集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

笑うに笑えない集団ストーカー

最近生きるのがアホらしくなってきたが、毎日が辛いことには代わりなく集団ストーカーは相変わらず今日も平常運転である

電磁波刺激は相変わらずでとくに左耳にバチンと走る電磁波刺激が鬱陶しい。

眠らせない攻撃もあるが、逆に眠らされる攻撃もある。長い時で1日13、4時間ぐらい眠らされる時もある。1日の生活のリズムを狂わされるから厄介である。

生活のリズムを狂わされるのは昔からよくあった。
頭がジンジンするような電磁波を浴びせられ睡魔はあるのに眠ることが出来ない。日が登りカーテンからうっすらと日が射し込んで来たときにようやく眠りに入る始末。

眠らせない攻撃にムカついて部屋中で大暴れすることもあった。この眠らせない攻撃はあらゆる加害行為の中でかなり辛い部類に入る嫌がらせであろう。

最近では日中に外に出歩くことが出来るようになったと前に記事で書いたが、これはこれでやはり結構厄介なものである。集団ストーカーは全ての人間が知っているものだから、被害者は全ての人間に知られているわけで外出には非常に強い苦痛が伴う。人間身体を動かさないと全身が鈍って仕方がなく、それならば人のいない深夜帯に外出すればよいのだが、どうしても太陽の光を浴びたくて辛くても我慢して日中に外出する。

それで、外出中にすれ違い様に遭遇する人々や買い物に出掛けスーパーのレジの人の顔を見てみると笑いを堪えている者がいる。何が可笑しいのか?こっちは毎日苛められて苦しんでいるのに、笑うとは何事か。何か被害者のプライバシーに関することでも知っているのか、或いは集団ストーカーに対して誤った認識をもっているのが滑稽で可笑しいのか。
とにかく理由は分からないが毎日を必死で生きている人間を笑うのは気分のいいものではない。

外出中はなるだけ人の視線を気にしないように努めてるが、やはりきになるものでチラッと確認した時にその人物が笑いを堪えている者であった場合非常に憂鬱な気分になる。

しかし、これは例えば逆の立場に立って考えてみると何か笑ってしまう事情があるのかも知れない。

それは知らないが、笑われるのはやはり辛いものであり、強い疎外感を抱いてしまう。加藤や宅間など世間を恨んでいる者が起こした大量殺人事件があったが、なんとなく彼等の気持ちが理解出来るようになってきた。連続殺人犯に共感を覚える精神状態はかなりやばいが、実際彼等も強い疎外感を抱いていたのだとおもう。

集団ストーカーは1人の人間をここまで追い詰めるのだから、やはり罪深い犯罪と言ってもよいのではないか?裁かれるべき犯罪と断言してもいいのではなかろうか。貴重な人生をこの上なく卑劣な仕方で奪っているのだからやはり罪深い行為なのだろう。
しかし、何故か集団ストーカーだけは許されてしまう。(恐らく殺人もOK)その許される理由が知りたいのである。

その理由を聞かされた時に納得出来るかどうかは知らないが、私の人生も折り返し地点に入り限られた人生の中でこれからどうやって生きていくか最近しょっちゅうかんがえる。

私だって自分の人生を謳歌したい、楽しみたいのであるが我々被害者にはそれが許されないのである。何が目的でここまで酷く辛い目にあわなきゃならないのか。
理由を知りたい。納得出来る理由が知りたい。早く教えてもらいたい。 誰が何の目的で超絶変態的犯罪、集団ストーカーを思い付いたのか早く知りたいのである。知らずに死を迎えることだけは勘弁してもらいたい。


こりゃ参ったね、どうも、、やれやれである・・・

深い溜め息が漏れる

うんざりしてくる、げっそりしてくる、生きるのがアホらしくなってくる。

一体我々被害者はいつまでこの集団ストーカーとかいう拷問に耐え続けなければならないのか。

毎日思うことであって、最近は部屋の中での嫌がらせはかなり減ったが、外出すればハザードランプを点滅させた車、救急車、パトカーや物品を使ったアンカリング等に遭遇する度に、ああ、この犯罪はまだ続くのかと思って深い溜め息が漏れる。

