋服も安物で済ませる男子が増えているようである。安倍が日本を取り戻すとかほざいてその実、外交でも大して成果を出さず、金をばら蒔き続け、そして日本国内では貧困層が増え内需が冷え込み資本主義もその限界が見えてきたと言えるだろう。従ってアメリカは別として欧州でも断捨離や要らないものは捨てて生きる質素な生活が密やかなブームになり、日本でも草食男子が増えてきたので資本主義の終わりは近いかも知れないと思いたいが相も変わらず自民党を支持するアホがいるのだから全く楽観視出来ない。どうやったら自民党信仰を捨てさせることが出来るだろうか。難しい問題である。

精神分析入門は簡単な書物なのでオススメである。是非とも一読を。ついでに岸田の書物も一読を。

集団ストーカーはどうして生まれたのか

集団ストーカーには一種のカタルシスがあるのではなかろうか。カタルシスとは精神が浄化されることだが、ある特定の人間は集団ストーカーをすることによってカタルシスを得ているのではなかろうか。そこで誰がカタルシスを得るかと考えてみると一番不幸な人生を生きてきた白人種以外にあり得ないのではなかろうか。

大航海時代は一種のカタルシスだったんだろうと思う。ヨーロッパ人は多くの国、部族を侵略し金銀財宝を盗み現地人を奴隷と使役し、アフリカからも奴隷を連れてきて働かせた。ヨーロッパは一生消えない罪をおかしたがヨーロッパ人は大航海時代に一種のカタルシスを得たのだと思う。地上の9割を侵略し植民地化したその過程はヨーロッパ人の不幸克服の為の何ともいじましい努力であった。その後ヨーロッパは牙が身内にむき2回も世界大戦をするのだが、ヒトラーの登場といい、また、ヒトラーに影響を与えた優勢学がアメリカ生まれであって、後にヒトラーユダヤ人差別に繋がり、ユダヤ人を600万人殺した、その動機も根底には劣等感と嫉妬と被害者意識があったとしか思えない。白人種ほどいかに自分達が優れた人種か強調する民族はいない。白人種は滅茶苦茶だったが、彼等はここまでしてでも不幸から脱したかったのである。

白人種を見てると思うのだが彼等は死ぬほど酷いことをしたが世界的に影響を与えるクリエイティブなものや科学が産み出した製品を多数産み出してきた。従って、何か白人種が一番優れているという幻想をもってしまうが、彼等は死ぬほど不幸な人生を歩んできて、大航海時代は自分達がいかに不幸だったか周りにメッセージを放っていたとしか思えない。白人は遂に不幸から解放された。そのカタルシスが音楽や映画等のクリエイティブな産物に反映されてるとしか思えない。苦労に苦労を重ねた人間にしか分からない苦悩があり、その苦悩を昇華させ、彼等はあらゆるクリエイティブな分野で才能を発揮してきたがそれも彼等が誰よりも苦労してきたからだ。世界的に通用するある種の普遍的な作品を作ることが出来るのも彼らの強みであり、才能なのだ。その才能を昇華させることができるようになるまでに相当長い時間がかかったのであり、一朝一夕で出来るものではない。しかも、ルックス的にもコーカソイド系が良いとされてる共同幻想を得ることが出来たのも苦労を重ねた、白人種のある種の神からの贈り物かもしれない。彼等はクリエイティブな分野だけでなくその容姿も優越感に浸れる根拠になっている。浮世絵を見れば分かる通り昔の日本は一重で目が細い女性が美しいとされる共同幻想があり、二重は奇形扱いされてたとのことである。今の日本では二重が容姿において重要視され一重の人間は二重に整形しさたりするが二重がルックス的に優れているという共同幻想は日本が欧米化してから生まれたのである。従ってルックスは文化に影響受けるのであって客観性はない。アメリカではルックスが良いとされてる黄金測を提唱する人間がいるが、それが通じるのは、現代はコーカソイド系がルックスが良いとされてる共同幻想があるからに過ぎない。

私は彼ら欧米人の作品に触れると一種のカタルシスを感じるのだ。その根拠はどこにあるのかというとやはり、大航海時代にあるとしか思えない。さんざん他民族に不幸を押し付け、少しずつ苦労から解放され、したいことをしたいように出来て、苦労、苦悩から解放され、宗教的制約からも解放されたカタルシスを作品として産み出してると感じるのだ。

人間は不幸を味わうと他人に自分と同じ目にあってもらいたいと思うものである。従って大航海時代は確実にヨーロッパ人の人類に対する復讐であった。ヨーロッパ人はお前らも我々と同じ不幸を味わえと他民族を絶望のどん底に落としたとしか思えない。そうしてヨーロッパ人は不幸から脱して完璧とは言えないもののやっと間ともな生活を手に入れるのだ。

