集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

【病人】誰か集団ストーカーを救ってやれよ

集団ストーカーは集団ストーカーすることでしか喜びを感じることの出来ない病気に罹ってるのです。こいつらは救われるべき人達で哀れなのです。コイツラに、必要なのは救いです。愛では救われないでしょう。と言うのも愛も病的現象だからです。病人に病的現象で当たっても余計に症状が悪化するだけでしょう。

現代人は愛は素晴らしいものと勘違いしてますね。しかし、愛こそが病的症状を悪化させる根源なのです。愛は執着です。人間の病気の十中八九が執着から生まれます。あの人に愛されたいという気持ちも執着でしょう。ですから、仏教では誰も愛してはいけないし、誰からの愛も求めてはいけないと説くのです。鋭い指摘です。仏陀の説いたことは正しいでしょう。ですから集団ストーカーのような救いようもない悪人を救うのは愛とは考えてはいけません。

そもそも集団ストーカーは本当に人間なのかという疑問が湧いてくる。こんな人間離れした気色悪い生命体を見たことがありません。たぶん本当に人間ではないのでしょう。猿以上人間以下と言ったところでしょう。こういった非人にも仏陀の教えは有効です。いや、仏陀以外にこいつらを救える人間はいないでしょう。問題は集団ストーカーが集団ストーカーに執着してることです。この執着から解き放つのです。難儀な道になるでしょうがそれ以外にはありません。

集団ストーカーは可哀想なのです。そういった人間に必要なのは愛ではなく自愛であります。自愛とは共に喜び、共に楽しみ、共に泣くということです。集団ストーカーを救うには自愛しかありません。共に楽しみ、共に喜ぶと言っても集団ストーカーをして楽しんだり、喜んだりしてはいけません。こいつら猿以上人間以下はどうも共感を求めてるように見える。そういう人間に対して有効なのは共に泣くことです。気持ち悪いけど抱きしめてあげで一緒に泣いてあげましょう。そうして、初めて集団ストーカーは救われるでしょう。

皆で協力して集団ストーカーを救ってあげましょう。我々被害者の為にも。おわり。