集団ストーカーと電磁波犯罪の謎

集団ストーカーの被害記録です

松本人志からの仄めかし2

松本人志 “人志”名付けたのは祖父「かなりおかしい。化け物みたい」
お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志(55)が13日深夜放送のTBS「クレイジージャーニー」(水曜後11・56)に出演。自身の名前「人志」について語った。



松本人志
番組冒頭で視聴者からの質問「自分の名前は気に入っているか?」をテーマにトークを展開。松本は「俺はおじいちゃんが(人志と)付けたらしい」と切り出し、「おかしいねんけどね、人を志すって化け物みたい。そもそも人に非ずみたいなことじゃないですか」と笑いを誘い、「かなりおかしいんですけど、嫌いじゃないね」と語った。

これも私に向けられた仄めかしであろうか。キーワードは「化け物」であるが、私は一時期ある人物を化け物呼ばわりしていたことがよくあった。その人物のことはこのブログにも書いたが、私にありとあらゆる観念群を植え付けて内側から私のことを支配しようとしていた人物のことである。それは私のこの稚拙なブログ「生き霊の呪い」と「どんなキチガイ染みた病にも社会性がある」に書いたが、私は今でも軽い症状は残っているが、かつてありとあらゆる観念が邪魔をして何も出来なくなってしまったことがあった。私の人生の邪魔をするその観念群を追い払おうとしても追い払えず苦しみ、足掻き苦しんでた時期があった。私のことをがんじがらめに苦しめるのでその観念を植え付けた人物が化け物にしか見えなかったのである。これはかつて書いた「仄めかしの意味について、思考盗聴されているとしか思えない」に書いたが、簡単に説明すると、仄めかしの意味には二種類あり第一の仄めかしは通常の仄めかし。日常で喋ったことや目にしたことを仄めかしてくる仄めかし。第二の仄めかしは心理学的というか精神的な仄めかし。被害者の精神的な事柄に関する仄めかしで、この「化け物」という仄めかしは第二の精神的な事柄に関する仄めかしだと思われる。というのも最初は第二の仄めかしの意味が全く分からず電磁波兵器関連の仄めかしだと思っていたのだが、長いこと心理学的な仄めかしを受け続けている内にそれは電磁波兵器関連の仄めかしではなく私の精神的葛藤に関する仄めかしだとわかるようになってきたのである。その精神的葛藤は誰にも打ち明けたこともないし、こうしてブログにも書いたことがないので思考盗聴器の存在を疑うようになったのであった。「化け物」に関しては別のブログに「24時間化け物に監視される地獄」と題して書いたことがあるがそれは最近のことで、彼のことを「化け物」呼ばわりしていたのは今から5、6年前の話である。そしてその精神的葛藤はその私が「化け物」呼ばわりしている人物との関係性の中から産まれたわけである。

私は長いことその精神的葛藤に苦しめられていた。誰かに打ち明けることができてればまた違ったのだろうが、誰にも打ち明けることができずに悶々と苦しんでいた。辛かった。本音を言えば誰かに打ち明けたかった。しかし、それは出来なかった。20数年間その葛藤と共に苦しみ、歩んできた。集団ストーカーはその精神的葛藤に関することを言葉や、物品、数字等を使いずっと仄めかしてきていたのである。

精神的葛藤と集団ストーカーの二重苦は辛いものであったが、仄めかしが何か被害者にとって貴重な参考資料になることは間違いない。仄めかしそれ自体の意味はなんであろうか。なぜ集団ストーカーは私の精神的な葛藤に関する仄めかしをしてくるのであろうか?全く謎である。あるブロガーから集団ストーカーは法的には悪、社会的には善であるという仄めかしがあり、松本人志からは誰かの犠牲が必要なこともあるんやという言葉があった。これらのことは何を意味しているのかかいもく検討もつかない。苛めと社会的善を繋げるものを見付けることが出来ない。何度考えても集団ストーカーの目的が見えてこない。

社会的には何か意味があるのかも知れないが、我々被害者は非常に辛く苦しい人生を歩んでおり願いが叶うならば今すぐにでも終わってもらいたいのである。なぜこんなに長いのか。嫌がらせが始まって25年である。いくらなんでもこれは長過ぎである。集団ストーカーには人を同情することはないのであろうか。いい加減にもう終わってやってもいいのではないか。私のことを語れば終わって最悪、終わらなくて最悪である。終わって多少ましな程度である。余りにも膨大な時間を無駄に過ごしてきてしまった。時間だけはどうにもならない。だから今すぐにでも終わってもらいたいのである。

駄目であろうか。これからも集団ストーカーに人生を潰され嫌な思いをしながら行き続けなければならないのであろうか。もう沢山である。早く終わってもらいたい。