集団ストーカーもその延長線上にあるのではないか。集団ストーカーの被害にあうと何だか奇特な世界に放り込まれたような感じになるのだが、ヨーロッパ人もキリスト教を植え付けられてキリスト教的世界で生きなくならなければいけなくなってしまい、奇特な世界に放り込まれたような感慨を抱いたのではなかろうか。この苦痛、不幸を味わってもらいたく白人種は集団ストーカーを産み出したのではなかろうか。集団ストーカーの何がムカつくってなんと言っても膨大な時間を犠牲にすることだが、ヨーロッパ人は生涯キリスト教徒として生きなければならなかった屈辱を抱えておりこの苦悩を分かってもらいたかったのではないか。集団ストーカー被害者は毎日苛めに苛めぬかれてるわけで、他人を苛め抜くことによってカタルシスを得ているとしか思えない。私は集団ストーカー供儀説(生け贄)を提唱したが当たっているとしか思えない。

19世紀になると科学と哲学が発展し、例えば哲学者のニーチェがアンチキリストを唱え科学の分野では量子力学が生まれ、アインシュタイン相対性理論が生まれいよいよ、宗教的幻想が崩れヨーロッパはキリスト教から離れていくことになるが、ヨーロッパ人は異教徒にキリスト教を押し付けるのだが、これは明らかにキリスト教を押し付けられたその反動であるが、哲学、科学の発達により反キリスト教的な動きがあったのと軸を1にした現象であろう。

白人種がかつてアフリカの大地で差別されてたという説がある。白人種はなぜ差別精神が強いのか、なぜ侵略精神があるのか、何故攻撃的なのか、なぜ卑怯でずる賢いのか、何故地上の楽園であるアフリカの大地を飛び出して寒冷地であるヨーロッパ大陸にわざわざ移住したのかを考えてみるとかつてアフリカの大地で黒人に差別されアフリカの大地を追い出されたからだと言うのだ。その時の恨みつらみがあり、差別された劣等感があるために差別精神が強く攻撃的で卑怯なことを思い付き、ずる賢いというのだ。実際朝鮮人を除くと白人種が一番不幸な人生を歩んできたであろう。その根拠に劣等感克服の為に大航海時代があったとしか思えない。恨みつらみを晴らしたのである。彼等は被害者意識の塊であろう。スキーが日本人が強く勝てないから日本人に不利になるようにルールを変えたのも白人種である。また、日韓ワールドカップで審判を買収し強敵スペインに勝てた韓国も劣等感の塊であろう。こういう卑怯なことは劣等感と嫉妬心が強い者にしか思い付かないのである。要するにある特定の人間が卑怯ではしたない行動をとるとそいつがどういう精神構造の持ち主かアピールすることになるのである。従って白人種と朝鮮人がとる一連の行動を見ると彼等が被害者意識、劣等感、嫉妬が強いことを証明するのである。彼等が被害者意識、劣等感、嫉妬が強いことは疑いの余地はない。なぜ誰もそう考えないのか不思議でしょうがない。

白人種の中には熱心にボランティア活動をする人間が多くいるが、これも不幸から脱することが出来たその解放感があり、自分達は不幸だったから誰よりも他人の気持ちがわかり、だから従って社会的弱者を救済する意識が強い者が大勢いるのだろう。欧米のクリエイターには社会的弱者の視点に立って作品を提供する人間が多くいるがそれもかつて自分達が死ぬほど不幸だったから他者救済意識が芽生えそういう人間が出てくるのである。しかし、それも大航海時代があればこその話であった。不幸から脱することが出来たからボランティアをしたり、アーティストのように弱者の立場に立って考える人間が出てくるのであり、不幸なうちは他人を救いたいとは思わないだろう。やはり、大航海時代がなければ無理だったか。不幸な生い立ちを生きてきた人間が、そのせいで性格が歪み周りに迷惑をかけ、不幸が我慢ならずに、他人に自分の不幸を押し付け、自分と同じ状況に引きずりこみ、不幸から脱することが出来ると、今度は他人を幸せにしてやりたいと思うのである。韓国人は精神が相当歪んでおり、被害者意識が強いがそれは当然であり、かつては中国の2000年属国であった。こんな国家は前代未聞であろう。日本もアメリカの属国だが、韓国人がその不幸の歴史を克服するのは難しいだろう。何と言っても2000年属国である。凄まじく長い間中国の属国であったのである。その間に中国に散々苛めぬかれて辛酸を味わい精神が変質してしまったと言えるだろう。(日本もアメリカの属国になり狂ってしまったと言えるから人のことは言えないが)ヨーロッパ人は自分達の不幸を直視せずに逃げることによって不幸から脱することが出来たが(人間の悲惨を分析した、パスカルショーペンハウエルのような人間がいたが。ニーチェ永劫回帰の思想も辛酸を味わった人間にしか生み出せまい)韓国人もその屈辱的な歴史的事実を無視して(朝鮮がいかに貧しく悲惨な生活を送ってたかは写真に残されてる。日韓併合により朝鮮が豊かになる過程の写真も残されてる。当時の朝鮮がいかに悲惨だったかはイザベラ・バードの手記に詳しい。そのことを知ったら今韓国にはまってる馬鹿はどう思うだろうか)そこから逃げないと克服出来ないだろうか。

