集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

何故集団ストーカーは終わらないんだ

何故終わらないんだ!私は死ぬほど苦労を味わってきたはずだ。ネット掲示板に書き込んだ悪口と暴言に対する報復はもう充分受けたはずだ。私の口の悪さに原因があるならもう悪口は自重している(ただ単に悪口を言う気力も今はないだけだが)一体いつまでこの苦しみに耐えねばならないのか。もういいだろう。これ以上の苦しみはもう沢山だ。

私の人生を振り返って見れば私の人生は苦しみの連続であった。母親との問題を初め、友人との軋轢、そして集団ストーカーと次から次へと問題が発生し苦しみに対処する日々であった。楽しかったのは小学生までで思春期の頃に友人にトラウマを植え付けられ人生が一気に陰鬱なものになった。そのトラウマは厄介なものであった。アメーバのように体にまとわりついて離れないのであった。しかし、幾ばくかの精神的自由があり多少は楽しい思いでもある。

思春期の頃にトラウマを植え付けられたのが決定的であった。一番多感な時期である。子供から大人へと成長する一番中途半端な時期である。この時期にトラウマを植え付けられたのは大きかったであろう。私は葛藤のただ中に置かれ足掻き苦しんでいた。時を同じくして集団ストーカーの嫌がらせも始まる。騒音騒動である。アパートの上階のガキ共が走り回ったり床にジャンプする騒動であった。その騒動は凄まじくアパートが揺れるぐらいであった。私は強いストレスに襲われた。友人との軋轢が生み出した葛藤と集団ストーカーの嫌がらせがダブルで襲ってきたのである。思春期の多感な時期にはこれは相当なストレスである。バットで天井を叩き、やり返したこともある。私の親が直接注意に行ったこともある。そうすると一時的に騒音はなくなるが幾日か経つとまた騒音行為が始まるのであった。私の親は何度も注意しに行ったが収まるのは一時的にだけでまた直ぐに騒音行為が始まるのであった。私は殺意を抱くくらいムカついていた。上のガキ共を殺す自分を何度も想像した。私達はアパートの2階に住んでいたのだがそこの3階の住人は一階の住人に注意される始末であった。つまり奴等の騒音は一階の住人にも迷惑をかけるくらい酷かったのである。ここが集団ストーカーの不可解なところで被害者以外の人間にも迷惑をかけるのである。集団ストーカーは誰もが知る犯罪だと何度も説明したが普通の人達にどう語って納得させているのであろうか。非常に不思議である。

高2の頃に祖母が亡くなった。脳の血管をやられたらしい。手術をして助かる確率は50%だと医者に言われた。結局手術のかいもなく祖母はなくなるのだが私は集団ストーカーに殺されたと思っている。恐らく私に対して何か嫌がらせか仄めかしをするよう指示があったのであろう。私の祖母はそれを無視して集団ストーカーを怒らせ電磁波兵器でやられたのであろう。

祖母が亡くなり母親と二人暮らしすることになったのだがこの時期は混乱と葛藤の時期であった。友人に植え付けられたトラウマがまだ尾を引いていた。私は自分の人生を生き生きと生きてはいなかった。もちろん部活もしていたし友人もいたが何か視界に靄がかかったような冴えない青春時代であった。

中学の頃に始まった集団ストーカーだが高校の頃までは主な嫌がらせは騒音行為だけであった。高校を卒業してから嫌がらせの内容が増え出した。外に出ると微笑を浮かべる人間にしょっちゅう出くわすようになった。私はこの頃は集団ストーカーのことを知らなかったので、なぜ私に対して嘲笑を浮かべる人間に大量に出くわすかわからなかった。

20代の頃になると親との問題が激化した。私は親の態度が我慢ならず親に変わってもらいたく何度も話し合いを重ねた。しかし母親は変わることがなかった。私にとって母親は重荷でしかなかった。私は精神的に楽になりたかった。友達との間で出来たトラウマの問題、母親との問題、そして集団ストーカー問題と私は三重の苦しみを抱えることになった。皆が女に友達にと青春時代を謳歌する中で私だけが葛藤に捕らわれ足掻き苦しんでいた。

結局母親も亡くなるのだが私は集団ストーカーに殺されたと思っているが母親が亡くなっても母親との関係で生まれた葛藤は無くならず友人との間に出来たトラウマをまだ引きずっており、更に集団ストーカーの嫌がらせが激化したから最悪であった。私が1人暮らしをするようになってからである。凄まじかったのは騒音であった。アパートが揺れるぐらいの凄まじさであった。ここでも集団ストーカーは関係のない第三者を巻き込んでいるのである。

この時期は人生の暗黒期である。騒音が酷いのでいつもヘッドフォンをして暮らしていた。外に出れば咳払いの嫌がらせが相次いだので耳栓は必須のアイテムであった。この頃は本当に辛くもう2度と戻りたくない。集団ストーカーの嫌がらせも一番酷い時期であった。何かおかしな奴等に私は付け狙われていると考え、ネットで自分があっている被害を入力し検索してみると集団ストーカーが大量にヒットしたのであった。私は驚いた。自分以外にも同じ苦しみを味わっているにんげんがいる。これは嬉しかった。世界中に同じ被害にあっている人間がいることがわかったからである。それが28歳頃のことである。気付くのは遅かった。早い人間だと90年代には知っていたようである。私が知ったのは2000年代に入ってからである。私は何故か警察には行かなかった。行っても無駄なような気がしていたからである。ネットで検索してみると警察に被害を訴えても無駄であると書いてあった。

それで何度も書いたように私は集団ストーカーの悪口を掲示板に書きまくり復讐にあうのだが、それで集団ストーカーは実は全ての人間が知っていたと気づかされるのであった。

一体いつになったら終るのだろうか。私はもう充分に苦しみを味わってきたはずだ。もういい加減終わってやってもいいだろう。最近集団ストーカーから「もう終わりだ」と思考送信があった。本当だろうか。集団ストーカーは終わると期待をもたして裏切ることがよくあるというので、信じるのは頭半分ぐらいにしとくのがよいだろう。

こっちはガチのおおまじでもう限界である。なので集団ストーカーはもう終わってもらいたい。