集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

俺達の犠牲が何かの役に立ってんの?

集団ストーカーは何か意味と価値のあることの為に行われていて我々は散々辛酸を舐め辛い人生を送っているがそれは仕方がないのでありその不幸もつか報われる日が来るだろうか。そうならば良いがどうもその日はきそうにない。我々はただ人生を犠牲にしただけで終わりそうである。これはとてつもない屈辱である。我々は30年も40年も集団ストーカーの嫌がらせに耐えてきたのであり無駄にした時間が長すぎて今更終わっても大して嬉しくない。仮に集団ストーカーが意味と価値のあることに行われていたとしても実際に集団ストーカーは殺人的嫌がらせであり1年でも耐え難いのであって30〜40年も集団ストーカーに耐えてるとかあり得ないのであり精神は摩耗してる。どんな被害者も恐らく気になるのは集団ストーカーに終わりはあるのかということと、この苦しみに意味はあるのかということだろう。被害者なら当然集団ストーカーが辛いから早く終わってもらいたいのであり集団ストーカーに終わりはあるのかは当然気になるところだ。しかし、集団ストーカーは1度始まると長く被害歴が30年も40年も超える。これだけ長いのだから中には白髪の70代の被害者もいるようである。70になっても終らないとか絶望する他にないが私が仮に70になっても終わらないとしたらゾッとする。それだけは回避したい。が、しかし、集団ストーカーのことだからどうなるのかは分からない。我々は未だに目的を知らずに被害者として生きているのだから、目的を知ればまた集団ストーカーに対する見方も変わってくるだろうが目的を知らないので集団ストーカーの嫌がらせにムカついてしまうことが多々ある。被害者なら我々の苦労に意味はあるのかということが当然気になるところだが仮に何の意味もなかったら、ただ苦しいだけの人生でありこれでは救いはない。この苦しみに意味があるのならそれは我々の人生が他人に意味があるのだろう。しかし、他人に意味があっても我々自身が苦しいだけで報われなかったら何の意味もない。ひょっとすると我々の人生が苦しいだけで終わってしまう可能性があるかもしれない。先に上げた70代の被害者のことを考えると我々は年寄りになっても集団ストーカーが終わらないかも知れない。そこまで集団ストーカーをする意味が分からないが、もしそうなったら終わりだ。産まれてきた意味がない。ただ苦しいだけで人生が終わったら我々は何の為に産まれてきたのか分からなくなってしまう。それだけは避けたいが集団ストーカーのことだからどうなるかは分からない。集団ストーカーは何か価値のあることの為に行われているかも知れないが我々が報われなかったら意味はない。そうなる可能性はある。そうなったら終わりだ。とにかく集団ストーカーは始まると尋常じゃないくらい長い。何故ここまで時間をかけるか分からない。我々被害者も皆と同じくただの人間であり限られた一度きりの人生を生きる儚い命ある人間である。与えられた時間は限られており時間は失うとどうやっても取り戻せない。だから限りある一度きりの人生を悔いなく生きたいのである。しかし、集団ストーカー被害者にはその希望が叶わない。私は被害歴30年であり、自分の人生を好きなように生きれなかったので人生に絶望している。こんな悲惨な人生もないと思う。自分が1番不幸だと思う。こんな不幸な人生を歩んできたのだからもう集団ストーカーは終わっても良いだろうと思う。しかし集団ストーカーは終わらない。一体いつまで続くのだろうか。私は苦しみ過ぎた。被害者として生きてきた時間が長すぎる。もうたくさんである。いい加減に終われよと思う。もう終わっても良いだろう。あとどれくらい苦しめるつもりだろうか。私はもう苦しみたくない。苦しみはもうたくさんだ。苦しみはもういらない。早く自由になりたい。好きなように人生を生きたい。どう考えても我々被害者は苦しみはもう十分だろう。一生分と言うか他人の分まで苦しみを背負ってると言える。ここまで苦しみを背負った人間はかつていなかっただろう。集団ストーカーは何故我々被害者にここまで苦しみを与えるのだろうか。集団ストーカーの謎が深まるが、ここまで苦しみを背負って生きてきたのだから嫌味の1つも言いたくなるだろう。しかし、集団ストーカーはその嫌味が許せないようである。私は毎日ムカついており集団ストーカーにしょっちゅう嫌味を言うがよく集団ストーカーに報復にあう。今回の事故も集団ストーカーが引き起こしたのだろう。事故に巻き込まれる前に私はムカついて集団ストーカーに嫌味を言いまくってた。その私の嫌味に集団ストーカーは腹を立てて復讐してきたのだろう。事故にあい入院して手術もした。事故の記憶も手術の記憶もない。手術の同意書にサインをしてたようだがこちらも記憶にない。目が覚めた時は既に手術が終わっていた。