集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

俺達被害者に未来はあるのか。

集団ストーカー被害者にとってみたら、我々に未来はあるのか非常に気になるところ。被害歴30年を超えると毎日が不安で仕方がない。被害期間がまだ浅い被害者は別にして、私みたいに被害期間が長い被害者には気になって仕方がないだろう。それは当然と言える。自分の人生に関わることで、やりたいこともあるだろうし、単純に終わりはあるのか不安であろう。集団ストーカーは人生の価値について考えたことはあるだろうか?無いだろう。馬鹿だから。

誰だって自分の人生については一度くらいは考えたことはあるだろうが、集団ストーカー被害者にしてみたら、最重要事項だ。何故なら人生は一度きりであるからである。そんな一度きりの人生を潰されたのだから怒り心頭である。私の最大の後悔は若い頃に恋愛出来なかったことに尽きてしまうが、恋愛はやはり素晴らしいだろう。今年で46になる私に彼女なんかできるのか?30半ばのババアなら出来るかも知れないが家に帰れば30半ばのババアがいるのかと思うとゾッとする。やはり、20代がいい。しかし、現実的に考えると20代の女性と付き合うのはまず無理だろう。私の主観的感覚では恋愛より素晴らしいものはない。(恋愛したことないが)人生至上の喜びは恋愛である。顔が好みで可愛らしい女の子と一緒にいられるとかこの上ない幸せであろう。だけど、ブスとは付き合いたくない。私は仏教を学んだから、仏陀の教えを知ってるが、仏陀は人を上とも下とも平等ともみてはならぬ、と説く。仏陀の教えは100%正しいが、だから、私も女性を見た目で判断せず性格で判断しようかと、思ったが、こと、恋愛になるとやはりブスは無理である。やっぱり可愛らしい女の子がいい。こんな性格だから彼女が出来ないのかもしれない。恋に希望を持ったと語る人間がいるが、ブス、不細工の人達を見てると、余りにも人生が悲惨過ぎて、そんなもん全くないと分かる。そう語る、彼は恋愛出来る容姿の持ち主なのだろう。もし、恋愛できるチャンスに恵まれたら渋々と生きて小さい幸福に有り難みを感じて生きるが良かろう。

集団ストーカーには色々な側面があるが、1番罪深いのは、殺し以外だと人生破壊だ。悪いことをして罪悪感を抱かない人間は絶対にいない。従って集団ストーカーは罪悪感で一杯だろう。そして自己正当化して生きてるのだろう。

私は毎日、早く終われや!と叫ぶが集団ストーカーは黙ってるだけだ。集団ストーカーに終わりがないなら殺してもらいたい。そんな人生に生きる意味も価値もないからである。私はいつも、さっさと殺せよと言うが、集団ストーカーは殺しもせずに集団ストーカーしてくるだけだ。

集団ストーカーの傾向として、劣等感を与えてくると言うことがある。前に話したが私は足を壊して歩くのが非常に遅いのだが、すると、外出した時にやたらとマラソンランナーと遭遇するのである。走れて羨ましいだろうと、言いたいのだろうが、全く劣等感を刺激されない。あ、またか、と思う程度で終わってしまう。

集団ストーカーがわりかし早く終わる被害者となかなか終わらない被害者の違いは何だろうか。いくら考えても分からない。被害期間が長い被害者は集団ストーカー被害者に選定されてしまった時点で集団ストーカーが長くなると決まってしまってるのではないか。上階の糞ガキの騒音から始まった15歳の頃。それから30年を超える集団ストーカーの嫌がらせに遭うと知らずに生きていた自分の事を考えると我ながら可哀想になってくる。泣けてくる。あの頃はまだ無垢さがあった時期だから余計に可哀想で泣けてくる。問題は終わりはあるのかどうかでこれが全てだ。集団ストーカー被害者のただ一度きりの人生が集団ストーカーで幕を下ろしたら悲惨を極めてるとしか言いようがない。こんな悲惨な人生あるだろうか。だとしたら我々被害者の人生は何だったのだろう。そうならないと強く信じて、いつか我々被害者にも幸せが訪れると信じて頑張って生きていこう。おわり。

幸福とは長い忍耐である。

幸福とは長い忍耐であると言ったのはどこぞの哲学者か思想家だったが、確かに長い忍耐であろう。普通が最高という人間がいるが、普通の人生は定義しようがないから問題外として、幸せとはひょっとすると渋々とした地味な生活の中にあるかも知れない。しかし、幸福は長い忍耐と言っても我々被害者が耐えてきた被害期間は長すぎだろう。私は30年を超えるが、余りにも長過ぎる。あとどれだけ待てば良いいんだよ。待ってるだけじゃ駄目なんだよ、と歌ってる歌手がいたが集団ストーカー被害者である手前できる事が何もない。どうせ潰されるからね。世界の創造主が生み出したもので褒められるのは動物と自然だけ。動物と言っても弱肉強食の世界、地獄のような世界で生きてる。世界の創造主は一体何を考えてこの世を生み出したのだろう。もし、本当に世界の創造主がいたらそいつを恨む。

