集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

俺氏。遂に童貞を落とすw。性幻想の成れの果て。

ソープに行き遂に童貞を落とした。長かった。待ちに待ったセックスであった。感動するかと思ったが大して感動しなかった。ああ、こんなもんかで終わりである。拍子抜けした。セックスなんか全然大したことなかった。想像とは違うものだった。

まず、部屋に通されたのだが部屋は狭く四畳程度であった。ベッドと風呂があり壁にマットがかけられていた。洋服を脱いでと嬢に言われて恥ずかしながら洋服を脱いだら嬢が洋服を丁寧にたたんだ。全裸になりスケベ椅子に座らされ歯磨きとうがいをして全身を洗われた。女に初めて身体を触られたが大して感動しなかった。それだけでちんぽぎんぎんになると思ったがならなかった。身体を洗い終わり風呂に入るように言われたので入った。そしたら嬢も入ってきて後ろ向きになり私の手を掴み自分の胸に私の手を持っていった。初めておっぱいを揉んだが大して感動しなかった。風呂から出て嬢がマットを敷いてマットプレイをすることになった。全身にローションを塗られて嬢が身体を絡めてきた。このプレイにも大して感動しなかった。途中フェラチオをされたがこれは気持ちが良かった。マットプレイが終わり身体を拭いてベッドに移動した。ベッドプレイでは乳首舐めフェラチオをされたが乳首舐めは大して気持ち良くなかった。フェラチオをされちんぽが立ったので嬢が騎乗位で挿入してきた。初めてのマンコであるが大して気持ちよくなかった。その後バック、正常位でやったが気持ちよくなかったのでちんぽが萎えてしまった。結局マンコではいけなかったので嬢が手コキを始めた。私はフェラチオが気持ち良かったのでフェラチオしてくださいと頼んだ。フェラチオは気持ち良かったがそれでもイケず嬢がもう時間がないから手コキでイカすしかないと言って手コキを始めた。同時に乳首も舐められた。結局時間までにイケず帰ることになった。嬢にイケない人もいるのですか?と聞くといますよ、と言った。洋服を着て部屋から出たら嬢が前を歩きますね、と言って私の前を歩いた。玄関まで見送りをされ有り難うございました、と言われたので私も有り難うと言った。玄関では従業員が靴へらを持って待機していた。

セックスははっきし言って言うほどのものではない。おっさんになっても童貞だったから性欲が溜まりに溜まり、セックスに対する幻想が強くなったが実際にやってみると大したことないものだった。女体に初めて触れたが大して感動もなくマンコも気持ちよくなく、こんなもんかと言う程度のものだった。私はセックスを知ったら余りにも気持ちいいのでヤリチンになるのではないかと思ったがどうやらそうはなりそうにない。何でみんなセックスをする為に翻弄するのか不思議で仕方がない。そんないいものじゃないだろう、どう考えても。私は性欲が資本主義を発展させたと書いたが性幻想も所詮は社会性があるに過ぎず生理的現象とは言え、全ては主観的幻想に過ぎない。性欲を支えているのも幻想である。従って私の性幻想が変容したのである。恐らく20代だったら気持ちよく感じたであろう。イケないこともなかったであろう。幻想が生理性をも変えるのである。歳とも考えられるが、じいさんがAVに出てる場合もあるからやはり性欲は幻想である。私はセックスは大したことないものだと思ってるがそれは客観的事実ではない。逆にセックスを素晴らしいものだと考えている人間もいるが同じく客観的事実ではない。全ては主観的幻想に過ぎない。足のない人間がいるが彼は主観的には足があると感じると言うが、このような例がある通り全ては脳が生み出す幻想に過ぎない。そうは言っても世の中には童貞で風俗にも勇気がなく行けない人間もいるようだから、アドバイスしとくとセックスは大したものじゃないと言いたい。私の主観的認識ではあるが全ては幻想何だから、性幻想から解放されたいと言いたい。セックスは幻想なんだからセックスを知ると性幻想が変わるであろう。私みたいに大したことないと思う人間もいるだろう。だから一度ソープに行くことをお薦めする。怖くはない。私の嬢は気さくで話しやすい人であった。たぶん男性をリラックスさせるように教育されてるのであろう。

私みたいにセックスに幻滅する人間が増えているのではないか?今の男の子は草食男子と言われて金にもセックスにも大して興味を持たず、恋愛もしたがらず、昔みたいに洋服や車に金を使うことはないようである。世界的に断捨離が密やかなブームであり資本主義ももう終わりに来ているのではないか。性欲は幻想の産物で私みたいなセックスに幻滅してる人間も増えているのではないか。性欲が資本主義を発展させたのだから、やはり、資本主義は終わりが近いのではないか。馬鹿な自民党がこのコロナ渦でこの期に及んで未だに経済に比重をかけてるが、自民党は世界情勢を見誤ってるのではないか。世界はアメリカから距離を取っている。自民党アメリカ追従だからそれが見えないのである。世界がいよいよ資本主義から離れて行く時に日本とアメリカだけが往生際が悪くあくまでも経済発展に邁進するのではないか。全く最悪だが金持ちを見て羨ましがる時代はもう終わりに来ているのではないか。日本では未だに馬鹿なセレブを持ち上げる番組を制作してるがもう時代遅れではないのか。とにかく、自民党が富裕層を優遇し、弱者に冷たいが国民もそんな馬鹿な自民党の政策に賛成しており、日本は時代に取り残されてるのではないか。アメリカが資本主義を手離すことは絶対にないから日本も当分の間資本主義が続き社会格差は拡がる一方であろう。ったく最悪な国になっちまったな。

今日セックスをしてきて自分の性観念が変わったので、自分のような人間も増えており、資本主義もひょっとすると終わりに来ているのかもしれないと思った次第である。

とにかく、セックスをしたい男性はソープに行こう。感動しようがしなかろうが知っといて損はないだろう。

哀れな自民党。哀れな日本。

日本人は自分に自信があると外国人になかなか言えない民族である。当然だが、和魂洋才という言葉が示す通り日本人は外部のものを崇拝し信仰するのである。日本人が日本人らしく生きてたと思われる江戸時代では確かに日本を訪れたヨーロッパ人が、日本人は幸福そうにしてる、と語っていたが、アイデンティティー的な確立があり幸福になっていたわけではない。当時は和魂漢才だったが、東洋の思想は日本人には合っていたのだろ。それだけのことである。先に日本人は外部のものを崇拝し信仰すると書いたが当時の大名は中華思想に多大な影響を受けており、中華思想の真の後継者は自分達だと考えていた。日本人は確かに外部のものを崇拝、信仰するのである。この体質が問題じゃなかったのは鎖国(オランダと貿易してたが)してたからであり、航海技術の発達により海洋防壁が崩壊し、めんどくさい大陸人と付き合わなければならなくなった。そこでは、日本人の感性が全く通用しない相手との戦いであった。微妙に距離を取りつつ、日本人に合っているものだけを取捨選択出来るわけにはいかなかった。欧米は明らかに今までの連中と違っていた。日本人は国家的危機に陥ったが、アイデンティティー的にも危機に陥った。和魂漢才は日本人にはあっていたが、明治には和魂洋才になり、西洋近代自我を築くことが必須になってしまった。これがいかに問題かは誰にも分かるだろう。ヨーロッパ的自我はどう考えても日本人には合わない。しかし、日本人は外部に依存する体質があり、明治以降はヨーロッパに依存するようになった。日本はこれまでと違って自分達の好きなようにゆとりを持って国造りをするわけにはいかず、ヨーロッパの脅威に対して近代化は必須であり、自己主張の強いヨーロッパ人に対抗する為に西洋近代自我を築かなければならなかった。

