集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

お互いに疑いあう。集団ストーカー被害者間の対立問題。私に原因があるというのか。

私は被害者仲間3人とメールのやり取りをしている。その中の1人を怒らせたようである。私はブログに私の事を疑っている被害者がいると書いた。その被害者のことをa(女性)としとこう。aさんは私のそのブログを読んで怒りを感じたのであろうか。aさんはメールで私の事を、私があっている被害に信じられないという態度を取りながらも私を本物の被害者と信じていると語っていた。だから、私がブログで私の事を疑っている被害者がいると書いたのが逆鱗に触れたであろうか。

あるメール仲間をb(男性)としとこう。私はaさんにbさんを紹介しますかとメールを送ったところ、aさんは確かにbさんを紹介してくれと言ったと思う。私はaさんに新しく立ち上げた被害者団体(弱小)に入会しないかと誘われていた。私は長年被害にあってきて集団ストーカー被害者の多くが偽物だと思っていたので被害者の会には懐疑的であった。そこでbさんに意見を伺うと思いメールをした。bさんの返事は、これだけ被害者団体が乱立してる中で弱小被害者団体に入会する必要性が感じられないというものだった。しかし、1人で活動することに限界を感じているので被害者の会に入会することも検討中だと言うことだった。私も1人で活動することに限界を感じていたのでその弱小被害者団体に興味をもった。それでaさんに私のメールアドレスを伝えた。そしたらその被害者団体の会長は電話だけでしか応じないということであった。私は大の電話嫌いであるので被害者団体に入会するのは断ることにした。aさんの話しによると被害者が複数人集まると必ず誰々はこれこういう理由であいつは偽物だと言い出す人間がいるとのことだった。

最後のメール仲間をc(女性)としとこう。cさんとは毎日メールのやり取りをしているのだが、cさんの話しによるとかつて入会していた被害者団体で散々な目にあったと聞かされていた。私はcさんに新しく立ち上げた被害者団体に入会しないかとメールで尋ねたら以前に入会していた被害者団体でひどい目にあったので今回のお誘いは断らせて頂くということだった。私も偽物の存在が恐ろしいので被害者の会に入会するのはやはり止めようと思った。

その後bさんがaさんにメールをしたようだ。aさんからbさんからメールがあったとメールがきた。bさんは、「私に何か用ですか」、という態度だったとaさんからメールがあった。aさんのメールの文面から怒りの感情が感じられた。松ケ平さん(私の本名。変わった名字でしょう)が被害者の会に入会しようがしなかろうがどうでもいいことです。cさんは好い人だと思いますが、bさんとは話が合わないと思いますと書かれていた。私はcさんは好い人だと思いますと書かれていたので、私は悪人か、と思った。正直ムッとした。しかし、私がaさんを怒らす原因があったかもしれないのでcさんにメールをしたところ、過去にメールでaさんを怒らすような文書を書いた可能性があるので過去メールをもう一度確認してみてください、と言われた。

私はaさんに私の事を偽物だと疑ってませんか。そんなに疑わしいなら実際にお会いしますかとメールした。それでaさんの返事を待つことにした。メールがくるまでの間に、やはり私に原因があるだろうかと私は考えた。ここで岸田理論を参考にしてみよう。岸田に言わせると自分ではそのつもりがなく相手が怒っている場合は自分に原因があるのである。私は知らず知らずの内にaさんを怒らせていただろうか。ブログに、ある被害者に偽物だと疑われていると書いたのがいけなかったであろうか。私は対人恐怖症でコミュ障の人間である。私は人間関係をうまく築けないのである。私に原因があるとしたらブログに書いたこと以外に私がaさんを怒らせてしまう原因があったであろうか。私は知らず知らずの内にaさんを見下すような事を書いていたであろうか。そうやって色々と考えている内にaさんからメールが届いた。なんでもbさんの「私に何か用ですか」という態度が無愛想だったので私に八つ当たりをしたとのことであった。aさんは私に謝罪した。aさんは被害者間でお互いに疑いあうことは不毛なことで集団ストーカー解決の障害になるというような事を書いていた。私はaさんにbさんは良い人ですよ、もう一度メールでやり取りをしてみてくださいとメールを送っていた。aさんは私のこともbさんのことも本物の被害者だと認識しているのとのことであった。集団ストーカー被害者は実際のところ精神的にかなり追い詰められてるので何にでも、懐疑的になるものである。だからお互いに偽物だと疑ってしまうのだ。しかしaさんの言う通り確かに疑いあうのは不毛だろう。集団ストーカー解決を遅らせてしまう。ともかく、お互いの理解が進んでよかった。こうして問題は解決されたのだ。よかった、よかった。