我々集団ストーカー被害者に至ってはどうか。幸福とは長い忍耐であると言うのは真実だろうが、我々集団ストーカー被害者は余りにも長いこと苦労し過ぎである。30年を越える集団ストーカー被害に耐えてきたが幸福と言えることは殆どなかった。恋愛をしたくて仕方がなかったが当然無理であった。30年以上も耐えてまだ耐えなきゃいけないのだろうかと思うともはや諦念が湧いてくる。もういい加減嫌である。いつまで耐えなきゃならないのか。深いため息をつく毎日。我々に明日はあるのか。

前に、集団ストーカーが終わっても大して嬉しくないって言う、記事を書いたがこの時は閲覧数がかなり伸びた。だから、他の多くの被害者も同じ事を考えているのだろうか。私は理由は被害期間の長さだと書いたが、他の多くの被害者も被害期間が長いのだろうか?私は30年を超えるが他の被害者にも被害歴が30年、40年を超える被害者がいるのだろうか。それは分からないがこのときの記事は閲覧数がやたら伸びたので同じ気持ちの被害者が多いのだろう。人生は一度きりで2度となく、この先同じ人生が産まれることは絶対にない。まさに人生は唯一無二と言える。従ってそんな人生を破壊されたら終わっても大して嬉しくないのだろう。トラウマも消えないしね。この記事が伸びたもう一つの理由として被害者は早く集団ストーカーが終わってもらいたいからであろう。終わったら何か良いことがあると思うのはこれだけ苦労してきたのだから、人情として避け難く、終わったら何か良いことがあると思ってるから、終わっても嬉しくないっていう記事は気になって伸びたのであろう。しかし、現実的に考えても何もいい事なんかないとしか思えない。終わって嬉しいというよりも徒労感しか残らないだろう。

集団ストーカーを思い付いた人間は一体何を考えていたのだろう。これだけの人間の人生を犠牲にしても、集団ストーカーはやる価値があると思ったのだろうか。せめて我々被害者の苦しみは分かってもらいたいものである。

ひょっとすると集団ストーカー被害者に選ばれたら幸福は諦めるしかないのかも知れない。そうすると集団ストーカーを知っててのうのうと生きてる一般人及び加害者がムカつくな。お前らも同じ苦労を味わえと思う。大谷翔平なんかつき過ぎだろう。身長193センチもある時点でついてるが、遂には世界一の野球選手と言われるくらいになった。生まれ持った野球の才能もピカ一であった。残念なお知らせになるが、成功する為には当然だが努力は必要だが、才能も必要になるのである。努力では乗り越えられない壁があり、才能がない人間は悔しいが諦めるしかないだろう。しかし、1番ついてるのは大谷翔平の嫁かも知れない。普通の一般人にしか見えないが、ものの見事に世界一の野球選手をゲットした。人間性、人間的な魅力があったからかも知れないが、これも才能の一種であろう。実に羨ましい夫婦だ。人間は耐えるのが限界になると他人を巻き込みたくなるのである。私にはそういう気持ちはあるが、実際に不幸に巻き込むことはしないだろう。そうしたのが、秋葉原の加藤とかたくさんの富裕層の幼稚園児を殺害した宅間とかだろう。全く哀れとしか言いようがない。人を殺してもどうにもならないだろうに。

もし小さな幸せを手に入れることが出来たら、染み染みと幸福を噛み締めて感謝しながら生きるが良かろう。おわり。

集団ストーカー考察

思考盗聴器無くして集団ストーカーなしだ。集団ストーカーを遂行し目的達成の為には思考盗聴器は欠かすことの出来ないキーアイテムだと思われる。

何故か?それは人の最大のプライバシー領域脳の中を読めるからである。思考盗聴器が発明された際に脳の中を覗いて見たら信じられないくらいの偉大な大発見があり、これを他の普通の人々に見せない手はないと思った。それは確実に人類進歩の為の大発見であり、一種の人間理解を深める勉強の為に普通の人々にも見せようと思った。人間理解を深めることこそ人類進歩の第一歩だ。

その為には犠牲者がどうしても必要になる。思考盗聴器はプライバシーの侵害だし、人権侵害でもある、が、しかし、そこまでしてでも人の脳の中を普通の人に見せる価値はあると思った。