ここ1年で顔も大分老けてしまった。肉体的にも衰えを隠すことが出来なくなってきた。

集団ストーカーは居場所も奪うし、心の拠り所まで奪うこの上なく卑劣な犯罪である。

人間生きて行くためには何かに自分をカテゴライズする必要がある。しかし、集団ストーカーはそれを許さない。心の拠り所を奪って徹底的に被害者を孤立した状態へと追い込むのだ。さらに、経済的にも追い詰められ生活苦もかさなる。さらに、被害年数の長さから未来の希望を奪い絶対的な絶望的状況へと被害者を追い込んでくる。はっきし言ってそれは絶望、まさに地獄の様相を体している。

私の場合最近いくらか嫌がらせはマシになったが、初期の頃の被害者は家にいる時も嫌がらせを受けるのでどこにいても居場所を見付けることは出来ないし、精神的な拠り所を見付けるのも難しいであろう。

何故ここまで集団ストーカー加害者は被害者のことを執拗に追い詰めてくるのであろうか。

全くもって、意味不明、理解不能である。

いつになったら我々はこの地獄から解放され本当の自分の人生を生きることが出来るのであろうか。

その日がくるのが待ち遠しくて仕方がない。

私の場合いい歳なので終わっても大して嬉しくないだろうが。

集ストさえなければ 集ストさえなければ 集ストさえなければ

今よりも大分ましな人生を歩んでいたことでしょう。

嫌がらせが本格化したのが25年前。実は全ての人間が集団ストーカーを知っていたという衝撃的事実に気付かされたのが約6年前。この6年は自分の人生の時間をほぼ完全に殺された時期でもある


この犯罪の被害者に選ばれて25年、色々な嫌がらせにあってきた。

雑音、騒音被害に苦しんだ10代、家族を殺され(?)孤独のどん底に叩き落とされて嫌がらせに耐え続けた暗黒の20代、一時期嫌がらせが鎮静化したが全ての人間が集団ストーカーを知っていると気付かされプライバシーを完全に殺された30代とほとんどろくなことの無い25年であった。

アンカリング、仄めかし、ストリートシアター、不気味な風貌な男女、人の事を小馬鹿にしたような微笑を浮かべてくる人物、悪意のこもった咳払いとどれも気味の悪い嫌がらせであって、味方はどこにもいなかった。

この25年思い返してみても楽しかった思い出はほとんど無い。

振り返ってみると最悪なのは暗黒の20代だが今は暗黒の20代に匹敵するくらい最悪である。

なにせ全ての人間が自分のことを知っているのだから出来ることがかなり限られてしまう。気楽に外出もできないし、友達や恋人と遊ぶことも出来ない。
人間食わなきゃ生きていけないので、食料品を買いに行くときは戦場に出てく気分である。

しかし人間とは強いものでこのような最悪な状態でも完全にではないがある程度は慣れてしまうものである。人の視線は多少気になるが今では昼間に外出も出来るようになった。ただし人の顔色を除くのはまだ怖いが。

私は紛れもなく集団ストーカーの被害者であり苛めに耐え続ける毎日であって、それは今も昔も変わらない。

集団ストーカーの被害者でなければ出来たことや出来ることがたくさんあった。今はもう夢は叶わずほとんど諦めの境地に達しつつあるが、一体いつになったら終わりを迎えるのであろうか?一体どれだけの時間を犠牲にすれば終わるのだろうか?終わったら大きな喜びはあるのだろうか?そんなことは知らないが、全ては集団ストーカーのみぞ知るところで、被害に耐え続けた期間が長すぎていい加減嫌気がさしてきたし、歳も歳で肉体的にも辛くなってきたのでもうこの辺で集団ストーカーはやめにしてもらいたい。

生き霊の呪い

集団ストーカーと関連があるかは分からないけど、ひょっとすると関連があるかもしれないので、一応カキコ


友達にありとあらゆる観念群を植え付けられ内側から支配されてた時期があった
したいことをしたいように、やりたいことをやりたいように出来ない、好きなものは好きと素直に言えないのであった
したいことをしようとしたり、例えば好きな音楽を聴くと内的にストップがかかって何も出来ない、何も感動出来ないのである
これはある種洗脳の一種だけど、生き霊の呪いだなとも思った
植え付けられた観念群が心の中で視点に変質して心の中を常に覗かれてるのだから