大陸人は辛酸を舐めてきた。中でもヨーロッパ人と朝鮮人は本当に不幸だった。生活は貧しく更にヨーロッパ人はキリスト教を押し付けられたのだ。その不幸克服の為に大航海時代や集団ストーカーがあると思うのだがどうであろうか。

宗教問題を解決するには?

前にも書いたかもしれないが書いてないかもしれないので一応書いとく。最近電磁波の影響で物忘れが激しい。

宗教の問題に関しては多くの識者が批判検討してきたが、誰も語ってない視点から宗教を語ってみようと思う。

宗教を批判する場合には他の宗教を持ってくる他にない。宗教以外のもので宗教は否定出来ないからである。2ちゃんねるによくいるが彼等は科学でもって宗教を否定してるが奴等にとって科学が宗教になってしまっていることに気付いてない。そう書いたら科学は真理に辿り着く最高のツールであって科学と信仰は違うとやり返してきた。しかし、説明した通り宗教以外のもので宗教を否定出来ないのだから確実に科学信仰なのである。だって化学の言うことは9割が仮定の話なんだから。従って科学が正しいと信じてるに違いないのである。科学が真理に辿り着く最高のツールだと「確信」は出来ないであろう。岸田秀が語ってたが宗教を否定する人間はある特定の宗教に依拠してる熱烈な信者の如くこちらも狂信的になってしまうのである。ニーチェが提示した命題、怪物退治をするものが怪物にならない為にはどうすべきかという問題である。2ちゃんねるの宗教否定派はどうみても狂信的である。というような事を2ちゃんねるに書き込んだらレスがピタリと止まってしまった

そこでじゃあ、どんな宗教が理想的かと言うと養老孟司が言うように無宗教の宗教でもって宗教、要は1神教のことだか、を否定し自分達の考えは間違ってるととくとくと説く以外にあるまい。無宗教の宗教と言えば仏教と日本教である。何の因果か日本は2つの無宗教の宗教を持っているのであり、どこまでも徹底して無宗教の宗教の信徒なのである。このことは前に書いた。日本人に課せられた役割は大きく希望は日本にあるだろうと。しかし、そうはいっても一つ大きな問題がある。例えば宗教そのもの、全ての宗教を否定する場合には無宗教の宗教を持ってくる他にないが、そうすると全宗教の中で無宗教の宗教がトップに立ってしまうのである。従ってある特定の宗教を信じて依拠してる人間はプライドを傷つけられ、ますます自分達の信じてる宗教に依拠するようになるのである。これは難しい問題である。宗教を否定出来るのは宗教だけということは宗教を持たない人間はいないと言うことである。全ての宗教を信じない人間は無宗教の宗教を信じてると言わざるを得ないのである。日本人はよく、あれは、宗教だよなあ、と語るがそれも自分達が無宗教の宗教を信じてることに気付いてないに過ぎない。このプライドの問題に関しては養老孟司は触れていない。岸田秀は人間には必ずプライドが必要でプライドがなければ人間は生きていけないと語っていた。私もまだこのプライドの問題に答えを見出だせてない。全宗教の頂点に立ってしまう無宗教の宗教をどう理解させるべきか。養老孟司はそれは0のことだよと言う。そう説明すれば通じるのではないかと。そう説明して通じるのは無宗教の宗教を信じてる人間だけである。従って、ある特定の宗教を信じる人間は理屈は理解しても自分達が依拠してる宗教から脱する気は起きないだろう。いや、数字のゼロだと言われたら数学的真理は反論の余地がないからかえってますます意固地になり自分達の信じてる宗教に依拠するはずである。養老孟司はこの問題に関しては論じてない。私も答はまだない。一体どうすべきか。1神教がおかしい宗教だと自然に気付くまで待つべきであろうか。どうすれば説得力を持たせて1神教を捨てさせることが出来るだろうか。仏教を持ってくると1神教を完全に論破出来るがそれで上手くいくだろうか。やはり、仏教の慈悲の力によって説得すべきであろうか。今の私にはよく分からない。養老孟司岸田秀の意見を是非とも聞きたいものである。このブログを読んでるかな。私のブログの内容に反応してくる芸能人がいるので読んでるかもしれない。