そこまではいいとして、では何故被害者は毎日虐められるかだ。それは、実験対象に自由に動かれたら困るからである。ある種の隔離をする必要があり、集団ストーカーを思い付いたと思われる。被害者が可哀想だけど人類の歴史が変わる程の大発見であり、人間社会に裨益するのだ。

被害期間の長さは、年齢別で思考と感情の変化があり、それを分からせる為であろう。私が遭っている主な嫌がらせは、咳払い、騒音、電磁波刺激の3つだが、電磁波刺激がある場合、体の2つの部位に同時に刺激があったことは一度もないから、1人でしてるのだろう。指示役と電磁波刺激をする奴は同一人物であろう。それで、何時間か集団ストーカーしたら別の奴に変わるのだろう。全て集団ストーカーマニュアルに添って行われてると思われる。

これが私の集団ストーカー考察であり、これ以外に思い付かない。これ以外に無いのではないか?集団ストーカーがわりかし早く終わる被害者がいるようで、中には私みたいに30年を超える被害者がいる。集団ストーカーの長短の違いの理由は分からない。

集団ストーカー被害者(私)を見て笑ってる人間と泣いてる人間の両方を見てきたが、当時は私は集団ストーカーはロックフェラーとかの陰謀じゃないかと考えていて、余りにもまと外れってのもあるし、私は、頭の中から笑うな!と語りかけてたから笑うまいとすると逆に笑けてきたのであろう。これには、理由があり、私は集団ストーカーを小馬鹿にして笑いに変えてたら、ある朝目を覚ますと、創価学会のヤスと言う男が音声送信兵器で笑うなと語りかけてきたのである。それが、頭に残ってたので、思わず笑うなと考えてしまったのである。泣いてる人間には2度遭遇したが私がいかに卑劣な嫌がらせにあってるか知ってるから思わず涙が込み上げてきたのだろう。

それで、アメリカのユーチューバーか何か知らぬが私に仄めかしてきて、最後に皆で大爆笑していたのである。この動画を見た時に私は、私が笑うなと言ったから大爆笑してるんだな、と思ったが、これは事情を知らないこいつらが馬鹿なだけであろう。真相を教えてやったよ。分かったか馬鹿。

それと、集団ストーカーはAI研究の為にしてるかも知れない。被害者の全ての思考、感情をコンピューターにインプットして少しでも人間に近いロボットを作るのだ。これは当たってるかも知れないし、間違ってるかも知れない。どうだろうか。そんなこと、知らない。

それで、ヤスの話になるが当時はまだ2ちゃんねるがあった時代に2ちゃんねるにあった集団ストーカースレッドに、私が、集団ストーカーで人を殺して罪悪感と負い目に耐える人間はいないだろう、と書き込んだら、ヤスは混乱してた。混乱してたと言うことは実際に人を殺してるのか。ヤスには優しいとこがあって、よく集団ストーカー被害者に死ぬなよと励ましていた。(加害者がそんなことして許されるのか)混乱したヤスは2ちゃんねるにスレッドを建ててひとり語りしたり、(日本か欧米なら俺は欧米を取る。そういことだ、とか書いていた。どうもヤスは左翼のようである)ブログをいくつか持っていて、あるブログには、上層部に殺される。だけど、死ぬまで学ぶことは止めないぞと書いていた。上層部に殺されるって集団ストーカーがそんな危ない連中なら一般人は平静を保ち生きていけるわけがなかろう。私を見て笑ってる場合ではないだろう。一般人はみんな集団ストーカーを知っていて自分は被害者に選定される心配はないと知ってるのだから。(一般人が何故集団ストーカーを知ってるかの説明は嫌と言うほどしてきたので省く)従って、集団ストーカーは危ない連中と思わせる嘘だろう。嘘でなかったら一般人は平静を保ち生きていけなくなるのだから。しかし、ヤスが混乱したのは集団ストーカーは実際に人を殺してるとしか考えられずそうすると、集団ストーカーは危ない連中になり、一般人は平静を保ち生きていけなくなるだろう。またまた分からなくなってきた。ヤスが混乱してたの確かなようで、思想家の内田樹が虐め供犠説を提唱していて、私はその文書を読んで虐めってまんま集団ストーカーじゃねえかと思ったのだが、すると、私が当時は好きで読んでたブログのコメント欄にヤスが、虐めの問題もそう言うことですしね、と書いていた。(集団ストーカーは供犠なのか?)私は一時期ヤスに粘着されていた。