今でも日本人はアイデンティティー的に混乱してるが、日本人に合った自我とは何であろうか。和魂洋才とか言うから外部に信仰の対象がなければ生きていけない民族である。だから、日本人に合った自我とは外部のものを信仰し、それが日本人の体質に合っている思想が必要であろう。仏教と道教儒教は日本人には合っていたのだろう。が、しかし、日本人は人からどう思われるか異常なまでに気にする民族であり、ヨーロッパ人からどう思われているか気になるので和魂漢才は何となくダサいというか引け目に感じたのであろう。それで和魂洋才になったが、それ以外にはやはりヨーロッパに対抗する為には自己変革も必要と考え、西洋近代自我を築かなければならないと勘違いしていたのだろう。今では西洋近代自我の幻想は滅びかかってるが、今でも無理してヨーロッパ人の振りをしてるが(これは事実である。昔ここが変だよ日本人というTBSの番組で日本人のガキが我々は白人じゃないですかと言っていた。日本人は主観的には白人なのである。だいたいがこの番組のタイトルからして自虐的である。外部に信仰の対象を持ってしまうが故の自虐さである)、それがいよいよ限界に今来てると思われる。和魂和才でやっていけない所に日本人の悲劇と哀れさがあるのであった。

自民党アメリカ崇拝である。自民党はいつもアメリカに追従してきた。プライドを捨てて追従してきた。いつも、アメリカとの同盟関係を強化するとアホの1つ覚えみたいにほざきアメリカに良いように扱われてるただの哀れな犬に過ぎないのに、アメリカとは有効なパートナーだと強調するのが自民党である。何とも哀れである。こんな糞みたいな政党が与党なのだから、アメリカの属国からの脱却は不可能である。そんなアホな政党を国民も支持してるのだから日本人はアホばかりなのかと思ってしまう。アメリカは日本なんか自分達に都合の良い犬ぐらいにしか思っているのは明らかなのに自民党はとにかくアメリカとの繋がりを強調する。全く哀れな政党としか言いようがない。本当ならアメリカ軍を日本に置くのも屈辱的なのに、日本はどうぞ、どうぞ、と自らアメリカ軍を置くことに賛成している。こんな国は日本だけである。

私は驚いたのだが、アメリカと日本との間に、政治家も官僚も知らない密約がたくさんあるのである。アメリカは日本のどこにも軍隊を置いてもいいと密約を交わしており、制空権はアメリカに握られているのである。これを、政治家と官僚が知らないのである。こんな国は日本だけである。イラン、イラク戦争の時に負けたイラン、イラク側はアメリカ軍を置くことを拒否したが、日本は逆であった。制空権はアメリカに握られているのだから、アメリカは日本の空を自由に飛べて、日本の飛行機は自由に飛べない。従って成田空港に降り立つ際にも制空権に入らないように着陸しなければならないのである。オスプレイの実機訓練でも事故が多く国民の不安を煽るが日本はアメリカに文句を言えない。政治家も官僚もそのことをよく知らないのだから、日本は完全にアメリカの属国である。そして、今の自民党をみてると独立は100%不可能である。日本は治外法権だから、アメリカ軍人が罪を犯しても軍用機が墜落して民間人が死んでも日本は調べることは許されず罪も裁けないのである。これは誰でも知ってるだろう。

自民党は度々アメリカの底辺層や有色人種を貶すようなことを語り、物議を醸すが、これは自民党アメリカの属国であることが苦痛であることの表れである。強いアメリカが怖いから、自分達よりは立場の弱い者を攻撃して劣等感補償をしてるのである。実に哀れで卑怯だが、自民党も本音を言えばアメリカから独立したいだろう。しかし、怖い。アメリカが怖い。だから、独立出来ない。全く哀れである。このアメリカが怖い体質を治すのは大変であろう。日本はアメリカにこれでもかってくらい大戦中にボロクソにやられたのであって、アメリカがトラウマなのである。鬼畜米英を唱え死ぬもの狂いで戦ったから日本人としてのプライドが傷つくため、アメリカ恐怖は表面化されない。これが問題である。自民党、及び日本国民は自分達の本音に忠実になるべきであろう。アメリカが怖いこと、アメリカから独立したいことを。自分達の考えに正直にならないからいつまで経っても属国なのである。だいたいがアメリカが日本の為に戦争するはずがない。そんなこと誰にも分かりきっているのにアメリカ軍を日本に置いているのである。自民党の人間だってその事は分かっているだろう。日本は実質アメリカの飼い犬であり、対等なパートナーではないことは。思いやり予算とか言って精神的に上位に立とうとするのも属国の屈辱があるからだ。何で日本人は自分の気持ちを偽ってアメリカと付き合うのだろうか。1つはアメリカが怖いからだがもう1つは日本は和魂洋才の言葉が示す通り外部に信仰の対象がなければ生きていけない依存体質があるからだろう。いい加減にそういうことは止めて和魂和才でいくべきであろう。日本人が日本人自身で自分達にあった価値体系をつくるべきであろう。

日本はストックホルムシンドロームに罹っているという説がある。ストックホルムシンドロームとは本来ならば敵視する相手の言いなりになってしまう症状のことである。日本は間違いなくアメリカに対してストックホルムシンドロームに罹っていると言えよう。東京裁判なんか裁判の本質から外れたインチキ裁判であった。日本は一億玉砕で死ぬもの狂いで戦争をしたのに、千回を超える爆撃に原爆を2発も落とされて戦争に負け、更にアメリカに裁かれたのである。これではアメリカを恨んでも当然であろう。しかし、ストックホルムシンドロームに罹ってる患者は相手に対する敵対心を抑圧する。本当はアメリカに恨みがあるのにその気持ちを抑圧してアメリカとの同盟を強化することに邁進し、それでいて常にアメリカの言いなりなのに文句の1つも言えず相手の支配下に収まってしまうのである。石破がアメリカとの同盟を強化し、どちらか片一方だけでなく両者にとって有益になるような同盟を築くべきだと語っていたが、これはアメリカの属国であることの屈辱を見事に言い表している。実際は日本はアメリカの犬であり、アメリカは自国の都合のことしか考えておらず、日本に対して憂慮することはないだろう。私は思うのだがアメリカが嫌いなら嫌いだとはっきり言えば良いのである。フィリピンのドゥテルテなんかアメリカを猿呼ばわりしてたが、日本人もアメリカに対する恨みを表面化し、その気持ちを共有すればいいのである。その気持ちを共有出来ないのは日本人の体質に問題があるだろう。共有化とは人と同じ気持ちを持ち団結することだが、これはある種のカテゴライズであり、日本人はカテゴライズするのが嫌なのである。具合が悪くなったら変えがきかなくなるからである。戦国時代に日本を訪れたヨーロッパ人が、日本人は忠誠心がない。直ぐに裏切る奴ばかりだと語っており日本人は具合が悪くなったら直ぐに依存してた価値体系を脱ぎ捨てるのである。大戦中は日本人のこの体質を知ってた為に捕虜の辱しめは受けずになったのだろう。実際に戦争中に捕虜になった日本兵が頼まれてもいないのに自らアメリカの戦闘機に乗って日本の基地がどこにあるか教える忠誠心のかけらもない行動を取った兵隊がいた。こういう行動を取ってしまうのも外部に信仰の対象を持ってしまう故であろう。利点もあるが欠点も多い。私は日本人の器用さ、柔軟さを維持しつつ忠誠心を持ち芯があり、都合が悪くなったら自分を直ぐに変え、それでいて一貫性のある態度を取ることが可能な思想体系を構築出来ないかと考えているのだが、なかなか答えが出ない。仏教なんかかなりいい線いってると思うのだがどうだろうか?と言うか仏教以外に間ともな思想は思い付かない。日本の文化には立脚点がないと言われている。だから外部のものを信仰するのだが、この信仰形態ではもう立ち行かなくなっている。自前の思想を持とうとしてもそもそも何もないのだから、自前の思想は思い付かない。だから和魂漢才、和魂洋才になるのである。私は和魂和才でうまくやっていけないだろうかと考えているのである。いよいよその時が近付いているのではなかろうか。

