集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

もう生きたくねえ

集団ストーカー被害者として生きることに疲れた。私はもう生きたくない。こんな辛い毎日を生きるなら死んだほうがマシである。他の被害者も同じことを考えるだろうか。他の被害者ブログやtwitterの投稿を読んでみると、集団ストーカーの終焉を信じてポジティブに活動する被害者がいるようだが、今の私にはもうそんな気力はない。私は30年も集団ストーカーに耐えてきたのであってこれだけ長いと集団ストーカーは一度始まったら永久に終わらないんじゃないかと勘ぐってしまう。実際のとこはどうなるかはわからないが、私は30年も人生を犠牲にしてきたのだから酷い焦燥感に襲われてしまう。始まった初期の頃はいつか終わるくらいに楽観的に考えてたが今では楽観的にはなれない。人生とは苦しみだと定義したのは仏教の開祖である、悟りを開いた仏陀だが確かに人生とは四苦八苦であり、別に集団ストーカー被害者でなくとも人生に苦しみは付き物であり、苦労しながら生きてる人間は世界中に腐るほどいるだろう。別に神が人生とはそういうものだと決めたわけでなく本質的に人生とはそういうものであり、逆に人生とは苦しみだという事実を受け入れれば比較的楽に生きれるかも知れない。しかし、私はもう限界だ。もう生きたくない。何の為に産まれたのか全く分からない。苦しみだけの人生に一体何の意味があるというのか。こんな人生を生きるくらいなら死んだほうがマシである。

人生が理不尽とは誰でも知ってるが、我々集団ストーカー被害者は理不尽にも被害者に選ばれたのであり、その事実を認めるのは辛いだろうが認める以外にない。いつの時代も場所を問わずに苦労しながら生きてる人間はいるが、我々集団ストーカー被害者はかなり特殊な世界の中に放り込まれたのであって、大概の人間は被害初期の頃はパニックり、恐怖に怯えるだろうが、ネットで集団ストーカーを検索して、他にも被害者がいて、被害に苦しみながらも集団ストーカーの終焉を信じて周知活動をしてる人間の存在を知り勇気付けられ平静を取り戻す人間もいるかも知れない。私も最初はそうだった。私だけが特殊な嫌がらせにあってると思い、集団ストーカー自体がかなり嫌だったが酷い孤独感に襲われた。それで、ネットで自分が遭っている被害を入力してみると集団ストーカーがヒットして驚愕した。これは、日本だけでなく世界的な犯罪であり、私以外にも世界中に被害者がいることを知ることが出来て酷く安心したし、勇気付けられた。人間は誰だって孤独は恐ろしいだろうが、集団ストーカーのような特異な犯罪の被害者になり、自分だけが被害にあってると思うのは辛いものであった。しかし、ネットで私以外の集団ストーカー被害者の存在を知ることが出来たのは良かった。

今の私には同じく被害者の女性のメール仲間がいるが、彼女には今まで自分が遭ってきた被害を話し、集団ストーカーの悪口や愚痴等をこぼすがそういう仲間がいるのは良いものである。他の被害者も自分以外の被害者の存在を知り、その被害者と活動を共にすればかなり勇気付けられるだろう。私もそうだったが今はもう限界である。何度も言うが私の被害期間は30年である。30年もこんな特異で奇特で卑劣極まりない犯罪に耐えてきたのである。これだけ長いことこんな犯罪に耐えたら誰だって精神がどうにかなるに決まってる。私にはもう生きる気力はない。多くのものを失い酷い後悔と悔恨の念に襲われて何度も人生をやり直したいと考えたが、人生をやり直したいと考えるのはまだ幾ばくかの望みがあるからであって、何の望みもない人間が人生をやり直したいと考える筈がない。今でも時々私は集団ストーカーが終わったらどれだけ素晴らしいだろうと考えるが、何だかそんなこともどうでも良くなってきた。失ったものが多すぎるし、この先生きてても良いことなんかありそうにないからだ。だから、集団ストーカーには早く殺せよと言うが集団ストーカーは殺さずチマチマといやらしい嫌がらせをしてくるだけだ。死ねば全てが終わり、もう苦しむ必要はないから実に素晴らしいことである。今の私にとって死とは安らぎでしかない。早く死にたい。死が私に訪れた時は、やれやれ、やっと人生が終わると感慨深げに私は思うだろう。人生にもう何の未練もない。死が私に訪れるのが待ち遠しくて仕方がない。早くその時が来ねえかなぁ。