集団ストーカーと自己愛性人格障害者には共通点があり過ぎるほどある。自己愛性人格障害者は心の根底に救いようもない観念が巣食っており、虚無感があり、常に虚しく自己肯定が全く無く、劣等感と嫉妬心の塊であり、そんな自分を救済する為に弱者を見付けてターゲットにして、人格攻撃をして弱らせて、自分に自信を持てなくして、ありとあらゆるネガティブな観念を植え付けて自分の支配下に置いて操ろうとする。酷いのになると精神科医を自殺に追い込む。集団ストーカーとやってることが同じではないか。集団ストーカーの発明者は自己愛性人格障害者だったのではないかと疑いたくなるくらいだ。
何で私が自己愛性人格障害者に詳しいのかと言うと私はかつて自己愛性人格障害者に人格攻撃されて精神構造を破壊されて支配下に置かれたからである。最初の頃は彼の言ってることは正しく自分が間違ってると思ってた。彼はとにかく優しく何でも受け入れる人間だったが、その一方で私を常に人格攻撃して私の趣味とか好きなことを否定して友達と話してると私の発言を咎めてくるのであった。アメとムチを上手く使い分けて、肯定しては否定して否定しては肯定するの繰り返しであった。私は彼が私のことをよく肯定してくれるから私のことが好きだと思っていたが、よく否定もされるので、それは私が間違ってるからであり、彼の発言は何もかも正しいと勘違いしていた。
自己愛性人格障害者はターゲットを見つけると常に付きまとってくるのだが、例に漏れず私にもそうであり、自己愛性人格障害者の特徴に目つきが爬虫類そっくりというのがあり、彼は目つきがギラギラしており、まさにターゲットを射止める目つきをしていた。最初の頃はそんなに気に留めてなかったが、何度も人格攻撃にあい、しょうもうない観念群を植え付けられて私の人生はどんどん狂っていった。彼は私に、あれや、これは好きになってはいけないとか、友達や彼女を作ってはいけないという観念を植え付けており、更にその観念群を追い払うとすると罪悪感を抱くような観念も植え付けていた。だから解決しようにも何も出来ないのであった。私は最初の頃は私を攻撃するのも私の為を思ってのことだと思ってたが、人生がどんどん狂い、人格攻撃にあってから13年後に私は彼は私の為を思って私を否定してたのではなく、自分自身をどうにかする為に私を支配下に置こうとしてたと遅蒔きながら気付いた。どんどん不幸になるだけだったからである。つまり彼のしてたことはただの劣等感補償。彼はクラスの嫌われものであり、友達がおらず本当に気の合う人間を求めていた。私に本当の友情を求めていた。従って、私の人格を攻撃して私の性格を自分にあう性格に変えたかったのだろう。ブルーハーツを理解できない人間は馬鹿だと言って私をブルーハーツ好きにさせようとしたが、それが例えどんなに良ぃものだろうが押し付けられたものを好きになるとかあり得ずブルーハーツを聴くのは苦痛以外の何ものでもなかった。ブルーハーツはその後解散してハイロウズを結成するがハイロウズは三枚目から作風が変わったのは私のせいである。彼に付き合ってハイロウズのコンサートに行ってたが私は別に好きでもなく行きたくなかったが、コンサートでは大暴れしていた。そして、ハイロウズに対して不快な態度をよくコンサート中に取っていた。これは、たぶん私は彼に操られているだけだとハイロウズに気付いて欲しかったからだろう。大暴れは私の心の叫びであった。ハイロウズファンなら分かるだろうが明らかにハイロウズは中期から作風が変わったのは間違いなく私のせいである。ハイロウズのヒロトはあんな気持ちはもうたくさんと歌っており相当私の嫌がらせが嫌だったのだろう。一方のマーシーは怒りの歌を2、3曲作っていた。今でもハイロウズが解散せずに好きなように曲作りしてたらどうなってたかよく考えるが、とにかく影響力のある2人だからひょっとして私は時代を変えることを仕出かしたかも知れない。好きなように曲を書いてたら名曲がたくさん産まれて時代が変わったかも知れない。そう考えると確かに残念な気持ちになるが、私は私で相当追い詰められており仕方がなかったのである。すまぬ。ヒロトは2匹のマシンガンという曲の中で、夜の宝石を化石に変えて笑ってると、歌っていたがこれは間違いなく彼のことである。彼はコンサートの時にヘッドバンギングをして乗ってる客を指さして笑っていた。こいつは人間のクズであり、実に嫌な野郎である。このブログをヒロトとマーシーが読んでるか知らんが(読んでるわけ無いか)仮に読んでたとしたら私がお二人を不快にしたのはそういうわけだったのです。