自民党はただのだだっ子ではなかろうか。安倍時代は確実にそうだった。政治を私物化し黒塗りが当たり前で罪を認めず犯罪者が離職せず犯罪政党と化していた。一体何をどうしたらこんな犯罪集団を支持するのだろうか。悲しいことに国民は安倍政権を支持していた。アメリカの属国である為に自分達の好きなように国家運営が出来ないので、お子ちゃまファシズムを拗らせたのだろう。朝鮮の歴史を見ても明らかなように属国化の政府は腐敗し、上層部は宗主国を崇拝するのである。従ってアメリカの真似事をして富裕層を優遇し底辺層を軽視するのである。国民もそんな自民党を支持するのは同じ気持ちを共有してるからであり、弱者を見下し劣等感補償をしてるのである。更にブルーハーツの歌ではないが弱いものが更に弱いものを叩くのである。犯罪政党を支持するのは不思議だが、日本人の自民党支持はこれが原因であろう。根元まで深く考えると日本人の屈辱と劣等感があり、それが自民党支持に繋がっているのである。それで日本は社会的弱者の救済意識がアメリカより低いのは必然的現象であろう。問題はアメリカと日本人の依存体質だ。根本的な改革が求められる。非正規雇用が増え収入が少ない為に結婚どころか恋愛すら諦めている人がいる。このままだと少子化は止まらないだろう。従って、税収の削減、社会補償費の増大、国際競争力の低下等が予想出来、全く未来はお先真っ暗である。菅は安倍路線を踏襲すると語っており、全く期待できず、コロナ問題に関しても対応が遅い。一日の東京の新規感染者が2000人を超えて全国の感染者が7000人を超えた。菅は全く役に立たない。岸田秀がトップに立つのは集団の中の有能な人間ではなく一番無能な人間が立つと言っていたが少なくとも日本には当てはまるだろう。安倍も馬鹿だったし、菅も馬鹿だ。このまま日本は奈落の底に落ちるだろうか。

昔は大蔵大臣だった石橋湛山のような脱アメリカを掲げる政治家がいたがGHQと対立して失脚させられたようである。石橋は人気があったとのことだから、やはり、日本人の本音は脱アメリカにあるであろう。その後政界に復帰し総理になるも病気にかかり僅か65日で退陣している。進駐軍経費問題では、日本の国家予算の三分の一を占めて、賠償費として、ゴルフ場、邸宅建設、贅沢品などの経費も含み、このあまりの巨額の負担額を下げるように石橋湛山は、GHQに要求した。石橋は今の日本の政治家と違って度胸があり、人気があり、心臓大臣と呼ばれた。田中角栄なんか有名だが彼も中国との仲を改善して脱アメリカを掲げたが失脚させられた。田中は石橋に影響を受けてると言われており、実際に田中は石橋の家を訪ね石橋は田中に励ましの言葉をかけたと言われている。田中角栄の任期期間が短かったが安倍と違って影響力はあったであろう。この2人は脱アメリカを掲げ失脚させられたが、2人とも人気があり強いインパクトを残した。石橋は鳩山内閣時代にGHQの要求を無視しましょうと語っており今の日本の政治家とは大違いだ。本当に日本の事を思うなら今の自民党と違ってどうしても必然的に反米的にならざるを得ないがそうすると必ず干されるのである。日本には今と違って昔は確かに気概溢れる政治家がいたが、脱アメリカを掲げると必ず失脚させられるので政治家にも国民にも諦念があるであろうか。それで、遂には気概溢れる政治家がいなくなり、安倍みたいなアホが出てきたであろうか。やはり、日本人の本音は脱アメリカであろう。日本の不幸はアメリカのせいでもあるであろう。しかし、歴史を見てみると日本はまだましである。ユダヤ人や朝鮮人なんかは属国の屈辱に喘ぎ何度も悲惨な目に合っている。私は形而上学的議論になるが、みんな平等に不幸を味わうまで日本の不幸は終わらないと考えており、何か世界を律する大いなる意思がそうさせてると考えているが、だから日本はまだまだアメリカの属国であろう。山本七平が言う通り大陸人が味わってきた不幸に比べたら日本人が味わってきた不幸は蚊に刺された程度なんだから。

自民党は自分達の思い通りに出来ないだだっ子であり、世襲性でガキの頃からボンボンの甘ったれた奴が政治家になるのだからプライドは一際高いだろう。だから、お子ちゃまファシズムを拗らすのである。戦争は地獄でやるべきではないと言うのは戦争経験者の話である。安倍は戦争を知らない世代である。このことも関係してると思われるが日本を戦争の出来る国家にしたがっていたが、惜しむらくも憲法改正せずに退陣した。

このままだと日本は一生アメリカの属国であろう。日本人がアメリカを恨んでるのは疑いの余地はない。この先どうするかは日本国民一人一人の問題である。平等に不幸を味わわなきゃならないと書いたが世界に何か献身的に貢献すれば不幸を味わわずに日本は復活するのではないかと私は考えている。日本は世界の究極の目標である人類平和に貢献すべきであろう。これを実現出来るのは日本人だけではないかと私は考えている。

