集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

全ては幻想。岸田秀論。

岸田秀という変わった心理学者が日本にいる。岸田は唯幻論という変わった思想の持ち主で読んで字のごとく全ては幻想だと説く。なぜ全ては幻想なのかというと人間は本能の崩壊した生き物であり、本能に頼って生きていかれなくなった為に滅亡から免れる為に自我という人為的構築物を作り滅びの道を免れたという。人間は本能の崩壊により現実を見失った為に幻想の世界に住まうようになったという。

岸田に言わせると全ては幻想なのである。教育も幻想、教養も幻想、恋愛も幻想、友情も幻想、国家も幻想、宗教も幻想、家族愛も幻想、天皇制も幻想、思想、哲学も幻想、悟りも幻想、神も幻想、ありとあらゆる価値体系も幻想、人間の生み出すクリエイティブなもの全て、音楽も芸術も建築も映画も演劇もお笑いも全ては幻想の産物なのである。

岸田が文壇に登場して40年以上立つが当時、唯幻論を発表した時にはそれはそれは衝撃的だったという。岸田の論説が気に入らない人間はわざわざ岸田の勤める大学までやってきて「全てが幻想だとふざけたことぬかすな!金返せ 」と迫ってきたという。プロの精神科医にも「何分かったようなことを語ってるんだ」という顔をされたという。反論も多数あったが支持者も多く第1作目の著作ものぐさ精神分析は10万部も売れたという。多くの信者も獲得し岸田は思想界で時の人となった。

岸田の生い立ちは不幸であった。岸田の母親は実母ではなかった。岸田は母親の姉にもらい子として育てられたという。岸田の母親は岸田の事を目に入れても痛くないくらい岸田の事を可愛がっていたという。非常に愛情溢れる家庭で育ったように見えるが岸田は子供の頃からおかしな所が一杯あり、幻覚が見えたり、外を歩くと何故か踵を返したい衝動にかられたり、死んだ日本兵の写真を見ると猛烈な鬱感情に襲われ一日中寝込んだり、金を借りてもいない友人に猛烈に金を返したい衝動にかられたりすることがあったという。岸田は自分がへんてこな病に襲われた為にこんな変な症状を持ってるのは自分だけではないかと不安になった。それでフロイト理論を拠り所として自己分析を開始した。そして自己分析を始めた結果、岸田は自分のへんてこな症状のよってきたる由来は母親の愛の欺瞞性にあると気付いてしまう。岸田は子供の頃は母親の愛情を疑ってなかったが自分があまりにもへんてこな病に襲われた為に自分にはどこかおかしい所がある、普通の人間ではないと不安にかられ英語訳された精神分析書を読みながら自己分析を始めたという。当時高校1年生だった岸田には当然英語は分からない。そこで英語で書かれた書物を意味の分からない単語があったら英語事典で調べながら読み進めるというキチガイ染みた読み方で読み進めたという。そうやって読み進める内に一年ぐらいで英文が読めるようになったという。で、フロイトの本を読んでみると自分と似たような症状で苦しんでる人間がいたから岸田は安心したという。ネズミ男と呼ばれてる男で、父親の死に際して異常に悲しんでたのだが、フロイトはその悲しみは実は大嘘でその悲しみの反対の感情こそが真の感情だと分析した。岸田は自分のへんてこな症状を解読する為に藁にもすがる思いでフロイト大明神にすがったのであった。そして岸田はフロイト理論を支えに自己分析をした結果自分の症状の全ては母親が自分の事を支配するためにありとあらゆる観念群を植え付けていたことに起因すると気付いてしまう。母親は実は自分の事を愛していなかったのだ。今まで強固な愛情で繋がれたと思ってた関係は全て幻想だったのだ。岸田は自分の本音を心の底からすくいだしてみると母親の事を本当は叩き殺してやりたいくらい恨んでいた。母親との関係は欺瞞的な関係でしかなかった。岸田は実は自分が母親に愛されてなかった事実を事実として認めるのが怖く本当はその事実を抑圧していたのであった。そして母親との欺瞞的関係を暴き症状を一つ一つ分析し、因果関係をはっきりさせることにより病的症状から脱することが出来たという。

