集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

地獄の苦しみを生きる

この苦しみを分かってもらいたい。ガチで地獄だ。何もすることない地獄だ。働いた方が遥かにましだ。しかし、リストラストーカーに遇うから働けない。いつも、家に一人でいてテレビを観たり、ネットをやったり、ゲームをして時間を潰してる。壮大なる時間の無駄遣いだ。私は毎日代わり映えのない生活を送り毎日同じ人生を生きている。地獄の人生だ。もう耐えられない。こんな生活はもう止めにしたい。私も普通の人達と同じく働いてイキイキとした人生を送りたい。私の人生が糞なのは一人ぼっちなのも関係してるだろう。毎日誰とも会話をせずに生きている。これでは精神がおかしくなって当然であろう。人と会話をするのは良いものだ。ストレス発散になるし、生きることを実感出来る。蓮如は大衆に話せ、話せと言ってたらしいが、確かに話すことはストレス発散になるのだろう。いつも一人でいるとあらぬ事を考えて自然と心がネガティブにもなるだろう。実際、今の私はネガティブティーを極めてる。頭はいつも重たく視界は曇り未来に明るい展望をもてない。このまま最悪な人生が続くと思う。絶対に良いことは起こらないと思う。こんな精神状態になったのも集団ストーカーのせいだろう。いつも一人でいて誰とも会話をせず、集団ストーカー被害にあい続けたら誰だって精神がおかしくなってしまうだろう。

私はもうガチで限界で集団ストーカーに集団ストーカーを止めてもらうように何度もお願いするのだが、集団ストーカーは絶対に集団ストーカーを止めない。こいつら、頭がどうかしてるのではないか?こんな辛く悲惨な人生を生きる人間に集団ストーカーをするとか頭が狂ってるとしか思えない。精神異常者の仕業としか思えない。集団ストーカーは私に一体何を求めているのだろうか。「謝れば終わる」と言われたから、どうも終わらないのは私に原因がありそうだが、一体何に関して謝ればいいのか分からず、こいつらが私に何を求めてるのか分からない。私はだから、私の悪い原因を言えよと集団ストーカーに言うのだが集団ストーカーは黙して語らずだ。私はもう歳なのでこれ以上時間を犠牲に出来ない。恋愛、結婚、就職が絶望的になってしまう。今もこの文章を書いてる時もまだ終わらせないぞと言わんばかりに電磁波が走る。これが最強にムカつくのだが、集団ストーカーは私の事をどうも責めたいらしいのだ。私は集団ストーカーが間違ってると思ってるが、と言うのも集団ストーカーは思考盗聴をしてるからだ。人のプライバシーを覗くのは犯罪だが集団ストーカーはあろうことか頭の中を読んでいるのである。これは究極のプライバシーの侵害であろう。何でこんなことが許されているのか分からない。しかも、集団ストーカーはどうも被害者のプライバシーを他人に話してるようなのだ。何故我々被害者は他人に自分達のプライバシーを知られなきゃならないのだろうか。くっそ腹立つことである。

私は今本当に地獄の苦しみの中を生きているが、まるで地獄の業火に焼かれているようだ。この苦しみは筆舌に尽くしがたい。言語化するのは不可能だ。苦虫を噛み潰したような表情になり深いタメ息が漏れる。作家のカート・ヴォネガッドは人生とは理不尽であり、その圧倒的現実を前にして人は深いタメ息をつくのだと言っていたが、全くもってその通り。人生とは理不尽であるのだ。人生とは+-0で出来てると語る人間がいるがこれは嘘である。幸せな環境で育った人間は幸福に生きて、不幸な環境で育った人間は何か大いなる意思に導かれるように不幸な人生を歩み、不幸に不幸が重なるのだ。幸福な環境で育った人間は私みたいに不幸な人生を生きる人間には、幸福に幸福が重なっているように見える。そして、不幸な環境で育った人間は大人になっても不幸から脱却出来ないのだ。少なくとも私の人生はそうだった。私は片親で母親に愛情はなく、貧乏であった。そして、母親は神経症の持ち主であった。それで、私は母親との関係性からしか自我構築が出来ず私も神経症になってしまったのである。私は神経症持ちで愛情に飢えていて勉強も出来なかった。そして、中学生の頃にある奴に精神を破壊されてトラウマ持ちとなったのである。何て不幸な人生なんだ。私より不幸な人間はいるのか?いるかもしれないが、私も相当だろう。そんな私が集団ストーカーの被害者に選定されたのである。余りにも不幸過ぎる。私は20代の時点で一生分の不幸は味わった。しかし、幸福は訪れることはなく不幸は終わらなかった。何の活気もない死んだような人生を生きてきて大して楽しい思いもあらず気づいたらおっさんになっていた。私は青春知らずで育ったのだ。だから青春コンプレックス持ちの人間になったのである。こればっかりはどうにもならない。時は巻き戻せない。今さら女が出来ても青春コンプレックスから解放されることはない。もう何もかも手遅れだ。こんな不幸な人生はあるのか?別に不幸自慢をしているわけではない。ただ私の人生が余りにも不幸なので、こんな人生もあるのだと多くの人間に分かってもらいたいのだ。分かってもらうだけでも人間は多少は気が紛れるものだ。