立ち上がれ日本の押越さんの街宣に行ってきた 動画あり

立ち上がれ日本の管理人の押越さんが盛岡に来るとのことで街宣に行ってきた。当日の盛岡は最高気温が氷点下でかなり寒い中での街宣であった。私が街宣場所につくと押越さんと被害者が二人いた。私は押越さんに挨拶をして街宣の手伝いをすることになった。垂れ幕を持ちながら押越さんを動画撮影した。街宣時間は二時間を超えたのでかなり疲れた。他の被害者が2名きたがチラシだけをもらい帰っていった。我々以外にも被害者がいるのだなと思った。終わる頃にもう一人の女性被害者が来てとりあえず喫茶店に入ることになった。私はバターロールを頼み他の被害者と押越さんはコーヒーを頼んだ。コーヒーが運ばれてきたら店員が私にコーヒーをこぼしてしまった。店員はすいませんと言いながら私にかかったコーヒーを拭いた。私はこれは集団ストーカーの仕業だと思った。店員が2000円を私に渡し、クリーニングに使ってくださいと言った。その後喫茶店を出て懇親会に出席することになった。懇親会では被害者が押越さんに質問責めだった。話の内容が陰謀論チックでちょっとこれは付いていけないなと思った。スーパーシティ構想では街を造りその街は完全な監視体制下にあり、車が全てAIで動くと言うのだ。その他に人口削減の話になった。被害者がイルミナティのことに聞くとイルミナティが人口削減を考えていて、最終的に6~10億まで人口を減らすというのだ。集団ストーカー被害者は実験対象なので殺されることはないとのことだった。創価の話にもなり、集団ストーカー勢力は完全な階層構造であり、トップにイルミナティがいてその下に下請けの創価等がいてその下に我々一般人の下僕がいると言うのだ。これはキリスト教の階層構造が反映されたものだろうと私が言ったが反応は今一であった。被害者の一人が自分の合っている被害について語ってたが私より辛い被害に合っていた。電磁波兵器で心臓を攻撃されこのまま死ぬのではないかと不安になるくらいだと話していた。外から車の音がするから外に出てみたら車の痕跡はなく、雪なのに車の足跡がないと言うのだ。全て電磁波で行われるフェイクだと話していた。私に比べるとかなり辛い被害に合っているようであった。しかし被害期間は短く私は27年だが、他の被害者は1~2年であった。押越さんは創価公安警察等が集団ストーカーに関与してると考えているようだが、私と考えが違うなと思った。押越さんはカルト創価学会と何度も街宣で話していたが私は創価が関与してるとは考えていない。なので押越さんの被害者の会には入らない。私は口下手でシャイなので懇親会ではあまり語ることがなかった。他の被害者は皆私にここで喋ってストレス発散してくださいと言っていた。押越さんは1000人以上の被害者と会話してきて、集団ストーカーのターゲットに選ばれる人間の特徴は弱者や変わり者が多いとのことだった。知的障害者の子供を持つ家族やシングルマザー、変わり者で苛められている人などとにかく弱者をターゲットに選定する傾向が強いとのことだった。押越さんは私が街宣動画をYouTubeにアップしても閲覧者が1000人くらいしかいかないと嘆いていた。他のYouTuberのように登録者が10万人を超えればそれだけ集団ストーカーの周知が拡がるが1000人程度ではまだまだ少ないと行っていた。押越さんはそれでも全国を周り周知活動をし、チラシを配り昔に比べて集団ストーカーも周知されてきたと語っていた。しかし、私が思うに実は集団ストーカーは全ての人間、被害者予備軍以外は知ってるのである。私はそう考えている。集団ストーカーに参加する人間の尋常じゃないくらいの多さや、たまたまそこにいたと思えない人が集団ストーカーをしてくることを考えると一般人に音声送信で指示を出し集団ストーカーに参加させてるとしか思えない。そう考えないと集団ストーカーの説明がつかないのではないかと考えている。しかも、普通の人間にも思考盗聴されている可能性もあるだろう。曲がり角に差し掛かるとほぼ100%の確率で車が曲がってくるがこれは集団ストーカーではなくたまたま近くにいた車が被害者を三次元的に把握して曲がり角にやってきてるとしか思えない。普通の人々に思考盗聴されてるとしたら地獄だがたぶんこれは間違いない。私は懇親会に向かう途中に私の前を歩く女の子三人組がいたので頭の中でどけよブスと語ったら女の子たちが黙りしてしまった。私はやはり集団ストーカー以外にも思考盗聴されていると思った。最近電磁波の影響で物忘れが激しい。何を書こうか忘れてしまった。記憶を消されることもある。私以外の被害者は皆優しい人だった。懇親会には更に2人が加わって7人で開くことになった。押越さんを減らすと6人で街宣の時に2人の被害者が来たから合わせて8人の被害者が盛岡にいることになる。それ以外にも間違いなくいるだろう。被害者の話によると遠野市や沿岸にも被害者がいるとのことだった。岩手には結構被害者がいるようである。押越さんの話によると東京で街宣をすると50人以上集まるとのことだった。皆喋りたがり一人5分までと決めてるのに10分20分も話す被害者がいるとのことだった。一人の被害者が母親が病気にかかり入院中なので帰ると言ったので私も帰るこにした。会費は3000円であった。結構かかるなと思った。私は貧乏なので毎月懇親会があるとしたら結構な出費になってしまう。喋り下手だし。皆私の信じてない陰謀論を信じてるようだし。私は実は全ての人間が集団ストーカーを知っていると話すか迷った。しかし、押越さんが集団ストーカーの動画をYouTubeに上げても閲覧者が1000人もいかないと嘆いていたし、他の被害者も創価公安警察が集団ストーカーをやっていると考えているようだったのでとてもじゃないが喋れる雰囲気ではなかったので話すことはなかった。押越さんは個人事業主で営業の仕事をしてるとのことだった。仕事の合間をぬって全国を飛び回り、街宣をし、そして被害者の相談に乗っているのだ。大変だなと思った。その頑張りは認めるがやはり私の考えている通り間違いなく普通の人間も集団ストーカーを知っているのだ。街宣は県庁、市役所、警察署の近くで行ったが押越さんは県庁職員、市役所職員、警察官にも集団ストーカーに参加している人がいる。出てきなさいよ。カルトに染まってる人達。本来ならば人を救うべき立場にある人が集団ストーカーに参加するとは何事ですか。もう集団ストーカーは止めなさいよ。と語っていたが、彼等も当然集団ストーカーを知っているのである。なので、私は虚しい気持ちになった。押越さんは都議選に立候補したが3000票も自分に入ったことを話していて、私がただの病人だったら3000票も入らない。面白半分で入れてる人も100人程度だ。だから集団ストーカー被害者はかなりいることの証左だと言っていた。確かに3000票は集団ストーカーの被害を訴えた人にしてはかなり多い数字だ。東京の被害者はかなりいるのだろうと思った。私は本当にシャイなので懇親会ではあまり喋れなかった。本当ならもっと喋りたかった。しかし、私が喋ったら場が白けるのではないかと不安になった。次の懇親会に参加するかは考え中である。集団ストーカーはいつになったら終わるのだろうか。私はもう被害歴27年である。もういい加減に良いだろう。早く終われ。

街宣動画
https://youtu.be/Be-o7tKg-UM
https://youtu.be/srMR2GKau20
https://youtu.be/16ld0FUzD9Q
https://youtu.be/2aCWAj1NCY8

変わる日本。セックスに背徳感を感じない最近の若者。

おそらく中学生と思われる動画。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1342101415259299847/pu/vid/720x1280/EF-mg5rRUOppeChG.mp4
動画を撮ってる側に男と女がいる。

普通ならセックスは秘匿としとくべき行為であり、誰にも知られずやるものだろうが人がいる前で堂々とやり、見てる側も平然としてる。今ではセックスはただの娯楽と化してるので背徳感がまったくないのだろう。これは嘆かわしいと憤慨するおっさんもいるだろうが、これはキリスト教的性観念が輸入された結果、処女幻想が生まれ、性は気楽に手に入るものではなくなり、手に入れるのが困難な謂わば高嶺の花を手に入れるが如きものと化し、セックスをする為に男は色々と策を凝らさなければなくなった。非常に面倒くさくなったのであり、昔は夜這いや筆下ろしの文化があって、性とは疚しいものではなく身近なものだった。しかし、日本人はキリスト教的性観念を受け入れ清純幻想を持つに至りその幻想を共有している古いおっさんが憤慨するのだろう。ヨーロッパの場合はキリスト教の反動から性の解放が謳われたが、日本の場合、キリスト教的性観念の反動もいくらかあろうが、ただ単に昔の日本に戻ったのかも知れない。そうすると、童貞諸氏はこれは喜ぶべきことかも知れない。昔の日本人のように夜這いをしたり、人妻に筆下ろしをしてもらったりした日本が帰ってくるかも知れないのだ。だから、童貞の人間はセックスを出来るチャンスが拡がったと言えるのかも知れない。だいたいが背徳感はキリスト教徒が持つものであろう。日本人には昔は背徳感なんかなかったであろう。日本では18歳未満の女性とセックスすれば逮捕されるが、18歳以下なら逮捕されない。従って女子高生とセックスを出来るチャンスもある。おっさんでもだ。これはいい傾向である。欧米的性観念は歴史を見ても明らかなように堅苦しくていちいち面倒くさい。日本人は外部に信仰の対象をもつ変わった民族だから和魂洋才ということになったが欧米幻想からも離れているのかも知れない。個人同様集団も自分の足で立たないと駄目なのである。若者はそのことを直感的に感じ欧米離れを起こし、日本の文化に本能的に立ち返ってるのかもしれない。和魂漢才も和魂洋才も駄目である。民主党は和魂中韓才であり、自民党は和魂米才という感じだが、そんな政治家を見て若者は日本の政治家が余りにもアホなので、昔の日本に立ち返ろうと無意識的に判断してるのかも知れない。しかし、それは和魂漢才ではないだろう。中国とインドの思想に興味があるとは思えない。和魂洋才から離れて、和魂漢才でもないとすると和魂和才しかない。或いは、今の日本は歴史的な流れを見て鎖国期であり、精神的鎖国状態にあるので、欧米の文化を受け入れて、融合し、日本の文化が花開く時であり、ヨーロッパの性の解放と昔の日本の文化が融合した現象として人前で気軽にセックスをし、動画を投稿する若者が表れたのかも知れないが、しかし、欧米離れを起こしてる可能性があり、和魂和才になろうと無意識的に判断してるのかも知れない。日本人の外部に信仰の対象を持ってしまうその体質が問題なのは明らかであるからである。自民党民主党の外国贔屓や、一般人が外国の流行りものを追いかけたり、外国人が高く評価するものを評価してしまうその体質が問題なのは明らかであろう。それで若者は必然的に今の日本の問題点と欧米文明の問題点を直感的に悟り、古い日本と、欧米離れを起こし、日本人は和魂漢才でもなく和魂洋才でもない新しい思想体系を構築する時期に来ているのかも知れない。もちろん思想には問題点がある。絶対化するとテロになったりするのである。しかし、日本はかつては大日本帝国があり、天皇を一元化、絶対化していた。従って、日本人はかつて思想を絶対化し、辛酸を舐めた経緯があるので、遺伝子レベルでかつての日本、つまり、大日本帝国時代の日本ではいけないと知っており、同じ間違いを犯してはいけないと無意識的に知っている若者がいても不思議ではない。古い世代の人間は未だに八紘一宇の理念を掲げ、自民党大日本帝国に哀愁を感じてるようであるが、若者には理解出来ない精神性であろう。大日本帝国の焼き直しとしか思えないブラック企業が反乱する今の日本に問題があると感じ、欧米文明にも共感出来ず、かといって、大戦中の日本にも共感出来ない若者が何を志向するかと言うと、先にも説明した通り和魂洋才でも大日本帝国時代の日本でも駄目だから、江戸時代に退行する現象が起きているのかも知れない。しかし、先にも説明した通り和魂漢才ではないだろう。江戸時代に部分的に退行しつつも、また江戸時代とは違う日本を指向する新しいタイプの若者が出てきたのかも知れない。