それと気になったのが、集団ストーカーを思い付いた奴を攻撃するのは絶対にNGのようである。集団ストーカー被害者にしてみたら、こいつがいたから集団ストーカーが産まれたのであって1番文句を言いたくなる敵だが、こいつを攻撃すると嫌がらせが激化するようである。こいつには絶対的権力があるようである。絶対的権力者を攻撃したら、そりゃあ嫌がらせは激化するだろう。しかし、こいつがいなけりゃ集団ストーカーはなかった訳で、世界中に被害者がいることもあって世界一恨まれてる奴だろう。

集団ストーカーが人類進歩に貢献するとか人間理解を深めるとか人間社会に裨益すると言っても相変わらず馬鹿過ぎる人間という生き物。環境破壊は止めないし、飽食で中には今日の飯に有りつけるのがやっとな人間がいて、子供食堂が9000箇所あり、悪事を働く人間は後を断たず、戦争も止めない。人間理解を深めるなら最終的に目指すのは人類平和以外にあり得ないが、宗教闘争や民族闘争、いつまで経っても馬鹿過ぎることをし続ける人間とか言う生きもの。人類平和は遠いと言わざるを得ない。私の説は間違ってるような気がしてきた。世界はどう考えても人類平和の方向へと進んでいない。私の説が正しければ一体何の為の実験かと言うことになってしまい、集団ストーカー被害者はやらられ損である。被害者が余りにも可哀想過ぎる。

それと、もう1つたた単に被害者を虐めたいと言う理由もあるのではないか。集団ストーカー被害者は不安に襲われ、恐怖心を抱き逃げ腰になる為に嗜虐性を刺激されて虐めたくなるのではなかろうか。或いは最初から人を虐めたい気持ちがあって色々と理由をつけて虐めとは違うものだと思わせてるか。

私は集団ストーカーもいずれ終わるだろうくらいに考えていたが、遂に被害期間が30年を超えた。何か行動に移そうかと考えたがどうせ集団ストーカーに潰されるし、やる気が湧いてこない。街宣とかチラシ配りをしてる被害者がいるが、残念ながら集団ストーカーはみんなが知る所のものなので意味がない。この先どうなるか。

取り敢えずこれが今私が考えている集団ストーカー考察だが、読者のヒントになれば幸いである。おわり。

 

【病人】誰か集団ストーカーを救ってやれよ

集団ストーカーは集団ストーカーすることでしか喜びを感じることの出来ない病気に罹ってるのです。こいつらは救われるべき人達で哀れなのです。コイツラに、必要なのは救いです。愛では救われないでしょう。と言うのも愛も病的現象だからです。病人に病的現象で当たっても余計に症状が悪化するだけでしょう。

現代人は愛は素晴らしいものと勘違いしてますね。しかし、愛こそが病的症状を悪化させる根源なのです。愛は執着です。人間の病気の十中八九が執着から生まれます。あの人に愛されたいという気持ちも執着でしょう。ですから、仏教では誰も愛してはいけないし、誰からの愛も求めてはいけないと説くのです。鋭い指摘です。仏陀の説いたことは正しいでしょう。ですから集団ストーカーのような救いようもない悪人を救うのは愛とは考えてはいけません。

そもそも集団ストーカーは本当に人間なのかという疑問が湧いてくる。こんな人間離れした気色悪い生命体を見たことがありません。たぶん本当に人間ではないのでしょう。猿以上人間以下と言ったところでしょう。こういった非人にも仏陀の教えは有効です。いや、仏陀以外にこいつらを救える人間はいないでしょう。問題は集団ストーカーが集団ストーカーに執着してることです。この執着から解き放つのです。難儀な道になるでしょうがそれ以外にはありません。

集団ストーカーは可哀想なのです。そういった人間に必要なのは愛ではなく自愛であります。自愛とは共に喜び、共に楽しみ、共に泣くということです。集団ストーカーを救うには自愛しかありません。共に楽しみ、共に喜ぶと言っても集団ストーカーをして楽しんだり、喜んだりしてはいけません。こいつら猿以上人間以下はどうも共感を求めてるように見える。そういう人間に対して有効なのは共に泣くことです。気持ち悪いけど抱きしめてあげで一緒に泣いてあげましょう。そうして、初めて集団ストーカーは救われるでしょう。

皆で協力して集団ストーカーを救ってあげましょう。我々被害者の為にも。おわり。

集団ストーカーの人生破壊における簡潔な報告

集団ストーカー被害者は毎日しんどい思いをしてるだろが、例外なく私も毎日しんどい思いをして生きている。集団ストーカーの謎は色々あるが、私が今真っ先に疑問に思うのは被害期間の長さである。集団ストーカーという、犯罪まがい、いや犯罪そのもののことがどうして、こんなに長い期間ももまかり通るのだろうか。

