集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

だれかが犠牲にならなあかんこともあるんや、という松本人志からのメッセージ

タレント、メディアからの仄めかしが大量にあるとこれは自分にも向けた仄めかしだなとわかるようになる。
上のタイトル、誰かが犠牲にならなあかんこともあるんやという、仄めかしも自分に向けられた仄めかしだと直ぐに気付いた。
なんで被害がこんなに長くつづくんだろうと不満をよく口にしていた時期と重なるからでる。

誰かが犠牲にならなきゃいけないという言うことは、我々被害者の影で別の誰かのためになっているということである。
ただの犯罪行為ではなく何か深い意味のある犯罪的行為であることは確かだし、そうでも思わないとやってられないし、したいことも出来ずにただ被害に甘んじてるだけで特になんの意味もない犯罪行為だったらやりきれない。
ただの暇潰し程度の意味しかない犯罪行為だとすれば、我々被害者の人生は全く報われないものになってしまう。
一体何の為の苦労だったのだ、その程度の意味しかない犯罪的行為だったのか、われわれ被害者の払った代償に全くみあってないではないか。
ということになってしまったら発狂ものである。

誰かの役にたっている。そうでも思わなければやってられない。余りにも膨大な時間を犠牲にしたのだから。時間も、友達も、恋人も、金も犠牲にしたのだから。

集団ストーカー電磁波犯罪。
一体誰が何の目的で発明したのか、今はまだわからないけど我々被害者の人生が意味ある事に使われていると願って止まない。

奪われた時は取り返せず、人生やり直しが効かないのだから・・・・せめて意味のあることに・・・