今の日本は極端に右翼と左翼に分裂しており、右翼的なものの、反動として新しいタイプの若者が出てきたのかも知れないが、右翼も左翼もアホだからどちらの態度も取らない中道に立ち返る若者が出てきたのかも知れない。もうひとつ言っとくと、日本のコンテンツが海外で受けてることも無関係ではないだろう。日本はやっと外国人との間に通路付けを保証する立脚点を手に入れた。今までの日本にはそれがなく、日本人は自分達に自信がなかった。従って日本の文化が海外で受けたので日本人の感性も世界に通用することが分かり、昔ほど自分達を引け目に感じることはなくなったのかも知れない。通路付けが出来たと言うことは拠り所を持ったと言うことである。日本の内部には何もないから日本人は押しに弱かったが、拠り所が出来たので昔の古い世代の日本人と違って若者は押しに弱くなく、自己主張もしっかり出来る新しいタイプの若者が出てきたのかも知れない。自民党の糞がアホの1つ覚えみたく、アメリカとの同盟関係を強化すると語り、これでは、日本の独立は不可能だが私が見たところ、今の日本人はアメリカ離れを起こしており、アメリカからの独立を指向する人間も出てくるかもしれない。しかもネットを見てみると外国人と日本人にさほど考えの違いもないことが分かったし、ネットで外国人の考えを反論或いは論破する例も多数あるので、昔のように、外部のものを信仰する必要がないと判断し、日本の若者は変わったと言えるのかも知れない。昔から日本人は外人の意見に弱いと云われていたが、そういった点も改善されるかもしれない。そういうわけで、右翼も駄目、左翼も駄目、和魂漢才も駄目、和魂洋才も駄目で、若者は先祖帰りを起こしてると同時に新しい価値体系を作ることがあるのかも知れない。日本は日本の足で立って初めて大陸人と渡り合い、そして日本の文化に誇りを持てるようになるだろう。その時が近付いているのかも知れない。以前に95年くらいから時代の雰囲気が変わらないと分析し、ヨーロッパ文明が頭打ちしたからだと分析したが、和魂洋才からも脱し日本から新しい文化が出てくるかも知れない。新しい文化が出てくるとしたら、日本しか考えられない。人間は変わる。世界は変わる。時代は変わる。世は無常。あらゆるものが変化する。頂点に立ったものは必ず落ちる。栄枯盛衰、盛者必衰である。最近の若者が人前で気軽にセックスをする動画を見て色々と考えてしまった。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。本年度も当稚拙ブログを宜しくお願い致します。今年こそは集団ストーカーが終わればいいですね。今年も集団ストーカーの終演に向けて頑張りましょう。

産まれも育ちも最悪。集団ストーカーの被害者に選ばれて更に最悪。

私の親は愛情がなかった。私は親から愛情を感じたことはない。更に片親で母親と二人暮らしで家は貧しかった。私はいつも他人の家庭の子供が羨ましかった。愛情のない親との二人暮らしは辛いものであった。私の母親は家族持ちの男性と恋に落ち私を産んだのだ。一体何を考えているのだろう。私は産まれたくなかったので二人に対しては怒りを覚える。片親は何かと辛いであろう。両親がいれば子供を育てる苦労は分散されるが片親だと一人で稼ぎ子供の世話をしなければならない。私は母親から教育らしい教育は受けたことはない。母親は私に対して無関心だったので会話らしい会話をした記憶も殆どない。明らかに狂ってる。しかも母親は知性がなくかなり馬鹿だった。私はそんな母親と二人きりで生きてきたのだ。これでは精神も病むし馬鹿にもなるだろう。母親から勉強をしろと言われたことはない。抱きしめられたこともない。二人きりで暮らしてるのに私の母親は私に対して無関心であった。私は母親の愛情に飢えていた。私はいつも愛情に溢れた家庭で育った友達が羨ましかった。私の人生は最悪だったと思う。今にして子供の頃を振り返ってみると母親との楽しかった思い出はほとんどない。覚えているのは母親とドッチボールの練習をしたことだ。それからスキー場に行ったこともある。

母一人の家庭だったために家は貧しく八畳1間、風呂無しのアパートで暮らしていた。誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントも貰ったことは殆どない。他の普通の家庭では誕生日パーティークリスマスパーティーをひらくだろう。私はそんな経験は一度もない。外食も殆どしたことがない。私は劣等感と嫉妬心の塊であった。

愛情に溢れた家庭で育った子供は強くなるだろう。心の支え、後ろ楯があるのでちょっとやそっとのことでは動じないだろう。翻って私は何も支えとなるものも後ろ楯となるものも持ってなかった。従って私はちょっとしたことでも傷つきやすく、傷が癒えるまでに時間がかかるのである。しかも、傷つきやすいからだろうが、かなり根に持つ性格で恨みがなかなか消えないのである。そして、私の母親は神経症であった。母親の自我は確実に歪んでいた。それで私はそんな母親の自我を受け継いだのだ。仮に父親がいて、そんな父親が間ともな自我を持っていたとしたら、私はそんな父親との関係性の中からまともな自我を構築することが可能であっただろう。実際私の父親はそこそこまともな人であった。しかし、私は母親と二人きりで生活をしていた為に母親との関係性の中からしか自我構築が出来ず私は神経症になったのだ。しかも、母親は愛情がなかったから最悪であった。私は二重の苦しみを持つことになったのだ。

