集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

宗教的対立をなくすには

宗教は人を狂信的にさせる。それは宗教が信仰だからでる。信仰とは支えであり、プライドの根拠であり、また、人間は物を見る、考える、行動に移すという時に行動指針が必要である。信仰はその行動指針の役割を担っているのである。それに他者との繋がりを保証する立脚点である。これでは宗教が人を狂信的にして当然であろう。

5ちゃんねるに宗教を否定して科学が真理に辿り着く最高のツールだと考えて宗教の過ち、狂信性を非難する書き込みがあるが彼等は、彼等にとって科学が信仰になってると気付いてないに過ぎない。草(wのこと)を生やして宗教を小馬鹿にしてるが奴等の書き込みは十分に狂信的である。ニーチェが言うように怪物退治をするものは怪物になるのである。

宗教の解毒剤は自然科学ではない。宗教である。宗教を否定する場合、宗教を持ってくる他にないからである。そこでどんな宗教が有効的かと言うと無宗教の宗教以外にあるまい。なんの偶然か日本は無宗教の宗教を持つ民族である。従って日本人は大きな役割を担っていると言えるだろう。無宗教の宗教と言えば仏教である。日本は仏教国であるが、日本の宗教は無宗教の宗教だった為に仏教と馬があったのだろう。つまり、日本には二つの無宗教の宗教があるかなり変わった国家なのである。日本人はどこまでも徹底して無宗教の宗教の信徒なのである。日本人には何か大いなる意思に与えられた使命があるとしか思えない。しかし、皆仏教を低く見てないか。私にはそう思えるのである。仏教的な性質、無宗教の宗教には大きな役割があると言えるが、しかし、宗教問題を考える時に仏教の役割を指摘する人間はほとんどいない。日本人は宗教を小馬鹿にするから、あんな奴等俺とは関係ないと考えたり、狂信的な人間を見ると「あれは宗教だよ」と語るが、日本人の信仰が無信仰の信仰であることに気付かず宗教を見下してるに過ぎない。

最初に説明した通り宗教は確かにその構造的本質により人を狂信的にするが、日本人が宗教を見下しても何も解決しないのは火を見るより明らかである。もっと真剣に対処すべき問題であろう。イスラム原理主義者、キリスト原理主義者に無宗教の宗教が通用するか。100%しないだろうが、一般人には通じるかもしれない。日本人にしか宗教問題は解決出来ない。少しづつ無宗教の宗教の信徒を増やして、更にイスラム原理主義者、キリスト原理主義者を準々と説き伏せていくほかにあるまい。科学的真理を持ってきても駄目である。反動で更に狂信的になってしまう。科学的真理には厄介な側面があり、科学的真理は強制了解性があり、反論の余地がないために、なおのこと反発を強めるからである。だから、仏教なのである。仏教の性質である無宗教の宗教の利点を持ってきて説き伏せる以外にあるまい。狂信的にならないような仕方で、また、押し付けがましくなく、そいつの信仰心を傷つけない仕方で慎重に説得する必要があるであろう。日本ははっきしいって選ばれた国であり日本人の役割は大きく希望は日本にあると言えよう。