その時はまだ観念群の存在に気付いておらず、なんとなく居心地が悪く自分にはどこかおかしいところがあると感じていたので精神分析関連の本を読みまくった。読みまくってる内に俺の中に俺のことを自由にさせまいとする観念が植え付けられてたことに気付いた

気付くまでには13年かかった
気付いたからそれで終わりということではなく完全にではないが、観念群から解放されるまでにそれから12年かかった
この呪いの観念のお陰で青春時代はお釈迦だよ
ったく、やってらんねーよ

俺が鬱々とした人生を生きてる時に彼はどういう人生を送っていたのであろうか
それは知らない 知らないけど、俺の事を奈落の底に叩き落として精神的に優位に立つ目的があったと思われるので、彼の幸福は俺の不幸のお陰であろう
人間、罪を犯した場合何の負い目や罪悪感を感じないということはあり得ないので、彼の無意識の中では今度は自分が俺の生き霊に呪われて不幸になるかもしれないという恐怖心があるのかもしれない

人を呪わば穴2つとも言うし今度は彼が不幸になる番であろうか

それは知らない 知らないけど彼の不幸を望んでいる自分がいることは否定できない
何せこっちは合計25年の人生を犠牲にしたのだから
妬ましくどろどろとした話だけど、彼の不幸を望まずにはいられない

因みに彼が植え付けた観念は俺は絶対的存在だから俺の言うことは疑ってはならないし、反論してもならない。
友達や家族との付き合いよりも、俺との付き合いを優先すべきである。
俺が認めたものは問答無用に価値があり良いものなので、否定してはならない。好きになるべきである。
俺のことを崇めよ、崇拝せよ、尊敬せよ。
俺の偉大さを周りに伝えよとか、宗教的洗脳と同じである。
ちなみにかれは草加家計の人間だった。
彼は草加のことを小馬鹿にしてたけど、押し付けがましくて説教臭い奴でもあって煙たがれることもあったし、俺の事を洗脳して、内側から支配しようとしてたので、馬鹿にしてても、知らず知らずの内に草加体質が身に付いていたのだろう。

松本人志からの仄めかし

また松本人志から仄めかしがあった。


松本人志「カーディガンあります?」と店員に聞いたら… まさかの展開に爆笑

ダウンタウン松本人志が30日、自身のツイッターを更新。アパレル店員との「不思議な時間」を明かし、話題になっている。

■カーディガンを頼んだのに…
服屋を訪れた松本。店員から「何かお探しですか?」と聞かれ「カーディガンあります?」と訪ねたところ、「お待ち下さい」と待たされることに。

しばらく待つと、Vネックの服を手にした店員が戻ってきて「これと同じ素材のカーディガンがあったんです」と言ってきたという。

カーディガンを探しているにもかかわらず、Vネックを提案する店員に困惑した松本が「え…今は無いんですよね?」と聞くと、店員は「はい」と食い気味に返答。松本は「不思議な時間をありがとう」と皮肉交じりに笑いを誘った。