集団ストーカーをしてくるのは間違いなく普通の一般人で、主に音声送信兵器の指示に従い嫌がらせをしてくる。私は始まった頃から咳払いの嫌がらせが多く、今でも外に出ればしょっちゅう咳払いが飛んでくる。後、新しく引っ越してきた馬鹿の咳払いも酷い。何度も語ったから飽き飽きしてるだろうが、集団ストーカーは被害者予備軍を除いてみんな知ってるのである。要するにみんな知ってるってことは集団ストーカーの目的を全ての人間が承認したことになる。集団ストーカーが実験か何か知らぬが、これだけ価値のあることなのだから、犠牲者を出しても仕方がないと思ってるだろうか。でも、正直選ばれなくて良かったと思ってるだろう。

一応私以外の被害者もただの一般人を集団ストーカーに参加させてると考えてるようだが、それなら、何故社会的には集団ストーカーは完全に黙認されてると考えるだろうか。普通ならそれが逆に怪しいと考える筈である。いつ、どこに、誰といても集団ストーカーに遭うのだから、実はみんなが集団ストーカーを知ってて知らない振りをしてると考えるのが普通ではなかろうか。みんな目的意識を共有して集団ストーカーしてくるのである。

普通の人間の感覚なら被害者は可哀想だな、と思う筈だが、そんな様子は微塵にも見せないし、みんな普通に生きている。勿論普通の人達だって自分達の生活があるものだから被害者に選定された人間は可哀想だが、そんな、毎日被害者のことを気にしてられないよ、と言った気持ちもあるだろうし、自分達の人生を楽しみたいといった気持ちもあるだろう。だが、しかし、私は私を見て泣いている女性を2人見たことあるし、私が一般人は集団ストーカーを楽しんでるのではないかと、考えながらよく、通っていたセブンに行くとレジの女性と配送業者の人が悲しそうに、そうではない、と言った風に会話をしていた。あと、パチ屋に務めていた時の話だが、控室で待機してて、私が口に一切出さずにこれからも地獄のような人生が待ってるだろうな、と、考えると職場の仲間が悲しそうな顔をして、仕事の時間になり、さあ行きますか、と、悲しそうに言った。だから、確かに悲しんでる人間はいるのである。その数は結構な数になるのではないか。一切顔に出さないだけで。

最初の頃の嫌がらせは本当に酷く、アパートの上階の糞ガキの走る音と、どこか高い所から飛び降りる物音でその音は凄まじく、アパートが揺れる始末。始まったのは私が15歳の頃だが15歳の少年にそこまでするか?と言いたくなるくらいの凄まじい騒音であった。集団ストーカーは馬鹿だが冷酷と言われる所以である。私は母親と祖母と私の3人暮らしだったが、私と母親は、まあ、我慢できるとしても、70近い祖母には集団ストーカーは相当ストレスが貯まることであったであろう。私だけに集団ストーカーするなら、まあ、良いとして(ムカつくが)祖母も被害者になっていたのである。70近い祖母が。よくぞ集団ストーカーの糞馬鹿はここまで人間に冷酷になれるものだ。こいつら馬鹿どもは人間が絶対に持っててはいけないものをたくさん持って生まれてきたのであり、同情心から鼻水が止まらない。いつも、死ねよ、死ねよ言ってごめんね~。

実を言うと集団ストーカーは人間が持ってはいけない物を持ってしまったのではなく、人間ではないのです。こいつらの異常過ぎる冷酷無比無常さはそうでも考えないと説明がつきません。それで、どれだけの人間が泣いたことか。早く人間を目指せよ猿。私の考察は100%当たってるだろう。

私は集団ストーカーに長いことあい続け、被害期間が30年を超えるから感覚が麻痺して普通の人が普通に喜ぶことが喜べなくなっていた。例えば、恋愛って素晴らしいんだろうな、と考えるようになったのは遂最近である。特に若い頃の恋愛は素晴らしいだろう。最近になってとにかく恋愛をしたい衝動に駆られるのだ。やはり、本物の恋愛は素晴らし過ぎるほど素晴らしいのだろう。恋愛に興味のない人間なんて殆どいないのだから。それまでは集団ストーカー被害者てこともあったが余り恋愛に興味はなかった。セックスには興味はあって、ソープに通ってたが、付き合うよりもやりたい気持ちが勝っていた。それで、前にブログで書いたが私が本当に心の底から好きだと思えた女性が中学時代の野球部仲間に喰われていたのである。しかも、彼女の方から覆い被さって来たと言うからショックがでか過ぎて立ち直れなかった。清廉潔白な女性だと思ってたからショックだった。私と同じクラスだったが、可愛から高校に入学して彼氏が出来てセックスの味を覚えたのだろう。前にも語った通り現代人にはセックスはただの娯楽だから(何でセックスがただの娯楽と化したのかの説明はややこしくなる)彼女は私の野球部仲間と平気でセックスだけの関係を持てたのである。好きなら付き合う筈だが付き合ってないから、セックスだけ目的だったのは明らかである。好きな女がそんなことをしていたら、殆どの男は耐え難い苦痛に襲われるだろう。立ち直るのにかなりの時間を要するだろう。恋愛したいと言っても今年で46だから終わってしまってる。ババアとなら付き合えるかも知れないが、付き合いたくない。とっととこの世からおさらばしたい気分だぜ。

