集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

幸福とは長い忍耐である。

幸福とは長い忍耐であると言ったのはどこぞの哲学者か思想家だったが、確かに長い忍耐であろう。普通が最高という人間がいるが、普通の人生は定義しようがないから問題外として、幸せとはひょっとすると渋々とした地味な生活の中にあるかも知れない。しかし、幸福は長い忍耐と言っても我々被害者が耐えてきた被害期間は長すぎだろう。私は30年を超えるが、余りにも長過ぎる。あとどれだけ待てば良いいんだよ。待ってるだけじゃ駄目なんだよ、と歌ってる歌手がいたが集団ストーカー被害者である手前できる事が何もない。どうせ潰されるからね。世界の創造主が生み出したもので褒められるのは動物と自然だけ。動物と言っても弱肉強食の世界、地獄のような世界で生きてる。世界の創造主は一体何を考えてこの世を生み出したのだろう。もし、本当に世界の創造主がいたらそいつを恨む。

我々集団ストーカー被害者に至ってはどうか。幸福とは長い忍耐であると言うのは真実だろうが、我々集団ストーカー被害者は余りにも長いこと苦労し過ぎである。30年を越える集団ストーカー被害に耐えてきたが幸福と言えることは殆どなかった。恋愛をしたくて仕方がなかったが当然無理であった。30年以上も耐えてまだ耐えなきゃいけないのだろうかと思うともはや諦念が湧いてくる。もういい加減嫌である。いつまで耐えなきゃならないのか。深いため息をつく毎日。我々に明日はあるのか。

前に、集団ストーカーが終わっても大して嬉しくないって言う、記事を書いたがこの時は閲覧数がかなり伸びた。だから、他の多くの被害者も同じ事を考えているのだろうか。私は理由は被害期間の長さだと書いたが、他の多くの被害者も被害期間が長いのだろうか?私は30年を超えるが他の被害者にも被害歴が30年、40年を超える被害者がいるのだろうか。それは分からないがこのときの記事は閲覧数がやたら伸びたので同じ気持ちの被害者が多いのだろう。人生は一度きりで2度となく、この先同じ人生が産まれることは絶対にない。まさに人生は唯一無二と言える。従ってそんな人生を破壊されたら終わっても大して嬉しくないのだろう。トラウマも消えないしね。この記事が伸びたもう一つの理由として被害者は早く集団ストーカーが終わってもらいたいからであろう。終わったら何か良いことがあると思うのはこれだけ苦労してきたのだから、人情として避け難く、終わったら何か良いことがあると思ってるから、終わっても嬉しくないっていう記事は気になって伸びたのであろう。しかし、現実的に考えても何もいい事なんかないとしか思えない。終わって嬉しいというよりも徒労感しか残らないだろう。

集団ストーカーを思い付いた人間は一体何を考えていたのだろう。これだけの人間の人生を犠牲にしても、集団ストーカーはやる価値があると思ったのだろうか。せめて我々被害者の苦しみは分かってもらいたいものである。

ひょっとすると集団ストーカー被害者に選ばれたら幸福は諦めるしかないのかも知れない。そうすると集団ストーカーを知っててのうのうと生きてる一般人及び加害者がムカつくな。お前らも同じ苦労を味わえと思う。大谷翔平なんかつき過ぎだろう。身長193センチもある時点でついてるが、遂には世界一の野球選手と言われるくらいになった。生まれ持った野球の才能もピカ一であった。残念なお知らせになるが、成功する為には当然だが努力は必要だが、才能も必要になるのである。努力では乗り越えられない壁があり、才能がない人間は悔しいが諦めるしかないだろう。しかし、1番ついてるのは大谷翔平の嫁かも知れない。普通の一般人にしか見えないが、ものの見事に世界一の野球選手をゲットした。人間性、人間的な魅力があったからかも知れないが、これも才能の一種であろう。実に羨ましい夫婦だ。人間は耐えるのが限界になると他人を巻き込みたくなるのである。私にはそういう気持ちはあるが、実際に不幸に巻き込むことはしないだろう。そうしたのが、秋葉原の加藤とかたくさんの富裕層の幼稚園児を殺害した宅間とかだろう。全く哀れとしか言いようがない。人を殺してもどうにもならないだろうに。

もし小さな幸せを手に入れることが出来たら、染み染みと幸福を噛み締めて感謝しながら生きるが良かろう。おわり。