集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

感謝の気持ちと不思議な縁

私はイギリス人である、セックス・ピストルズのフロントマンジョン・ライドンに感謝の気持ちで一杯である。今まで何度助けられてきたのか分からない。辛いとき、助けが欲しい時、私はいつもジョン・ライドンの事を思い浮かべたり、動画サイトでジョン・ライドンの映像を見るのである。そうすると苦しみが緩和されるのであった。私がジョン・ライドン、つまり、セックス・ピストルズに出会ったのは高校一年生の時である。当時はパンクロックのリバイバルムーブメントでパンクファッションが流行っていた。パンクな服を提供するミルクボーイ等が人気であった。で、ファッション雑誌でもパンク特集が組まれセックス・ピストルズの特集があったのである。確かメンズノンノだったと思うが掲載されていた、セックス・ピストルズの写真に衝撃が走ったのである。物凄くかっこよかった。頭はツンツンにおったて、ガーゼシャツに黒のベスト。レザーパンツにロンドンブーツ。パンツのサイドにチェーンがつけられていた。私は一瞬でセックス・ピストルズに魅せられてしまい、速攻でセックス・ピストルズのアルバムを買いに走ったのである。セックス・ピストルズの音楽は衝撃的であった。全てを吹き飛ばした。今まで聴いていた音楽が聴けなくなってしまったのである。そして、私はセックス・ピストルズの音楽が余りにも楽しいので、これなら一生人生を楽しめるわいと思ったのである。(このブログを書いてる最中に電磁波で不安を引き起こされた。このブログの内容に反応したのだろう。やはり思考盗聴器はあるのである)

パンクに影響を受け自分が確実に変わったのである。高校生の頃は私はパンクファッションに身を包んでいた。チェックシャツをズタズタに切り裂いて安全ピンを付けたりしていた。靴ひもも規則性を欠いた結び方にしていた。パンク的であるかどうかが私のものを計る基準になったのである。私はこのブログで散々ある奴に洗脳されてきたと訴えてきたがそいつはセックス・ピストルズは好きではなかった。そいつは私の事を変える為にブルーハーツのCDをしょっちゅう聴かせ、ブルーハーツを理解できない奴は馬鹿だと言っていたが、ブルーハーツ甲本ヒロトセックス・ピストルズに多大な影響を受けていた為にそいつは、セックス・ピストルズの事が嫌いでも否定出来ないのであった。ザマーみろと言いたくなるが、私はそいつがセックス・ピストルズの事が嫌いであったので、そいつに懐疑的になったのである。そいつは自分の事を絶対化しており、私の中でそいつが絶対的な存在者になってしまったのだが、セックス・ピストルズに否定的だったので、そいつの洗脳が解ける最初のきっかけになったのである。(その後養老孟司岸田秀に出会い決定的にそいつが私の中で絶対的な存在者でなくなるのである。特に精神分析が専門の岸田秀は決定的であった。その著書、ものぐさ精神分析を読み洗脳が解けはじめたのである。岸田秀も私同様に母親に様々な観念を植え付けられて四苦八苦していたのである。私は岸田秀の本を読み私と同じだとおもったのである)そいつは牧瀬りほのファンだったのだが、ダウンタウンが牧瀬りほの顎を馬鹿にしていたと私に語るのであった。そいつは私の前では絶対的な存在者を演じていたのだが、ダウンタウンのことは否定出来ず、困っている様子であった。更に松本人志が宮崎アニメを否定していたと私に語るのであった。奴は宮崎アニメの大ファンであったが松本人志には叶わない為に否定しようにも否定出来ないのであった。これらのことがあり、徐々に私の中で奴が絶対的な存在者ではなくなってきたのであった。その最初のきっかけがセックス・ピストルズであった。だから私はセックス・ピストルズ、特にジョン・ライドンには感謝の気持ちがあるのである。有り難うジョン・ライドン。あなたには何度も助けられた。感謝しています。

次に不思議な縁のことだが、私は松本人志と誕生日が一緒なのである。集団ストーカーの被害者に選ばれて松本人志から何度も仄めかしを受けたが、松本人志と何か不思議な縁があるとしか思えず、例えば松本人志の嫁は在日だが、実は私の中に朝鮮人の血が流れているのである。更に私を洗脳した奴はダウンタウンの大ファンで松本人志を尊敬していた。中1の頃に(遺書発売前)俺はまっちゃんに負けたとほざいてた。松本人志の笑いのセンスを中1で見抜いていたから、奴はやはりただ者ではない。しかし、性格が歪んでいた。だから私を否定して洗脳して自分の支配下に置こうとしたのである。しかし、松本人志には叶わないと知っていたから自分の好きなものを松本人志に否定されるとよく私に愚痴をこぼしていたのであった。

私は集団ストーカーの被害者で毎日辛い人生を生きているが、まっちゃんのギャグやガキ使の企画を思い出すと思わず笑ってしまって苦しみが軽減されるのである。だからまっちゃんには感謝の気持ちがあるのである。まっちゃんのギャグは集団ストーカーの苦しみを緩和してくれる。私はお笑い番組は好きで観るが、集団ストーカーの苦しみを和らげてくれるのは殆どまっちゃんしかいない。それ以外だとイッテQ!の面々ぐらいだろうか。やはり芸人は素晴らしいと思う。(汚れもいるだろうが)私を癒してくれるのは芸人だけだ。彼等には感謝の気持ちで一杯である。因みに、ジョン・ライドンもイギリスのサバイバル番組で芸人デビューしてナンバーワン人気を獲得するが番組を途中で降板してしまった。降板理由は「優勝したらまずいと思った」からとのことである。流石ジョン・ライドン。面白い男である