高校を卒業して就職したのだが、私はその職場を僅か4ヶ月で辞めてしまった。私は仕事を僅か4ヶ月で辞めたとはいえ、働く気満々であった。10代20代はなんて自由何だろう、好きな時に働いて好きな時に辞めることが出来る。私はそんな若者ライフを満喫しようと思っていた。定職につくのは30を過ぎてからでいいと思っていた。私の未来は開かれていた。私は解放感で一杯だった。しかし、そんな私が送ろうと思ってた若者ライフはものの見事に崩壊する。私が仕事を辞めたその日に母親は強いショックを受けその日の仕事は休んでいるのである。たかが仕事を辞めたくらいでそんなに落ち込むか。どう考えても普通じゃない。私はそんな母親を見て唖然とした。こっちは働く気満々なのである。直ぐに次の職場を見付ける予定だったのである。だから何もそこまで落ち込む必要もないだろう。それで、次の日に母親は仕事から帰ってくると開口一番に「面接行ってきた?」と聞いてきた。私は愕然とした。仕事を辞めた次の日にどうやって面接に行けるというのだろう。仕事探してきた?なら分かるが「面接行ってきた?」である。この人はどれだけ私が働くことに期待しているのだろう。母親は、私のことを全く信用していないのである。私のことを疑っていたので「面接行ってきた?」とプレッシャーをかけたのだろう。実の親に不信に思われるのは辛いものである。1週間か二週間遊んだら働くんだよ、ぐらい言えないものか。私は母親を喜ばす為だけに働かなきゃいけないと思い働くのがアホらしくなりニートになってしまった。私の人生は母親を喜ばすだけの人生かよと思い、そんな自分の人生に何の意味も価値も見出だせなくなったのだ。私は働く気満々だったのに母親は私のことを疑い信用出来なかったのである。私のことを疑わずに信用してれば私は働いたのである。母親は私が仕事を辞めるか不安だったのであろう。それで私が僅か4ヶ月で仕事を辞めたので嫌な予感が的中した為に私にプレッシャーをかけたのだろう。母親は過度に私が働くことに期待しており、明らかに私の立場には立っておらず、自分の都合だけを考えていた。私は家族の為とおもって働いた金の1/3を家に入れていたのである。私のその家族の為という思いは母親に伝わってなかった。家に金を入れてる人間が二度と働かないと思うのか。働いて金を稼ぐことに喜びを感じ、家族の為を思ってるから働いていたに決まってるではないか。それなのに私の母親は私を信用していなかった。私が仕事を辞めたその日に仕事を休んでるから、母親は自分だけ働くのが嫌だったのだろう。仮に私の事を疑い、働かないんじゃないかと、考えても1週間くらい様子をみて働かなかったら、仕事を探してこいくらい言えないものか。どうしようもない馬鹿だ。私は働いていた頃はイキイキしていた。当然であろう。金が入るのだから好きなことに金を使える生活の方が楽しいに決まってるではないか。母親はそんな当たり前なことも分からないくらい馬鹿だったのである。とにかく私が働くかどうか心配でしょうがなかったのである。だから、頭がそれだけで一杯になったので仕事を辞めた翌日に「面接行ってきた?」になったのであろう。私の人生は母親を喜ばす為だけにあり、母親は私には愛情がなく、そんな母親を喜ばす為だけに働くとか、それは私の精神的な死を意味する。従って私は働くことが出来なくなったのである。

私は働きたかったかった。普通の人間と同じく金を稼いで人生を謳歌したかった。ニートになると確実に精神が腐食する。生きてても全然楽しくないのである。好きでニートになる奴なんて一人もいないだろうし、ニートライフを楽しんでる奴なんて1%もいないだろう。人間は社会性を失うと自分を失うものである。働くことはいいことである。身体を使うと自分が生きていると実感出きるし、社会性を持ち、更に金を貰えるのだから、働いた方がいいに決まってる。私は母親に変わってもらいたいと思い何度も話し合いを重ねた。しかし、実りある話し合いはいつも実現しなかった。私は母親が私のことを信用していないこと、そして愛情がないことが許せなく母親に怒りをぶつけた。無駄に月日だけが過ぎていった。私は焦っていた。その気持ちを分かってもらいたかった。しかし、母親は私の気持ちを全く理解してなかった。ニートになって一年が過ぎた頃、私は母親に「もういい加減遊んだべ?」(東北の人間)と言われた。私が酷い葛藤に襲われていたとは知らずに母親には私が遊んでいるように見えたのである。私は中学生の頃にある奴に洗脳されて自分を完全に見失い、自分の人生を生きれなかった。好きでないものを無理やり好きになろうとした。私はその葛藤も抱えており、葛藤が重なったのである。私は毎日悶々としていた。毎日焦ってた。それなのに、母親には私が遊んで見えたのである。どこまでも人の気持ちの分からない人間だ。ムカついた私は母親に殴る蹴るの暴行を繰り返した。毎日、毎日、母親を殴った。いくら殴っても怒りは消えなかった。そしたら母親は友達の家に逃げてしまった。私は母親が戻ってくる一年ほどの間母親からの仕送りで生活していた。

それから7年の月日が流れた。毎日が暇でつまらなかった。私は完全に生きる意味を見失っていた。精神は死んでいた。ある日母親の姉が私の家に訪ねてきた。母親の姉は私に母親がなんと1000万の借金をしていたと伝えたのだ。私はまた愕然とした。母親は借金を抱えていた事実を私に隠していたのである。なぜその事実を私に隠したのか。なぜ生活が困窮している事実を隠して借金をしたのか。なぜ私に事情を話して働いてもらうように言わなかったのか。私は実に腹がたった。こんな馬鹿もいないだろう。私は元々働く気が満々だったのである。母親の過度な期待が嫌になって働く気が失せたのである。実につまらない人生であった。こんな人生は早く終わりにしたかった。母親が私を信用してれば私は嫌でも働いたのに、母親は鼻から私を疑っていた。こんな馬鹿な親の元に生まれた人生を呪う他になかった。結局借金は当然返せないので破産宣告をすることになった。母親が私に事情を話して働いて欲しいと言えば私は働いたのになんて馬鹿な人間なんだ。こんな馬鹿はいない。それで、アパートの家賃も長いこと滞納していたので大家に出ていってくれと言われたので引っ越すことになった。私の母親の兄弟が二人暮らしをするとまた暴力を振るう可能性があるから、住まいは別々にしたほうがいいと言った。私の住まいは既に決められていた。なぜ私に何の相談もなく勝手に住まいを決めたのか。私は腹が立った。結局私達親子は離れて生きていくことになった。母親は生活保護を受けることになった。母親は遂に苦労から解放されたと嬉しそうにしてた。私の母親は本当に馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。人類史上最悪レベルの馬鹿だ。こんな馬鹿もいない。見たことないくらい馬鹿だ。全く腹立たしい。私を疑わなければ良かったのに。私は働いていた頃の方が人生が楽しかった。私は若者ライフを満喫したかった。しかし、その夢は叶わなかった。私は人生を無駄にした。働いていた頃に自分の金で買ったローリング・ストーンズのCDがある。今でもそのCDを聴くと働いてイキイキとした人生を歩んでた頃の記憶が甦る。人間は社会的動物であり、社会性を失うと精神が腐食するのである。絶対に働いた方がいい。私は僅か4ヶ月でイキイキとした若者ライフが終わってしまった。悔やんでも悔やみきれない。なんて人生だろう。子の気持ちがわかり、子の未来をあんじる両親の元に育った人間が羨ましかった。私はガキの頃から貧乏だったから初めて仕事をし、給料を貰った時は嬉しかった。僅か12万円の給料だったが嬉しかった。確かゴーリキーがどんな仕事でも働いて金を得るのはいいものだ、と言ってたと思うが全く同意する。働いて金を稼ぐのはいいものである。1%もいないだろうが、好きなことをして働き金を稼げる人間は幸福であろう。有名人やスポーツ選手は好きなことをして大金を稼げるので自己肯定感が高いであろう。年収が1500万を超えると幸福指数に差がでなくなるらしいが、彼らは好きなことをして大金を稼げるから恵まれているだろう。確かビートたけしが大金を稼いでも虚しいだけだと言っていた。それはそうかも知れないが好きなことをして金を稼げるのは幸福であろう。私も何か自分の好きなことをして金を稼ぎたい。何か創作活動をしたい。しかし、何かするには歳を取りすぎた。もう手遅れである。未来は絶望で一杯である。

