集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

来るとこまで来た。人を殺しても許されるって。

集団ストーカー被害者は毎日地獄みたいな生活を送ってるから、私みたいに未遂したり、自殺をした被害者は結構な数になるだろう。私の友達の女性被害者は音声送信兵器の誘導で自殺まで追い込まれて剃刀で手首を切りまくったらしい。運良く一命は取り留めたが、その後精神科に入院して、他の患者と一緒にもう止めようね、と泣きあったらしい。私とその女性被害者が死んでたら人殺しである。実際に人を殺してるだろう。タレントで被害者だった清水由貴子さんは自殺したではないか。理由は介護疲れと言うことであったが、介護疲れで自殺する筈はない。清水由貴子さんは集団ストーカーに殺されたのである。この人殺し野郎が!

このように集団ストーカーはガチで被害者を殺しにかかるわけだが、どうもこの糞みたいな犯罪は人を殺しても許されるらしい。余りにも集団ストーカーの嫌がらせが卑劣過ぎて発狂して家族を殺した被害者もいる。余りにも危な過ぎる犯罪である。

こんな糞みたいな犯罪は普通は取り締まりの対象になる筈だが、集団ストーカーだけはそうはならないらしい。何故か。全く分からん。人殺しですよ、人殺し。普通なら絶対に許されないよ。しかし、こんな最悪な糞みたいな犯罪がまかり通るのである。警察官だって集団ストーカーを確実に知ってるのだが歯がゆい思いだろう。街の治安を守り悪人を取り締まる為に警察官になったのだから。

前にも話したがTBSの社員からわかれば、ああそういうことだったのかと、納得出切るとメッセージがあったが、そんなこと関係ない。だって人を殺してるのだもの。人殺し犯罪の真相を知って納得出来るわけねえだろ馬鹿が!

なんと言うかとんでもない時代に我々被害者は生きてるようだ。嫌がらせは地獄。下手すれば殺される。こんな時代に生まれたくなかった。5ちゃんに産まれてこないのが1番幸せっていうスレッドがあるが、産まれてこないなら幸せも糞もないが、気持ちは痛い程分かる。集団ストーカー被害者じゃなくても苦しんでる人間は沢山いるのだ。

それで我々被害者に選ばれた人間は常に死の恐怖と戦いながら生きていくしかない。何でこんな目に。人生はなんて理不尽何だろう。

それにしても人を殺しても許される犯罪ということで更に謎が深まった。しかも普通の人達はみんな集団ストーカーを知ってるのである。人殺しがまかり通る世の中でよく平然と生きていけるな。バラエティー番組もだ。殆ど糞つまらないが、自殺強要ストーカーに選定されて常に死の恐怖と戦いながら生きてる人間が世界中にたくさんいるのに、良くバラエティーでばか騒ぎ出来るものだ。確実に馬鹿が増えてる。アメリカの3s政策(スポーツ、スクリーン、セックス)でかなり馬鹿が増えて堕落したのは事実で、右翼は本当の日本を取り戻そうとしてるが、大体3S政策以前の第二次世界大戦でも日本軍は馬鹿なことをしまくったではないか。従って日本人は昔から馬鹿は結構いたことになる。大体右翼自体かなり問題である。第二次世界大戦の反省もしてないし、犯罪集団自民党は極右ではないか。碌なものじゃない。日本を破壊した戦犯は極右の自民党である。アメリカの占領政策関係なしにこの国は馬鹿が多いから自民党の与党の座は揺るがない。この国は落ちるとこまで落ちたよ。別に同情してくれと言ってるわけではない。同情心には他者を見下す気持ちが幾ばくかあるだろう。だから、同情されない方がいい。同情してほしくてもその気なんてないのさ、と歌ったミュージシャンがいたが彼は本当のことが分かっていたと思われる。冷たい物言いに聴こえるが反語であろう。常にお前を気にしてるぞ、と言うことである。

これまでどけだけの人間が集団ストーカーに殺されてきただろうか。未遂を含めたらとんでもない数になるだろう。この犯罪が問題なのは一般人に集団ストーカーさせることである。自分が集団ストーカーした被害者が自殺したらどうする。罪責感に苛まされるだろう。要するに何の罪のない、一般人を集団ストーカーに参加させてややもすると普通の人間が人殺しに関わることになるかも知れないのである。人殺しに関わって罪悪感を感じない人間は存在しない。これが厄介なのは言うまでもない。そうすると、私に嬉しそうに笑いながら、止めてもらいたいwと音声送信兵器で語ってきた糞馬鹿は最大級の馬鹿、低脳だろう。

集団ストーカーだって負い目や罪悪感を感じてる筈である。それは辛いだろう。負い目、罪悪感に耐える人間はいないからである。被害者全員に謝罪して罪を償えよ。それで許されるというものではないが。腹を痛めた我が子が集団ストーカー被害者だよ。全く笑えん。親も心の中で泣いてるだろう。集団ストーカーはみんな知ってるし、時には親も集団ストーカーに加担するのだから。

集団ストーカーはみんな知ってる犯罪と言う前提に立つのであれば、人殺しがゆるされるのはどう考えてもおかしい。先に述べた通り自分が関わってしまった被害者が自殺したら罪悪感に耐えれないだろう。しかし、集団ストーカーは普通の一般人に集団ストーカーさせるのである。これはどういうことなのか。集団ストーカーを精神分析してみれば、集団ストーカーとは供犠(生け贄の儀式)である。供犠には精神安定作用がある。つまり、虐めることで精神安定作用が得られるのである。昔は神の怒りを鎮めるとかで供犠を行っていたが、供犠はもう終わってしまった儀式に思えるが、まだ、全然生きてる。集団ストーカーがそれである。普通の一般人は自分が虐めの対象に選ばれなかった安心感があるが、嗜虐性を刺激されて、他人が虐めれてることが満更でもなくなるのである。

兎にも角にも、人殺しが許されるというとんでもない時代になってしまった現代社会。この犯罪は犯罪の最終形態と呼んでもいいのではないか?一体どういうことだろう。私と友達の女性被害者は未遂をしてるので、こいつら糞どもが人を殺してるのは確実であろう。人間社会は遂にここまで来たという感じだが、とにかく我々被害者の未来に良いことがありますように。そして、集団ストーカーが全員死にますように。おわり。