私は今は何か創作活動をしたいと思ってる。出来れば身体を活用する仕事がいい。養老孟司の影響だが確かに身体を動かすと苦しみが緩和されるのであった。私に決定的に影響を与えたのは、ジョン・ライドンチャールズ・ブコウスキー(故人)、養老孟司岸田秀の4人である。私はチャールズ・ブコウスキーの小説を読み何度助けられたのか分からない。ブコウスキーの元に「あなたのお陰で助けられた」と手紙がよく届くが、ブコウスキーは「私はそんなことをしたい為に小説を書いたわけではない。自分を救う為に書いたのだ」と日記に書いていたが、私も他のファン同様にブコウスキーに助けられた。読み手があっての小説だから、ブコウスキーは無意識的に自分と同じく苦しんでいる人間を救う為に小説を書いたのだろう。他者を救うことは自己救済になるのだ。私はブコウスキーの小説の気に入った箇所をノートに書く作業をよくしていた。今でもたまに、その時に書いたノートを読むが生きる支えになってくれる。苦労多き人生を歩んできたブコウスキーの事を考えると泣きそうになってくる。私が死んだらブコウスキーの墓の隣に私の墓を立ててほしい。天国のブコウスキーよ、有り難う。

因みに私は亀井勝一郎にも影響を受けており、亀井の名著「愛の無情について」もノートに書き移してた。(みんなが恋に友情に青春を謳歌してる時にだ。なんとも暗い青春時代であった)亀井勝一郎を知る日本人は殆どいないだろう。戦前、戦中、戦後に活躍した当時の日本を代表する批評家の1人である。亀井は他の批評家と違って他人を評価することに罪の意識を感じ、常に自問自答していた批評家である。親鸞ただ1人に帰依し、親鸞の「私にはあなたを救う力はありません」という言葉に深い感銘をうけたのである。私も親鸞には助けられた。亀井の名著「愛の無情について」の中にある、「自分の理解者はいるかと周りを見渡してみるのです。そしてどこにもいないと自答するのです。既に絶望的なのです」という言葉には慰められた。親鸞の「人を救う力はありません」という言葉がいかに奥が深いか亀井は説いていた。考えれば考える程に奥深い言葉だ。20世紀最高の哲学者と言われるハイデッガー親鸞の思想に衝撃を受けたらしい。亀井の書物は古本屋に行けば売ってるので興味があれば買って読んでみるといいだろう。批評家としてはかなり変わった部類に入る批評家だと思う。

繰り返しになるが、中でも4人の中で、岸田秀は決定的であった。私と同じく洗脳されてたからだ。そして、卓越した分析力強があった。私が洗脳から解ける最大のきっかけになったのが岸田秀である。岸田は精神分析が専門だからである。私は岸田秀の思考方に影響を受け、私の思考の立脚点に立つナンバーワンの人物は岸田秀なのである。岸田秀の書物は読みやすく馬鹿な私でも理解できた。岸田秀的思考が私の立脚点の中心にあるのである。

彼等には感謝の気持ちがあるが、私は何かもの作りをしたいと思っている。岸田秀に言わせるとアートは逃避的幻想とのことだが、何か創作活動をしたいのである。養老孟司が言うように身体を活用し、もの作りをすれば苦しみは緩和されるだろう。養老孟司の書物は確かに「強く」集団ストーカーの被害者という非常につらい立場にあっても彼の書物を読むと、生きる気力、希望が湧いてくるのであった。そんな著作家養老孟司だけである。戦後日本がもの作りの国と呼ばれたのも戦後価値観が180度変わったので、多くの人々は変わらないものが欲しくなり、つまりそれは「物」であって、車は車、日本でもアメリカでも「同じ」ように動くから安心感があり、日本は物作りの国になったと養老孟司は分析していたが、この分析は当たっているかも知れない。それと、戦中、戦後と辛い人生を生きてきたので何か普遍的な物を作りたくなったのではなかろうか。私も集団ストーカー被害者に選ばれ辛い人生を歩んできたので、何か普遍的な物、世界のどこに持っていても通用するもの、時を越えても通用する物を作りたくなったのである。上記に上げた4人は私の精神的師匠であり、師匠とは越える為にあるのだから、(ブコウスキーは故人だが)彼等を認めさせる作品を作りたいという思いがあるのである。見てろよ。俺にもやれば出来ると認めさせてやる。集団ストーカーが終わったら私は創作活動に励もうと思う。アートは逃避的幻想と分析した岸田秀を認めさせてやる。私には何か漠然と特別な才能があると思っているのである。まあ、見てろ!目にもの見せてやる。

しかし私はもう集団ストーカーの嫌がらせに耐えるのは限界である。生きてるうちはブログは更新し続けるが更新がない時は自殺したと考えて下さい。本当に今はもう限界なので死にたい気持ちで一杯で、自殺を考える毎日なのである。

セックス・ピストルズ
ゴッド・セイブ・ザ・クイーン
https://youtu.be/aAoDTjsYYWg