それで独り暮らしをするようになり集団ストーカーの嫌がらせが激化し、私は地獄を見ることになるのである。凄まじい騒音被害であった。外に出れば咳払いの嫌がらせが頻発した。私は何か危険な連中に付け狙われているのではないかと思った。それで、近隣から咳払いの嫌がらせが相次ぎ私は徐々に不思議に感じるようになった。私の行動に合わせて咳払いの嫌がらせがあるのである。更にテレビが切れ変わるタイミングで咳払いがあるのである。私は盗聴されてると思った。私が盗聴されてるぞ、と言ったら咳払いをする近隣の住人がしばらくの間家を空にした。私は盗聴されてると確信した。今にして思うと思考盗聴されてたのだが、その当時は思考盗聴も集団ストーカーも知らなかった。普通なら警察に訴えるべきだがなぜか私は警察に訴えても無駄なような気がして警察には訴えなかった。ラップ音もあった。私は最初は何か音を出す機械が室内に取り付けられてると思った。ラップ音は主に冷蔵庫からあった。それで冷蔵庫を裏側までくまなく調べたが何もみつからなかった。後にラップ音は全ての物体には固有の振動数があり、その振動数に合わせて電磁波を照射するとラップ音を出せると知った。糞ムカついたが隣のアパートのたぶん大学生だろうが、その糞ガキが私に遭遇した時に笑っていたのである。その馬鹿な糞ガキは私のプライベートを知ってたのであろう。それで、私を小馬鹿にして笑っていたのであろう。馬鹿には疚しいことをしてる感覚がないようである。私は私の行動に合わせてラップ音があるので部屋の中にカメラが取り付けられてると思った。探してもみつからなかった。当然である。盗聴器も盗撮器も必要がないのである。対象の行動を思考盗聴器で把握してたのである。それで私は居間にカメラが仕掛けられていると思ったので台所で生活するようになった。そしたら、ある時買い物から帰ってきたら私を笑った糞ガキに遭遇することになった。その糞ガキは何か申し訳なさそうにしていた。私を思考盗聴してることに負い目があったのであろう。たぶん大学生だから、仲間内で私を笑い者にしてるに違いないと私は思った。私は殺意を抱いた。それで、私は図書館に行って無料でネットが使えたので、盗聴、盗撮と検索したら、集団ストーカーが出てきた。それを読んでみたら私が経験した数々の出来事と同じことが書かれていた。騒音、咳払い、嘲笑、物品を使ったアンカリング、車両ストーキング、警察官によく職質される等々出てきたが、私が体験したことばかりであった。私は天地が引っくり返るほど仰天した。私はどうも集団ストーカーの被害者に選ばれたらしい。普通なら警察に訴えるが、しかし、私はやはり、警察に訴えても無駄なような気がして警察には行かなかった。今にして思えば警察に行けば良かったと思う。被害者団体もたくさんあったが私はどの団体も偽被害者団体のような気がして被害者団体には入らなかった。私の人生は完全に終わっていた。楽しいことなど何もなかった。28歳の時に図書館で読書をしてた時に私は突然、私は一体何をしてるんだろうと思い、どうしようもない虚しさに襲われた。同級生は皆友達と遊んだり恋愛したりしてるだろう。中には結婚してる人間もいるだろう。それなのに私は毎日一人で孤独で糞つまらない人生を歩んでいた。私の人生はもう終わってしまった感が半端なく私は図書館の机に頭をつけて凄まじい後悔の念に襲われた。集団ストーカーの被害者に選ばれたし、人生もつまらないし、好きなことも出来ず、集団ストーカーから逃れることに人生の殆どを費やしてるのだ。何て不幸な人生何だろう。私より不幸な人間はいるのか。母親に愛情はなく、そして母親の自我は歪んでおり、私はそんな自我を受け継ぎ、神経症になり、更に中学の頃にある奴に洗脳され人生を破壊され、そして集団ストーカーの被害者に選ばれ好きなことが何も出来ないのだ。余りにも不幸過ぎる。私より不幸な人間はいない。全くやってられない。私の人生は19歳の頃に終わってしまったようなものだった。

今では毎日死ぬことを考えている。集団ストーカーは終わりそうにない。いったい私の人生は何だったのか。楽しいことなんか殆どなく苦悩を感じることの方が多い人生であった。本当にやってられない。私は今は生きるのが死ぬほど辛いのでとっととこの世からおさらばしたいと毎日思っている。終わり。

何も変わらない日本人

欧米列強の時代に際して日本は攘夷派と開国派に分裂した。結局開国派が勝ち明治政府が誕生した。日本の近代化は急務であった。日本は欧米に岩倉使節団を派遣し欧米を研究した。欧米の近代化ぶりに日本は驚愕した。エレベーターや水道があり、まるで魔法の世界にいるかのような気分になったのであった。大久保利通はイギリス滞在の際に貧しく、苦しい現実から逃れる為にドラッグに手を染める人間を目撃して、「文明には辟易する」と語っていたが、日本は最初は中国、韓国と歩みを共にし、欧米に対抗するつもりだったが、余りにも彼等が便りないので脱亜入欧を掲げる。日本は和魂漢才から和魂洋才になり廃仏毀釈により仏教が廃止された。昔は日本は仏教の教えがあり、肉食は禁止されていたが、仏教が廃止され、強い兵隊を作る為に肉食が激賞された。江戸時代では、今では信じられないがマグロのトロは油っこいという理由で捨てられていたそうだ。トロはいつ頃から食われるようになったのだろうか。それは知らないが、油ものが食われるようになり肉食が始まった時とだいたい時を同じくしてるのかもしれない。

日本は和魂洋才になり欧米の技術を学びみるみる発展する。元々手先が起用で順応性のある民族である。ヨーロッパの船の作成図を見て僅か2年で船を作った。日本はあっという間に日本を戦争の出来る近代国家に作りあげる。日本の近代化は日本を戦争の出来る国に作りあげることにおいては成功だったがアイデンティティー的なことに関しては失敗だった。日本は何故か町並みまで欧米化するのであった。今でも写真に残る江戸の美しい町並みが消え去っていった。当時日本にいた外国人もそのことを危惧していたくらいだから、確かに当時の日本は美しかったのだろう。元々中国に影響を受けて国を作ってきた日本であるのだから、和魂洋才になり町並みまで欧米化するのは必然であった。思想的にも欧米の影響を受けて先進的なキリスト教、そこからの派生物としての西洋哲学や文学が日本で受け入れられたのであった。そして、日本人には欧米人が自我が確立されているように見えたので日本人も自我を確立せなきゃならんということで西洋近代自我の確立が推奨されたのであった。これが失敗であった。それまで、中国とインドの思想に影響を受けて自我を築いてきたのが、いきなり、西洋近代自我を確立せよ、と言われても無理な試みであった。その副作用は強く、日本人は対人恐怖症になったのであった。日本は日本を近代化するのは当時は喫緊の課題であったとして、近代国家を作ったことは成功だったが、ことアイデンティティー的なことに関しては何とも不器用であった。日本人にあったアイデンティティーを築きつつ日本を近代化することは不可能であっただろうか。欧米と互角以上に渡り合い戦争に勝つためには強固な自我の確立は必須であったか。柔軟で無理のない日本人にあった自我を築きつつ欧米と対抗することは出来なかったか。戦争に勝つためには自我を強くする必要があると当時の日本人は考えたが、これは失敗であり今でも尾を引いているのではなかろうか。ヨーロッパ人から猿真似と言われたが、日本人は半身ヨーロッパ人になったのであった。精神構造までヨーロッパ化する必要はなかったであろう。それで、日本からも精神的に病んだ人間が出てきたのである。この問題は150年経っても未だに日本人が抱えている問題だと言えよう。150年もたてば流石に病的症状も癒えると考える人間はいるかも知れないが、逆に僅か150年で集団的病が治るはずがない。谷崎潤一郎の陰影礼賛は今読んでも面白いが、谷崎的葛藤は未だに生きている。近い所では本当の自分とか、自己実現とか、自分探しの幻想が流行ったことをみても明らかなように、未だに日本人は混乱期から脱してない。アイデンティティークライシスに陥っていると語る日本人がいるが、こういう事を語る前提として、元々アイデンティティーを「持っていた」という前提に立ってるが、当然の如く日本人には自前のアイデンティティーを保証する、思想も哲学もないのだからアイデンティティークライシスに陥っていると考えるのは間違いである。日本人はどうやったら日本人に合った自我を築きつつ外部からの脅威に対して対抗出来るようになるだろうか。これは難しい問題である。日本は昔から外圧に弱いと言われてるが過酷な人生を生きてきた大陸人と互角以上に渡り合いながら、日本人にあった自我を築けるだろうか。

