集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

我々集団ストーカー被害者に希望はあるのか

私はいつか集団ストーカーが終わると信じて生きてきたが被害歴が遂に30年になってしまった。これだけ長いと、ひょっとしたら集団ストーカーは一度始まったら二度と終わらないのではないかと恐怖に怯えてしまう。被害者なら分かるだろうが、集団ストーカーの被害者になるとプライバシーが崩壊しそれだけでストレスになるし、部屋にいても外出先でも様々な嫌がらせにあい、毎日ストレスは溜まる一方である。人間なら誰だって自分の人生をイキイキと生きたいだろうが集団ストーカー被害者にはそれが叶わない。どんな被害者も辛い日常を生きる中で、集団ストーカーの終焉を願い、時には集団ストーカーに対抗し、或いは街宣やポスティング等の周知活動をして、被害者と親交を深めてるだろうが、その中で幾ばくかの自由を見つけて趣味に没頭したり、買い物や食事に出掛けストレス発散してるのかも知れない。街宣等で知り合った被害者の存在も心強いだろう。やはり人間は一人になるとネガティブなことを考えてしまうもので、同じく被害者の仲間の存在は有り難いものである。一人だと寂しいし、孤独で不安にもなるだろうが、仲間の存在は精神的な励みになるし、自分は一人ではないと思えるのは強みになるだろう。私は知り合いの被害者は一人しかいないが、毎日メールでやり取りして、確かに励みになるものである。愚痴を言いあってるがそれだけで、かなりストレス発散になるものである。しかし、私は被害期間が死ぬほど長いので、集団ストーカーには本当に嫌気が指してきた。被害者になると未来は不安だし、自分の好きなように人生を生きれないので毎日死んだような人生を生きている。集団ストーカーが終わればどれだけ素晴らしいだろうと考えるが終わる気配はなく、このまま一生集団ストーカー被害者として生きなければならないのだろうか。10代の頃に集団ストーカーが始まって、終わらないままいい歳したおっさんになってしまった。老人に一番後悔してることは何かと聞くと、自分の好きなように生きなかったことと、挑戦しなかったことをあげる老人が多いらしいが、私は集団ストーカーの被害者だから、好きなように生きれなかったし、当然挑戦も出来なかった。従って凄まじい後悔の念に襲われてしまう。私は死ぬときは集団ストーカーを恨んで死ぬだろう。人間の何が辛いかって一番はどう考えても人生を奪われることである。人生至上の喜びとは好きなように生きて、自分が自分の人生を生きてると感じられることである。しかし、集団ストーカー被害者は、毎日様々な嫌がらせにあい、したいことも出来ず、屈辱的な人生を歩む為にそれが叶わない。たった一度の限りある人生なのだから、誰だってイキイキと自分の人生を生きたいが、集団ストーカー被害者は人生を奪われて不本意な人生を生きざるを得ない。こんな人生で希望を持って生きられるだろうか。被害者は世界中にいて苦しんでる人間は私だけではなく、そのことは、確かに励みになるが、しかし、人生を奪われ好きなように生きれないので後悔しきりであり、そことは本当に辛い。誰が何の目的で思い付いたのかは知らないが、いつか終わってほしいと思う。希望があるとしたら、いつか我々被害者は誰にも邪魔されずに自分の人生を生きれることである。と書いたら電磁波が走った。終わらせてやらないと言わんばかりにである。電磁波刺激は毎日あるが、これがとにかく腹が立つ。いちいちムカつくタイミングでいつも電磁波が走る。twitterにいる被害者はかなり辛い目にあってるようで私はマシなようだが、私もかなり酷い人生を生きてきた。被害者の皆さん未来の終焉を信じて頑張りましょう。