私は集団ストーカーに嫌味を言いまくってたのでそのことに腹を立てた集団ストーカーが私を車で跳ねたのだなと思った。集団ストーカーはとにかく被害者の反抗的態度を嫌うようである。何故嫌うのかは分からない。集団ストーカーの目的がさっぱり分からないから嫌う理由が分からない。何か価値のある実験だとも思ったりするがだとしたら何故反抗的態度を嫌うのだろうか。被害者は理不尽に被害者に選ばれて人生を削ってるのだから集団ストーカーに反抗的態度を取りたくなるだろう。しかし、集団ストーカーはそれが許せないようである。それくらい黙認しろよと思うが集団ストーカーは許せない。私は集団ストーカーにしょっちゅう反抗的態度を取ってるから集団ストーカーを怒らせて自殺まで追い込まれた。自殺は失敗に終わったから死ぬことはなかったが失敗しなかったら私は死んでたのでありこれはただの殺人である。だから集団ストーカーは殺人罪に問われるだろう。実際に集団ストーカーは多くの人間を自殺に追い込んでるがこいつらが罪を償った話はない。いくら何でも自殺まで追い込むかと思う。集団ストーカーがいかに理不尽で腹の立つ嫌がらせかは他でもない集団ストーカーが1番知ってるだろう。だから被害者が反抗的態度を取ってもそれぐらい許せよと思う。しかし、許せないらしいのだ。こいつらは他人に対しては絶望的に厳しく自分に対してはこの上なく甘いゲス野郎ではないのか。それで、どうも集団ストーカーは何をしても許されるらしい。死ぬほどムカつくし、忌々しい奴等だが何故こんなことがまかり通ってるのか全く分からない。ある時集団ストーカーから「悪いことがまかり通る」と仄めかしがあった。何故悪いことがまかり通るのか。何故集団ストーカーをしても許されるのか。その謎について考えてるが全く分からない。私は集団ストーカーは人間理解を深める為の人体実験だと思ってたが、例えば思考盗聴器を使えばかなり人間の理解が深まるだろう。しかし、倫理的な問題から誰に対しても思考盗聴器を使ってはいいわけではない。でも確実に人間理解が深まるのだから使わはない手はない。幾多の悲劇を生み出すがそれも人間理解を深める為に仕方がないことだと思ってたがこれは違うような気がする。そうだとしたら何故集団ストーカーは反抗的態度を嫌うのか。何故集団ストーカーは殺人をするのか。それが全く分かなくなってしまう。人体実験が目的なら被害者を死ぬまで追い込む必要はないだろう。それに被害者は理不尽に集団ストーカーの被害者に選ばれたのだから反抗的態度を取るのは当然と言える。だから人体実験が目的なら殺人は犯さないし反抗的態度を嫌うことはないだろう。とにかく我々は不幸な人生を生きることを余儀なくされており集団ストーカー被害者の多くが人生を諦めてるかもしれない。死ぬほど腹立つが集団ストーカーの被害者に選ばれたら人生が確実に終わる。これは紛れもない事実だ。何で理不尽に集団ストーカーの被害者に選ばれてこんな不幸な人生を生きなきゃならないのだろうか。全く納得出来ない。集団ストーカーにどのような目的があろうとも納得出来ない。誰かの犠牲が必要なこともあると集団ストーカーは言うが全く納得出来ない。仮に集団ストーカーが10年くらいで終わるならまあ、納得してやってもいいが実際は私の事に関して言うと被害歴が30年になり、私は人生の貴重な時間を奪われて自分の人生を生きれなかった。これでは全く納得出来ない。何でこんな惨めな人生を生きなければならないのだろうと思う。集団ストーカーは何か価値のある実験だとしても全く納得出来ない。誰かの為に役立ってるかもしれないが我々被害者は不幸を極めており如何なる理由があろうとも被害者は集団ストーカーに納得出来ないだろう。自分達だけが不幸になってるのだから。如何なる理由があろうとも被害者は集団ストーカーに腹を立てるだろう。今回のブログのタイトルが俺達の犠牲が何かの役に立ってんの?だが仮に何かの役に立ってたとしても許せないし全く納得出来ない。思いついた奴が憎たらしい。こいつさえ思い付かなければ我々はこんな酷い目に合わず普通の人生を生きてたかも知れない。今では普通の人生を生きることが叶わず集団ストーカーの理不尽さに辟易して毎日を過ごしている。集団ストーカーは自分達の要求は何があっても絶対に遠そうとするくせに人の言うことは絶対に聞かない奴等である。他の被害者もそうかも知れないが私は何度も集団ストーカーが終わるようにお願いしてるのだが全く聞く耳を持ってもらえない。こんな人の話を聞かない奴等も見たことない。何でここまで人の話を聞かないのだろうか。我々被害者は集団ストーカーにこれでもかってくらい痛め付けられてきたのだからいい加減に集団ストーカーはもう良いだろうと思うが集団ストーカーは集団ストーカーを止める気は全くないようである。死ぬほど忌々しいしムカつくがこいつらには何を期待しても無駄なのだろう。集団ストーカー被害者に選ばれ、不幸な人生を生きる人達が哀れで堪らない。