最後に、やはり、集団ストーカーは人間以外の異常者と見るべきであろう。とてもじゃないがまともじゃない。こんな人間以外のキチガイに人生を潰された被害者が哀れでたまらない。私も潰された。

しかも最近昔によく遭っていた嫌がらせが復活したのである?何でだろう。また1からやり直しか。それとも被害歴30年を超えてようやくスタートラインに立ったと言うことか。実際、70.80の爺さん婆さんが街宣に参加してたと言うしその可能性はある。まさに絶望。

最後に何でみんな自民党が大好きなのか不思議だね。日本破壊をしてる張本人ではないか。支持する理由はない。自民党を支持する国民にも原因はあるだろう。戦うべきは自民党だよ。まあ、日本人にはそれが正しいかで判断するのではなく、強そうか、弱そうかで判断するところがあるから、長年与党の自民党を支持してしまうのだろう。この国は終わってしまってるが、私の人生も終わってる。日本の問題は文化の中心に何もないことだ。それと島国体質。文化の中心に何を置くか。島国体質から脱却出来るかが今後の日本人の大きな課題であろう。

それでは全ての被害者の幸福と安泰を願ってる。おわり。

集団ストーカーほどアホらしいものはない。

集団ストーカー。世界一アホな犯罪を思い付いたのは誰か知らぬが、私は15歳の頃より集団ストーカーが始まったから今年で32年目である。余りにも長過ぎる。そして、余りにもアホらしいやり合い、応酬であった。集団ストーカーの嫌がらせは様々だが、私の遭っていた被害は主に咳払いと騒音である。咳払いをされると咳払いを仕返し、騒音の嫌がらせに逢うとこちらも騒音を出して反撃する。こんな事を31年も繰り返し続けてきた。近隣住民にも迷惑を掛けるし、全くアホらしいったらありゃしない。例えば騒音の嫌がらせをする場合、洗濯機を叩いてくるが、ある特定のことを考えると洗濯機を叩いてくる。それまで私に嫌がらせをする為に洗濯機の横に待機してるのかと思うとアホらしくなってくる。笑えてくるw馬鹿じゃねえのか。特定のことを考えると直ぐに騒音がくるから待機してるのは確実である。今胸を苦しくされている。最近ブログを書くと胸を苦しくされる。集団ストーカーを小馬鹿にしてるからだろうか。

当の集団ストーカーはアホらしい事をしてる事に気付いているだろうか。気付いてないだろう。アホだから。

こっちはもういい加減に疲れた。31年にも及ぶ対決に疲れた。集団ストーカーはそんなことは無いだろう。こいつらのやる事は、部屋に籠もって電磁波兵器で攻撃したり、音声送信兵器で語りかけたり、一般人に指示を出して集団ストーカーさせるだけなのだから楽なものである。無茶苦茶腹立つな。こっちは無茶苦茶苦労をしてると言うのに。それも生半可な苦労ではなかった。常に不安に襲われ、恐怖を抱く。自分に未来はあるのか常に不安だ。私はもし生まれ変わりがあるとしたら絶対に自分に生まれ変わりたくない。集団ストーカーだけは本当に御免被りたい。こんな嫌な犯罪は存在しない。集団ストーカーはとにかく恐怖を与えることを目的としていて、ありとあらゆる手段を用いて恐怖を与えてくる。多くの被害者が恐怖にビクビク怯えながら暮らしてることだろう。例えば、私は足を壊して歩くのが遅くなったのだが、すると車椅子の人に大量に遭遇するのである。これは、ひょっして俺の未来かとビクビク怯えるのである。