店員「何かお探しですか?」
オレ「カーディガンあります?」
店員「お待ち下さい」

割と待たされた後、Vネックを持って

店員「これと同じ素材のカーディガンがあったんです」
オレ「え…今は無いんですよね?」
店員(くいぎみで)「はい」

不思議な時間をありがとう。

163,322
11:50 - 2019年1月30日
Twitter広告の情報とプライバシー



これは1月5日に公開した、『これ以上ないくらいの苦痛と屈辱をどうもありがとう』と皮肉交じりに書いたブログに対する仄めかしだと思われる。

このように我々被害者にはどういう訳か有名人からの仄めかしが来るのである

最初は偶然が重なっただけだと思うがこういう現象に頻繁に遭遇すると、これは自分に向けられた仄めかしだと確信するようになる。

この仄めかし自体はなんてことない仄めかしであり、特に気にするほどではないが、精神的攻撃が伴った仄めかしは、中々ダメージがでかい。

私が集団ストーカーがただの犯罪行為ではないと確信するようになったことの1つに、このように有名人からの仄めかしが来ることが理由の1つに挙げられる。

まさか、ダウンタウン松本人志が悪事を働くはずがないし、その他多数の著名人が仄めかしをしてきたのであって、それは哲学者であったり、思想家であったり、科学者であったり、芸人、タレントであったり、ジャーナリストであったりするわけでまさかこれらの人々が喜々として犯罪行為に加担する訳がない。

集団ストーカーには我々被害者だけが知らされてない何か隠された意味がある。その、隠された意味は今はまだ分からないが、被害者が非常に辛い日々を過ごしてるのもこれまた事実であり、全ての被害者が1日でも早い集団ストーカーの終焉を願っているだろう。

全ての謎が解き明かされた時にどういう感慨と共に集団ストーカーは終わりを迎えるであろうか?
どういう感慨と共に被害に耐え続けた過去が呼び起こされるであろうか?

それは分からないが、私の場合、1つだけはっきりしてるのは失った時間は返ってこないということであり強い悔恨と共に終焉を迎えるということははっきりしている。終わって最悪、終わらなくて最悪である。終わって多少マシな程度である。すべてが徒労で終わるのかもしれない。考えているよりも大して大きな意味もなく理由を聴かされても納得出来ないかもしれない。

全てのことは加害者側から理由を聴かされたときにはっきりするだろう。これだけ人生を犠牲にしたのだから何かとんでもない大きな意味のある犯罪行為であると嫌でも期待してしまう。1番怖いのはこの犯罪が選ばれたら最後2度と終わらないことでり、それだけは勘弁してもらいたいものである。
2度と終わらないとかそんな酷(むご)いこと考えたくもない。

全ての被害者の集団ストーカー被害が終わることを願ってやまないが、我々被害者はまた覚悟をもってこの殺人的犯罪、集団ストーカーと対峙していくことも必要となってくるであろう。

辛いことも多いですが共に頑張っていきましょう!

異世界に放り込まれた被害者達 横井庄一状態

集団ストーカーの被害にあうと異世界に放り込まれたような感覚になると以前書いたが、それは今でも変わらない。

気味の悪い世界である。毎日が戦争である。戦争が終わったと知らずにジャングルに潜伏し続けた横井庄一みたいに、我々も無慈悲なジャングルの中に放り込まれたようなものである。

したいことややりたいことを自由に出来ない。買い物や旅行、友達と遊んだり、彼女を作ってデートをしたりなんて、夢のまた夢。

横井庄一は28年もジャングルに潜伏し続けたらしいが、我々被害者も被害期間が余裕で、10年20年越えるから、そういうところも横井庄一と同じである。

我々被害者の苦しみを横に普通の人達は、自分の人生を生きたいように生き、人生を楽しむことができる。勿論、どんな人生も、苦しみは避けがたいが我々よりはましであろう。そして彼等に我々の苦しみは理解されないであろうと思い、虚無感に襲われる。

我々にとっての終戦の日はいつ訪れるであろうか。

我々はいつになったらこの地獄のジャングルから生還できるであろうか?いつになったらこの無慈悲な戦争は終わりを迎えるであろうか。

早く本当の普通の世界に帰国したい。もう、敗戦で構わない。この無益な戦いが終りを迎えるのであれば。

全ての被害者の切なる願いであろう。

もう疲れた。この無益な戦争を終わりにしたい。

モラハラは犯罪だ

集団ストーカーは一種のモラハラだが、加害者はアメとムチを使い分けて自分から離れられないように洗脳し、自分の支配下に置こうとしてきます。
趣味にまで干渉し人格を破壊してきます。それが人格破壊だと気付くまでに時間がかかります。
気付いた頃には手遅れになっています。膨大な時間を犠牲にします。

モラハラ被害者は皆人生の貴重な時間を無駄にしたと訴えます。
モラハラは犯罪です。断固抵抗しましょう。