岸田が唯幻論を生み出すきっかけになったのは自身と母親との関係が欺瞞的幻想であったこと、また、大日本帝国が崩壊して全ての価値体系が崩壊し逆転したことと無関係ではないだろう。岸田が唯幻論を生み出すのには社会性があるのである。そしてまた、日本の思想が無思想であることも関係してるであろう。岸田の思想は東洋思想と西洋思想の合作であろう。

岸田は悔しかった。自分だけ幻想の世界で生きるのが我慢出来なかった。それは屈辱的なことであった。他人と自分を比較して酷い劣等感に囚われるのであった。その屈辱は大変なものであった。自分だけ幻想の世界に生きるのは耐えがたいので他人も幻想の世界に引きずり下ろしたい衝動にかられるのであった。岸田の本はフロイト同様衝撃的にしてかつ革命的で、驚くことばかりの非常識的な理論を展開するが、既存の価値体系を次々と転覆させるのは痛快そのものである。45年前に発売されたものぐさ精神分析は今読んでも十分に通用する書物である。しかし、その価値体系を転覆してみせたその痛快な理論の中には、その文章の行間から他人を幻想の世界に引きずり下ろしてやりたい衝動が見え隠れしている。当然の如く反発も買い多くの人間を激怒させた。しかし、それはある意味岸田にとって喜びでもあった。否定的とは言え自分の理論を理解し読んでもらえたこと、また、プライドを傷つけたことは岸田に優越感を与えた。岸田の中には何もなかった。従って岸田は唯幻論を拠り所にする他になかったのである。岸田は母親の愛は絶対的に必要だと説いていたが岸田は母親に愛されておらず、しかも、母親に様々な観念群を植え付けてられてたのだ。従って岸田の自我は崩壊寸前のぼろ屋みたいなものであった。フロイト大明神にすがってなんとか崩壊せずにすんだが母親に愛されてない事実を認めるのは辛いものであった。しかし、母親の愛情が欺瞞的なものであると認めなければ症状は改善しないのであった。病的症状から解放されるのは難儀なことであった。他の愛情に包まれた家庭で育った家の子が羨ましく、また、腹立たしいのであった。だから岸田は唯幻論を展開し幸福に生きてる奴等を幻想の世界に引きずり下ろしたい衝動にかられるのであった。唯幻論に対して肯定的であろうが、否定的であろうがそれは岸田にとっては嬉しいことであった。

岸田にとっての唯一の心の拠り所は唯幻論のみなのだから救いようがない。唯幻論が論破されたら岸田の自我は崩壊するだろうか。崩壊はしないだろう。唯幻論を抜きにして考えても岸田の分析力は卓越しており文壇での地位はゆるがないだろう。従って唯幻論が論破されても支持者は恐らく失わないだろうから自我は崩壊しないだろう。

岸田の本を読むと自分自身を重ね合わせたと思われる分析が多数ある。例えば1神教やヨーロッパ分析がそれである。自身の母親との関係を反映させながら分析している。例えば1神教に関しては1神教の始まりはユダヤ教だがユダヤ人にとってユダヤ教は押し付けられたものであると分析する。その為ユダヤ人とユダヤ教の間にはしっくり来ない齟齬があり、更にヨーロッパ分析においてはヨーロッパ人にとってもキリスト教は押し付けられたものでありヨーロッパ人はユダヤ人以上にキリスト教との間にしっくりこない齟齬があると分析する。これなんかは母親との関係が欺瞞的であり、岸田の中にも母親との間にしっくり来ない齟齬があることを反映させた分析であろう。ヨーロッパ人は被害者意識と劣等感の塊で自分達と同じ不幸に引きずり下ろしてやりたい衝動が大航海時代の過激さの原因だと分析するが、これなんかは岸田本人と同じ衝動であろう。岸田は母親に愛されていなかった。だから幸せそうな家族を幻想の世界に引きずり下ろしたいのであった。家族愛も幻想なのである。

岸田の本を読むと岸田が冷酷な人間に見える人もいるだろう。その冷酷さも母親の冷酷さそのものである。ニーチェは怪物退治をするものは怪物にならないよう気を付けたまえと語ったが岸田は、自身のことを自分の都合の良いことしか考えておらず岸田の都合のことは微塵にも考えていなかった、そんな冷酷な母親に育てられたのだ。その為岸田は反動形成的に冷酷な人間になったのである。そうとしか思えない。