集団ストーカーが終わらない原因に私の性格が挙げられるだろうか。集団ストーカーから「お前のことが嫌いだ」と思考送信があった。それが終わらない原因らしい。集団ストーカーは私が偽善者に見えているであろうか。私に言わせれば集団ストーカーはこの上なく卑劣で卑怯な連中なのである。ここでもお互いに相互理解が進まない。また、岸田理論を頼りにしてみよう。岸田なら恐らく私に原因があると言うだろうか。それは分からないがこっちは26年も嫌がらせに耐えてきたのである。そうであるにも関わらず私のことが嫌いだからと言う理由で集団ストーカーを止めないとか実に幼稚ではなかろうか。しかも集団ストーカーは私の頭の中を読んでいるのである。圧倒的にこっちは不利である。集団ストーカーには私が偽善者で自己正当化をしてる人間と思われているだろうか。岸田理論に従うと他人に見える自分が本当の自分なのである。従って私は偽善者で自己正当化をしているただの糞野郎ということになる。私は基本的に人当たりは優しいと思っているが集団ストーカーだけにだけはなめ腐った態度を取っているので偽善者にみえるのであろうか。私は集団ストーカーにかなりムカついているので集団ストーカーにはかなりなめ腐った態度をとり、侮辱してきた。しかし、これは私の主観的認識においてはやられた程度に応じて反撃してるだけなので正当性があるのである。岸田理論は他人に見える自分が本当の自分であるのだから私には集団ストーカーはただの卑怯ものにしか見えないのでこの認識は正しいだろうか。それは分からないが、私と集団ストーカーの間には相互理解を阻む壁があるのは事実であろう。

岸田に言わせると他人は自分を写す鏡だという。他人の態度の中に自分があると言うのだ。他人はこちらが頼みもしないのに自分を分析してくれてると言うのだ。それを利用しない手はないと言うのである。集団ストーカーは私の頭の中を読み私の事を分析してくれてるのだ。こんな分析方法なんぞ前代未聞であろう。岸田は言う。怒りの感情が湧いてきても怒ってはいけない。自己分析に利用するのだ。その鏡は歪んでいるかもしれないが鏡は鏡である。利用する価値は十分にある。そして他人を分析してもいけないと説く。他人を分析したい欲望は強いが決して分析してはいけない。それは自己正当化を助長するだけにしかならないと言う。そうして私は自己分析を開始した。色々と他人の目に写っているであろう自分を想像してみた。確かに私は他人を怒らすことが度々あった。なので流石にこれは自分に原因があると考えざるを得なかった。正直屈辱感はあった。怒りの感情が湧いてきて自己分析を邪魔することもあった。しかし、ここは怒りの感情は脇にのけといて自己分析をすべきである。他人を分析したい欲望も湧いてきた。この欲望は強く我慢するのは大変だった。まるで、煙草を我慢するような感じである。私は自分のことに関しては、まだ、答えは出てない。自分を客観視するのは難しいものだ。

人間関係は難しいものである。相互理解が進まないことは多々あるものである。仮に私が偽善者で自己正当化をしてる糞だとしたらそれはしょうがない。その事実を受け入れる他にない。(岸田理論によると全ての人間は必ず自己正当化をしており、自分も例外ではないとのことだ)しかし、そうすると集団ストーカーは終わらない。私は集団ストーカーと相互理解を深めたい気持ち満々なのである。(だって集団ストーカーが死ぬほど辛いんだもの)しかし、集団ストーカーは相互理解をするきはないらしい。一体どうしたものか。私は自己改革をすべきであろうか。そうでもしないと終わらないであろうか。集団ストーカーは頭の中を読むことになんの負い目も感じておらず、自分達のしてることに正当性があると考えているようである。くっそ腹立つが私が間違っていて集団ストーカーが正しいのだろうか。(集団ストーカーの嫌がらせはとにかく腹が立つのである。殺意を抱くくらい腹が立つがこれはまと外れの怒りであろうか。2ちゃんねるにどれだけ酷い事をした人間に対しても罰としての集団ストーカーはやりすぎで罪深い犯罪であるとあった)それはよく分からない。とにかく、こっちは辛すぎてしょうがないので集団ストーカーには早く終わってもらいたいものである。