彼を思い出すだけで殺意を抱き叩き殺したくなるが私がただの被害者だったと気付いた時には28歳になっており、友達を無くし女も口説けず、好きな女を見付けて口説こうとする心の内側から罪悪感が湧いてきて何も出来ないのであった。何度も言うが人生一度きりだから価値があるわけで誰もが自分の人生を生きたいと思うが、私には不可能なことであった。しかも植え付けられた観念が厄介なのはしょっちゅう顔を出して私を邪魔するのである。お陰で何をしても楽しくないし、何も集中出来ず物覚えが死ぬほど悪くなってしまった。従って仕事もなかなか覚えることが出来ず死活問題であった。奴のことは如何なる理由があっても許せない。奴は自分が如何に不幸な生い立ちだったか私に永遠と聞かせたが、これは俺はこれだけ不幸なのだからお前は幸福になってはいけないという観念を植えつける為だろう。実際に何かしようとすると罪悪感が邪魔して何も出来ないのであった。お陰で私は膨大な人生の時間を無駄にして更に集団ストーカー被害者に選ばれたのだ。片親で母親に愛情はなかったし、私より不幸な人間はいるのか。少なくとも集団ストーカー被害者の中で私が一番不幸ではないのか?ある被害者友達の女性に俺が一番不幸だと言ったら彼女は私に、「自分が一番不幸だとか言わないで下さい」と咎められた。彼女は集団ストーカーの音声送信攻撃によりリストカットして、倒れてる所を母親に発見されて病院に運ばれた経緯があった不幸な人間であった。彼女はその後精神病院に入院して、精神病院の患者に事情を話したらもう自殺は止めようねとお互いに涙を流したらしい。彼女もかなり不幸な生い立ちだったので私の発言が許せなかったのだろう。許してね。
それで、話が重複するが自己愛性人格障害者の彼は何でも受け入れる寛容さの塊みたいた人間だったが、私が彼のことが嫌いになり付き合うのが嫌になってから態度が180度変わって、この上なく非寛容な人間になり、ちょっとしたことで私を攻撃しては、私を傷付け、何にも受け入れなくなった。なんでも受け入れる寛容さのかたまりみたいな人間は反対に回ると何一つ受け入れない非寛容な人間になるだけのことだろう。先にアメとムチを使い分けてたと書いたが後半は本当に否定ばかりであった。自分の側に何でも受け入れる寛容な人間がいたら気をつけた方がいいかもしれない。岸田秀が自らの愛の限界を理解して人を愛す者こそ本当に人を愛してると言えるのであると自身の著書に書いてたが当たってると思う。どんな人間にも限界があり、他人の全てを受け入れるとか不可能なことである。彼は俺のことが好きなら全てを受け入れられると語ってたが、逆に嫌いになれば全てを受け入れない人間だろう。こういう人間は実に付き合い辛いものである。彼は自分の全てを受け入れる人間が欲しかったのだろう。
彼が私に植え付けた観念は次の通りであり、多岐に渡り紹介すると、
24時間中、寝てる時意外は俺の事を決して忘れてはいけない
俺が認める価値体系意外のありとあらゆる価値体系は全て無価値で内在化するに値しないので決して内在化してはいけない
この世に自分以上に不幸な人間はおらず、お前が幸福になれば自分は奈落の底に叩き落とされるので自分を差し置いて幸福になってはならない
お前には俺を救う義務があり、俺のことを決して見捨てはならない。また俺の事を差し置いて救われてはならない
俺は全てにおいて正しく、俺の考えに間違いはないので俺に反論してはいけないし、俺の不満や悪口を他人に洩らしてはいけない。また他人が俺の事を非難していた場合、俺は全てにおいて正しいのだから非難している側の非難が不当で間違っており非難を間に受けてはならない
