集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

俺達被害者に未来はあるのか。

集団ストーカー被害者にとってみたら、我々に未来はあるのか非常に気になるところ。被害歴30年を超えると毎日が不安で仕方がない。被害期間がまだ浅い被害者は別にして、私みたいに被害期間が長い被害者には気になって仕方がないだろう。それは当然と言える。自分の人生に関わることで、やりたいこともあるだろうし、単純に終わりはあるのか不安であろう。集団ストーカーは人生の価値について考えたことはあるだろうか?無いだろう。馬鹿だから。

誰だって自分の人生については一度くらいは考えたことはあるだろうが、集団ストーカー被害者にしてみたら、最重要事項だ。何故なら人生は一度きりであるからである。そんな一度きりの人生を潰されたのだから怒り心頭である。私の最大の後悔は若い頃に恋愛出来なかったことに尽きてしまうが、恋愛はやはり素晴らしいだろう。今年で46になる私に彼女なんかできるのか?30半ばのババアなら出来るかも知れないが家に帰れば30半ばのババアがいるのかと思うとゾッとする。やはり、20代がいい。しかし、現実的に考えると20代の女性と付き合うのはまず無理だろう。私の主観的感覚では恋愛より素晴らしいものはない。(恋愛したことないが)人生至上の喜びは恋愛である。顔が好みで可愛らしい女の子と一緒にいられるとかこの上ない幸せであろう。だけど、ブスとは付き合いたくない。私は仏教を学んだから、仏陀の教えを知ってるが、仏陀は人を上とも下とも平等ともみてはならぬ、と説く。仏陀の教えは100%正しいが、だから、私も女性を見た目で判断せず性格で判断しようかと、思ったが、こと、恋愛になるとやはりブスは無理である。やっぱり可愛らしい女の子がいい。こんな性格だから彼女が出来ないのかもしれない。恋に希望を持ったと語る人間がいるが、ブス、不細工の人達を見てると、余りにも人生が悲惨過ぎて、そんなもん全くないと分かる。そう語る、彼は恋愛出来る容姿の持ち主なのだろう。もし、恋愛できるチャンスに恵まれたら渋々と生きて小さい幸福に有り難みを感じて生きるが良かろう。

集団ストーカーには色々な側面があるが、1番罪深いのは、殺し以外だと人生破壊だ。悪いことをして罪悪感を抱かない人間は絶対にいない。従って集団ストーカーは罪悪感で一杯だろう。そして自己正当化して生きてるのだろう。

私は毎日、早く終われや!と叫ぶが集団ストーカーは黙ってるだけだ。集団ストーカーに終わりがないなら殺してもらいたい。そんな人生に生きる意味も価値もないからである。私はいつも、さっさと殺せよと言うが、集団ストーカーは殺しもせずに集団ストーカーしてくるだけだ。

集団ストーカーの傾向として、劣等感を与えてくると言うことがある。前に話したが私は足を壊して歩くのが非常に遅いのだが、すると、外出した時にやたらとマラソンランナーと遭遇するのである。走れて羨ましいだろうと、言いたいのだろうが、全く劣等感を刺激されない。あ、またか、と思う程度で終わってしまう。

集団ストーカーがわりかし早く終わる被害者となかなか終わらない被害者の違いは何だろうか。いくら考えても分からない。被害期間が長い被害者は集団ストーカー被害者に選定されてしまった時点で集団ストーカーが長くなると決まってしまってるのではないか。上階の糞ガキの騒音から始まった15歳の頃。それから30年を超える集団ストーカーの嫌がらせに遭うと知らずに生きていた自分の事を考えると我ながら可哀想になってくる。泣けてくる。あの頃はまだ無垢さがあった時期だから余計に可哀想で泣けてくる。問題は終わりはあるのかどうかでこれが全てだ。集団ストーカー被害者のただ一度きりの人生が集団ストーカーで幕を下ろしたら悲惨を極めてるとしか言いようがない。こんな悲惨な人生あるだろうか。だとしたら我々被害者の人生は何だったのだろう。そうならないと強く信じて、いつか我々被害者にも幸せが訪れると信じて頑張って生きていこう。おわり。