岸田の本を読んだことのない人は岸田の本を買って読んでみると良いだろう。通販サイトならワンコインで買える。その分析力は素晴らしく自身をそして社会を分析するのに役立つであろう。私は唯幻論は信じてないが岸田のことは高く評価しており社会を分析するのに貴重な物差しになってくれる。しかも岸田の本は読みやすく中学生でも理解出来るものである。ジャック・ラカンとかの糞みたいな小難しい理論を拠り所として社会を分析する人間がいるが(ラカンの理論を駆使してポケモンを分析した人間がいたがギャグとしか思えない)、人間も社会も分析するのに小難しい理論はいらないと分かるだろう。難解な印象がある精神分析だがそれを一般人にも通じるように書いた岸田の力技である。内田樹養老孟司や竹田せいじの書物同様非常に読みやすく分かりやすい。一度読んでみるとよいだろう。目から鱗が落ちる人間もいるだろう。特に日本が黒船来航以来分裂状態に陥ってしまったという分析は今でも通用するだろう。現に日本は右翼と左翼に分裂している。今は右翼が台頭してきて力を持ってるが岸田に言わせるとその時々で変わりがわり右翼と左翼が台頭してくるという。安部政権は右翼的だがアメリカに追従している変な政権で、反社会的勢力であり、国民の期待を裏切り続けてるのに何故か与党に居座り続けてる不思議な政権で、何故日本人は阿倍政権を指示してるのか不思議だが、全く情けないったらありゃしないがこんな政権ではアメリカの属国からの脱却の道は見えてこない。まずは右翼と左翼の問題を解決するべきであろう。左翼にとっては大日本帝国は悪であり彼等は西側の見解に従っている。しかし右翼にとっては大日本帝国は正義の国家であり植民地主義を終息させた正義的国家なのである。どちらが正しいということはないだろう。私は右翼と左翼の問題を解決する為に日本教言語化すべきであると考えているがどうであろうか。日本は信仰の対象を外部に求める変わった国家で昔は中国とインド、近代以降は西洋とアメリカである。日本が何故外部に信仰を求めるのかというと日本の思想は無思想だからであろう。内部に信仰出来る対象がない為に外部に信仰の対象を求めるのである。だからいつまで経っても日本はアメリカの属国なのである。いい加減に内部に信仰の対象を作るべきであろう。いくらか堅苦しくなるがそれ以外にない。つまり日本教言語化するのである。岸田は今の日本、そしてアメリカの属国から脱却するにはどうすべきかどう分析するであろうか。非常に興味がある。ぜひお聞きしたいものである。

岸田は私と同様集団と個人を分けて考えない。養老孟司によると集団と個人を分けて考えないのは自分も含めて岸田とただ二人だけだという。私も含めて三人だけである。集団と個人を分けて考えるのは、「とんでもな」、ことらしいが、何故集団と個人を分けて考えるのか不思議で仕方がない。集団と個人の心理は同一の構造を成しており時を同じくして成立するのである。岸田は自身の母親を化け物呼ばわりしているが何故、岸田の母親のような人間が出てきたのか岸田は分析していない。集団と個人は分けて考える必要はないのだから岸田の母親のような母親が誕生したのも何か社会性があるはずである。日本が西洋化したことと関係があるだろうか。岸田の家では劇場を経営しており岸田の母親は岸田を劇場に継がせる為に岸田にありとあらゆる観念群を植え付けて自分の支配下に置こうとしてたのだという。岸田の母親は劇場に誇大妄想レベルで高い価値を置いていたという。岸田の母親はさしずめ自己愛性人格障害者といったところだが岸田は自身の母親みたいな化け物のごとく人間が何故出てきたのか分析していない。是非とも岸田にお聞きしたい点である。

岸田は1神教問題解決の為に自分の理論が貢献できればいいのですと語ってたがそれは無理ってものだろう。1神教同様唯幻論も1つの思想であり、そのことでは同じであるし、1神教との間に摩擦が生じる。全ては幻想という理論は1神教徒には受け入れ難いだろう。思想を持たない人間はいない。従って全ては幻想という理論は全ての思想を幻想化してしまう為に他の思想を持ってる者のプライドを傷つけてしまう。前にも説明したが1神教徒を説得するのはやはり仏教的思想がベストである。

以上が岸田秀分析である。ところで岸田は集団ストーカーをどう分析するであろうか?現代の岸田秀と呼ばれている内田樹は集団ストーカーを供儀と分析した(?)が岸田はどう分析するであろうか。是非とも聞いてみたいものである。終わり。