以前日本人の最大の問題と称したブログを書いたが、日本人が抱える最大の問題は臆病さにあるとし、その原因は日本の文化の中心には何もないことに由来すると書いた。そして、日本人は傷つくことを極端に恐れる恐怖遺伝子をなんと国民の98%が持っておりそれが原因と書いた。日本の文化の中心に何もないと言うことは、先にも書いたが日本人は自前の、思想、哲学、宗教を持たないと言うことである。たぶん、日本人は思想の問題点をよくよく吟味して何の思想も持たず文化の中心に何も置かなかったのではなく、日本人は傷つくことを異様に恐れる為に思想を持つとそれが争いの原因になると無意識的に判断し自前の思想を持つことを拒否したのであろう。思想が争いの原因になることは歴史が証明してるから、思想は持たない方が良いかも知れないが、仏教のように確信的かつ論理的に思想の問題点を理解し如何なる思想も持たないのと違って日本人の場合はその根底に臆病さがある。養老孟司は日本の思想は無思想の思想だと認識する必要があると言うが、それを論理的に理解する必要があるだろう。脳の中にはカオスがあり、瞬間的に論理的思考が可能なようだが、日本人は臆病さが原因ではなく、無意識的に論理的に考えて、思想の問題点を理解し、自前の思想を持たなかったのだろうか。私は誰も責任を持ちたくなかったのではないかと考えてるが、それは分からないが、日本には中国の思想、儒教老荘思想、インドから朝鮮経由で仏教が入ってきたが、キリスト教の影響下、或いは反発から産まれた西洋哲学より、東洋思想が日本人に合っていたのは間違いないだろう。

どのような思想も万能ではない。必ず弱点がある。思想を絶対化してもゲーテルの不完全性定理が出て来てしまう。だから1神教は問題と言えるが日本ではキリスト教が全く流行らず日本のキリスト教徒は1%もいないらしい。その点に関しては良いのだが、如何せん自前の思想も哲学もないものだから、アイデンティティー的な危機に際して何の対策も得られないのである。日本人に最も合っている自我はどういう自我かほとんど議論もされてないだろう。何故かというと、だから、自前の思想も哲学もないからである。人間はその本質的体質として、絶対的に思想、哲学が必要なのである。思考の立脚点は一時的に秩序を与え、思考の混乱を防ぐのである。物を見る、考える、行動に移すという基本的な人間の行動原理において、思想、哲学は必要なのである。そうでないと思考が支離滅裂になって何も出来なくなってしまうからである。それで、日本は自前の思想を持たない変わりに外国の思想を拝借して国を作り自我を築いてきたと言えよう。

今の日本はどう考えても有事である。貧富の差は拡がり、異様な犯罪が増えて、大量殺人をし、社会に復讐する人間がいる。ネットでは人格否定、罵倒が絶えない。ごみ溜めと化してるが、リアルでは全く幸福ではないのでネットでうさを晴らしてるのだろう。現実から逃げてるクズだが、今の日本にはそういう人間が多いのである。更にコロナ禍である。感染者が増え続け、経済的にも衰退している。1日に10万人以上も感染者を出してるアメリカやアメリカほどではないが、日本とは比べ物にならないくらい感染者を出してるヨーロッパに比べるとかなり、コロナ感染を防いでいると言えるが、gotoキャンペーンはやはり失敗だったと言えるだろう。自民党は自分達の権力維持とメンツと責任逃れしかかんがえておらず、今回のコロナ騒動に際してもgotoキャンペーンを推進するなど馬鹿な政策を掲げ、ついには東京で1日の感染者が800人を超え、全国の感染者は3000人を超えた。人々が流動化するとそれだけ感染のリスクは高まるのだから、専門家が言うとおりgotoキャンペーンはするべきではないのは明らかなのに、菅は遅ればせながらgotoキャンペーンを中止したが全てが後手後手の対応であり、今さら中止しても遅くもっと早く中止するべきであっただろう。しかも、この期に及んで未だに経済を優先しており、自分達の失敗を認めず、自民党は責任逃れすることは明らかであり、かつての大戦中も戦略的失敗を反省せず、同じ作戦を繰り返しアメリカに日本の上層部は馬鹿しかいないのかと言われていたが、日本は一億玉砕とか言ってたのだから戦争に勝つ気がなかったのは明らかだが、無駄にだらだらと戦争を長引かせて、遂には特攻隊まで出したが、日本は戦争に勝つ為と言うよりもプライド奪還の為に戦争をしてたのは明らかで、玉砕や特攻の精神はアメリカに日本の魂を見せ付けたかったのだろう。そうして無謀な戦争をして、無駄に人を殺した反省をせずに大東亜戦争の総括をせず、結局アメリカ万歳になってしまったが、反省をしないは、今でも同じであり、今回のコロナ禍において政策的失敗の反省をせず、未だに経済を回すことに比重をかけてるのだから、頑固で日本は何も変わってないと言えるだろう。戦後は狂った軍部が悪かったということになったが、どう考えても日本人は戦争を支持しており、戦果を上げた時に提灯行列をしてたことからも明らかであるし、真珠湾奇襲の際に当時の日本の知識人がいよいよ復讐の時がきたと語っていた。明らかに日本にはアメリカに対して復讐心があり、日本はアメリカを恨んでいた。しかし、物資の差があり、アメリカはちゃんと戦略を立てて戦争をしてたのに対して日本の作戦は何とも杜撰であった。負けが込んできて、日本は特攻隊、自爆部隊、回天等を出すが、人の命を粗末にし過ぎであり、この戦争は物質と精神の戦争と言われた。日本は未だにプライド奪還を果たせてない。ヨーロッパの脅威に際して日本を近代化するが日本が死にもの狂いで頑張ったのは劣等感があったからであろう。そこに文明的、文化的な敗北感があったのは疑いの余地はないだろう。憧れと憎しみが同時にあり、葛藤を産み出した。未だにファッションのモデルに白人を起用し白人崇拝があるが、同時に憎しみもあるから、度々右翼的な発言をする人間が出て来て日本人が一番優れた民族だと語ったりするが、仮に思想、哲学的に勝ったとしても見た目の問題はどうにもならず、このままだと日本人は永久に劣等感に捕らわれるだろう。失敗を認めず反省をしないのはプライド奪還に失敗したからであり、アイデンティティー的な問題に関しても未だに葛藤に捕らわれているのも同じ理由であろう。和魂洋才、和魂漢才という言葉が示しているように日本人は外部に信仰の対象を求める変わった民族であり、和魂和才でやっていけない所に日本の悲劇があった。日本人が度々精神に訴えるのは日本の内部に何もないからであろう。議論やプレゼンが苦手で議論の際に直ぐにムキになるのも日本の内部には何もなく後ろ楯がないので押しに弱く直ぐにムキになるのであろう。仏教では自灯明と言うが個人と同じく日本という国家もいよいよ自分の足で立つ時が来たのであろう。それは、間違いなく思想的な問題であろう。何の思想も哲学も持たない日本人にそれが可能であろうか。それは私には分からない。

経済を回しつつ、コロナに対応するといった二つの問題を同時に扱うことに関しては日本は本当に不器用である。かつては、近代化を成し遂げつつ日本人にあった自我を築くという問題に関しては日本はどう考えても失敗しており、此方の方は片一方は成功したが(つまり軍事的に強くなったが)、今回のコロナ禍に際しては、経済を回しつつコロナに対応することに失敗しており、結果的に感染が拡大しており、感染者が増え続けると経済にダメージを与えるのは必至であり、これでは本末転倒であり、日本人は本当に2つの問題を抱えると無力さを露呈してしまうのは昔と変わらないなあと思った次第である。