集団ストーカーの被害者に選定されるのは不幸な出自の人間が多いらしい。どうやって不幸な人間を見付けるのであろうか。一人一人思考盗聴をして見付けてるのだろうか。そんなしち面倒くさい作業をしてるのだろうか。膨大な作業になるだろう。とにかくどうやって不幸な人間を見付けるてるのかは知らないが不幸な人間が選ばれやすい傾向にあるとのことだ。たたでさえ不幸なのに、更に集団ストーカーの被害者に選ばれ不幸になるのだ。多くの被害者が自分が一番不幸だと思うらしいが、私も例にもれず、自分が一番不幸だと思っている。世界不幸ランキングを作ったら上位10番以内に入る自信がある。私の人生はあまりにもつまらなく、苦痛に満ちており、光の見えないトンネルを歩いているかのような人生だった。こんな人生に一体何の意味があるのであろうか。私は今は生きることに何の意味も見出だせずに死んだような人生を生きている。何をしても虚しいだけだ。もう人生に意味を見出だせない。生きることに心底疲れた。こんな人間に集団ストーカーをしてくるのだから、集団ストーカーは鬼畜以外の何者でもないだろう。精神が腐食してくのが分かる。もう限界だ。神はいるのか。いるとしたら何故こんな出来の悪い世界を作ったのか。世界には不幸が満ち溢れている。どうしようもなく悲惨な人生を生きて暗黒から這い出せない人間が腐るほどいる。神が全知全能なら、何故このような世界を作ったのだろうか。これは神の与えた試練であろうか。そんなはずはない。産まれて直ぐに死ぬ人間もいるから試練なはずはない。1神教の全知全能の神と言う概念は誇大妄想的概念であろう。中世の時代に日本にやってきたキリスト教の宣教師が日本人にキリスト教の教えを伝えると日本人は神が全知全能なら何故今頃になって日本にキリスト教の教えを伝えに来たのだ。キリスト教を知らずに死んだ我々の祖先は天国に行けないではないかと質問したら宣教師は答えに困ったらしい。全くごもっともな疑問である。宣教師は日本人は賢い。彼等の質問に答えることも出来たのは若年の頃より哲学教育を受けてきたお陰だと語ってたらしい。それと、普通の人達が将棋を指してるとこを見て驚いたらしい。これは、ヨーロッパのチェスと同じようなゲームだと直ぐに分かり、ヨーロッパでは普通の人達がチェスをやることはないので驚いたとのことだ。何でも識字率でも、日本は世界1位だったらしい。一般の人間にも教育がいき届いていたのだろう。で、神が全知全能なら何故世界中に不幸な人間がいるのか。皆を幸せにすることは出来ないのか。それぐらい容易いであろう。だいたいが聖書は始まりからして可笑しい。木の実を食べてはいけないと神が注意をしてたのに愚かな人間は木の実を食べてしまい善悪が産まれ罪を持つに至ったとのことだが、なら、最初から完全な人間を作れば済む話である。聖書は全く馬鹿げている。だいたいが、一番戦闘的で人を大量に殺してきたのはキリスト教徒である。そんな宗教を信じる人間が世界中にたくさんいるのが考えられない。6階級制覇チャンピオンのボクサーのパッキャオも試合に敗れた時に聖書を読んで活気を甦らせたと語っていた。キリスト教の教えがアホらしくならないのだろうか。私には実に不思議である。

話が脱線したが、とにかく私は今は不幸を極めて悲惨な人生を生きておりもう耐えれそうにない。人生も無駄にしたし、楽しいこともなかった。一体何なんだこの人生は。産まれてきた意味はあるのか。反芻するがろくに思い浮かぶことなんかなかった。全くどうしょうもない人生だ。ビクトール・フランクルは人生の側が自分に何を求めてるか考えろと言うが私はもう自分の人生に意味を見出だすことは出来ない。なんたる人生だ全く。産まれてこない方が良かった。この先もつまらない人生が続くのだろう。ああ・・・