集団ストーカー被害者の殆どが被害者に選定されてしまったことに嘆き、自分の運命と集団ストーカーを恨むだろう。たぶん、殆どの被害者は、良いよな、被害者に選ばれなかった奴は、と思ってるに違いない。私はいつも思ってる。集団ストーカーの嫌がらせが余りにも卑劣だからである。被害者に選定されなかった人間はそれだけでついてるし、幸福だよ。被害者に選ばれると恋愛も出来ないのである。仮に出来ても彼女が集団ストーカー側につくのは明らかだ。そういう思いもあり、女を口説くとか、紹介してもらうとかは一切なかった。他の普通の人は普通に恋愛を楽しみ人生を謳歌してると言うのに。私ときたらどうだ。先の見えない未来にビクビク怯えてるだけじゃないか。惜しむらくは、10.20代の時に恋愛出来なかったことである。全ての人間には、感性というものがあり、10.20代の感性でする恋愛は最高であろう。これは私の一生の後悔になるだろう。40.50でする恋愛にもそれなりに楽しみはあるだろうが若い頃にする恋愛には勝てないだろう。相手も若いと言うのも重要だ。私は今年で46だから、仮に付き合えたとしても30後半以上。何だか笑えてきたw

集団ストーカーはもういい加減に勘弁してもらいたい、とか考えると耳に無駄だと言わんばかりに電磁波刺激が走る。これがむっちゃくちゃムカつくのである。楽をしながら集団ストーカーしていい気なもんだぜ。

私の友達の女性被害者が集団ストーカーに嫌気がさして、集団ストーカーに対して、もうわかった、私の負けだ、終わってくれとお願いしても終わることはなかったとのことである。その女性被害者も大体被害歴は30年くらいである。被害歴が30年も40年も越える人間にまだ集団ストーカーするとかこいつら完全に頭が狂ってるだろ。どう考えても尋常じゃない。最近では私に向けてTVから咳払いの嫌がらせがある始末。たまたまではない。毎日何度も咳払いがあるから集団ストーカーで間違いない。さっきもTVから咳払いがあった。他にも咳払いの嫌がらせに遭っている被害者はいるだろうから、私と他の咳払いに遭っている被害者に向けて行われてる嫌がらせだろう。

もう嫌気がさして深いため息をつくと、騒音とか咳払いの嫌がらせがある。まだまだやめないよ、と言うことなのだろう。この卑劣なゴミめ!今耳に電磁波刺激が走った。

前にも書いたが、集団ストーカーは変わり者や不幸な人間が選ばれやすいらしいが、私は確実に不幸な出自だから選ばれたのは理解出来る。それと変わり者が選ばれやすいと言うが不幸な人間と変わり者じゃなければならない理由があるだろうか。勿論ごく普通の人間の被害者もいるだろうが、不幸な人間と変わり者が選ばれやすいと言うことは、こういった人間に集団ストーカーをすれば何か得るものがあるからしてるわけで、集団ストーカーとは人体実験であろうか。私の母親は不幸な変わり者であったから、私は被害者にうってつけだったのかも知れない。ひょっとしたら私の母親も被害者だったかも知れない。いきなり、歩けない病気に罹り、見た目は70すぎの老婆になっていた。これは集団ストーカーがやった可能性があるだろう。いきなり老婆になる病気なんてあるのか?私もいきなり歩くのが遅くなる病気に罹ったからやはり、集団ストーカーが怪しい。足が鉛のように重たく早く歩けないのである。

恐怖心を常に懐きながら生きてる被害者もいるだろうが、それは多くの被害者がそうであろう。苦しい目や辛い目にあったら、世界中の被害者も同じく苦しんでるんだぞ、と自分に言い聞かせて、頑張ろう。集団ストーカーはアホらしい犯罪と認識して、そんなに怯えずみんなで頑張って生きていこう。おわり。

人殺しストーカー

集団ストーカーは間違いなく人を殺してるのである。自殺まで追い詰めたり、他の被害者ブロガーのブログで知ったが集団ストーカーの被害にあい精神がおかしくなり家族を殺してしまった被害者がいたらしい。

集団ストーカーを自殺強要ストーキングとか集団殺人ストーカーと表現する人間がいるが、そういう人間は、集団ストーカー被害にあい、死を意識するほど卑劣極まりない嫌がらせに遭ってるのだろう。私も未遂をしたし、成功してたら集団ストーカーは人殺しの訳で、他にも自殺や未遂をした人間は多いだろう。従って集団ストーカーは人殺しストーカーで間違いない。全く忌々しくムカつく奴等だ。絶対にしてはいけないことをしてる訳でね、早く罪を恥じて死ねよゴミ。