決して俺のことを嫌いになってはならない
他の趣味を好むのはいけず俺を見捨てるのはよくない(彼を見捨てれば厳しい罰が待っている)
俺は誰よりもお前を愛してるとから俺に必ず従うこと(従えば耐え難い屈辱的現実が待っている)
植え付けられた観念がポジティブだろうがネガティブだろうが、共に私を支配下に置くために植え付けたのであり、どちらをとってもマイナスの結果しか期待できず、彼を見捨てるか彼に従うかの葛藤は苦しく耐え難いことだったので、意識の表面において他の趣味を好むと他の趣味を好まないとの葛藤にすり替えられた。
他の趣味を好む(彼以外の人物を好む、付き合う)という禁止の期限はわたしを自分の世界に縛りつけておこうとする彼の要求にあったわけである
他の趣味や他人を好んではいけないという禁止の真の起源が俺を手元にとどめようとする彼の要求、彼を見捨てることへの罪悪感であること、死ぬほど寛容で何でもこちらの言うことを聞いてくれていた彼が、俺の彼に対する態度が冷たくなった途端に態度が変わった。
精神分析に転移という概念があるが、
上から目線、他人を見下す、マウティング、誇大妄想的自己評価、好きな物を(者を)好んではならず、嫌いの物を(者を)好まなければならない、俺の事を非難してはならない暗黙の了解的な空気を醸し出し非難を避けようとする。そして、わたしのこの体質は母親や友達に転移されて、母親との関係はおかしくなり友達も失うことになる。失わないとしても昔見たく純粋に友達と楽しめないのであった。
私はあれから30年も経ってるのに未だに当時植え付けられた観念にがんじがらめに苦しめられており、何度も克服しようと精神分析関連の本を読み漁ったが遂に克服出来ずもう諦めてしまった。岸田秀の話によると一度植え付けられた観念は絶対に消えないが、自分の支配下に置くことは出来るらしい。この観念は永遠であり、死ぬ間際にも彼は顔を出すだろう。何とも胸くそ悪いが、今の私は集団ストーカー被害者ということもあって虚無的であり、生きることに何の意味も見出だせない。
自己愛性人格障害者について散々語ってきたが、被害者なら自己愛性人格障害者と集団ストーカーの共通点に思い当たる節があるのではなかろうか。私の説は集団ストーカーは人間理解を深める心理学的な社会実験だが、だいたいが、人を傷付ける、追い詰める、トラウマを植え付ける等のことは不幸な生い立ちの人間にしか思い浮かばず、人類史上一番不幸ではた迷惑な白人種が思い付いたとしかどうしても思えない。優生学、ナチズムを発明して、他人種を見下して、優越感に浸り、劣等感むき出しだが、ホロコースト、ジェノサイドを敢行し、多くの人間を殺し、凶悪にしてかつ冷酷な人体実験をしてきた連中である。集団ストーカーはこんなメチャクチャな連中が思い付いたとしか思えない。白人種は自己愛性人格障害者ではないのか?心の根底に救いようもない虚無感が巣食ってるのではないか。なぜ白人種は地上の楽園アフリカを飛び出して寒冷地のヨーロッパ大陸に住み着いたのか?アフリカで黒人に差別されて追い出された以外に有り得ない。それで虚無感が巣食ってるのではないか?意識下の意識で人類を恨んでるのだろう。そうとしか思えない。未だに植民地主義も変わらず日本は金融軍産複合体に搾取されてるし、奴等は500年経っても変わらない。(言いなりの自民党)不幸と言えば朝鮮人も相当不幸で北の人間は未だに苦労してるが、いつか北も独裁体制が終わり、民主主義国家になり幸福に生きて欲しいと思うが、一番不幸であったのはどう考えても白人種であり、以前は私は集団ストーカーは白人種の復讐と考えていたが、色々と考えてみると集団ストーカーが邪悪な犯罪とは考えられず考えを改めたが、集団ストーカー被害に遭っている人間なら集団ストーカーと自己愛性人格障害者との間に多くの共通点を見出すだろう。
ではお互いに辛い思いをしてるが、幸せになれると信じて頑張ろう。終わり。