こんな危険な犯罪組織を野放しにしてるのはどう考えてもおかしい。私だって母親を集団ストーカーに殺された。ちょっと話が複雑になるが、私と母親はあまり仲が良くなく、しょっちゅう喧嘩をしてたが、母親が歩けない病気に罹り(私も歩けなくなる病気に罹った。ひょっとしたら集団ストーカーの仕業か。現代の科学のレベルだと人を歩けなくさせるとか楽勝だろう。電磁波兵器で検索したら運動機能を衰えさせることが出切るとあった)それで、母親は病院に入院したわけだが、私が見舞いに行くと母親は喜んでいた。普段はそんなに仲が良いわけでは無かったが入院して不安になったのだろう。それで私が見舞いに来たので喜んだのだろう。母親はかなりの不安に苛まされていたようで、離婚した親父や友人を病院に呼んでたようである。母親は50代だったが、70過ぎの老婆に見えて私は強いショックを受けた。そうなってしまったら母親は不安が強くなるだろう。いきなり老婆になってしまう病なんてあるのだろうか。やはり、集団ストーカーが疑わしい。で、何回か見舞いに行く中で私が母親に腹が立つことがあったので、私は思わず母親に死ねと言ってしまった。すると、母親は絶句して寝たきりになり、遂に返らぬ人になってしまった。私は確かに悪的行為をしたかも知れないが、そもそも我々家族が集団ストーカーの被害者に選ばれなければ母親は死ぬことは絶対になかったのだから、私の母親を殺したのは100%集団ストーカーである。この人殺しストーカーめ。死んだ命はどうやっても返ってこないのだぞ。それを分かってるのか。分かってないだろう。冷酷な馬鹿だから。本当にしょうもねえことを思い付きやがってよ!絶対に許せんわ!こんなことを書いてたらアパートの向かいの馬鹿が壁ドンの嫌がらせをしてきた。集団ストーカーの指示があったのだろう。罪の意識に苛まされて耐えきれなくなり私を攻撃したわけだ。この卑怯者が!

集団ストーカーは集団神経症に罹ってるのではないか?と言うのも、特に集団ストーカーにじゃなくてムカつくことがあって、ムカつく!と大きな声を出すと電磁波攻撃してくるのである。罪悪感が強くいつもビクビクしてる為に自分が攻撃されたと感じるのだろう。集団ストーカーが如何なる理由があろうとも被害者の人生を潰してるのは事実で、その事実が重荷で罪悪感が消えないもんだから、神経質になり過ぎて、ちょっとした被害者の反応にまで反応してしまうのである。かなりの卑怯者だな。で、そんな馬鹿で冷酷な奴等に被害者に選定されたのだから私の人生は完全に狂った。繰り返すが、集団ストーカーは集団ストーカーをしてることに負い目や罪悪感があるから罪の意識を被害者に植え付けたくなる卑怯者である。自己投影してるのではないかと思う。罪悪感に耐えきれなくなったから、悪い自分を被害者に投影して投影された被害者を責めることで安心したい単純な心理であろう。たぶん当たってると思う。要するに情けない自分を受け入れることが出来なくて自分を責めてるのである。投影した相手は自分の事で相手を責めるのは自分を責めるのと同じである。それに集団ストーカー自体が誇れる仕事でもなんでもないから、自尊心が低下して被害者を責めれる上の立場に身を置かないと耐え難い屈辱に襲われるのだろう。哀れすぎて同情したくなってくるわ。

集団ストーカーには人生破壊という側面があり、これはかなり深刻である。経済状況とか、強い不安に襲われるとか、恋愛出来ないとか、したいことが何も出来ないとか、色々あり、1度でも破壊された人生が復活することはたぶんない。集団ストーカー被害者は腸煮えくり返る思いだろう。たった1度きりの二度とない人生が破壊されるのだから。実際に私みたいに人生を破壊されたり、未遂をした人間はたぶん結構多いと思うが、例えば、タレントで被害者だった清水由貴子さんは自殺したしね。こいつら糞どもは確実に人を殺してるのである。しかし、疑問に感じるのは人を殺すのに、30年も、40年もかけるだろうか。電磁波兵器で一撃だろう。これは1つの疑問である。しかし、確実に人を殺してるしね。この人殺しクソ野郎が!とにかく色々と疑問に感じることが多い犯罪である。集団ストーカー被害者はただの実験対象で必要がなくなったら捨てる(殺す)のだろうか。そう考えるのであれば、30年も40年も集団ストーカーする謎が解ける。

こいつらが死ぬほどムカつくのはこっちが集団ストーカーのアホに悪口を言うと謝罪を要求してくるくせに、自分たちが悪い事をしても絶対に謝罪しないことである。自分たちは正しい行いをしてると思ってるのだろうか?ただ単に現実逃避してるアホだろうね。今すぐ死ね。

集団ストーカーが地獄に必ず落ちると信じて生きよう。お前らだけは何があっても絶対に許さない。おわり。